2011年10月31日月曜日

ミュージシャンと知床

天気が崩れるかと思ったが、きわどい所で持ち直し、今日は薄雲が広がった程度だった。
日本海に優勢な高気圧が控えているので、今後もしばらくは安定した天候になりそうだ。

そんな中を、木畑晴哉トリオの面々は帰って行った。
三人は、初めて訪れた知床の地から強い印象を受けた様子だった。


僕には偏見にも似た先入観があって、ジャズと言えば、アスファルトやコンクリートなどの人工物で固められた都会の音楽だろうと思い込んでいた。

だが、考えてみれば当たり前のことだが、音楽は、いや芸術は、すべからく環境との相互作用で生み出されるものである以上、優れた自然環境は、芸術家の感性に、有用で強い印象を与え、インスピレーションを励起するものなのだろう。

ドラマーで、フィラデルフィア出身のラリー・マーシャルさんは、羅臼ビジターセンターの映像を見終わった瞬間、
「わたしは、ここで家を探す。ここに住みたい。」と言っていた。

実現可能かどうかはともかく、心底からそんな気持ちになったのだと思う。


僕は、しばしば、
「自然環境の保護」とか「持続可能な利用」、「絶滅危惧種の保護計画は・・・」などと、シカツメらしく言うが、優れた自然環境は、もっと直接的に人の心に働きかけるものだとあらためて気づかされた。

自然環境の保護のために、科学的なモニタリングやデータの蓄積は重要だ。
同時に心に働きかける力をも等しく評価しなければならない。

自然環境を守ろうとするとき、最後の砦は、ヒトの心なのだと思う。
このことを「自然保護関係者」は、肝に銘じておかなければならない。

だから、多くの人々が情熱を傾けて守ってきたタンチョウを、亜熱帯の暑さの中でに放り出し、観光客誘致に利用しようなどと考えるヤカラに、そういう細やかな感性などあるわけがないのだ。

そして、細やかな感性を持たない者が、道民を代表する知事の座に居座ることなど許されないのだ。

2011年10月30日日曜日

 道東に生息する希少種タンチョウを台湾に連れて行き、動物園で飼育するそうだ。
 温暖な土地での繁殖の可能性を探るというもっともらしい名目を掲げている。

 なんてアホらしい。
 「暖地での繁殖の可能性」を探る前にやるべき事があるだろう!
 北海道における繁殖可能な土地の拡大や確保をもっと真剣に取り組むべきだ。
 国後島や択捉島などタンチョウが自力で移動可能な土地で、繁殖地となりうる場所がまだまだ残されている。
 サハリンやシベリアにもまだ余裕があるはずだ。

 なぜ台湾なのか?

 理由は明白だ。
 北海道に生育するツルを動物園で公開し、観光客の誘致に一役買わせようということだ。 北海道の関係者や知事は、その魂胆を隠そうともしていない。
 知事などは、台湾へ飛んで行って、公開のセレモニーで挨拶までしている。

 タンチョウは、大正13年、十数羽の生き残りが釧路湿原のキラコタン岬で再発見された。それ以来、善意の人々が私財を投じ、私生活を削って保護増殖活動に取り組んできた。また、全国の心ある人々が募金をして支えてきた。

 そうやって千羽を越えるまでに増殖したタンチョウを、「タンチョウ」という種のためではなく、北海道の観光産業振興のためにイケニエにしようというのだ。
 原発再稼働その他の問題で、つくづく破廉恥な知事だと思っていたが、ここまで厚顔無恥、無知蒙昧、カネのためなら何でもしちゃうお調子者だったとは。

 この知事は一日も早くリコールするべきだ。
 同時に、この知事を傀儡として操っている黒幕たちをもいぶしだして叩き出さねばならない。

 それにしても、暑い国に連れて行かれてさらし者にされるタンチョウが哀れでならない。

 釧路市民は、このことに何も感じていないのか?
 環境省は、釧路に事務所がありながら、この問題を看過するのか?
 タンチョウの写真を写している「写真愛好家」の皆様がたは、何も感じないのか?

 日本の自然保護行政にまた一つ汚点が加わった。

2011年10月29日土曜日

JAZZな一日JAZZの力を思い知る

3人のJAZZミュージシャンと釧路から羅臼まで短い旅をした。
見る景色、風の吹く様子、彼らにとってすべてが音楽になるようだ。
音楽が身体にしみついていると言ってよさそうだ。
今まで、あまり交際したことのない種類の人たちだったから新鮮で、嬉しいな出会いだった。

みな芸術家だ。


羅臼に着き、高校の吹奏楽部で指導するところに立ち会った。
驚いたのは、ちょっとした短いやりとりのアドバイスで、生徒の演奏がガラリと変わったことだ。

生徒たちは真面目に譜面を読み、譜面通りに演奏することに一生懸命になっていた。もちろんこれも大切なことだろう。
しかし、
「JAZZは対話であり、互いの思いから音を出し、互いの出す音を聴きながらそれに合わせていくなかで、共に演奏する楽しさを味わうことがもっとも大切です。音楽はコミュニケーションです。」
という言葉に強く感化されたらしい。

生徒の演奏にこれからどのような変化が見られるのか、とても楽しみだ。

2011年10月28日金曜日

修学旅行なんて止メチマエ!

