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2012年12月4日火曜日

北極航路

 今年の12月は大荒れだ。  いま、強い風が吹き時々激しい雨が降っている。  天気も大荒れだが、例年の12月と比べても異常な天候だ。  冬型の気圧配置が安定すれば、ここ道東地方は、快晴の日が続く。  気温は厳しく冷え込むが、スカッと晴れた青空が広がり気分も高揚する。 だが、残念ながら今年はそうではない。  冬型っぽくなったかなと思うと、すぐに北側を勢力の強い高気圧が通り、南方からの温かい空気を吸い込んでしまう。そのため雨が降り気温が上がることを繰り返す。  こんな天候が規則的に巡ってくると、あのパキッと晴れた「道東の冬」が待ち遠しくなる。ニンゲンとは勝手なものだ。  この原因は偏西風の蛇行なのだそうだが、いつになったら治まるのだろう。それとも今後しばらくは、このような乱れが続くのだろうか。  気候変動は、確実に近づいており、平均気温も上昇している。温暖化が忍び寄っている。 北極海の氷が減少している機に乗じて、北欧のLNGを北極回りの航路で運ぶ計画が進んでいる。  今日、その第一便の船が日本にやって来たそうだ。  化石燃料を大量に消費し温室効果ガスによって温暖化を招いておいて、それによって生じた北極海の隙間を利用してさらに大量の化石燃料を利用すると。  全くおかしな話だ。  まずは、その使用量を減らす努力を払うべきだろう。  「今の生活水準を維持して・・・・」と二言目には口にする。だが、その前提が間違っている。  「どんな暮らし方をしたら、今までの地球環境を維持できるか」というのが正しい思考の順ではなかろうか。

2012年10月30日火曜日

台湾のタンチョウ

 尾籠(びろう)な表現で恐縮だが、毎日一回、排泄行為のように文章をはき出している。書き散らかしている。「文章を書く」などという域にも達していないかも知れないが。  しかし、毎日のように書いていると一年前のことが嫌でも目に入る。  昨年の10月30日にこんな事を書いていた。(抜粋して再掲する)  タンチョウを台湾に贈り、動物園で飼育するそうだ。  温暖な土地での繁殖の可能性を探るという口実を付けているが本当は違う。  「暖地での繁殖の可能性」を探る前にやるべき事があるはずだ。  北海道における繁殖可能な土地の拡大や確保をもっと真剣に取り組むべきだ。  国後島や択捉島などタンチョウが自力で移動可能な土地で、繁殖地となりうる場所がまだまだ残されている。サハリンやシベリアにもまだ余裕があるはずだ。  台湾へ贈る本当の理由は何か?  動物園で公開し、観光客の誘致に一役買わせようということだ。  関係者や知事が、はっきりとそう述べている。  知事は、台湾へ飛んで行って、セレモニーで挨拶までしている。  タンチョウは、生残個体の再発見以来、善意の人々が自腹を切って保護増殖活動に取り組み、全国の心ある人々が募金にも支えられてきた。  はじめのうち、行政からの手助けは、ほとんど無いに等しかったはずだ。  やっと1000羽を越える個体数にまで回復させた今、「タンチョウ」という種のためではなく、北海道の観光振興のために利用しようという恥知らずな思いつきで、この蛮行が生まれた。  破廉恥、厚顔無恥、無知蒙昧、カネのためなら何でもしちゃうお調子者の知事のやりそうなことである。  それにしても、暑い土地に連れて行かれ、さらし者にされるタンチョウが哀れでならない。  釧路市民は、このことに何も感じていないのか?  環境省は、釧路に事務所がありながら、この問題を看過するのか?  タンチョウの写真を写している「写真愛好家」の皆様がたは、何も感じないのか?  日本の自然保護行政にまた一つ汚点が加わった。 と、まあこのように悲憤慷慨し悪罵、痛罵、非難囂々で、ブログを書いたのが一年前だ。それから一年。いったいツルはどうしているのだろう。  鳴り物入りで宣伝し、台湾に送られ、その結果がよくわからないままに、皆が忘れているという現状は情けなさ過ぎないか。 嬉しそうに報じていたマスコミも、もうすっかり忘れ去っている。  再び問いたい。  環境省は台湾に送られたツルの現況を具体的に把握しているのか。  釧路市民は、どれほど関心を持続しているのか。  「ツルの写真『愛好家』」の皆様は、台湾にその後の様子を見に行かれたか。  欲と功名心で薄汚れたニンゲンにもてあそばれるツルが哀れすぎる。

2012年5月24日木曜日

クマ住む町で思うこと

羅臼では、街でお酒を飲み、家まで歩いて帰る。
 羅臼の僕の家は、山の上にある。ホンの数百メートルだが、知床の夜の山道を歩かなければならない。ヒグマと遭う可能性は、小さくない。正直なところ怖い。だから飲み歩く時、できれば熊撃退用のスプレーを手放したくない。
 「現代の日本で、熊スプレーを持ってお酒を飲みに来るなんて、われわれくらいのものだろうな」と話して笑い合っている。

