2009年9月17日木曜日

街角で

 病院へ行くために休暇をもらって釧路に来た。一日ゆっくりと本屋をのぞいたりして歩き回った。
 考えてみるとこれほどゆっくりしたのは久しぶりだ。自分のためだけに時間を使っていると、なんだか後ろめたい気持ちになる。これは、日常、自分以外のために時間を使っている割合が多いということの証明だろう。忙しさに流されてふとわれに返ってみて自覚できることだ。
 「そうやって他人から当てにされていることは大切で良いことなのだヨ」と誰かが言っていた。それはそうだろうが、ものには限度というものがある。平安時代なら「物忌み」などと称して「誰にも会わない日」を自由に作り出すことができた(と想像しているのだけれど)ろうが、現代ではそんな生き方は通用しない。

 声が出なくなった音楽の教師、リストカットを繰り返す体育の教師、朝、起きられない英語の教師、いつも熱が下がらない化学の教師、慢性的に風邪をひき咳をしている社会科の教師etc. etc. etc、みな実在の例がある。破廉恥な行為に走る者は論外だとして、どう考えても学校現場は病んでいると言えるだろう。そして生徒たちも…。

 本屋の店頭に「日本の子どもたちはなぜ自尊感情が低いか」という本が平積みになっていて、それを立ち読みしていてふと頭に浮かんだことを書きとめてみただけであるが。 

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