某高校の職員室での会話。
「二年生の5時間目の体育、どうします?」
「う~ん。天気がいいから外でやりたいけどナァ。風が冷たいし、風邪をひかせたらまた、なんか言われるしぃ・・・・。ホントになぁ。」

これは、修学旅行の出発を数日後に控えて、体育教師同士の会話。
似たようなジレンマは野外で活動する科目を持っている僕にもある。
風は強いものの晴天だったこの日、僕も外で授業を取りやめ、教室内での授業をした。生徒たちも、屋内での授業を当然のような態度と服装で受けていた。
 いつもなら、外に出られる服装に着替え、
「先生!今日はどこへ行くの?」と屋外活動への意欲をみなぎらせているところなのに。

 一生に一度の「ハレ」の修学旅行に万全の体調で参加したいあまり、出発前にはまるで感染症から逃げ回るような大騒ぎとなってしまう。

 気持ちは理解できるが、どこかおかしくはないだろうか。

修学旅行の目的は、高等学校学習指導要領(文部省告示第58号 平成11年3月29日)によると、

 「平素と異なる生活環境にあって、見分を広め、自然や文化などに親しむとともに、集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと。」

となっている。

 決して物見遊山の旅ではなく、買い物ツアーでもなく、一生に一度の「ハレ」の旅でもないのだ。
 学習活動の延長なのであるし、出発する直前まで「平素の学習活動」をしていて構わないはずだ。と言うより「平素の学習活動」をしていなければならない。

 だいたい、「平素の学習活動」ですぐに風邪をひくような虚弱さで、「平素と異なる生活環境」を無事に乗り切られるワケがない。

 今の修学旅行は、旅行代理店の立てた計画に乗って、出発から帰着までお膳立てされている。交通機関や宿泊施設はもちろんのこと食事の手配、見学先の入場料や拝観料の支払い、記念写真の手配まで、言われるままにお金を支払えば、あとはだまって参加するだけでOKだ。

 旅というものは、行き先を決め、計画を立てる。旅先の情報を集め、交通機関を調べて予約し、宿泊先を確保し、持ち物や服装を考えて出発する。
 自分のことはすべて自分でやるということが基本だと思う。そんな経験のない生徒たちにそのような経験をさせるのも旅の目的であるはずだ。
 それらの大部分を安直に解決して、楽しい結果だけを求めて「団体行動」の中に埋没してしまうのがいまの修学旅行の現実の姿だ。
 生徒に行く先や見学予定の場所、出発時刻や宿泊先を尋ねても、99パーセントは、「知らない」と答えるのが現状だ。

 帰ってきてから、どこへ行ってきたかを尋ねても、答えは同様だろう。
 印象は?と訊くと、九割が
 「宿で友達と話したこと」などと答える。

 こんなお金の無駄遣いが他にあるだろうか。

旅行前に体調管理に特別に気を配るというのは悪いことではない。旅を楽しくするためには不可欠なことに違いない。
しかし、健康管理も自分で考え対応するのが自立した人間だし、そんな人間の育成をめざすのが教育の究極の目的であるはずだ。

寒風の中で体育をしようと冷たい川の中に入ろうと、簡単に風邪をひいたりしない強い身体と自己管理能力を身に付けて、その総仕上げが修学旅行であるべきだろう。

ひ弱な精神と身体のままで、業者の言うなりのお仕着せの計画による物見遊山、買い物ツアーを「修学旅行」というなら、そんなもの無いほうがいい

2011年10月27日木曜日

秋のバイク

  移動性高気圧に日本全体が広く覆われ、好天だった。
 雨の心配がないというので、久しぶりにバイクで通勤した。

 防寒の目的もあり、まだ、十分に履き慣れていないブーツを履いた。
 「慣らし」にちょうど良かった。

 気温が低く、今までなら相当に寒さを感じただろう。
 しかし、このブーツとグリップヒータとウエアのお陰で、快適に羅臼まで走ることができた。夏の暑い時期の信号待ちの時などよりよほど快適だ。
 天気さえよければ、11月いっぱいは走れるかも知れない。

 例によって走りながら歌を考えていた。

十月の風は北西 傾いて肩で斬り込む 無心となって
傾けて草原の道に弧を描く 北西の風に斬り込むように
もう少しスロットル開け 日常のしがらみからも逃げようとして

2011年10月26日水曜日

「鹿よおれの兄弟よ」という文化の匂いについて考えた

 雨が上がると寒気が入ってくる。
 冷え込みの予感のする一日

 昨日、シカの解体途中、ゴム手袋が破れたことに気づかずにいた。
 気づいた時には、すでに手は血だらけ。

 脂肪が皮膚の隙間に入り込み、洗っても洗ってもニオイが落ちない。知らぬ間に髪にもニオイが着いたらしく、ベッドの中もシカ臭くなった。

 「ニオイに敏感な日本人」は、自分たちと異なる匂いの者を異端者として排除してきた歴史をもっている。
 匂いというのは、かなり原始的な感覚だから、この排他性は生理的だと思う。

