2013年3月30日土曜日

今さら当たり前なことだけど、大切なことに気づかされた送別会

 昨夜は、職場を去る人たちを送る会があった。午前1時過ぎまで飲み歩いていたのだが、後半には自制してお酒を過ごさないようにしていたので、スッキリとした気分で朝を迎えることができた。  今回職場を去る人は二人。  一人は郷土資料館長。  彼は、学芸員として就職し、30年以上にわたって羅臼町内の遺跡の発掘や天然記念物の保護活動を続けてきた。数々の考古学上の重要な発見をし、その方面では非常に有名な人物である。でも、気取りのない人柄で彼の同僚になってからは知床の考古学について多くのことを教わった。遺跡や古代史に関する僕の質問に、即座に的確な答を返してくれた。彼の実力と造詣の深さを感じさせたものだ。年齢は僕より少し若いが、知床に関する大先輩であると言える。  お正月に家に押しかけ、囲炉裏のある彼の自慢の部屋で夜中過ぎまでお酒を飲み、翌日は二人とも宿酔いで七転八倒したのが、酔いいや良い思い出となった。  もう一人は教育委員会の文書の受付と管理や町立学校との連絡、机周りの清掃からたまに漁師さんからもらう魚の処理まで何でもやってくれた人だ。この人がいてくれたので事務所ではいつも熱いコーヒーを飲むことができた。また、外回りの仕事の多い僕の動向を常に把握していてくれて、安心して出歩くことができた。  人それぞれに歴史があり、今、僕が働いている職場も多くの人々が自分の人生と引き替えるようにして築きあげてきたものであるな、とあらためて感じた。その環境の中で、思う存分の仕事ができることは、すごく幸せなことである。  仕事に上下の差などあるはずはないが、特に目立たない立場で、こつこつと確実に仕事をこなしてきた人たちの力のお陰で、今の僕は快適に働くことができるのだと思った。  「表」に出る人間は、目立つしマスコミに顔や名前が出る機会も多い。少し大きな仕事をやり遂げれば、賞賛を浴びることもたまにはある。人間は愚かだからそんな時、自分の仕事を支えてくれたたくさんの人々の働きをつい忘れがちになるものだ。もっともっと自分の置かれている立場を誰がどのように手助けしてくれているのか、ということを正しく見ておかなければならない。  そんなことに気づかされた送別会であった。

2013年3月29日金曜日

シカよ! いつか、また、どこかで・・・月夜のできごと

僕自身の不注意から一昨日、馬が体調を崩してしまった。友人から質の良い柔らかな草を分けてもらってきて与えていた。 馬の様子や食べ方を観察しながら少しずつ食べさせていた。夜、寝る前に馬の所へ行った時のことだ。  最初、  「あれ?馬が2頭になっている」と思った。国道の街灯からの光に巨大な影が二つ並んでいたのだ。一つは我が家の馬だ。  もう一つは、注意してみると頭から高々と角がそそり立っている。まぎれもなく雄のエゾシカなのだが、その大きさは信じられないくらいのものだった。  これまでに嫌と言うほどシカを見てきたし、大きな雄ジカにも何度も遇ったことがある。しかし、その雄は間違いなくかつて見たことのない大きさに見えた。  思わず足が止まった。 やがて馬の方に近づく僕に気づいて、シカはゆっくりと離れ、遠ざかりはじめた。その歩みはどこまでもゆったりと落ち着いてた。それは、決して重い体重によって雪に足を取られているためではないと思った。  僕は馬のいる所へ近づく。シカは僕から斜めに遠ざかる。  が、途中で足を止め、振り返ってこちらを見た。目が合った。その距離60メートルくらいか。僕も睨み返す。  実際の時間は1分足らずだった思うが、それが5分にも10分にも感じられるほど長い睨み合いだった。  エゾシカによる被害は激しく、我が家の牧草地もあちこちが掘り返された。庭に植えてあるリンゴやヤナギの樹皮はことごとく食べられ、樹木は青息吐息だ。これから出る草の新芽も壊滅的に食べられるだろう。雲霞のごとく姿を現すシカの群れに対して、正直なところ憎しみを抱いてしまうし、実際に何とか対策は立てなければならない。  しかし、考えてみれば北海道の森林で生活していたエゾシカという哺乳類は、人間が暴力的に改変した環境の影響で生息数を急に減らしたり激増させたりしてきた。つまり、シカたちもニンゲンに翻弄されてきたわけだ。 その狩猟規制の経緯を大まかに振り返ると 1980年(明治23年)全道で捕獲禁止 1900年(明治33年)捕獲禁止措置解除 1920年(大正9年) 全道で捕獲禁止 1957年(昭和32年)一部地域で雄ジカのみ捕獲禁止解除 1975年(昭和50年)牝ジカの有害駆除開始 という具合にめまぐるしく変わっている。  ハンターの立場から見れば獲物。  農業や林業からは害獣。  観光客からは間近に見られる野生。  ニンゲンの側からは、その立場によって見え方が様々に変わる多面体だ。 そんな「見え方」などとは全く無関係に、僕と睨み合っていた巨大な雄は、静かに向きを変え、林の中に消えて行った。  その威圧的とさえ思えたその視線を跳ね返しながら、いつか倒さなければという思いとそれとは正反対の尊敬にも似た感情が涌いて来るのを感じた。  月夜の雪の原での忘れられない経験である。

