2012年6月30日土曜日

オスプレイと原発とレバ刺しと

牛レバーの生食が禁止されるとのことで、ニュースがうるさい。

 動物質の生食には、寄生虫などのリスクが付き物である。食べる時は、それを承知で食べねばならない。
 それで良いのではないだろうか。
 国家権力が、罰則付きでそれを規制することに違和感を感じる。

 牛レバーの刺身を食べて、精神が錯乱し、相手構わずナイフを振り回したというような事件があったのなら、その規制もしかたなかろう。
 食べて、危険があるかも知れないから、自分は食べないとか、それでも食べる、というのは、消費者一人一人が判断するべきことだ。

 怖ろしいのは、その国による規制を皆が黙って受け入れていることだ。特にマスコミの姿勢はひどい。
 「主権在民」というのは、この国から消えてしまったらしい。

 国も「国民の生命を守るため」というお題目を掲げて、生活の細部にまで土足立ち入ることを日常化させようとしている。
 「国民の生命を守る」のがそれほど大事な責務と思うなら、原子力発電は、ただちに止めなければならない。牛レバー以上に危険なはずだ。オスプレイが頭の上を飛び回る状況だって、牛レバーを食べる以上に危険ではないのか。
 弱い者には強気に出るが、強い相手には何も言えない。これが今の日本の政府だ。

 その象徴がオスプレイや原発と牛レバーの関係だろう。

2012年6月29日金曜日

ベラボーめっ! おととい来やがれ、新幹線

北海道新幹線の着工が認可されたとお祭り騒ぎをしている。
 「公共事業」によるゼネコンと大資本のカネ儲けのタネの新幹線建設なんて、全く必要ない。あれだけ国家財政の危機だと大騒ぎしておいて、消費税値上げの道筋が見えた途端にこの発表だ。わかりやす過ぎるだろう。

 新幹線が通ることで、在来線が廃線になったり極端に間引きされたダイヤの第三セクター鉄道になり、地域の過疎化が一層進んでしまったという事例は、たくさんある。
 公共輸送の体系を客観的・科学的に見直して組み立て直すならまだしも、先に「新幹線建設」という結論を掲げてから理屈を付け加えていく今のやり方は、必ず破綻する日がくるだろう。
 札幌から東京まで5時間1分で結ばれるそうだ。5時間という時間は、決して短くない。飛行機なら約2時間だ。空港までの移動や搭乗の待ち時間を含めても3時間半程度だろうか。運賃を比べてもさほど大きな差は無いかも知れない。そんな条件で、飛行機より新幹線を選ぶ人は必ずしも多くないと思う。
 それよりも鉄道と航空機とで互いの特性を生かした棲み分けをする方が賢いやりかたではないのか。
 新幹線の車両は、雪のない地方で開発された。東北新幹線や新潟、北陸新幹線などで雪への対策も少しずつ進歩しているようではあるが、北海道の雪と寒さは、全く別物だ。今のままの技術で250キロ、300キロの運行ができるものかどうか。
 そんな技術開発よりも、在来線の路盤とレールの規格を向上させ、複線化を進めて道内の鉄道網を整備することの方が、はるかに重要だと思う。
 
 「北の大地に新幹線を」とキャンペーンを繰り広げている。
 断じて「北の大地」ではない!ここは、「アイヌ(人間)の大地」だ!
 そして、数多くの野生動物が共に暮らしている大地だ。
 はるか南から勝手に侵入して、先住民の土地を奪い、「北の大地」などと気取った名前をつける権利は、お前たちには無い。
 まして、無駄な税金と環境破壊をもたらす新幹線など、勝手に走らせることなど許されるものではないのだ。

2012年6月28日木曜日

野田=核ファシストを糾弾する

福島原発1号機の地下で過去最大の放射線量を記録したそうだ。
 毎時1万300シーベルト。つまり10.3ミリシーベルトだ。
 事故から15か月半も経って、今までの最高の値とは、どういうことだろう。  
誰が考えても、放射性物質を含んだ水が今までずっと、休まずに溜まり続けてきたのだろう。

 この事実を突き付けられても、野田総理大臣は「終息宣言」を撤回しないのか。撤回だけでは済まない。
 「終息宣言を出したことは、私の間違いでした。みなさまごめんなさい」と膝の一つも地面に付けて、国民に謝らねばならない。

 日本の権力の悪いところは、過ちを認めないことだ。
 敗戦を終戦と言い換え、侵略戦争がいつの間にか「国を守るための戦争」と言い換えられる。
 挙げ句の果てには、南京大虐殺も従軍慰安婦も「無かったこと」になって、いつの間にか責任が曖昧にされている。
 この国の権力者の鉄面皮ぶりは筋金入りだ。
 こんなことに出会う度に、この国が嫌いになっていく自分をどうしようもない。
 本当は、良いものもたくさんあるのだけれど。