 稲作米食を中心とした生活を送ってきた和人たちにとって、自然環境を多様に利用し、狩猟採集生活を原則とする続縄文人や琉球人は、排除の対象であったろうし、それが琉球差別やアイヌ民族への差別の根を作ったことだろう。
 「蝦夷」という言葉もそのあたりから生まれたに違いない。

 さらに、時代が進み、武具や馬具を作る人々、死体や獣肉を扱う人々などを自国内に住む同胞でありながら差別してきた歴史も持つ。

 匂いは文化そのものから香り立っている。

 神沢利子作話 パヴリーシン作画の「鹿よおれの兄弟よ」という絵本がある。
 神沢さんはサハリンで幼少期を過ごした。
 パヴリーシン氏はシベリア出身で数々の賞を受けているロシアの国民的画家で、シベリアの森の様子が細部まで繊細に描かれている美しい絵本だ。
 我が身から立ち昇るシカの残り香をききながら、ひと時、自分もシカの兄弟になれたような気持ちが湧き、ウットリとなる。

 これで和人たちから排除されるなら、一向にかまわない。

2011年10月25日火曜日

初猟

 夕方、エゾシカ一頭を捕獲。

 「増えすぎて有害」とはいうものの、あれだけの大きなほ乳類の命を奪うという厳粛な事実にココロが引き締まるのを感じる。
 
 二時間以上の時をかけ、なるべく無駄にならないように解体した。
 今の時期のシカは、脂肪が厚く解体はなかなか大変だが、食べてみると本当に美味しい。

 命に感謝し、ありがたく頂く。
 当分、肉は買わなくても良い。 

2011年10月24日月曜日

タイで大洪水!こりゃタイヘンだ!

 タイの洪水が連日報道さている。おかしいのは、それによる日本の経済への影響だけが、特に大きく取り上げられていることだ。

 洪水のさなかで、人々がどんな状態にあり、どんな困難や危険に遭遇しているかに、まるで関心がないかのうように。少なくともタイでの経済活動に利害関係をもつ人たちとマスコミは間違いなく、そんな態度だ。

 洪水が起きると伝染病の発生や危険な動物による被害、食料や飲料水の不足はないのだろうかと心配になってくる。
 そのような心配に応えるのがマスコミの一番の使命ではないのかな?
 自動車が作れないとか、エビが食えないとかいうのは些末的名問題ではないのか。

 なんでも自国のことを中心に、しかも経済活動への影響を一番に考える、海外のことをイヤラシイ視線でしか見られない、日本の本質が見え隠れしているようで、嫌になる。

 そうやって日本は(日本だけじゃないが)外国の自然環境をもズタズタに破壊してきた。

2011年10月23日日曜日

原野への帰還

釧路川源頭部の分水嶺を越え
原野の中心へ向かって一気に坂を駆け下りる

光さえも電波さえも吸い込んでしまいそうな闇がある

闇がどこまで広がっているか
闇であるがゆえに見えないのだ

ここが
生きていく場所

つい先ほどまで
身を置いていた場所とは異なる場所だ

これほどの近さに
二つの異なる場所が隣り合っている不思議さを覚えながら

闇の底とおもわれる方角へ
加速する



走りつつ闇の底へと呼びかける 応えなき応えを手で探るごとく

2011年10月22日土曜日

昨日のクマ


 昨日、出会ったクマ。
 川の中でマスを捕ってノンビリ食事していた。
 クマとは、かなりかけ離れていたし、こっちは川の上の土手にいたからほとんど危険は感じなかったが、クマの方は大慌てで逃げて行った。
 
 知床のクマが皆、あんな風ならいいのになぁ

2011年10月21日金曜日

幼稚園児と間欠泉

 町内の幼稚園児が羅臼ビジターセンターの見学にやって来た。
 「説明」役を命じられ、幼稚園児30人ほどに囲まれて、ビジターセンター内の剥製、骨格標本などをみながら一巡した。

 終わって、外に出て生き物を探した。
 バッタ類がそこそこいてくれたので退屈させることはなかったが、近くの間欠泉まで足を延ばしてみた。

60~70分間隔で噴出するこの間欠泉だが、生憎なことに今日は事前の情報がなかった。言わば運まかせで行くしかなかったのである。
 間欠泉に到着して10分も経たないうちに噴出が始まり、園児たちは大喜びした。
 おそらく彼らの生涯で初めて見る間欠泉だったのだろう。

 実に幸運な間欠泉見学であった。

 午後からは、高校生を連れて、ルサ川へ行く。

2011年10月20日木曜日

山々に

 今日は、山が美しい日だった。
 「生態系学習Ⅲ」ということで高校生たちと知床峠を越え、斜里町側の岩尾別台地までの区間を往復した。
 羅臼岳・三峰・サシルイ・オッカバケ・知円別岳、そして硫黄山までの「知床中央高地」の山々が青空を背景にクッキリとそそり立っていた。
 午後に訪れたわれわれには、西日を受けてそれが一層きわだって見えた。