2013年3月28日木曜日

「フクシマを忘れない」なんて言うならこの現実をどう受け止める?

 東北電力は今日、福島県浪江町と南相馬市に新設予定だった浪江・小高原子力発電所の建設計画を撤回すると発表した。(東京新聞から)  この場所は東京電力福島第一原発から20kmも離れていない。事故後は警戒区域となっていることもあるが、地元の理解を得られないというのがその主な理由だろう。だれが考えても、これほどの大事故を起こし、その収まりもついていないのに、新たな原子力発電所をすぐそばに建てることに賛成する人はいないだろう。まあ、まともな判断だが結論が出るまでに2年以上も費やされたことが理解できない。  そして、何より理解できないのは、身近で原発事故が起きた福島では原発を建てられないが、「身近ではない」青森県大澗町とか山口県上関町などには、平気で建設できるという神経である。日本では、昔から、こういう態度を「盗人たけだけしい」と言うと思う。  計画を撤回したということは、事故の危険性がある事故が起きたら壊滅的な結果を招く、ということを認めたことになる。それほど危険なものならどこであっても作ることはできないはずだ。  また、それぞれの立地の住民で原発に理解を示している人々にも疑問を感じる。福島の人々が「もう、まっぴらだ」と感じている経験をなぜおもんばからないのか。札束で目を曇らされたのでない限り、ごく普通に考えれば、地元でこれほど忌避され、ついに計画を撤回せざるえなくなったものをわざわざ引き受ける気持ちにはなれないだろう。当事者の苦しみを共感する想像力が無いのだろう。愚かなことではないか。  まさか、「福島だけを被曝させておけない。みんな一緒に放射能を浴びよう」ということではないだろう。  昔、故立川談志が「日本は法治国家なんかじゃない。情治国家だ。」と言っていたが、 あまりの愚かしさに言葉もない。

2013年3月27日水曜日

定向進化は滅びへの道

 「定向進化説」はご存じでしょう?  生物の進化において、一度進化の方向が決まると、ある程度その方向への進化が続くように見える現象のことだ。  例えばウマの進化では、背の高さ数十cmで、足の指が四本ある先祖から、現在の大型で足指が一本だけの姿まで、いくつかの中間的な姿の種を経て一つの系列をなしている。このことから、ウマの進化には一定の方向があり、その方向への進化が続いたのだと見なす。ゾウの鼻、キリンの首なども代表的な例とされる。  これは、生活上有利な形質が、生存競争による淘汰の結果であると考えられているが、  しかし、進化の方向が必ずしも生存に有利な方向に向かっていないという例も挙げられている。  たとえば中生代の海で爆発的に分布を広げたアンモナイトもその一つだ。最初に現れた時は直線状の貝殻だったが、時代が進むにつれて先端の方から巻かれはじめ、ついに現代の巻き貝のような形になる。そしてそれに留まらず「巻き」がどんどん複雑化し、中生代末期には幾重にも巻きが重なって複雑な形のものが多数出現した。  その呼び方が正しいかどうかは別として、進化を語る本には、しばしば「異状巻き」などという名で出ている。  「定向進化説」が正しいかどうかは別として、この奇怪な(に見える)巻き方は、生存競争上どんな有利さがあるのか、はなはだ疑問に感じる。  さて、選挙制度改革をめぐる与党案のことを考えると、僕はいつでもこの「生存競争上無意味で奇怪な定向進化の果ての生き物」のことを思うのだ。  比例代表(180議席)を30議席削減した上で、残り150議席のうち中小政党への「優遇枠」として60議席を設ける、というものだ。  なぜこんな奇怪な制度が必要なのか?  答は簡単だ。自民党や公明とが政権を手放したくないからだろう。  選挙の制度などシンプルなほど良いに決まっている。極端に言えば、全議席を全国の比例代表で選んでも構わない。あるいは、候補者ごとでもいい。  現行の小選挙区比例代表の併用制だって十分に複雑で、奇怪なしくみだと言えるだろう。 それをさらに改悪した先で、ほんの一部の者が全体を支配する国にしていこうという野望が見える。  あのわかりにくいアメリカ大統領選挙のような仕組みを、指をくわえて眺めているような人間が、この与党案を考え出したに違いない。   だが、みな銘記すべきだ。  定向進化の果てに彼らはみな絶滅への道をたどった、ということを。