 この測定値は東京電力が27日、株主総会が終わってから公表されたようで、そんな公表のタイミングにも作為を感じる。いや、絶対に作為的だ。

 原発問題は公害問題だ。
 新しい形の公害問題だ。
 そして、それを隠蔽しようとする権力は新しい形のファシズムかも知れない。
  
核ファシズムとでも呼んでおこうか。

 ファシストとは、共存できない。

2012年6月27日水曜日

未来のための教育のはじまり

もう40年以上前、僕も高校生だった。  「政治・経済」という科目があった。その中で「政党」について学んだ覚えがある。  政党とは、共通の政治的目的を持つ者によって組織される団体で、私利私欲に基づく烏合の衆(徒党)ではない、と教えられた気がする。 昨日の国会で、民主党の提案に対して、衆議院議員の4分の1が棄権・欠席・反対だったと知って驚いた。  いったいどういうつもりだろう?「私利私欲に基づく烏合の衆」であれば、全員がバラバラに勝手な態度をとっても構わないと思うが、民主党は日本の政治に責任を持たなければならない与党のはずだ。  分裂しようと分解しようと知ったことではないが、この党の党員が福島の事故の後始末をし、今後の日本のエネルギー政策を決め、沖縄の米軍基地をどうするかを考え・・と、あらゆる事柄を決めることになる。  とんでもない話ではないか。  まあ、こんなことはわかりきっていた。彼らはどう間違っても国民の味方ではない。一部の財界やある種の利益共同体の利害だけを代表している。  日本の政治は三流だと言われて久しいから、このような事態が生じても誰もあまり驚くに値しないのかも知れない。 だが、この国で生活している以上、この人たちに生命財産をゆだねているわけで、片時も安心して暮らせない状況は、これからも続く事になるのだろう。  この事態を変えるにはどうすべきか。  迂遠な道かも知れないが、やはり教育の力を待つしか無いかも知れない。それも無人の広野をゆくように簡単にはいかない。行く手を妨害しようとする勢力と壮絶な闘いを続けていかなければならない。  それが、改革の王道なのだと思う。  今日、羅臼町の高校から幼稚園までの全学校にユネスコスクールの登録認定証が交付された。  平和な世界を目指す教育が、ほんの少しだけ前進する。

2012年6月26日火曜日

罪深い停電プロパガンダを告発する

クルマでの通勤時間が長い。
 音楽や落語を聴きながら走ることも多いが、飽きればラジオも聴く。
 最近、節電や計画停電についての話題が増えている。時節柄無理もなかろう。
 だが、その取り上げ方の視点でどうしても同意できないことがいくつかある。

 その第一は、「電力が不足する」という前提で、その対策論ばかりを集中的に取り上げる内容のものだ。
 「不足する」という根拠は電力会社の発表を無批判に受け売りして、節電や場合によっては原発の再稼働をもほのめかすものだったりする。
 これは、政府や財界の一部、原子力利益共同体(いわゆる原子力村)の意を受けて、それに無批判に追随しているとしか思われない。
 「番組」と言うより、政治宣伝=プロパガンダだ。

 次は、停電の危機をむやみに煽り立てているもの。
 「電力会社から送られてくる電気」が、絶対に途切れないという前提で生活を成り立たせていれば、誰だって停電は不便で、時には怖いものに見えてくる。そのような前提は、一旦壊して生活を見直してみるが良い。電力に代わるもの、無くてもガマンできるもの、工夫次第でどうにかなるものはたくさんあるはずだ。
 どうしても電力の供給を途絶えさせたくないものがあったら、それらは個別に対策すればいい。
 自分の身を自分で守るという気概をいつ、どこに忘れ来たのだろう?
 電力不足が原因でなくても、何十キロメートルもたった二本の針金を通して送られてくる電力が、絶対に途絶えることがないと信じていることこそ愚かしいとは、思わないのだろうか。
 いや、これもマスコミや電力会社が寄ってたかって意図的にそう思わせているに違いない。

 停電プロパガンダに踊らせていると、自分でも気づかぬうちに少しずつ、原発容認、原発依存という精神構造に変質していく危険がある。そして、それこそが「彼ら」の真の狙いだ。
 福島の事故の瞬間と周りの人々の現状、展望の見えない今後のことを考えて、停電プロパガンダを跳ね返していきたいものだ。

2012年6月25日月曜日

遠来のお客

今日は、何日かぶりで日射しがあった。
 低温で小雨模様の日が続いていた。
 季節の移ろいは、低温の日々のうちにもぬかりなく手配りされているようで、日が射しはじめると同時にエゾハルゼミが鳴き始めたのには、少々呆れながらも感心した。

 遠来、近来のお客があり、遅い時刻まで楽しく談笑した。
 よって時間切れ、今日は、ここまでで、失礼。

2012年6月24日日曜日

今夜はコンサート

今夜、別海で「川原一紗◎藤川潤司 別海初コンサート」というものがあった。
 実は、一昨年、熊本へ行った時、天草に近い海辺のホテルで、二人のコンサートがあり、聴く機会があった。
 透明な声で、キーボードを弾きながら歌う川原一紗さんと、ギター、三線、カリンバ、からアボリジニのディジュリドゥまで多彩な民族楽器を演奏する藤川潤司さんとは夫婦で、天草での演奏は、1歳に満たないお嬢さんを背負って行っていた。
 皆がよく知っている童謡や民謡から二人のオリジナル曲まで、広いレパートリーを持っているようだが、どの演奏もおかしな力の入ったものでなく、聴く人に寄り添うような心地よさを持っていて、何より演奏している二人が率先して楽しんでいるように感じられ、好感を持った。背負っている赤ちゃんまでもが、そこにいて自然に感じられた。

 強い印象を受けた二人が別海町でコンサートを開いていくれるというので、出かけた。 二時間ほどの時間があっという間に過ぎ去り期待通り、素晴らしいコンサートであった。

 マスコミでいつも取り上げられるわけでもない、別海町では初のコンサートで会場には空席も少なくなく、なかなか「大人気」という訳にはいかない。 
だが、演奏を聴きながらつくづく考えた。
 人の好みには、多様性があって当たり前なのだ。
 だから、コマーシャリズムによって大量生産される音楽だけが音楽だと考えているとしたら、それこそ文化的貧困だ。
 もちろん超絶的な技巧の持ち主で、広く大勢の人々に支持されているアーティストもいて良いし、その人の哲学や思想がにじみ出ていて、自分はこの人の歌が好きだという「こだわりの一人」がいても良いはずだ。
 手作りパン、手作り豆腐、手作り野菜などコマーシャリズムに依らずに自分に必要な者は、自分で作ろうという流れがある中で、自分に合った音楽を自分で探し、CDや電波などの媒体を通さず、生の演奏を楽しむ機会がもっとあって良いのではないか。

 心地よい音に身を任せながら、こんなことを考えていた。

2012年6月23日土曜日

クロユリを眠らせタンポポを眠らせ霧降る初夏のオホーツクから

曇天の根釧原野から

 このところ曇りだったり濃霧、小雨などの天候が続く。
 太陽はどこへ行ってしまったのか、と思いたくなる。
 そのせいだろうか。負傷したところに痛みを感じる。
 気圧が下がると傷がうずく、などとよく言われるが本当のことだったのだとあらためて感じた。
今まで、大きな病気に罹ったことも、これほど大きな怪我を負ったことがない。身体の自由が利かないこと、深い傷を負うことがどれほど大変なことか、わかっていなかったのだと思う。