 ただひたすらありがたく、心の中で手を合わせた。

 岩尾別台地は、昭和30年代まで農地開拓が行われていた場所で、過酷な自然環境の中であっても人々の温もりのある暮らしが営まれていた。
 この土地で生きた人々が仰ぎ見た時と変わらぬ姿で、この山々は座り続けてきたのだろう。
 落ち着きなく変わっていくのは人間の生活の方で、舗装道路が延び、今やアミューズメントパークとも言える「神秘の湖」知床五湖へレンタカーがかっ飛ばして走り、救急車が急いで駆けつけ、パトカーが焦って追いかける、大都会と変わらぬような場所になり果ててしまった。

 物言わぬ山々は、そんな風景をどんな思いで見下ろしているのだろう。

 生徒に説明している事を忘れ、思わず、ボーゼンとして立ちすくんでしまった。

2011年10月19日水曜日

写真「愛好家」に告ぐ

 10月ももう下旬に突入する。
 一昨年の今日は、新型インフルエンザに罹って辛い一週間を過ごしていた。

 じつにめまぐるしく時が過ぎる。

 「子どもの一日は短く一年は長い。老人の一日は長く一年は短い。」という言葉あるという。たしかにその通りかも知れない。

 木星が牡羊座にあり、夕方、地平線のすぐ上でひときわ明るく光っていた。


 今日も、「問題の川」へ行ってみたが、件の「写真『愛好家』」は、いなかった。
昨日、知床の困った「写真『愛好家』」のことを書いたが、友人がコメントしてくれた。
 その友人が、川へサケ類の調査に行ったところクマを待ち構える「写真『愛好家』」がいて、
「たいした調査じゃないだろ!こっちは週末 少ない日数で撮影に来てるのに云々・・・」
と横柄な口をきいたのだそうだ。
 もう、こうなると「カメラマン」ではない。
 「カメラマンの真似をしている自分が大好きな、困ったオヤジ」せいぜい「写真『愛好家』」でしかない。

 たくさんの尊敬すべきフォトグラファーを知っている。
 彼らはみんな、自然にも人にも優しく、謙虚な人たちだ。
 そういう人格者でなければ心を打つ写真は撮れない。

 だが、お金を払えばカメラは誰にでも買えるわけで、中には、そもそも自然にカメラを向ける資格のない変質的人格の持ち主がカメラを振り回し、間違えて知床に来てしまう例もあるのだろう。
 たとえばシマフクロウを巡って、タンチョウを巡って、そしてヒグマを巡って地元の住民とトラブルを起こすケースが時々みられる。
 また、山の写真を撮りたい一心でハイマツなどの立木を勝手に切り払ってしまったという事件もあった。
 この程度の「写真『愛好家』」たちは、『上手い』写真は撮れるかもしれないが、人の心を打つ写真なんて、逆立ちしたって撮れっこないだろう。
まして、「週末、少ない日数で撮影に来て」いるようでは、上手な写真さえ撮れないに違いない。

 日本の「写真『愛好家』」諸氏よ!
 反論があるなら堂々と書いてみなさい。
 おそらく、絶対に反論できないはずだ。
 こそこそと隠れるように動き回るか、開き直って妙に攻撃的に居丈高に吠え立てるしかできないだろう。

 その生態こそ、自然の営みとは全く関係のない、困った存在であるだよ。

2011年10月18日火曜日

知床の川とヒグマ

 研究会があり、そのエクスカーションで羅臼町内の川まで行った。

 最近のこの川にはカラフトマスが多数遡上していて、それを目当てにヒグマが集まってきている
 人間との濃厚な接触が続くと、それらのヒグマの中から危険な個体が生まれることも心配される。そうなるとヒグマ生息地域と人の生活圏の重なり合う羅臼町は危険きわまりない事態に陥るのは明白だ。

 ところが、この川のカラフトマスに群がるヒグマに、カメラを持ったニンゲンが群がっていた。
 それもほとんどすべてが町外、中でも本州からの来訪者らしい。

 彼らは、プロのカメラマンが長時間かけ、苦痛に耐えた末にやっと撮影した写真と同じような写真を手軽に安直に撮影したいらしく、カメラを構えてヒグマを待ち構えている。
 ルサ川河口部には漁業の番屋もたくさんあり、人の住む集落からも近い。危険を未然に防ぐためにそこまで出てきたクマは追い払いの対象になってきた。

 そのような地元の事情を知ってか知らずか、ヒグマを自分たちの被写体としてしか見なしていないような写真愛好家がいて、追い払いの業務にクレームをつけているらしい。
 これは、明らかに業務に対する妨害行為だし、羅臼町の住民を危険にさらす犯罪的態度である。

 大部分の写真愛好家は、良心的で、模範的にマナーを守っているものと信じたいが、現実にこのような写真愛好家が一部にいることは、嘆かわしい。

 巨大で強力で物静かなヒグマ。
 キムンカムイと呼ばれ、畏怖され感謝されてきたヒグマへの畏敬の念など微塵も持っていないのだろう。

 断言するが、こういう人々が日本の自然の状況を悪くしているのだなあと実感した日であった。

2011年10月17日月曜日

本当の教師は、いなかったのか!

