今日から「環境保護」の授業が始まった。
今年度で3年目に入る。
過去2年間の反省を踏まえて、冗長な部分は削り、強調したい分野は強化して、年間計画にマイナーチェンジを加えた。
新たに強調したのは「環境史」だ。これまでもこの部分の授業には力を入れてきた。しかし、一昨年、石弘之先生の本を読み、直接お会いする機会を得て環境史の重要性をあらためて認識した。
ヒトは、「ヒト」という生物の種として進化して地球上に出現したが、ある時点から文明を手にして、環境に不可逆的な改変を加えるようになった。
そして、文明が進むとともに、環境に加える改変はますます大規模になって今日に至っている。
少なくとも3000年から5000年の間のことだろう。
生物としての歴史は100万年とも500万年とも言われる。どのような動物を「ヒト」とみなすかによって異なる。
いずれにしても「文明」の歴史よりはるかに長い。
この長い長い「ヒト」としての歴史の最後の2000年間で、物を燃やして得られる火のエネルギー(つまりは酸化エネルギー=化学エネルギー)にとどまらず、原子の構造を変化させて得られる原子力エネルギー(核エネルギー)を取り出すに至った。
地球上自然界では、可視的な範囲で物が燃える火はある。雷や火山噴火による山火事などである。だが、原子核の崩壊によるエネルギーは、エネルギーとして目に見える状態では存在していない。
原子力発電推進派の皆様がよく言うように、天然の放射線は確かに存在するが、それとは桁違いの猛烈な放射線をニンゲンは作り出したのだ。
問題はそこまでして発電するしか方法がないのか、そうまでして電気をつくる必要(需要)が本当にあるのか、ということだ。この点についての十分な検証は無いと思う。
現代を生きるニンゲンとして、僕らは、神への挑戦にも匹敵する恐ろしいことをしているのだという自覚を持つべきだ。
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