2009年9月30日水曜日

二輪車

 等圧線ようなカーブを一気に走り抜けると輪郭のくっきりとした雲が目に入る。ゆっくりゆっくりスロットルを開けていくと、高気圧の縁から等圧線の接線方向に加速する。エンジンの音が囁くように高まっていき、次のコーナーが迫ってくる。

天候が安定していなかったこと、荷物の多い日が続いたことなどなどの理由で、今年はバイクに乗る機会がいつもより少なかったように思う。久しぶりにバイクを走らせて羅臼に来た。そして、ウトロで知床財団の会議があったので峠をウトロまで往復した。ブランクがあったためか、あまり納得できる走りができていないように感じた。年齢のせい、とは考えたくないし・・・。

 明日も天気が良いようだ。

2009年9月29日火曜日

帰路の月

 月と木星が並んでいる。
どちらも黄道を通る星だから、約一ヶ月に一度黄道を一周する月は、約一ヶ月に一度惑星の近くを通るわけだから約一ヶ月に一度惑星の近くに見えるのは当たり前のことだ。それでも、星と月がすぐ近くに並んでいるのを見るとなんだかワクワクするのはどうしてだろう。
 ともかく、根室海峡の上の木星と月は、帰路を楽しませてくれた。
 

2009年9月28日月曜日

その貝の名は・・・



 漁師さんからいろいろな貝をもらった。
 オオミゾガイ
 ツメタガイの仲間
 ホッキもある
 アサリもある
 マテガイの仲間は、通称「チンチン貝」と呼ばれているらしい。細長い貝殻を割ってみると、長さ5~6センチの円筒形の足(貝が砂に潜るときに使う器官)が表れて、「ナルホド」と納得した。

 さて、どうやって食べようかと考えた末、炊き込みご飯にすることにした。いま、最終的な煮込みに入っている。はたして上手くいくだろうか。

キリギシ山

9月27日(日)

 崕(キリギシ)山(1066m) が見たくなって、富良野を通って帰ってきた。
 それほど高い山ではないが、周囲の土を削り落とされた石灰岩がノコギリの歯のように切り立っていて、独特の山容をもっている。
 石灰岩の土壌だから塩基性が強く、固有種や高山植物が豊富に見られ、爆発的に登山者が押しかけた。また、自家用車で簡単にアプローチできることから大規模な盗掘が行われた歴史を持つ。
 いわば、自然への畏敬の念などハコベの花粉ほども持ち合わせていない者たちによって、好き勝手に蹂躙された悲しい歴史をもつ山である。
 何百年も何千年もニンゲンによって荒らされることの無かったこの山は、わずか十数年の間に全く別種のような無知で強欲なニンゲンの手でボロボロにされたのだ。

 いまは、良心的な地元の人々の手で辛くも守られているが、かつてのような自然が回復するまで、いったいどれほどの時がかかるのだろう。もしも知床半島が、この山のように大都市に近い「便利な」位置にあったとしたら、やはりガサツで利己的な欲にまみれたニンゲンたちの手でズタズタにされていたに違いない。

では、崕(キリギシ)山は、知床に反映されているのか?
 とても反映されているとは思えない。山は何も言わないが、何も言わないがゆえに訴えかけている。崕(キリギシ)山の声に僕たちは、もっと耳を傾けるべきではないだろうか。

2009年9月26日土曜日

満ち足りている

 久しぶりに札幌に出てきて、街を歩いてみた。
 家電製品店、書店などを歩き回った。
 気の付いたこと。ほとんど買うモノが無い。いま、持っているモノで、僕の生活は十二分に快適だ。
 たしかに
「ああ、あれがあるといいなあ」と感じるモノもある。
が、そう感じた途端、即座に
「やっぱり無くてもなんとかなるな」という思いが続いて出てくる。

 いまの自分は満たされているのだとモノの氾濫する街を歩きながら実感した。

 買ったモノ:
 本 数冊。
 写真プリント用紙。
 デザイン用の切り文字。

カヤッカーが集まった




 第四回知床シーカヤックシンポジウムが開催されていた。いや、いる。
 「北の海の先人たち~知床の海を漕ぎ、地球環境を考える~」というテーマである。

 蝦夷地の先住民たちが、外洋を航海できるカヤックを使って北方や大陸とどのように交易を行ってきたか、カヤックという道具がどのようにして作られたか、現代のカヤック乗り(カヤッカー)に求められる課題は何かなどについて大勢の人々が集まって話し合われた。