 南相馬市の5つの小中学校で授業が再開されたと報道されていた。
 新聞には、
 「緊急時避難準備区域の指定が解除された福島県の5市町村のうち、南相馬市原町区の5小中学校で17日、本校舎での授業が再開された。指定解除地域での学校再開は初めて」とある。(読売新聞)
 正直に言うと、ちょっと違和感を感じている。

 その理由。
1:それぞれの学校で「除染」が行われたのだろうが、なぜ5校そろってなのか?
「除染」の作業の進展は場所によって違うはずなのに、5校の足並みをそろえる必要がどこにあるのか。
 原子力発電所が爆発し放射能がまき散らかされるという、かつて経験したことのない大事故だというのに、敢えて5校の足並みをそろえる必要がどこにあったのだろう。

2:放射能による汚染の程度も多様だったろうし、通学してくる児童生徒の状態も様々だ ろう。現に4割程度の子どもたちしか登校していないそうだ。
  再開を急いだように思えてしかたがない。

3;学校に生徒が登校し、授業が行われているという風景はおだやかな社会生活のシン  ボルとなる。いわば平和な日常の象徴だ。
  周りのオトナたちは、「学校の再開」という事実が欲しかったのではあるまいか。

 もしも、そんな一部のオトナの思惑で、児童生徒たちが放射線の危険に曝されるのだとしたら許されることではない。

 学校の再開を判断するのは、本来は校長の仕事だ。
 校長は、自分の学校の環境をよく見極め、判断し、責任をもって決断すべきだ。
 同じ地区とはいえ、他の学校の動向に左右されるのはおかしい。

 しかし、現実には、自分の判断に自信を持てず、周囲の動向や、校長の任命権者の顔色をうかがって決断するということが多いようだ。
 校長が、大きな権限を持っているのは、現場で児童生徒の安全に直接責任を持つためだろう。それが学校を預かる最高責任者の仕事だ。

 五人の校長がそろって同じ日に再開のは、そこへ至る過程で児童生徒の安全よりも学校管理上の都合を優先させているように感じられてならない。

 繰り返すが、これによって危険に曝されるのは児童生徒なのだ。

 ここで、児童生徒の安全を放棄したとすれば、もはや教師とは言えない。

2011年10月16日日曜日

晩秋の原野から

午前中、強い風が吹いていた

この風に乗って、冬が近づいてくるのだろうか

原野とそれに隣接する林の中を歩いてみた

あふれるほど飛び回っていた虫たちもほとんどが姿を消した

ひっそりと寒々しい空気に満ちている

同時に、虻や蚊が群がって来ることは、もうない

厳しい寒さが来る前の今が、もっとも快適に原野を歩き回れる季節だ、とも言える 



ヒトの世界にも似たような風景があるような気がした

放射線が満ちあふれた世界で

 「安全です。ただちに健康への被害はありません」

うるさいくらいにこう叫んでいた者たちが沈黙する

 「経済成長のためには、一刻も早く原発を再稼働させなければならない」

しつこく、こう繰り返した者たちが押し黙る

 「脱原発!脱原発!」

粘り強く、こう主張していた者たちの声が遠のく

そして、地上には、誰もいなくなる
 


そうなることが予感されても

生命は自らの子孫を残す営みを続けるのだろう

冬へ向かう林の中のように

2011年10月15日土曜日

雨の休日

 前線の通過で朝からけっこう激しく雨が降った。
 休日で、家にいて、雨降りで、という三条件が揃うのも珍しい。この三条件が揃うと部屋の片付けがはかどる。

 永年にわたりこびり付くように残っている不要な書類、モノ、ファイルなどの整理をして一日が過ぎた。

 どうせあの世まで持って行けるはずはないのに、ニンゲンはどうしてこれほどモノを集めたがるのだろう。
 モノは集めるより減らす方が難しい。その点ではお腹の贅肉とよく似ている。

 もっとスリムになる努力を続けなければ、としみじみ思った。
 お腹も、部屋も。

2011年10月14日金曜日

天気図

 気象通報を聞かせ、天気図を描かせる授業をやっている。
ギョーカイ人は、「天気図に落とす」などと言う。
 これは生徒にすこぶる評判が悪い。

 彼らは耳で言葉を聞き、その情報を記録する作業を極端に苦手としているからだろう。
 普段の授業でも、教師の話を聴くことを苦手とし、黒板に書かれたこと(「板書=バンショ」と呼んでいるのだが)をソックリ書き写すことが勉強だと信じている者が圧倒的に多いらしいから。

 ラジオのアナウンサーが読み上げる、各地の風向・風力、天気、気圧、気温などを聞き取るのは、非常な集中力を要し、エネルギーを必要とするらしい。
 一連の作業が終わると、深いため息と「疲れた~」という声があちこちからわき起こる。

 今は、携帯電話やTVで簡単に天気図を見ることができる。ファクシミリもある。野外で活動するために、天気図を自分で描く能力は、昔ほど必要とされていないかも知れない。

 だが、船乗りの訓練は今でも帆船で行われているし、飛行機のパイロットだって天測法を学ばなければならない。イザという時でも、もっともシンプルな方法で最大限の効果を発揮して危難を切り抜ける能力を身につける訓練は、いつの時代にも不可欠なのだろう。

 というわけで、野外活動を志す高校生に、天気図を教えている。
 コンピュータを駆使し、TVゲームにどっぷりと浸った彼らには、果てしない苦行と感じられるのかも知れないが、ここで妥協する気はない。