 相手の立場に立って考える、と簡単に言うけれど、実際にはそれがどれほど難しいか。
 消費税を上げることばかり考えている政府、原発を再稼働することばかりを考えている政府、沖縄の基地は沖縄県内でたらい回しにしようとしか考えない政府や政治家は、絶対に相手の立場に立って考えたり感じたりできないニンゲンたちだろう。
 だからこそ国民投票で意見を聞いてみるの怖いのだ。

なんとしてでも、このようなドブネズミのような者達を一掃しなければならない。

2012年6月22日金曜日

理想は高く掲げたい

実は、羅臼町内のすべての学校(と言っても幼稚園、小学校、中学校、高校全部で7つしかないのだが)ユネスコスクールに加盟することになった。
 去年の2月頃から準備を進め、今年の4月付けで正式に登録が認可された。
 その記念のセレモニーが来週27日に開かれる。
 ユネスコスクールとは何かをここに長々と書く余裕はないが、要するに「ユネスコ憲章に示された理念を学校現場で実践するため、国際理解教育の実験的な試みを比較研究し、その調整をはかる共同体」としての学校のネットワークのことである。
 世界中で180カ国9000の学校が加盟している。日本の加盟校は、現在約400校だ。
 今、そのセレモニーの「しおり」を作っている。そこであらためてユネスコ憲章について調べてみた。その前文は、以下のようなものだ。(抜粋)

この憲章の当事国政府は、この国民に代わって次のとおり宣言する。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終わりを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって、平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。
これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の十分で平和な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに研究され、かつ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。
その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、かつ、その憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。(引用終わり)

 1946年(第二次世界大戦直後)、人類が二度と戦争の惨禍を繰り返さないようにとの願いを込めて、各国政府が加盟する国際連合の専門機関として創設された当時の熱い思いがこめられた格調高い文章ではないか。
 もちろん現実の世界には、紛争が絶えず、ユネスコ発足から70年に近い歴史の中で地球上から戦火が消えたことは無かっただろう。
 つくづくヒトは愚かな生き物だと思い知らされる。

 そして日本には、このユネスコ憲章と並べて何ら遜色のない日本国憲法がある。そして自民党安倍政権によって破壊された、旧教育基本法にも同様の思いがこめられている。

 教育基本法を破壊し、日本国憲法をも踏みにじろうとしている勢力が、多数の国民の反対や批判を無視して原発を稼働させ続けようと画策している。
 これは本当に恥ずかしいことなんだと、あらためて知るべきではないだろうか。

2012年6月21日木曜日

事故後はじめて教壇に立った

夏至。
台風崩れの低気圧の影響で朝から雨が降り続き、「夏至」を実感できない天候だったのは残念なことだ。
 ノルウェーの友人が以前、
 「ノルウェーでは、夏至の夜は、焚き火を囲み、大勢が一晩中踊って過ごす『ミッドサマーフェスティバル』をするんだよ」と話してくれたことを思い出す。いつか行ってみたい。

 今日は、事故後初めて羅臼高校の教壇に立った。
 今週の月曜日から出勤していたが、高校の時間割係の配慮で、今日まで授業を入れずにいてくれたためだ。
 「知床概論Ⅲ」という選択授業。
 授業と言っても事故前に作成した中間考査の答案を病院で採点していたので、返却するだけのことだが。
 足を引きずり気味に歩き、左腕を吊った「痛々しい」姿に生徒たちは、まず驚いたようだ。
 この格好で教壇に立って、事故について何も触れないというのもおかしな話なので、授業の冒頭で、簡単に経緯と怪我の状態を説明した。
 次に答案返却が遅れたことを詫び、解答と問題の解説、採点ミスのチェックと進んで時間通りに終わった。

 教卓を片付け、職員室に戻ろうとした時、二人の男の子が近寄ってきて、書類の入った僕のバッグを持って行くと言う。
 重いバッグではないし、何の苦労もなく自分で運べるのだが、その気持ちが嬉しかった。

 折しも4時間目の終わり。校内の小さな売店にパンや飲み物を買うため、生徒達が先を争って急ぐ時間だった。
 「売店に急いで行かなきゃならないんだろう。オレは大丈夫だよ」と僕。
 「なんも、どうせ早く行っても混んでるから、俺たちはゆっくりでいいんだ」
 相手に負担をかけまいという彼らの配慮が、言葉の裏に漲っている。
 かすかに鼻の奥がツーンとしてきた。
 「悪いな」と言ってバッグを渡す。

 二人ともいわゆる「よい子」ではない。
 どちらかと言えばヤンチャな生徒たちだ。
 日頃の授業でも、私語が多かったりして、僕からもよく注意を与えていた生徒たちだ。 そんな子たちだからこそ、自分の考えたことを率直に行動できるのかも知れない。

 こんな良い生徒と授業をしているのだとあらためて思った。
 一日も早く全快し、彼らに全力で色々なことを伝えなければならない。そう思わせてくれた一瞬だった。

2012年6月20日水曜日

インペイ体質

出勤2日目。
 ほぼ、通常通りの勤務ができた。
 「薄紙を剥ぐように回復する」と表現されるが、今、まさにそのように回復しつつある。

 いつまで経っても、何年経っても、さっぱり治ることのないのがこの国の体質だ。
 関西電力の大飯原子力発電所3号機で、発電機冷却水の水位低下を知らせる警報が鳴ったと発表したが、それは警報吹鳴の半日後のことだった。
 20日、記者会見した経済産業省原子力安全・保安院は公表の遅れを謝罪したというが、それで済むと考えているのか。
 福島で大事故が起こり、「安全神話」が崩壊するとともに、原子力行政や研究者、電力会社への不信感が極大に達しているこの時に、またも事実の隠蔽(と受け取られてもしかたがない)体質が露呈した。
 どのように考えても、この今、この時に原発のトラブルをすぐに発表しないという態度は、誠実さに欠けているし、住民の安全など眼中に無いことを示しているだろう。言葉は主観であり、行動こそ客観なのだから。

