2013年5月16日木曜日

科学はロマンであるべきだと思うのだが

 羅臼高校「野外観察」の授業で鳥の鳴き声を聴きに外を歩いた。  朝のうち降っていた雨は上がっていたが、例年にない寒さで、鳥もあまり活動的でなくなかなか鳴き声を拾うことができなかった。  そんな時は、つい地面に目が行く。草むらの水たまりでカエルの卵塊を見つけた。退屈紛れにすくい上げてみると、ちょうど原腸胚の後期らしく卵黄が原口に吸い込まれ、卵黄栓(卵黄プラグ)と呼ばれる状態の胚であった。  この時期の胚は、もう少し時間が経つと卵黄栓が完全に体内に収まり、真っ黒な球にしか見えない状態になる。だからカエルの発生過程ではなかなか観察し難い段階の一つなのだ。  生物を選択している生徒に声をかけて、そのことを説明しようとしたところ現役の生物教師から待ったがかかった。 「いま、個体発生は教科書から消えました」と。  指導要領が新しくなったことは知っていた。しかし、僕が高校生だった頃から生物の教師になって、退職するまでの間、ドイツのシュペーマンが繊細な実験と緻密な観察によって見つけ出した発生学は生物の重要な単元であった。それをあっさり捨て去って、高校生たちに生命の何を教えようというのだろう?  生物学の学習は観察が重要な位置を占めている。受精卵のどこから卵割が始まり、細かく分裂した細胞がどのように組織されて個体の身体ができあがるかは、生物体を理解する基礎だと思う。  その上で分化した組織が、どのような仕組みで有機的につながった器官や器官系へと発達していくかへの疑問が生じ、より深い学習への入り口になる。  専門的な研究者にならない子であっても、将来自分や自分の愛する相手が、子どもを宿す時、このような過程で我が子の身体が形成されていくのだというイメージは持つことができるだろう。  学問はロマンだと思う。  生物の教科書から発生を消すのは、日本の生物教育からロマンを消し去ることのように感じられてならない。  発生が進み、原腸胚後期になっている。黒い卵の表明に見える白い小さな丸い点か、卵黄栓で、やがて体内に吸収さる。そこが原口で、将来肛門になる。

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