2011年10月13日木曜日

アブナイ国で暮らしていて

 昨日の時事通信の記事。
 「旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故による放射能の影響を調べている ベラルーシの専門家ウラジーミル・バベンコ氏が12日、日本記者クラブ(東京都千代 田区)で記者会見した。
  東京電力福島第1原発事故を受け、日本政府が設定した食品の 暫定規制値が高過ぎ るなどと指摘し、
 「日本の数値は驚きで、全く理解できない」と述べた。

  ベラルーシはウクライナの北隣に位置し、チェルノブイリ事故後、元原子力研究者ら が「ベルラド放射能安全研究所」を設立。住民の被ばく量検査や放射能対策指導などを しており、バベンコ氏は副所長を務めている。

  バベンコ氏は、ベラルーシでは食品の基準値を細かく分類していることや、飲料水の 放射性セシウムの基準値が1リットル当たり10ベクレル(日本は同200ベクレル) であることなどを紹介。
 「日本でも現実の生活に即した新しい基準値を設けられるはずだ」と語った。

 このニュースと昨日書いた、野田総理大臣の国連演説に対する世論調査の結果で、『評価する』が60%だったという事実を合わせて考えてみれば見えてくるものがあるような気がする。
 それは、この国の人々の多くが、自分で考えて判断する主体性を失ってしまっているという事実だ。 
いや、
 「失う」とは
 「元々持っていたものを無くする」ことだから、最初から持っていなかった場合は、正しい表現ではないかも知れない。

 少なくとも江戸時代以来、「自分で考える」ということをせずに、すべて「御上」に頼ってきたツケかも知れない。
 食品に含まれる放射能の基準値でも、国が決めればその数値だけが絶対視され、はたしてその値が本当に安全なのかどうかを考えもしない。
 その基準(しかもそれは「暫定基準」なのだが)でさえ、ドイツ政府が決めた基準値より桁違いに高いのだ。
 日本の現在の基準は、国民の健康を守るために設けたのではなく、放射能がばらまかれた現実に合わせて決められ、現実を追認するための基準なのだ。
 こんな馬鹿な話は聞いたことがない。

 一事が万事、ずっと以前から指摘されていたことだが。

 そういえば、僕が高校生の頃、世の中の矛盾を言い立てると
「そんなことを言っても現実がこうなのだから仕方ないじゃないか」とよくたしなめられたものだ。
 この国は危ないのだ。
 理想に「現実」を近づける努力をするのではなく、「現実」に自分の価値観や生き方を合わせることを勧めてきたヒトたちの作った国だから。
 そしてそういうヒトたちが多数を占め、選挙で政治家を選んできたのだ。

 そういうヒトたちこそ「売国奴」なんて呼んでも良いのかもしれない。

2011年10月12日水曜日

不思議な60パーセント

 NHKの世論調査によると、野田総理大臣が国連で行った演説で、
「当面原発の利用を続け、原子力の安全の向上に向けた各国の取り組みを支援していく」
と述べたことに対して、
  ●「大いに評価する」が12%、
  ●「ある程度評価する」が44%、
  ●「あまり評価しない」が23%、
  ●「まったく評価しない」が13%になったそうだ。
つまり、約60%の人たちが「ある程度以上評価する」と考えているわけだ。

 やはり、この国のヒトはオカシイのじゃないかと思ってしまう。事故を起こし、まだその被害への補償も決まらない、いや、被害がどれほどだったのかさえ定まっていない。いやいや、事故を起こし、放射能の漏れ出しさえ止まっていない現実がありながら、首相は「原子力発電の利用を続ける」と世界に言い放ったのだ。
 順番が違うのではないか。
 事故を起こし、海へ放射能汚染水を垂れ流し、近隣の国から批判されたのだ。
 まっ先に、事故を起こしたことを詫びるべきじゃないのか。
 そして、「もう二度と原子力には手を出しません。」とまで言って欲しいが、少なくとも事故の要因や原子力発電を推進してきた産・学・官の体質への猛省を表明すべきだったのではないか。
 その上で、今後の原子力発電依存の体質を変えていく決意を表明するのがスジだし、原発が無ければ受ける必要ない甲状腺の検査を受けさせられている子どもたちへの誠意というものではないだろうか。

 そんな演説を6割近い日本人が評価しているのは、どういうわけだろう?
 どうしても理解できない。

 まさか、この60%の人たちは、首相が国連で行った演説への理解力が極端に低くなってているわけではなだろう。

 それとも、ここにも電力会社によるヤラセがあるのだろうか。

 首相演説の内容にも呆れてしまったが、この世論調査結果にも唖然となってしまった。

2011年10月11日火曜日

猫のピョートルの日記より

 四日間も家に一人で置いてけぼりにされていたから、皆が帰ってきてから少しわがままをしてやることにした。

 朝4時半、まだ寝ている親方の顔を舐める。腕を引っ掻いてみる。

 夜、窓のそばで、「出してよ、出してよ」攻撃を繰り返すと、窓を開けて外に出してくれる。
 外を一回りだけして、すぐに戻り、「入れて、入れて」攻撃を加える。
 すぐに入れてくれるが、家の中を一回りして、また、「出してよ、出してよ」攻撃。

