2012年6月24日日曜日

今夜はコンサート

今夜、別海で「川原一紗◎藤川潤司 別海初コンサート」というものがあった。
 実は、一昨年、熊本へ行った時、天草に近い海辺のホテルで、二人のコンサートがあり、聴く機会があった。
 透明な声で、キーボードを弾きながら歌う川原一紗さんと、ギター、三線、カリンバ、からアボリジニのディジュリドゥまで多彩な民族楽器を演奏する藤川潤司さんとは夫婦で、天草での演奏は、1歳に満たないお嬢さんを背負って行っていた。
 皆がよく知っている童謡や民謡から二人のオリジナル曲まで、広いレパートリーを持っているようだが、どの演奏もおかしな力の入ったものでなく、聴く人に寄り添うような心地よさを持っていて、何より演奏している二人が率先して楽しんでいるように感じられ、好感を持った。背負っている赤ちゃんまでもが、そこにいて自然に感じられた。

 強い印象を受けた二人が別海町でコンサートを開いていくれるというので、出かけた。 二時間ほどの時間があっという間に過ぎ去り期待通り、素晴らしいコンサートであった。

 マスコミでいつも取り上げられるわけでもない、別海町では初のコンサートで会場には空席も少なくなく、なかなか「大人気」という訳にはいかない。 
だが、演奏を聴きながらつくづく考えた。
 人の好みには、多様性があって当たり前なのだ。
 だから、コマーシャリズムによって大量生産される音楽だけが音楽だと考えているとしたら、それこそ文化的貧困だ。
 もちろん超絶的な技巧の持ち主で、広く大勢の人々に支持されているアーティストもいて良いし、その人の哲学や思想がにじみ出ていて、自分はこの人の歌が好きだという「こだわりの一人」がいても良いはずだ。
 手作りパン、手作り豆腐、手作り野菜などコマーシャリズムに依らずに自分に必要な者は、自分で作ろうという流れがある中で、自分に合った音楽を自分で探し、CDや電波などの媒体を通さず、生の演奏を楽しむ機会がもっとあって良いのではないか。

 心地よい音に身を任せながら、こんなことを考えていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