 福井県や大飯町は、このことをどう受け止めているか、見解を明らかにすべきだ。
 「遺憾である」などという、通り一遍の「見解」だけでは済まない。住民の安全に責任を持たなければならない立場なのだから。

2012年6月19日火曜日

GOOD JOB(グッジョブ)

久しぶりに出勤した。
 左手や左足の動きをほとんど必要としない今の自動車は、身体が不自由な時には、非常に役に立つことがわかった。
 
久しぶりの職場。みな、温かく迎えてくれた。ありがたいことだ。

 台風が来ている。本年の第4号。「グチョル」いう愛称が付けられている。ミクロネシア語でウコンのことなのだそうだ。四国付近から日本の海岸に接近し紀伊半島でついに上陸。東海地方をかすめるように進んでいる。
 まさに日本の中枢部を串刺しにするような進路で、NHK は、夜の番組をすべて休止しして台風の動きを伝えるなどマスコミは大騒ぎしている。
 これで、東北や北海道の方へ「去って」しまえば、もう、こんな騒ぎを忘れ、バカらしい番組を垂れ流すのだから嫌になる。
 そんなマスコミの態度に台風が一矢報いてくれないものかと意地悪なことを期待してしまう。もちろん、ほんの少しだけ、ネ。
 そうすれば、その名は、「グチョル」ではなく、「グッジョブ」と聞こえるだろう。

2012年6月18日月曜日

季節(とき)よ ゆっくりとゆけ

中標津から釧路まで乗り合いバスに乗った。
 退院後、初の外来診療を受けるためだ。自動車の運転は、もう問題なくできそうだったが、一応主治医に伺いを立ててからにしようと考えたのだ。
 バスは、羅臼が始発で、釧路市内に入ってから4つの病院を巡回する。僕の行く釧路労災病院もその一つである。
 病院へ通う人々を乗客の中心に据えた路線バスなのだ。鉄道が廃止されたことを補う意味もあるだろう。バスターミナルから病院の玄関前まで路線バスで行かれることは、一見、利用者にとって、素晴らしい待遇のように思えるだろう。
 だが、このバスの運賃は往復で割り引かれて5040円かかる。
 この金額は、例えば最低限の年金で生活しているような人々にとっては、どうなのだろう。決して安い金額ではないはずだ。
 そして、もし、5000円分のガソリンがあったなら、僕のクルマでは釧路まで3往復できる。このことからも、せっかく便利な路線バスを作っても利用者が増えず、採算が合わないという結果を招くのが見て取れる。

 朝8時過ぎ、中標津のバスターミナルを出発したバスは、ほぼ2時間かけて根釧原野を横切って釧路へ向かう。
 窓の外は、牧草地。
 川のある所は、河畔林。一面の新緑だ。
 いつもは運転しながら横目で眺めるだけの景色を今日は、じっくりと観ることができた。 それにしても、事故の直前にはまだ、「早春の断片」が所々に残っていたはずだが、今日の牧草地や樹木は、すっかり初夏の装いに変貌している。
 季節の流れが早すぎると思った。
 もう少しゆっくりと、この甘やかな季節を味あわせてほしいのに。

 昔のように標津線の鉄道があったなら、現在の運賃体系で2000円と少々になるはずだ。鉄道を廃止したのも、誤った方向へ急ぎ過ぎた結果ではないか。
 先を急ぐ季節のことから、いつの間にか人間社会のしくみへと、考えが一巡りしていた。

2012年6月17日日曜日

停電とバイクの旅

バイクが好きだ。
 1972年に免許をとった。ちょうど40年間乗ってきたことになる。

雨は痛いものだと、初めてわかったのは、バイクに乗ってからだ。
 もちろん濡れるし。
 冬の凍結路面では乗れない。
 晩秋の夜、外気温2℃とか3℃の日は、泣きたいほど寒い。
 荷物はほとんど積めない。
  四輪に乗るようになって、どんな天候でも薄着で、音楽や落語を聞きながら快適に移動できることを実感した。気楽なものだ。荷物も気楽に積み込める。
それでもバイクから離れられない。
 風との対話。走っていて感じる気温の違い。加速、旋回思いのままに、自分の運動状態を自分だけで決定できる潔さ。
 できるだけ長く乗り続けたい。

 バイクで気ままな旅に出るのが夢だ。
 仕事を持っていてはなかなか出来ないと思う。
 「今日は天気が悪いから移動は無し。この場所に停滞。」などと、昔の帆船の航海のように、天気に合わせて行動を決めたいからだ。
 そんな時、持ち物について真剣に考える。
 ムダなものは、一つも持てない。
 本当に必要不可欠なものから決めていくだろう。

 「電気が足りなければ、大変なことになるから」という大声の脅しに屈して、関西電力大飯原子力発電所を再稼働すると言っている。
 それは、どうしても電気を停められない場所はあると思う。だが、優先度を分けて分類していけば、「無ければ無くても、なんとかなるもの」って結構あるのではないだろうか。
 バイク旅行の時の持ち物のように。

 最初から、電気がふんだんに供給されていることを前提にしてものを考えるから、「再稼働キャンペーン」に乗せられて停電を恐れるのではないか。
 僕の住んでいる所は停電がよくある。電気は「あると便利なエネルギー」の一つに過ぎない。
 だから、悪いのだが、極端に停電を恐れる感覚を、つい嗤ってしまう。

 バイクの旅に、タキシードを着て行くことはできないのだから。

2012年6月16日土曜日

鍼治療を受けて総合的視点について考えた

退院後、初めて外出し鍼治療を受けてきた。

 今回の事故で、医師たちがもっとも心配したのは、折れた肋骨が肺を損傷して気胸が起こっていた点だった。整形外科ではなく、外科の病棟に送られた理由もそこにある。
 気胸の悪化を防ぐために、力を尽くしてもらえたと思う。
 ただ、肋骨だけでなく鎖骨も一本折れていた。この方は整形外科の担当ということで、しばらく放置されていた。これは、気胸の経過観察を優先させなければならなかったのだろうからやむを得ないだろう。
 お陰で気胸の経過は良好で、骨折も快方に向かっているようだ。