2013年3月26日火曜日

 正義の味方「ハンバーグ仮面」・・・仮面に隠したその素顔は

 はじめに拒絶され、  次に絶賛され、  それから欠陥が明らかになる。  そこかで再び猛反発を受け、  欠陥や反発を克服できた技術は成熟へと向かい、  社会的な基盤となっていく。  しかし、その試練を乗り越えられず、決定的な欠陥を露呈した技術は、  歴史の舞台から退場せざるをえない。 たとえば、原子力がその例かもしれない。  だから、社会を発展させるためには、進歩主義も反進歩主義も必要なのだと思う。 (ここまでは本日の雑感です。表題とは関係ありません。)  たまにはプライベートを暴露しましょう。  写真は、わが家の夕食の惣菜である。何に見えますか?  そう!ハンバーグです。ソースによる後押しもあって、香り、歯ざわりもハンバーグそのものです。こんな大きな物が一人あたり二個です。コレステロールの摂りすぎが心配ですか。脂肪過多が心配ですか。  チッチッチッチ。さにあらず、です。  実はこれ「ハンバーグ」のように見えますが、肉は一切使われていません。肉ではないあるものがハンバーグの仮面を被った姿なのです。  成分としては、植物性のタンパク質とタマネギ、ピーマン、ニンジン、ヒジキ、山芋、小麦粉、パン粉そして少々のオリーブオイルです。  だから「肉ではないあるもの」以外はすべてハンバーグの材料です。  では、この辺で仮面を脱いで「肉の代わりになったあるもの」の正体を明かしましょう。 それは、高野豆腐です。高野豆腐を水でもどし、丁寧に刻んで入れてあります。  これなら、二個くらい食べても健康的ですね。  お財布に優しく(たぶん)身体も優しい、という訳です。  まさに、正義の味方「ハンバーグ仮面」というわけです。

2013年3月25日月曜日

トップが伸びないのは平等主義が原因か?なんと陳腐な自民党教育再生実行本部提言

 自民党の教育再生実行本部は、「安倍内閣が最重要課題に掲げる経済再生のためには人材の育成が不可欠であり、平等主義から脱却してトップを伸ばす戦略的人材育成を行う」という提言をまとめた。  その内容もさることながら 「平等主義から脱却してトップを伸ばす戦略的人材育成」というのがおかしい。とんでもないことだ。  教育の機会均等は、憲法第14条(法の下の平等)に基づき、第26条第1項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と謳われていて、日本における教育の根幹をなす精神のひとつだ。  その精神を踏みにじり、教育の現場に無用な対立と差別を持ち込み、劣悪な環境を放置してきたのは他ならぬ戦後イヤになるほど続いた自民党政権であろう。そのような中でも児童生徒と直接向き合っている教師たちは献身的な努力で、生徒の学力維持に努めてきた。  イジメや不登校、教師の問題行動など教育をめぐる問題は山積している。その原因の全てとは言わないが、大部分はガチガチの官僚機構と化して統制を強めようとする教育行政とそれと有効に闘うことができず、不毛な対立を激化させることしかできなかった一部の硬直化した教職員組合とに原因があると思う。  その混乱を口実に「教育を再生する」と空疎な言葉だけを振り回した挙げ句、打ち出されたのが「平等主義」への攻撃であろう。  幼稚園の運動会で一列に並んでゴールインするような、極端に歪んだ「平等」の解釈があたかも一般化しているように宣伝し、その弊害で学力が低下していると結論づける。  この論理は単純でわかりやすく、失礼な言い方だが教育現場から縁遠い人々から支持されやすい。そのような「支持者」を煽って、一気に打ち出してきたのがこの「提言」ではないだろうか。いかにも嬉しそうにホンネを述べているな、という印象を受けた。  本当に平等主義が諸悪の根源だろうか。  提言では、「国際社会で活躍する人材を育成するため、英語教育の抜本的な改革を行うことや、イノベーションの推進を目指し、博士号取得者を倍増させるため、理数教育を刷新すること、それに、情報通信技術の教育を充実させる」としている。  そのために英語教育については、英語の検定試験「TOEFL」などで一定以上の点数をとることを大学受験の条件とするとか、小学校に理科の専任教師を配置する、すべての小・中・高校などでタブレット型の情報端末を1人1台整備することなどを提言している。  これらの施策は、むしろ進めてもらいたい事柄だ。だだ、「平等主義を脱却し」少数のエリートだけを対象にしているのであれば、大変な誤りとなるだろう。我が子を「少数のエリート」の中に何とかしもぐり込ませたいと考えるのは親心だ。そこで無用で熾烈な競争が起きることは明かだ。  そのような無意味で不毛な競争を煽って学力を形式化させ、子どもの心や身体を歪めてきたのが今までの教育ではないだろうか。それを激化させることが「再生」である訳がない。

