仙台市の都市ガス網の復旧に、全国から2700人ものガスの技術者が集まったという記事を読んだ。地震発生から間もなくひと月になろうとしている。
あらためて被害の大きさがわかる。と、同時に都市ガスという巨大なシステムの脆弱さについて考えてしまう。
1994年のことだが、北海道東方沖地震で震度5強を経験した。
幸い、住宅は、地盤液状化のために少々浮き上がった程度で何の被害もなかった。引っ越直後だったので、整理が終わったばかりのおびただしい本が床に散乱し、本の洪水になったことが最大の被害だった。
その時、水道は数日間断水し、停電も丸一日くらい続いたと思う。
ただ、ガスは、液化石油ガス(LPG)だったので、屋外のガスボンベのそばにある遮断機で止まっただけだった。これは、僕が「復帰操作」をして、すぐ元に戻り、使用可能になったことを覚えている。
地震の程度も違うので単純に比較できないが、都市ガスのように大規模で集約的なシステムより、個人の住宅ごとに独立したガス供給システム(「システム」というほどのものではないが)は、小回りがきいて、ダメージを受けにくいことは確かだ。
電気にも同じだろう。
大規模な発電所から地域全体に供給される現在のシステムは、地震にも弱い。そして、肝心の大本の原子力発電所が壊れて、大騒ぎになっているのだ。
工場や鉄道、ドーム球場や遊園地など大電力を使う施設は別だが、家庭で使う電気には、発電の方法はたくさんあるはずだ。燃料電池、太陽光、小規模な風車、水車などなど。
半導体技術の進歩で交直流間の変換も手軽になっている。
みな、なぜそれを進めないのか?
電力会社やそれが作り出す利権に群がる政治家の思惑に乗せられていると考えるのは僕だけだろうか。
水力発電のためのダムを造りまくっていた時代もあった。そのために自分の生家や育った集落が水没した経験を持つ人々もいる。火力発電所もしかり。
まして、原子力発電所は桁違いの規模で人々に犠牲を強いている。
大きいことは良いことか?
大福餅やチョコレートなら大きい方が良いが、何でもかんでも大きけりゃ良いというものではないと思うのだが。
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