 生命もと取り留め、怪我も治りつつあり、メデタシメデタシなのだが、未解決の問題が一つあった。ちゃんと立ち上がれず、マトモに歩けないことだ。
 足に力がはいらなかった。初日は、立ったり座ったりもままならなかった。二日目は、ほんの10メートルも歩けなかった。
 日ごとに歩ける距離は伸びていき、回復への見通しも立ってきてはいた。
 だが、昨日あたりから回復のペースが停滞気味に感じられ、腰回りの別の場所が痛むようになったりし始めた。
 そこで、今日、ときどき診てもらっていた鍼灸院へ行くことにした。
 一時間ほどかけて、手、腕、足、脚などに鍼を打ち、何カ所かに灸をすえてもらった。不思議なことだが、それまで、ほとんど上に挙げることのできなかった左膝が、難なく持ちあがるようになった。歩行の様子も変わったと思う。
 リハビリテーションで、問題のある部分だけを解決しようとしても、別の部分に歪みを生じさせることがよくあるそうだ。ヒトの身体は、全体のバランスを注視しながら部分の問題を解決していくようにしなければ、なかなか完全な回復には至らない、と聞かされた。 確かにその通りだと思う。
 ヒトの身体は、間違いなく一つの生態系なのだ。問題のある部分を細かく精密に見ると同時に全体を総合的に捉える視点も不可欠なのだ。

 部分を詳細に分析的に見る視点と総合的にものごとを捉える視点、どんなことにもこの両方は必要なのだと思う。
日本の科学教育に欠けているのは、後者の視点だろう。原子力政策、エネルギー政策にも。

2012年6月15日金曜日

「まつろわぬもの」のこと

草地へ、片道100メートルくらい散歩した。
 エゾセンニュウ、ツツドリ、シマセンニュウ、コヨシキリ、カッコウ、ノゴマなどの歌が響き、晩春から初夏への移り変わりを感じさせてくれた。
 怪我をしたからこそ、立ち止まって季節の移ろいをゆっくり味わうことが出来るのかも知れない。
怪我をしてありがたかったことがもう一つある。
 読書の時間をたっぷりとれることだ。お見舞いに本を持ってきてくれる友人、知人がいて、ベッドサイドには数冊の分厚い本が積まれている。
 
 僕をよく知る人たちが選んでくる本だからどの一冊をとっても興味深く面白そうな本ばかりだ。
 その中に「まつろわぬもの」という一冊がある。
 1918年(大正7年)北海道の屈斜路湖畔のコタンに生まれた著者シクルシイ(和名:和気市夫)の自伝だ。
 彼は、生後間もない頃から神童として知られ、第二次世界大戦直前の外務大臣である松岡洋右に見いだされ、英才教育を受ける。やがて、英語、フランス語、ロシア語、中国語、モンゴル語、ラテン語、ギリシア語などを身につけて、陸軍情報部付の少尉となり、松岡の命を受けてアジア各地で諜報活動を行った。

 実はまだ、読み始めたばかりなのだが、アイヌ民族と和人、日本と中国など諸外国との「界面の世界」に広がる怨嗟や欲望からなる闇に、その世界で実際に生きてきた人の視点から光を当てた本のように思う。戦後、第一生命保険相互会社の人権問題研修推進本部理事会の顧問を務めたシクルシイさんが、彼の前半生での体験を通して、これからの世界のあり方をどう考えているのかを読み取りたい。

 ESD(持続可能な社会のための教育)は、今やこれからの教育の核に据えられていく必要がある。その時に多文化共存、異文化理解、人権、民族などの問題は、それぞれ具体的な課題として重要性を増してくる。
 上辺だけの友好や国際交流に終わらせることなく、実効ある多文化共存教育を行い偏見や差別を払拭するには、シクルシイさんのような人について、われわれはもっと学ばなければならない。

 「まつろう」とは「順う」など書き、日本列島に先住していた民族で大和朝廷に服従しない民族を「まつろわぬ民」と呼んだ。蝦夷(えみし、えびす、えぞ)なども同じ意味である。
国民の生活よりも自分たちの利権を優先し、放射能に汚染された環境で国民を生活させて顧みない政府、消費税をつり上げ国民の暮らしを破壊しようとしている政府、そこで吸い上げたカネをアメリカのために貢ぎ、米軍基地のためなら国民の生命や安全など一顧だにしない政府に、われわれは「まつろう」わけにはいかない。

2012年6月14日木曜日

身を守ってくれたヘルメット

昨日、退院し自宅で一晩過ごした。
 病院の方が設備も整い、専門家もそろっている。ADL((activities of daily living)要するに「日常生活動作」のことらしい。)が極端に低下している現状では、普通の作りの住宅で過ごすためには困難な課題がありすぎる。

 昨日夕、到着後すぐにベッドに横たわったのは良かったが、起き上がる要領がつかめず、裏返しにされたカメのようにベッドの上で身悶えしていた。
 その後、ベッドにザイルを取り付け、それに掴まって起き上がれるようになった。問題を一つ一つ解決していけば良いわけで、このプロセスも楽しんでみようと思う。

 先に自宅に届けられていたライディングスーツやヘルメットをじっくりと見た。特にヘルメットの損傷がひどい。自分の恥をさらす事になるが、自戒の意味を込めて、ここに載せることにした。
 明日からもしばらく自宅療養だ。
 日頃、読みたくても読めない本を読んで、有意義に過ごそうと思う。




2012年6月13日水曜日

退院しました

退院した。 
昨日の朝食の途中、担当の医師が現れて、「もう、退院して良いですよ」と告げられた。 「早期離床」と言うそうで、健全な社会復帰を早める効果が期待できるとのことだ。
 確かにその通りかも知れない。
 病院に運び込まれた翌日は、ベッドから降りて自立するのも大変だった。だが、その夕方には自分で歩けたし、その次の日には、介助なしで歩くことが出来た。
 そして、いつの間にか、自由に寝たり起きたり歩いたりできる。
 強打した脚と腰の筋肉は未だ回復せず、実にゆっくりとした歩みではあるが。