 渋谷の地下鉄駅構内で、人が刺される事件があった。今日、生徒とそのことを話題にした。
 電車で隣の席に座った男のバッグにナイフが忍ばされていて、突然それを振りかざして襲いかかって来るというのは、とても怖いことだ。
 「間違いなく知床のヒグマよりも何倍も怖い。」
 「ヒグマの襲撃には理由があるし、こちらが襲う理由を理解し、回避すれば、襲撃はほ  ぼ避けられるが、ヒトがヒトを襲う理由は理解不能で見当がつかない。」
 生徒達は異口同音にこのようなことを言っていた。
 同感である。

 ちょうどその時、不審者情報が伝えられた。
 「今日の昼前に、根室市のコンビニエンスストアに刃物を持った男が押し入り、現在   も刃物を持って逃走中」という内容だった。
 
 ヒトはクマより怖いと話した直後だっただけに、皆、納得してその話を受け止めた。


 以前、蝗害(こうがい)について調べたことがあった。
 蝗害とは、トノサマバッタなどバッタ類が大量発生することで起きる災害である。
開拓期の北海道で良く起こったそうだ。十勝地方には、それを記録した「蝗塚」があちこちに建てられている。
大量発生し、餌を求めて集団で移動する現象を「飛蝗」(ひこう)と呼び、この群生行動では、水稲や畑作作物などに限らず、全ての草本類を数時間のうちに余すところ無く食べ尽くしてしまうという。そのために昔は、ヒトの食糧が底をつき、餓死者が出るほどの深刻な飢饉に陥ったという。
群生行動をするバッタ(群生相)は、単独行動のバッタ(孤独相)に比べて、次のような違いがみられる。
体色が暗色になる。
翅が長くなる・・・・・飛ぶ力が強まる。
頭幅が大きくなる・・・顎の力が強くなる。
その他、触覚の感覚子の数が減少していたり、胸部の形が変わっているなど、同じ種類の昆虫とは思えないほどの大きな違いを見せる。

これは、バッタの細胞に孤独相用の遺伝子のセットと群生相用の遺伝子のセットの二セットがあらかじめ準備されており、バッタの生育過程で一定以上の個体密度になった時に群生相用セットが働く仕組みがであがっているためだろう。

 ヒトも、自然界から切り離され、かつて経験したことのないほど異常な高密度で生活することを強いられて、働く遺伝子のセットが変化するということはないだろうか。

たしかに、これはヒグマより怖いことかも知れない。

2011年11月25日金曜日

科学と自然災害、そしてシンポジウム

昨日、北海道の浦河沖で震度5弱の地震があったが、その直前に緊急地震速報が流れた。
「道東から道南の太平洋側の地方で、強い揺れが予想されます」というアナウンスは、一瞬で全身を緊張させる。
 北海道東部に住んでいて過去、数度強い地震を経験しているので、放送を聞きながら、
「また、あんな揺れが襲ってくるのかなあ」と身構えたのだ。
 結果的には、ここ道東地方は震度2で、大きな周期の横揺れが、少し長く続いただけだった。

 以前に体験した震度5クラスの大きな地震は、すべて突然襲ってきた。
 揺れている最中はほとんど為す術がない。これは、予想があろうとなかろうとあまり変わらないのではないかという気がするが、揺れが来る前に自分の周囲を見回し、小さな対応ならできそうな気がした。
 わが家では、ガスレンジで湯を沸かしていたが、揺れの前に火を消すことができたのは、緊急地震速報の効果だった。

 福島第一原子力発電所の事故で、科学技術への不信感が高まっているが、直前とは言え、大地震の予測ができるようになったことは、画期的なことではないだろうか。
 2000年3月31日の有珠山噴火も、当時北海道大学大学院教授だった岡田弘(おかだひろむ)先生らによって、完全に予測され、住民が噴火前に避難したことで人的被害は皆無だったというのも科学の快挙だ。
 
研究費も切り詰められ、応援してくれる企業などもそれほどない厳しい条件の中で、ただひたすら地味な研究に打ち込んでいる科学者も少なくない。
 こういう科学者の爪の垢を煎じて、原子力発電を推進する御用学者たちに飲ませてやりたい。(「ただちに健康被害の出る恐れのないセシウム137などもコッソリ混ぜたてネ)

 岡田弘さんも参加するシンポジウムは12月3日(土)札幌クリスチャンセンターで開かれる。

 シンポジウム「東日本大震災:超巨大地震・津波被害、福島原発災害を考える」
とき:2011年12月3日(土) 13時~
場所:札幌クリスチャンセンター・2Fホール(札幌市北区来た7錠西6丁目)
  報告者:岡田弘  (北海道大学名誉教授)
     ◎「東日本大震災から何を学ぶか…直撃回避への道」 
松井英介(岐阜環境医学研究所)
◎「『低線量』内部被曝と健康管理」
大友詔雄((株)NERC(自然エネルギー研究センター)センター長)
◎「転換期を迎えた自然エネルギーの現状と今後の可能性」
主催:東日本大震災問題シンポジウム実行委員会
(原発問題全道連絡会、自由法曹団道支部、全大教北海道、日本科学者会議道支部、北海道民医連)