 パソコンを使っているとキーボードに座り込んでみる。
 新聞を読んでいる時には、その上に座り込む。

 ニンゲンに意地悪をしてみるのは楽しいな。


 でもね、僕が本当に嫌がらせをして、最後には爪で思い切り引っ掻いてやりたいのは、地球の環境を自分だけのものだと思い込んで、むちゃくちゃに汚しても平気な顔をしているヤツラなんだ。

2011年10月10日月曜日

十勝の温泉でふと思ったこと

 十勝地方北部というのは大雪山地の南麓にあたる。
 然別湖、糠平温泉、ユニ石狩岳、トムラウシ山などがある。
 十勝川水系の源流部だ。

 鹿追町の帰り、トムラウシ温泉へ行く途中のオソウシ温泉という温泉に行ってみることにした。

 台風12号の大雨で、新得町側からオソウシ温泉へ達する道が決壊し、いまだに通行止めになっていた。
 十勝ダムに沿って大きく迂回して行かなければならなかったが、ここまで来て引き返す気にもならず、やや荒れ気味の林道を通って、温泉にたどり着くことができた。

 pH10を越える塩基性の強い湯は透明で、少し硫化水素臭があって、非常に心地よい入り心地だった。
 山奥の林道を分け入って、多くの人がこの温泉を訪ねて来る理由が理解できる。

 近くのトムラウシ温泉ほど有名ではないし、深い山奥の森に囲まれたそれほど規模の大きな温泉ではないことなどが理由で、一度休業に追い込まれて再開されたらしい。

 一方に「温泉ブーム」とか「秘湯ブーム」などがあり、一部の「秘湯」がもてはやされているが、地元で精一杯身体を使って農作業や造林作業を続けてきた人々の疲れを癒し、苦労をねぎらってきた小さな温泉の経営が、圧迫されている現実はおかしいのではないだろうか。

 「温泉好き」や「温泉通」による配慮を欠いた格付けや無責任な評論が、それに追い打ちをかけているのだとすれば、「温泉ブーム」も考え直さなければならないのではないだろうか。

2011年10月9日日曜日

旅の日々

 函館を発った。
 今日は鹿追泊り。
 明日は、峠を越えて道東へ向かう。

2011年10月8日土曜日

朝の散歩から


 この写真は、水族館ではない。

 昨夜泊まったホテルは、津軽海峡に面した海岸にある。
 昔は砂浜だったが、小さな漁港が作られていた。
 朝、そこを散歩してみた。
 意外なことに水がとてもきれいで、魚が泳いでいるのが良く見えた。

 この海岸は潮流が速いことで有名だから、水が汚れにくいのかも知れない。
 魚がたくさん棲み着いているのもその証拠だろう。

 津軽海峡に面した大間に原子力発電所を作るなどもってのほかだと、ますます確信した。

2011年10月7日金曜日

津軽海峡の汀から


 函館に来た。
 海のすぐそばの温泉宿。
 潮騒が心地よい。

 波の音を聞いていると海に抱かれているようだ。
この音は、母の胎内で聞いた、血流の音に似ているのか。

 この海の向こうに本州の大間崎が見える。
 いま、原子力発電所の建設がたくらまれている。

 ここにそんなものを作ることを絶対に許してはならない。

 それは、母を汚すことだ。
 母なる海を、大地を、空を、地球を汚すことだ。

 許してはならない。

2011年10月6日木曜日

札幌市にクマが「出た」



 今朝から札幌市内でクマが目撃されたというニュースが、何度も何度も流れていた。
 人口200万人の大都市だ。クマがノソノソ歩き回っているという話を聞いたら、皆が驚くに違いない。

 けれども、実のところ東京や大阪や名古屋などの大都市とはかなり事情が違う。
 札幌市の西から南にかけては、深い森林を持つ山地に接している。接している、と言うよりその森林自体が札幌市に含まれている。
 だから、札幌市内には(市街では、ありませんよ!)ヒグマが生息しているのだ。

 何かの事情で、そのクマたちが、ニンゲンの居住地に現れたとしても、さほど驚くことではないと僕は思う。
 以前、エゾシカが現れたこともあったはずだ。

 札幌をよく知らない人々のイメージとして、
 「大都会サッポロに熊!!!」という衝撃だけが強調されるということだろう。
 実態とは、少し温度差がある。
 そして、当の札幌市民も含めて、この実態をよく理解していない人が多いようだ。
 ほとんどの人が口を開けば
 「ビックリした」
 「驚いています」とコメントしている。

 本当は、こういう人々の反応の方に
 「驚いています」と言いたい。 

 ヒグマはニンゲンと桁違いの力を持った危険な動物であることは事実だが、北海道にもともと生息した動物だし、北海道で長く暮らしてきたヒトは、この大型ほ乳類と共存してきたのだ。

 危険があるのは事実だとしても、その危険だけを言い立てて排除しようとする態度は、自然への畏敬の念を忘れた、都市生活者の驕りといわれても仕方がないのではないだろうか。

 知床半島には、少なくとも300頭くらいのヒグマが生息しているだろうと言われている。
 羅臼の町中にも、しばしば出没する。
 もちろん、市街地に出てきた者は、追い払うし、危険な行動に及びそうな問題行動個体は、駆除している。また、児童生徒には、ヒグマと遭遇したときの対処法を教え、繰り返し訓練もしている。

