2011年4月9日土曜日

へそ曲がりのタワゴト

 「がんばろう日本」の後に「欲しがりません、勝つまでは」と続くような気がして、素直に言葉を受け止められない。

 被災者支援の募金もしているし、応援する気持ちは人一倍持っているのだが。

 「この非常時に・・・」という表現も同じ。
 
 そのうちに、たすきか腕章を付けた町内会が見回りに来て、

 「ここの家は節電に協力していない!」とかと言われそう。コワイ。
 「国難」と言う言葉もイヤだ。
 受難しているのは被災地の住民たちや原子力発電所周辺の住民たちである。

 「国」を前面に出す前に「国」とは何か、をハッキリさせなければならない。そこを曖昧にしたままで「国」を濫用すると個人の上に国を置いてしまうのではないかな?

 多様な人々から構成されている公の存在として「国」の概念を保たなければ、結果的に「国」を私物化したがっている勢力の思うツボになってしまうのではないだろうか。

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