2011年4月28日木曜日

その波も汀(みぎわ)に並ぶ流木も 心の海にどこか似ており

 家庭で使う電気は、言うまでもなく発電所だけがあれば良いというわけではない。
 発電所から都市へ電気を供給するための送電線。電圧を下げる変電所。そして配電線や柱上トランスなどなど。
とりわけ送電線網は日本全国に網の目のように張り巡らされている。調べたらわかることだろうが、その総延長はとてつもなく長いものになるだろう。

 電気というものは、そんなに大規模なシステムでなければ作られないものなのだろうか。日本には「電気事業法」という法律があって、誰でも発電や配電の業界に入ることはできず、事実上独占状態だ。

 電気は目に見えないし、扱いを誤ると危険も大きいから一定の規制や規格の制限は必要ではあるだろうが、薪ストーブのように一軒ごととか町内会ごととかで発電しても良いのではないだろうか。
 こう言えばすぐにコストの問題を言い出すヒトが出るだろう。確かにコストを抑える努力は必要だ。
 だが、コストだけを比較するのはどんなものだろう。スケールを大きくすることで、コストは抑えられるかも知れないが、数字に表れないことで失われるものも小さくないはずだ。
 原子力発電のように、ひとたび事故を起こせば、会社の存続が危うくなるほどの損害を生むものもある。
 持続可能なエネルギーを多用なソースから引き出して、有効に活用し、使い方もよく吟味して無駄な電力を使わないようにすれば、原子力発電なんかに頼らずに生活していくことができる。
 どこかの知事が「脱原発は現実的ではない」などとこの時節にまったくそぐわないトンチンカンなことを言っていたが、(あんな発言、マトモに相手にするのもバカらしいのだが)それこそ現実をきちんと見ないで、頭の中だけで考えた思い込みに過ぎない。
 「経済成長は大事だ」と言うかも知れないが、新自由主義者の大好きな経済成長は僕たちの生活に何をもたらしたか?
 子どもたちをどれほど歪めたか?
 自然環境をどれだけ壊しまくったか?
 企業だけに都合の良い派遣労働者切りや、福祉の切り捨てで人々の心をどれだけ荒廃させてきたか?

 あんな連中と無理心中させられるのはまっぴらだ。

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