 その中で、南富良野のインディアンカヌークラフトの松原さんが制作した長さ9メートルもある三人乗りの艇がひときわ目をひいた。木のフレームにキャンバスを張った作りだけれど、荒い波にも強く積載能力も高い艇だ。そして、何より美しい。
 彼は、この艇で稚内・利尻・礼文を航行した、という話をしてくれた。そしてそれは、単なる冒険ではなく、昔の人々が生命の危険を可能な限り低くしつつ、生きるのに必要な食料を獲得するための道具として工夫されてきたカヤックの伝統を一人一人のカヤッカーが自覚し、伝承していくことの重要さを強調していた。
 まったく同感だ。

2009年9月24日木曜日

羅臼の海岸線

 久々に出勤。五日間も休みが続くと普段のリズムに復帰するのに努力が要る。

 「野外活動」という科目で、生徒をビーチコーミングに連れて行った。しかし、何度来ても羅臼の海岸は面白みがない。石の浜だから、という理由からではない。護岸のせいなのだ。万里の長城のようにコンクリートの護岸が延々と続いている。波打ち際には、大きな石が重なり合っている。知床半島先端部の海岸と違って、これらの大石は何百年もかかって自然に形成されたものではない。コンクリートの護岸の建設に伴って、元あった場所から動かされてきたものだ。したがって不安定で「浮いた」状態のものが多い。だから岬近くの海岸よりはるかに歩き難いのだ。同じ大石の海岸でも半島先端部の浜の方が、それなりの安定性を獲得している。市街地の海岸に比べると歩きやすい。

 こんな海岸線を見ていると、羅臼の人は自然に対してきちんと向き合っているのか、という疑問が湧いてくる。自然環境の豊かな場所で暮らしていると自然環境の価値を正統に評価できなくなるかも知れない。先人たちが、生活の向上を求め続けて、ついつい行き過ぎてしまう、という例は、よくあることなのかも知れない。

 全国のダム建設を見直すという方針に政策が転換されようとしているとき、メンツや利害関係から建設推進にしがみついている人たちも、自分たちの生活の「向上」を求めるあまり建設推進にこだわると、日本中がコンクリートと鉄で固められてしまうのかも知れない。 

2009年9月23日水曜日

マッコウ子



 東京から友人が来たので午前中、一緒にホエールウォッチングに出た。

 今日は若いマッコウクジラが来ていて、船のすぐ近くでダイビングをしたり、二頭並んでシンックロナイズドスウィミングを見せてくれたりした。
 人間で言えば中学生くらいの年代だろうか。身体もまだ発達しきっていない小振りなマッコウクジラだが、噴気の音やダイビングの時の波などはさすがに迫力があった。
 子マッコウだが、「コマッコウ」という種があるので、マッコウ子と呼ぶことにしよう。

 お客さんは少なめだったが、なかなか良い航海となった。

 確認した鳥類    オオセグロカモメ 
ミツユビカモメ
ウミネコ

ウトウ
トウゾクカモメ
ガンカモsp.

2009年9月22日火曜日

アルビレオ

 ALBIREOに目立たぬようにロゴを貼った。

 先日も書いたけれど「アルビレオ」とは、白鳥座の頭の星の名である。白鳥座は、目立つ6つの星がほぼ等間隔に十字架の形に並んでいる。宮澤賢治先生は「銀河鉄道の夜」の中で、北十字星と呼んでいる。これは一般的な呼称であるらしい。ハクチョウの尾(つまり十字架の頭)の部分にあるのが一等星のデネブだがアルビレオはちょうどその反対側、ハクチョウの伸びたくちばしにある星だ。白鳥座のベータ星であるが、実際には白鳥座で五番目に明るい星なのだそうだ。星座を作っている星は、明るさの順に「アルファ」とか「ベータ」とかいうギリシア語のアルファベットで呼ばれることになっているが、この場合、命名の時に誤りがあったのだろうか。
 そして、アルビレオを天体望遠鏡で見ると金色の星(アルビレオA 見かけの明るさ3.1等)と青い星(アルビレオB 見かけの明るさ5.1等)の二つからなる連星系であることは有名だ。二つの星は6千億キロも離れているが、共通重心を持ち、約10万年の周期で公転しているのだそうだ。最近の研究では、もう一つ小さな星がそばにあり、三十連星系であることがわかった、とのことだけど。

 ガソリンエンジンとモーターと二つの動力を持つクルマを買った時、この名前がいいなあと思った。
 こんなクルマに乗っているとどうしても燃料消費量を意識してしまう。おまけにモニターの中央にデンと「燃費計」なるものが付いているの、ますます意識してしまう。燃料消費量の少ないクルマに乗っているからと言って、「地球温暖化防止に貢献している」と胸を張る気持ちはさらさらない。むしろ周囲から「やっぱりあなたもエコですネエ」などと言われたり見られたりするのはイヤだ。
 ケッと思う。

