2011年4月15日金曜日

碧空を 白鳥の群れ北へ去り 陸(くが)果つる地で 仰ぎ見る吾


偶然ではあろうが、去年もこの日、北へ飛ぶハクチョウの群れを見送った。
かなりの高度を、大きな群れが整然と飛んでいった。
午後、2時20分頃のことだ。

 行方不明も含めて、3万人近い人の命が失われた。
この先、ボディブローのようにジワジワと効いていくる放射線による障害で、癌などの疾患による死者も出るかも知れない。

 「たぶん、君たちが思っているより命というものは簡単に失われるヨ」
 今日、「野外活動」の授業の第一時間目の冒頭で、こう言ってのけた自分の言葉に、うなずく僕自身の内面があった。
一万とか十万とかのオーダーで、命が失われる時、われわれの現実認識は、それに追随できなくなる。
 大規模なイベントの時、巨大なシステムを設計し運転する時、われわれは全体を構成する「個」を見なくなる。

 だが、一つ一つの命には、それに連なる命があり、かけがえのない値打ちがある。

 そのような命が3万近く失われた。

 教室での説明を終え、校舎の外に出た時、ハクチョウの大きな群れが頭上を通り過ぎた。
ロシアでは、死者は鳥に姿を変えるという言い伝えがあるという。
 ハクチョウたちは、隊列を崩すことなく、一直線にカムチャツカの方角へ飛んでいった。
 その群れは、放射能で汚れた国から一刻も早く飛び去ろうとしているかのような、断固とした意志を示しているかのようで、地上で見上げる僕を、呆然とさせる勢いを放っていた。

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