2011年10月19日水曜日

写真「愛好家」に告ぐ

 10月ももう下旬に突入する。
 一昨年の今日は、新型インフルエンザに罹って辛い一週間を過ごしていた。

 じつにめまぐるしく時が過ぎる。

 「子どもの一日は短く一年は長い。老人の一日は長く一年は短い。」という言葉あるという。たしかにその通りかも知れない。

 木星が牡羊座にあり、夕方、地平線のすぐ上でひときわ明るく光っていた。


 今日も、「問題の川」へ行ってみたが、件の「写真『愛好家』」は、いなかった。
昨日、知床の困った「写真『愛好家』」のことを書いたが、友人がコメントしてくれた。
 その友人が、川へサケ類の調査に行ったところクマを待ち構える「写真『愛好家』」がいて、
「たいした調査じゃないだろ!こっちは週末 少ない日数で撮影に来てるのに云々・・・」
と横柄な口をきいたのだそうだ。
 もう、こうなると「カメラマン」ではない。
 「カメラマンの真似をしている自分が大好きな、困ったオヤジ」せいぜい「写真『愛好家』」でしかない。

 たくさんの尊敬すべきフォトグラファーを知っている。
 彼らはみんな、自然にも人にも優しく、謙虚な人たちだ。
 そういう人格者でなければ心を打つ写真は撮れない。

 だが、お金を払えばカメラは誰にでも買えるわけで、中には、そもそも自然にカメラを向ける資格のない変質的人格の持ち主がカメラを振り回し、間違えて知床に来てしまう例もあるのだろう。
 たとえばシマフクロウを巡って、タンチョウを巡って、そしてヒグマを巡って地元の住民とトラブルを起こすケースが時々みられる。
 また、山の写真を撮りたい一心でハイマツなどの立木を勝手に切り払ってしまったという事件もあった。
 この程度の「写真『愛好家』」たちは、『上手い』写真は撮れるかもしれないが、人の心を打つ写真なんて、逆立ちしたって撮れっこないだろう。
まして、「週末、少ない日数で撮影に来て」いるようでは、上手な写真さえ撮れないに違いない。

 日本の「写真『愛好家』」諸氏よ!
 反論があるなら堂々と書いてみなさい。
 おそらく、絶対に反論できないはずだ。
 こそこそと隠れるように動き回るか、開き直って妙に攻撃的に居丈高に吠え立てるしかできないだろう。

 その生態こそ、自然の営みとは全く関係のない、困った存在であるだよ。

2011年10月6日木曜日

札幌市にクマが「出た」



 今朝から札幌市内でクマが目撃されたというニュースが、何度も何度も流れていた。
 人口200万人の大都市だ。クマがノソノソ歩き回っているという話を聞いたら、皆が驚くに違いない。

 けれども、実のところ東京や大阪や名古屋などの大都市とはかなり事情が違う。
 札幌市の西から南にかけては、深い森林を持つ山地に接している。接している、と言うよりその森林自体が札幌市に含まれている。
 だから、札幌市内には(市街では、ありませんよ!)ヒグマが生息しているのだ。

 何かの事情で、そのクマたちが、ニンゲンの居住地に現れたとしても、さほど驚くことではないと僕は思う。
 以前、エゾシカが現れたこともあったはずだ。

 札幌をよく知らない人々のイメージとして、
 「大都会サッポロに熊!!!」という衝撃だけが強調されるということだろう。
 実態とは、少し温度差がある。
 そして、当の札幌市民も含めて、この実態をよく理解していない人が多いようだ。
 ほとんどの人が口を開けば
 「ビックリした」
 「驚いています」とコメントしている。

 本当は、こういう人々の反応の方に
 「驚いています」と言いたい。 

 ヒグマはニンゲンと桁違いの力を持った危険な動物であることは事実だが、北海道にもともと生息した動物だし、北海道で長く暮らしてきたヒトは、この大型ほ乳類と共存してきたのだ。

 危険があるのは事実だとしても、その危険だけを言い立てて排除しようとする態度は、自然への畏敬の念を忘れた、都市生活者の驕りといわれても仕方がないのではないだろうか。

 知床半島には、少なくとも300頭くらいのヒグマが生息しているだろうと言われている。
 羅臼の町中にも、しばしば出没する。
 もちろん、市街地に出てきた者は、追い払うし、危険な行動に及びそうな問題行動個体は、駆除している。また、児童生徒には、ヒグマと遭遇したときの対処法を教え、繰り返し訓練もしている。

 札幌で、今すぐ羅臼と同じようなクマ対策を行うのは困難だろうが、
 「クマが出た」のではなく、「いるクマに出会った」のだという解釈を取り入れ、もう少し長期的で、根本的なクマ対策を取り入れるべきではないだろうか。マスコミもそのような視点から報道すべきではないだろうか。

 そして、もう一点。
 知床で行われているクマ対策中の最終的な対応、「危険な個体は駆除する」という選択肢を真っ向から批判する人々が一部にいる。
 「クマを殺すのはかわいそうだからヤメテ!」という意見だ。
 このような意見は、クマとは縁のなさそうな大都会の住人から多く寄せられる。
 もちろん札幌市民からも。