 札幌で、今すぐ羅臼と同じようなクマ対策を行うのは困難だろうが、
 「クマが出た」のではなく、「いるクマに出会った」のだという解釈を取り入れ、もう少し長期的で、根本的なクマ対策を取り入れるべきではないだろうか。マスコミもそのような視点から報道すべきではないだろうか。

 そして、もう一点。
 知床で行われているクマ対策中の最終的な対応、「危険な個体は駆除する」という選択肢を真っ向から批判する人々が一部にいる。
 「クマを殺すのはかわいそうだからヤメテ!」という意見だ。
 このような意見は、クマとは縁のなさそうな大都会の住人から多く寄せられる。
 もちろん札幌市民からも。 

2011年10月5日水曜日

山上での暗示



 昨日、ウトロで会議があったが、午前9時に峠の通行止めが解除された。
 峠の頂上から羅臼岳を見るとうっすらと雪化粧している様子が間近で見られた。

 まだ、ほんの少しの雪をまとっただけだが、さすがに凄味のある厳しさが感じられる。

 知床の冬は、このようにして近づいて来る。
 今日、山肌の雪はほとんど消えていた。

 これからしばらくは、季節が行きつ戻りつする日々が続く。

 日本がこれから向かう時代を暗示しているような風景であった。

2011年10月4日火曜日

親友と新友




 先月、本州から四人の来客があった。はるばる訪ねてくれたのは、二組のご夫婦だ。
 大学の研究室の先輩とその奥方、それとその奥さんの陶芸の先生とその夫人だ。

 近くのキャンプ場でバーベキューを囲み、大学時代に戻ったような楽しい会話が弾んだのはもちろんだが、その陶芸の先生との出会いも嬉しいものになった。
 初めてお目にかかったにもかかわらず、ものの見方や考え方に響き合うものあり、様々な問題について、深く掘り下げた話ができたように思う。

 翌日、羅臼でクジラを観て帰港してきた一行と再合流して昼食を共にして、峠を越えて行く彼らを見送った。


 九月末になって、一つの荷物が届いた。
 箱の中には、端正な形の小鉢、皿、湯飲みなどなど。すべてその陶芸家の作品だ。
 すっきりしたデザイン、一色で深い味わいを感じさせ、作り手の心が伝わってくるような作品だ。
(こうして言葉で表現すると、いかにも生意気臭く、言葉が実感について行けない。自分の文章力の無さを痛感する)
 彼は、
「私は、陶芸家と言うより職人なんです。料理を美味しく食べてもらえるための器を作ることを心がけています」と語っていた。
 陶芸のことなどガサツな僕には、まったくわからないのだが、食器でも花器でも、その作られた目的を徹底的に追求することで、美しさに近づくのではないだろうか。

 わが家ので穫れたビーツ、昨年獲ったシカの肉でヴォルシチを作って装ってみた。
 間違いなく、ヴォルシチは一段と美味しくなった。

2011年10月3日月曜日

戻れるのだろうか?

 羅臼の町に霰が降り、羅臼岳に冠雪が見られた。
 一気に冬が近づいたように感じられた日。仕事で海岸に長時間佇んでいた僕は、とても久しぶりに「冷える」という感覚を覚えた。
 明日、ウトロで会議がある。
 知床峠が通行止めになっているので、羅臼=ウトロ間の所要時間は、30分から2時間弱へと一気にシフトした。

 昨日の「幸福論」に思いがけずたくさんの方々からのコメントを頂いた。
 考えてみると、今、「幸福」という問題が非常に重要なテーマになっているのかも知れない。

 「幸福追求権」というものがあり、人類は進歩とともに、皆が少しずつ幸福になっていくべきなのだ。「進歩」とは、もともとそういうことだったはずだ。
 科学技術、社会制度、政治、倫理などなど色々が「進歩」することで、人類はどんどん幸福になれるはずではなかったのか。

もし、現状がそうでないとするなら、「進歩」の足取りのどこかに誤りがあったはずで、誤った時点まで戻ってやり直さなければならないだろう。

 戻れるものなら、ね。

2011年10月1日土曜日

アオサギ

 なんとなく アオサギが集まり始めているように感じた。
 アオサギたちは、冬には、本州方面へ渡って越冬してくるから、この辺りからは完全に姿を消す。
 今、彼らが集まっているのを見ると、集団で旅に出る相談でもしているように見える。

 今年の本州方面は、放射能による汚染が心配だから、
 「渡っていくなら日本海側を通って、できるだけ南へ行った方がいいよ」とアドバイスしてやりたくなるが、悲しいかなそんなことを伝える術はない。

 夕暮れの湖畔の一画に集まっているアオサギたちを見ていると、切なくなる。

九月最終日

9月30日(金)

 いつの間にか秋になっていた、というのが正直な感想だ。
 そのぐらい8月後半と9月は忙しかった。
 忙しがっていた、のかも知れないが。

 昨日と今日、遅い夏休みをもらって養老牛温泉にやって来た。。
 今日、川沿いの露天風呂にゆっくりと浸かっていて、やっと休日らしさを実感した。

 来週からは、また・・・。