 「現在の生活水準を落とすことなく地球環境を守っていこう」などというのは、問題の深刻さを直視しない、根拠無き楽観主義だ。現代の環境問題は、我々に「何を捨て最低限何を残すか」という選択を迫っているのでははいだろうか。だから、ブームやムードだけで「エコがって」いるだけでは何も解決しない。もっと地道な、もっと効果的な、もっと着実な成果のあがる方策を講じていかなければならない、深刻な問題なのだ。

 だから、僕が燃費を気にするのは、純粋にお財布の中身の問題である、というワケだ。

旅……2日目

 9月21日(月)
 釧路に立ち寄る用があったので美瑛、富良野、狩勝峠、帯広を超えて釧路へ。

 連休中日で道路はものすごく混雑していたが、不思議にゆっくり走ってしまう。

 天気も今日一日晴天を維持できそうな気配で、気持ちの良い旅となった。

tabinidemasita

9月20日(日)
 連休の予定の一部がキャンセルされたために、時間が出来た。
 同じような目に遭っている旭川を訪ねることにした。
 ALBIREOでの旅
たしかに快適だった。

2009年9月19日土曜日

道普請

 我が家まで国道から150メートルほど私道がある。私道だから誰も補修してくれない。道路の維持管理はすべて僕の責任(と言うほど何もしてないのだけれども)で行う。と言っても重機もなく、材料もないので少しずつ傷んでくる。この家に住んで20年近くになるので、積もりに積もっていつの間にかデコボコになってしまった。道路を通るたびに気になっていたが、なかなか修理のための時間がとれなかった。おまけに我が家の車はすべて悪路に強い四輪駆動だったので道の悪さも、正直あまり気にしていなかった。
 ところが、今月から「ごく当たり前の乗用車」がやって来た。「ガラにもない」とか「全然似合ってない」という批評が集中している。確かに自分でもそう感じる。まったく似合っていない。しかし、バッハの無伴奏フルートソナタやラフマニノフのピアノ協奏曲を聴きながらゆったりと走るのには、実に良い車だ。長距離の移動が増えた今の状況を考えると、この車は存在価値を持つと言えよう。それに、悪路や吹雪をモノともしない力強い四駆この先も永く活躍してもらうためにも。

 新しい乗用車は「ALBIREO(アルビレオ)」と名付けた。ハクチョウ座の 星。白鳥のくちばしにあたる星だ。二つの星からなる二重星である。

 そして、今日、そのために道を少し修理したというわけである。 

2009年9月18日金曜日

最近のこと

 政治の季節なのだろうか。
 政権交代とか改革だとか、騒々しい。すべて嘘くさい。

 僕は、政治家を選ぶ選挙民に対して不信感を持つ。

 「勝ち馬に乗る」という人々が少なくないらしい。だが、選挙は競馬ではない。自分の投票した候補者が落選すると自分の票が無駄になる、という考え方に対して、どうしても共感できない。共感できないだけでなく憎しみさえ覚える。
 愚かだ。人は自分の信念に基づいて行動すべきだし、そうすることが崇高なことだ、と教えられてきたはずだ。それをかなぐり捨てて皆が支持する方に付く、多数におもねる、という態度は没主体的でみっともない価値観だ。ファシズムはそういう民衆を好むものだ。 その意味で、この国の国民は第二次世界大戦の教訓を全く生かしていない。醜い。このような状況では、まだしばらくは僕たちの生活はよくなりそうもない、と思う。

2009年9月17日木曜日

街角で

 病院へ行くために休暇をもらって釧路に来た。一日ゆっくりと本屋をのぞいたりして歩き回った。
 考えてみるとこれほどゆっくりしたのは久しぶりだ。自分のためだけに時間を使っていると、なんだか後ろめたい気持ちになる。これは、日常、自分以外のために時間を使っている割合が多いということの証明だろう。忙しさに流されてふとわれに返ってみて自覚できることだ。
 「そうやって他人から当てにされていることは大切で良いことなのだヨ」と誰かが言っていた。それはそうだろうが、ものには限度というものがある。平安時代なら「物忌み」などと称して「誰にも会わない日」を自由に作り出すことができた(と想像しているのだけれど)ろうが、現代ではそんな生き方は通用しない。