 そもそも、入院の原因となっている傷害は、歩行困難ではないので、これが医師の眼中に無かったとしてもやむを得ないだろう。
 かくして、僕が夢見ていた、「痛みも和らぎ、上げ膳下げ膳で、毎日読書三昧の入院生活」は、実現直前で儚く消えた。

 しかし、本当の話は、これをおおいに喜ばねばならない。
 二頭のシカがその場で死んでしまうほどの事故を起こし、一週間程度で病院から出てこられたことに、どこまでも感謝しなければならない。

もちろん、それを直接間接に支えて下さったたくさんの人々、職場の人々、地域の人々、友人知人、そして家族。
 救われた命を、どう燃やして報いるか、今、それが問われている。

2012年6月12日火曜日

気にいらねえナ!「ご理解頂く」という表現

朝、突然、退院許可が出た。  ちょっと予想外の展開だ。  鎖骨の方は処置が終わり、後は通院治療でも構わない。肋骨は、肺の気胸が進行していない以上、今、特別にするべきことはない。  したがって退院という結論に落ち着くのだろう。  起立と歩行の困難については、自分で努力しろということだ。  ま、確かにその通りだ。  病室には癌などで胃を切除した人、する人など容態の重い患者さんもたくさんいる。  今の僕は、普通の人よりも歩行が遅く、重病のように見える僕も、専門医の目からは放っておいてもやがて回復する、特に治療を必要としていない人に見えることだろう。  ありがたいことだと思う。  何度か同じことを書いたように思う。  いつから日本語の「理解する」という単語の意味が変わったのだろう?  沖縄の辺野古に新しい基地を作ることを地元に「ご理解頂きたい」と言う。  大飯原発3,4号機の再稼働も「地元にご理解頂きたい」と言う。  別海町の矢臼別演習場における米海兵隊の実弾演習も、沖縄の普天間基地への「オスプレイ」配備も、何でもかんでも「ご理解頂きたい」らしい。  高校生の成績を評価するとき、たいていの教科や科目に「知識・理解」という項目がある。どの程度「理解しているか」を量的に、また質的に評価するものだ。  生徒全員が授業の目標を理解してくれること願いながら、研究に努め渾身の思いを込めて授業に臨むが、なかなか一人残らず「理解」してもらえるものではない。  だからこれほど安易に「理解を求める」などと使えるはずはない。安易に使うのは本来の意味を捨て去り「ご理解頂く」という言葉を「こちら強行するから黙って従え」という意味で使っているからだ。  本来の意味をねじ曲げ、真実を覆い隠すために使っているからだ。  こんな政治家、こんな政府に国を任せていては、国とともに文化も破壊されていくだろう。言葉を失った文化は滅びる以外の道はない。  歴史が証明している。  それとも、これほどまでに言葉を軽視するのは、無神経にも他民族の言葉を平気で奪ってきた過去を持っているからだろうか。  さもありなん。

2012年6月11日月曜日

月曜日・・・動きだした大病院

今日から病院のすべてが動き出した感がある。 僕が入院しているのは、釧路市内でも最大級の病院で看護職だけでも300人もいるそうだ。ロビーなどは、ホテルのようだ。院内には、コンビニ風の店、お蕎麦屋さん、床屋さんもある。まるで一つの町のようだ。  DOUTORのコーヒーショップもある。(これは、たまらなく嬉しい) 検査や治療も本格的に始まった。  整形で鎖骨の治療を受けた。本当は、もっと早く処置してほしかったのだが、肋骨骨折による気胸の経過観察の方が優先されたのであろう。やむを得ない。とにかく鎖骨の骨折部分のズレによって感じる不快感は消えた。  ザックの背負い帯のように肩と背中を固定するバンドは鎖骨の治療には有効だろうと思われる。  なんだか世の中が総力を挙げて、僕の怪我の治療に取り組んでくれているように思えて、ありがたくはあるが、自分にそこまでの値打ちは無いのでは?という一種の恐怖も感じる。  大阪で通り魔事件を起こし、無関係の他者を刺殺したこの事件の犯人や同様の事件の加害者たちは、きっとこれと正反対の感情を抱いていたことだろう。  今回の事故の発生から今まで、実にたくさんの人々の善意によって、最善の待遇で過ごしている。  幸いなことにさほど重篤な状態でもない。もしこの場所が例えば戦場だったら、あるいは地震の被災地だったら、そこまで極端でなくても知床の岬地区や山岳地域だったら、これほどまでに充実した(僕には贅沢とさえ感じる)ケアを受けられるはずはない。  今の僕は、生命維持の最低限の処置よりもはるかに高度な、「贅沢な医療」を受けているのだ。世界中の人々が等しくこのような医療環境であればいいと願うのだが、現実は、そうではあるまい。  例えば、電力の問題ひとつ取り上げても、 「この優れた医療の環境を維持するためには、原発はどうしても必要だ」という脅しをかけられているわけだ。この脅し文句の真偽も重要だが、それ以前に世界全体を見渡し、世界中の人々が、優れた医療を享受しているか否かを考える必要があうだろう。 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とは、言うまでもなく宮澤賢治さんが「農民芸術概論要綱」に書いている言葉だ。 「原発が動かなければ、日本はメチャメチャになる」という脅し文句は、脅す側には、もちろんこの精神の片鱗も無いのは当然としても、脅される側も同様にこのことを忘れているという弱点を突いて発せられたものだと思う。  野蛮で卑劣な精神がそこに見える。