 声が出なくなった音楽の教師、リストカットを繰り返す体育の教師、朝、起きられない英語の教師、いつも熱が下がらない化学の教師、慢性的に風邪をひき咳をしている社会科の教師etc. etc. etc、みな実在の例がある。破廉恥な行為に走る者は論外だとして、どう考えても学校現場は病んでいると言えるだろう。そして生徒たちも…。

 本屋の店頭に「日本の子どもたちはなぜ自尊感情が低いか」という本が平積みになっていて、それを立ち読みしていてふと頭に浮かんだことを書きとめてみただけであるが。 

2009年9月16日水曜日

サンマの炊き込み寿司



昨日、地引き網で魚をたくさん捕ったからだろうか。無性に魚が食べたくなった。写真関係の用でスーパーに寄ったのでサンマを買ってきた。まず、一匹焼いて食べることにした。モロヘイヤとオクラと納豆を載せた三重ネバネバご丼を作ってみた。

 そして、その跡、今朝の通勤途中、ラジオで聴いたサンマの炊き込み寿司を作ってみた。標準的なサンマよりも大きいからだろうか。レシピの通りの分量だったのに、サンマが炊飯器に入りきらないほどで、密かに笑った。
 出来上がりは?現在炊飯中で、まだわからない。

2009年9月15日火曜日

地引き網





 「海洋生物」の実習で東京農大能取湖の臨海実験場へ行ってきた。地引き網を初めて体験した。魚類相調査を手伝わせてもらっていたのだ。

 今日、捕獲した魚類(東京農大 園田博士による)
 シモフリカジカ
 ムロランギンポ
 ガジ
 ニクハゼ
ビリンゴ
ワカサギ
エゾメバル
オキカズナギ
イソバテング
ヤギウオ
クロソイ
サヨリ
 ヨウジウオ
クロガシラ
クロガレイ

 魚の種類の多さと同定の難しさを思い知らされた一日だった。

2009年9月14日月曜日

羅臼岳で遭難


 先週初めに羅臼岳に登った69歳の登山者が下山していない、ということで今日から本格的な捜索が始まった。ヘリコプターも飛び回っていたが、今日の段階では何も進展はなかったようだ。
 明日、自衛隊も参加して捜索の規模を広げるらしい。自衛隊の宿舎に体育館が充てられ、ヘリポートとして野球場が使われ、羅臼の町中は一段と騒々しくなることだろう。それでも人命には代えられない。今の季節なら、遭難してもあまり動き回らずにいれば生存している可能性はある。先週は火曜日にかなりの雨が降り、時々にわか雨が降った日も少なくなかったように思う。昨日も降ったようだ。
 雨がふれば体温が奪われて衰弱が進むことが心配だが、同時に水分の補給にはなる。無事でいてほしいものだ。

 特に本州の人は、北海道の山の難易度を低く見る傾向がある。羅臼岳も1661メートルという高度に騙されるのかハイキングのような気持ちで登る人もたまに見かける。確かに、好天に恵まれていれば問題なく山頂まで往復できるのだが、ひとたび荒れると信じられないような風が吹き、雨が降るのだ。十分な装備と入念な計画で行動しなければ、知床の山は危険きわまりない場所になる。
 今回の登山者もそのことはよく理解して登山していたものと信じたい。

2009年9月13日日曜日

9月13日(日)




 プロの技というものがあるものだ。
 新車を購入したことを知って、車業界で仕事をしていた息子が「コーティング」というものを施してくれた。ガラス質の被膜が形成されるコーティングだとのことで、もともと美しかった塗装が見る見るうちに一段と輝きを増したことには驚いた。

9月12日(土)

保育園の運動会というものに行った。
 今はもう、縁のなくなった「子育て」の現場を覗いた。短時間に消化しきれない大量のの感想を得た。
 もう少し時間をかけて咀嚼し、整理してみたい。

9月11日(金)

9月11日(金) 9日水曜日は海に出た。  毎日、めまぐるしく天候が変わっている中で、穏やかな一日だった。波も静かだった。しかし、クジラの影は見えず、イシイルカだけが泳いでいた。

2009年9月10日木曜日

中国の高校生

 60のスルドイ眼差しが集中していた。今日の授業である。
 中国甘粛省蘭州市の高校生30人が羅臼を訪れ、日本の高校の授業を体験する、と言うことで僕の「知床概論Ⅲ」を体験受講した。
 知床の生態系や野生生物を紹介しただけなのだが、海のない蘭州市の高校生たちはクジラや海ワシ類に強い興味を示し、時間が足りなくなったほど質問が集中した。
 久しぶりで、知的好奇心の矢面に立たされた授業を経験できて、とても充実感を感じることができた。

 良い思い出となった。

9月9日(木)

9月9日(水)
 午前中クマ学習。
 午後、ホエールウォッチング。
 そして、明日の授業準備。

 夜遅くなった。
 午前1時半、オリオンが登ってきた。
 月夜だった。ヒシクイの声がした。

 雁の仲間は月夜に渡るという。今年初のヒシクイが渡ってきたのだろうか。

2009年9月8日火曜日

きょう

 雨で高校一年生の生態系学習Ⅱが中止になり、急遽ビジターセンターで実施。
 目の回るような一日だった。

2009年9月7日月曜日

ツブ研究者のつぶやき

 東京農大の白井滋さんのお話を聴く機会があった。彼は深海性のツブをDNA分析し、互いの類縁関係の遠近から現在の分布域がどのようにして形成されたか、などのことを研究している人だ。

 若いのにおだやかな語り口(つぶやくような)は、冷静で論理的、説得力に富んだものだった。

 オホーツク海のツブと日本海のツブの共通性から、日本海に分布しているツブは間氷期に宗谷海峡を通って日本海側に入り込んで分布を広げたのではないか、ということがお話の中心だった。
 そしてもう一点、羅臼(根室海峡)は、深海性のツブたちにとってきわめて特異な環境で、あること、つまり地形的な特徴から他の海域と隔絶されているという点を指摘われていた。このことは羅臼の沖合で、ツブたちの「進化の実験」が展開されている可能性があることを意味していることなどを説明して下さった。

 ツブの研究者の目から見ても、羅臼の海(根室海峡)がユニークな海だ、と指摘されたわけだ。
 面白いものだ。

2009年9月6日日曜日

日曜美

 髪を切った。
 実に二ヶ月ぶりだ。
 激流を下るようなこの二ヶ月だったように感じる。

 今日も、いろいろな作業をした割にはどれも中途半端に終わっている。
 そんな日常が続いているのだ。

死への擬態

9月5日(土)  「舞踏」というものを初めてライブで観た。  あの、体中を白塗りにして、まるで死体のようなメークで踊るものだ。そういう偏見あるいは先入観を持っていた。写真や映像で知っていた程度だから。  だから正直なところ、あまり積極的に観たいとは思っていなかった。今回、縁あって釧路市の「アートスペース・ジスイズ」で観る機会を得た。やはり目のまで演じられる舞踏には激しい息づかいと人間の情熱が脈打っていて、肉体を用いて表現しようとしているものまたはことが、ダイレクトに伝わってくる  舞踏を観ながら考えていた。死体のようなメークをする理由について。  あれは、様々な個性や生き方が反映している生きた肉体より、死体の方がはるかに普遍的な肉体であるためではなかろうか。  そんな理由で舞踏家は死者に擬態しているのではないか。そんなことを考えた。 

2009年9月4日金曜日

ベンの歓迎会

 新任の英語指導助手、ベンの歓迎会。
 彼は若いけど日本文学に興味があり、古典に関する知識も相当なものだ。しかし、現代の日本語への知識は、まだ少し足りない。
 まあ、それにしても、なかなか面白いヤツではある。

2009年9月3日木曜日

羅臼湖へふたたび




羅臼中学校の一年生38名と羅臼湖へ行ってきた。
 快晴、無風、気温・湿度ともにさわやか
 最高の天候に恵まれた羅臼湖行だった。
 
初めて羅臼湖を訪れたという生徒も少なくなく、一の沼、二の沼、三の沼と次々と目の前に現れる湿原の景色に、
「うわーきれい」とか
「感動だあ!」と心から感激してくれた。
 もちろん最後に現れる羅臼湖の景観には、打ちのめされたように感激してくれた。

2009年9月2日水曜日

快晴


 快晴の一日だったが、小学生陸上競技大会はグランドコンディション不良で延期になった。大きな声では言えないがそのお陰で仕事がずいぶんはかどった。それでも、なんだかあちらこちらに顔を出し、全く異なる話題について話した。実感としてはものすごく多忙な一日だった。

 帰宅したのは22時少し前。
 十三夜の月のすぐそばに木星が寄り添って、美しい眺めだった。帰り道、この光景でホッとした。

2009年9月1日火曜日

今日から九月

 台風11号接近が心配されたが予想進路のもっとも東側を通って、知床にはほとんど影響はなかった。羅臼では明日、称がsくえい陸上競技大会というのが予定されている。天候自体は回復し晴天になりそうだが、タップリと雨を吸い込んだグランドで競技が実施可能かどうか、悩ましいところだ。
 同じ職場の隣のセクションが主管している行事だから、みなヤキモキしている様子だった。秋らしい天候になってくれれば良いが。