2012年6月10日日曜日

真夜中のナース

「真夜中のナース」などというタイトルを付けると安手のポルノみたいだけれど、いたって真面目なのだと、最初に断っておく。  痛みは少しずつ和らいでいる。  痛さの源は、二つに大別される。一つは肋骨と鎖骨の折れている所。骨折だから痛くて当然だ。特に肋骨は、肺に触れていて、下手に激しく動かすと肺の傷口を広げかねない。用心しているのだが、例えば、寝返りを打とうとしたときなどふとしたはずみに「オイッ!」という感じで電撃的な痛みが走る。  もう一つは、股関節。  こちらは、骨に異常はない(はずだ)が、転倒したときに強く打ち付けられて筋肉が相当損傷しているようで、まるきり力が入らない。病院に運ばれた翌朝、それに気づかぬまま立ち上がろうとした時、全く自立出来なくなっている自分自身に初めて気づいて、愕然とした。  だが、考えてみればこちらの損傷は、今すぐ生命に関わるものではない。さし当たり、肋骨と鎖骨骨折への対応が優先されたのもやむを得ないだろう。  こちらの痛みは、立ち上がろうとした時、音楽のクレッシェンドのようにやって来る。 「ええでっかぁ?イキまっせっぇ。ほらほらほらほら、ズドドドドドドオン」という感じだ。 ただ、ありがたいことに、こちらの痛みは日に日に僅かずつだが、薄らいできている。だから、今は、カタツムリより若干速く歩けるようになった。  明日は、シャクトリ虫くらいのスピードになり、明後日はゴキブリくらい、週末には、トノサマバッタ並みにはなれる(かも知れない)。  そんなワケで、ベッドで過ごしていることが多い。運動不足になる。昼間も時々うつらうつらする。だから、真夜中に眠りが浅くなる。  昨夜、真夜中にごく近くに人の気配を感じて目を覚ました。  すると、夜間の当直の看護師さんが、ベッドの枕元にある酸素のバルブを調整してくれていた。  肺の損傷があるので、1分間に30リットルの酸素を吸入している。昨夜、寝る前にトイレに行ったとき、もったいないと思って、自分でバルブを一旦閉じた。戻ってから再びバルブを開けたのだが、開け方が足りなかったようだ。  彼女は、どうしてそれに気づいたのだろう?吐出する音だろうか。  眠っている僕を起こさないように、吐出量の微調整をしてくれていたらしい。  こういう人々の努力で、僕らの命が守られているのだなと、あらためて感じた出来事だった。

2012年6月9日土曜日

シカとの衝突、それから

正直なところ、かなり高速で走っていた。  海岸線に沿った国道。長い直線区間である。海岸段丘のすぐ下であり、普段はあまりシカを見かけない場所なのだ。  そのため、僕の意識からシカのことは消えていた。  まだ薄明るい国道上、不意に二頭のシカが縦に並んで道を横切っているのが見えた。ブレーキをかけられる距離ではなかった。  それ以後の記憶はハッキリしないのだが、二頭のシカの身体とバイクの車体と僕自身がもつれ合って道路上を滑ったのだと思う。  気がついた時は、通りがかった人に助け起こされていた。  やがて来た救急車で別海町の病院へ運ばれ、応急的な処置を受けてから釧路の病院へと転送された。  初めての救急車、初めての点滴、初めての入院・・・・、今まで、自分とは別の世界だと思っていた事態が一気に身に降りかかってきた。  いろいろな人の力を借りたし、いろいろな人を心配させた。仕事の上では、いろいろな人に迷惑をかけた。  だから、せっかくの?この体験から出来るだけ多くのことを学び取るようにしたい。  さしあたり、Face bookを通して、ご心配くださった方々に、お詫びとお礼をお伝えしたい。

2012年6月5日火曜日

台風とイワシとマスメディア

南よりの風が入ってきて暖かな一日だった。冷涼な気候に慣れている羅臼の子どもたちには、もう一押しで「暑い」と言わせる気温だったのではないか。

 沖縄を台風が通過しているようなのだがどういう状態になっているのか、さっぱりわからない。ニュースで取り上げられないのだ。これが、東京に接近している場合には、しつこいほど繰り返し、こちらの生活は無関係の詳細な鉄道路線の運転状況まで聞かされる。
 この扱い方の違いは何故だ。
 人口の密集度が違うから、ニュースへの需要が違うと言われればそれまでだが。

 では、今日、小さく取り上げられていた。千葉県のいすみ市の大原漁港で、大量のイワシ(カタクチイワシ)が漁港内に入り込み、4日朝にほとんど死んだ状態になって発見された、というニュースはどうか?
 総量は200トンにのぼるという。
 カタクチイワシ一匹は、20cmの体長として20グラムと仮定して1000万匹だ。
 僕は、このニュースを帰宅してから知った。
 魚の大量死は時々あるから、それほどのニュースバリューはないのだろうか。

 直接の原因は、狭い港に大量のイワシが入り込んだことによる酸欠ではないかとも言われているが、確かなことはわからないという。
 動物の異常な行動が、しばしば大きな天災の前に起こることもある。千葉県付近では、中小の地震も頻発している。
 地震と魚の異常行動を根拠なく結びつけて考えるべきではないかも知れないが、この大量死のニュースをもう少し詳しく知りたいと思った。そして、過去の事例や現在の状況を的確に把握している専門家の意見も聞いてみたい。
 だが、このニュースもあまり取り上げられていなかったようだ。

 原発事故以来、ニュースを流す側への不信感も強まっている。
 マスコミには、健全さを保ち、少数者や過疎地のことをもう少し注意深く扱って欲しいと願うのだが。

2012年6月4日月曜日

牙を磨け、爪を研げ

昨日の小ブログに次のように書いた。(再録します)
 「本当は、昨年の福島第一原発の事故が、それをするための絶好の機会だったし、そう  することこそ、地震、津波などで失われた多くの生命に報いる方策だったと思う。
  しかし、現実は、それとは反対を向いて動き出そうとしている。なんと愚かなことだ  ろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる野田。」
 言うまでもなく末尾の「野田」は野田総理大臣のこと。変換ミスではない。
 
原発の問題にしても、消費税論議を含む富の偏りにしても、国民の意見・感情と政治が、これほど乖離(かいり)して、対立したことは、それほど無かったのではないか。
 60年安保、70年安保などの反対運動の高まりに手を焼いた支配者は、反対運動の牙を巧妙に抜く手法を開発し、国民支配の技術を磨いた。
 優秀なエリートを育て、国家機構の要所要所に配置し、国民支配を徹底した成果が顕れているのが今日の状況だ。
 今、日本の国民は、日本以外の国なら、とっくに政府を転覆させてもおかしくないほどの状況に置かれていながら、なお家畜のように温和しくしているのではないか。

 押しつぶされたバネは、いつか必ず反発する。時間は、かかるかも知れないが。
 圧力が強いほど、虐げられた期間が長いほど、その反動は大きな津波となって、すべての悪意を呑み込むに違いない。

 牙を失ったように見えるが、失われた牙の下で新たな牙が磨かれ
 爪を抜かれてしまったように見えるが、 
抜かれた爪の根元で新たな爪が研がれているはずだ。

 僕らはそれを忘れてはならない。

2012年6月3日日曜日

高速道路は便利なのだが・・・

昨日朝、8時50分、本別海を出発。
 札幌に着いたのは14時少し前だった。
 今日は、朝、11時30分に札幌(JR札幌駅北口付近)を出発。
本別海に着いたのは、17時ちょうどだった。

 往復の距離は約830キロメートル。「400キロは距離じゃない」ということを実感できた。往路より復路の方が所要時間が短いのは、高速道路へのアクセスルートの違いと札幌市内を抜け出す時の時間帯による混雑具合の違いのためだろう。

 高速道路を全面的に利用して往復したわけで、それはそれで安全で快適、そして時間の短縮という恩恵を受けたことになる。
 だが、同時に運転しながら「これで良いのだろうか」という疑問が心の底にずっと沈殿していた。
 400キロを5時間半で走り抜けるためには、その途中の景色を堪能している余裕はない。ひたすら前を向いて、目的地に向かって進むのみだ。
 初夏の北海道の山々を彩る明るい緑や空知、十勝、阿寒、各地の木々の生育の違いなどを楽しむ余裕はない。

 旅は、もっとゆっくりの方が良い。
 高速道路や新幹線は移動するための時間を無駄だ、と決めつける価値観に依拠している。 現実には、金曜日まで仕事だったし、月曜日から再び仕事が始まる。なかなか休んでばかりはいられない。職場に迷惑をかけられない。
 このような「現実」の問題を回避しようとすれば、この価値観はやむを得ないことなのだろう。
 つまり、高速道や高速鉄道への志向を止めるためには、社会的な価値観を大転換させる必要がある。
 本当は、昨年の福島第一原発の事故が、それをするための絶好の機会だったし、そうすることこそ、地震、津波などで失われた多くの生命に報いる方策だったと思う。

 しかし、現実は、それとは反対を向いて動き出そうとしている。なんと愚かなことだろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる野田。

2012年6月2日土曜日

特別な日のすてきなライブ

中学から高校にかけて、6月2日に僕の居た場所である。リゾート開発によって今は変わり果てた姿になっている場所も多い。  なぜ、これほどはっきり記録できるのか。  それは、標本のデータが残っているからだ。  この頃の僕は昆虫少年だった。標本を集めることは、もうしていない。  だが、虫を捕まえ、標本にし、細部を観察して種類を調べることで、昆虫の分類を肌で覚えることができたと思っている。  種名を知ることは、自然を読み解くためのボキャブラリーを増やすことだと今も思っている。  それはともかく、6月2日という日は、僕の中では一種の「特異日」だ。  考えてみれば、新しい葉が一斉に展開され、まだ厚みを持たない葉を通した光が林床を明るく照らしている。  その光の中でエンレイソウ、ニリンソウ、アズマイチゲなどのアネモネ属、サンカヨウ、シラネアオイなどの花が思い思いの場所に咲き、ツマキチョウが舞い、ベニヒラタムシやコメツキムシなどの鞘翅目昆虫までが不器用に飛び回っている季節。  それは、北海道の夏緑林地帯から亜寒帯針葉樹林帯にかけての初夏の心象風景となって結晶した。  1964年6月2日 横津岳 大川林道・・・中学2年  1965年6月2日 中の沢ダム・・・・・・中学3年  1966年6月2日 仁山高原・・・・・・・高校1年  1967年6月2日 横津岳 大川林道・・・高校2年  1968年6月2日 蝦夷松山・・・・・・・高校3年  そして2012年。  今年の6月2日を、僕は札幌で迎えるつもりだ。  敬愛するアイヌ民族の歌手でありムックリ、トンコリの演奏家KapiwとApappoの姉妹によるライブ「Kapie & Apappo 札幌ライブ~CIKISANI~」というコンサートを聴きに行く。  この日、このライブがあるということ、それに行こうという気持ちになったこと、様々なことに、漠然として意味を感じる。  そんな思いを秘めて、これから札幌へと向かう。(朝、6時30分 記す)

2012年6月1日金曜日

有限の生命と種の持続可能性

胸部レントゲンと心電図の検査を受けた。
 特に異常は認められなかった。
 ただ、普通の人よりも心臓がやや横に寝ていることが指摘された。心臓が寝ているということは、身体を横にして寝ると心臓は立つことになるのか、などと考えているとワケがわからなくなってくる。
まあ、とにかく健康であると言われたわけで、ありがたいことだと思う。

 今日は、サクラの散る日だった。
 東よりの弱い風で、花びらが雪のように次々に舞い落ちていた。
 朝、イヌと一緒にサクラの下に腰を下ろし、散る様子をしばらく眺めていた。
 つい先日咲き始め、あれほど咲き誇っていた花が、もう終わりの時を迎えているという事実を突き付けられているわけで、これを見た誰もが、無常や生命のはかなさを感じるのだろう。

 そんなセンチメンタリズムに浸るのも悪くないが、生命の無常という現実に立ち、その前提のもとで、持続可能な社会をどう作るかを考えなければならないだろう。すると答は自明なのではないかと思うのだが。
 自然界の生物のほとんどすべては、個体の有限性と種の持続性を巧みに、しかい簡単に統一している。
 ニンゲンは、なぜ、これほど混乱しているのだろう。簡単そうなことなのだが。