2013年3月24日日曜日

早春の根釧原野から

 午後から会議があって斜里町まで出かけなければならなかったので、午前中にイヌと散歩した。  昨日は、今年初めてアオサギを見つけ、北帰して行くハクチョウの群れを見送った。今日は川岸にタンチョウが来ていた。毎年繁殖するペアかも知れない。  朝晩は、まだ氷点下の気温だが雪もだいぶ減り、河を覆っていた氷も融けてしまった。もはや晩冬といより早春に近い気配さえ感じる。例年になく雪の多い冬となったが、季節は確実に移ろっていく。

2013年3月23日土曜日

早春の西別川右岸を歩けば

 足で踏む雪が、古ぼけたリンゴの果肉のような感触になった。  一歩、春へと近づいた朝、西別川の河口まで散歩した。  川岸のヤナギも白い芽を出していた。  傍らのハンノキも冬芽を大きく膨らませ、今にもはじけそうな様子だった。  数十メートル歩いて河口の方にまがると第一次伊能忠敬測量隊最東端到達記念柱が立っている。彼らがやって来た季節はいつ頃だったのだろう?  クラリネットのような音が空から聞こえて、背後をふり仰いでみると北へ帰るハクチョウの群れが通り過ぎていった。 日本を去るハクチョウたちの背中が、なんとなく嬉しげに見えるのは、国民のことを全く顧みない政府に辟易している僕の思い過ごしだろうか。  季節は、確実に移ろっているのだが。 帰り道、トドマツの樹下でキクイタダキが一羽、しきりに食べ物を探していた。    

2013年3月22日金曜日

コソコソと逃げ回る惨めな政府など要らない

 今日から選抜高校野球が始まった。全国の人々は地元から出場した高校のチームに注目してニュースを見守ったことだろう。そして大相撲春場所では、横綱白鳳が優勝を決めるかも知れないという日でもあった。相撲ファンの関心は、中継に集中しているだろう。そして年度末の金曜日だ。職場の送別会などで夜の巷は賑わうだろう。アメリカ軍普天間基地の移転に関してこっそりと新たな動きに出るのにこれほど相応しい日はない。国民の目から隠れてコッソリと何かをするのには絶好だ。  というわけだなのだろう。今日、沖縄防衛局から沖縄県に対して辺野古の埋め立て許可申請が提出された。  辺野古新基地建設のために埋め立てられる海域の自然やその貴重さについて、ここではクドクドと書かない。沖縄県の全ての自治体がこの新基地に反対していることについてもあらためて触れなくて良いと思う。  とにかく書きたいのはその姑息さ、卑劣さ、情けなさ、卑怯さエテセトラだ。自民党という政党の本性で、安倍首相のどうやっても消しがたいキャラクターなのであろうが、こんな稚拙な目くらましに騙されている日本国民も悪い。幼稚過ぎる。お人好し過ぎる。愚かで単純とした思えない。  なるべく目立たないようにこっそりとしか出来ないのは、それだけ厳しい批判と反対があるからだろう。正当な批判にまともに答えられないからコソコソと動くことしか出来なかったのだろう。  米国の大統領と約束してきたからどうしてもそれを守らねばならなかったのだろう。  とにかく、沖縄県民の怒りと悲しみに耳を貸さず、願いを踏みにじり、国民の平和に暮らす権利を奪い、ジュゴンの住む海を埋め立て豊かな生物が暮らす森を焼き払ってもアメリカに尻尾を振り続けるこの政府を断じて許すことは出来ない。

2013年3月21日木曜日

福島原発は動物たちのパラダイスかも・・・久々にピョートルが執筆

 こんばんは。  みなさん、お久しぶり。根釧原野で暮らすネコのピョートル=愛称「ペーチャ」です。  僕は、ネコだから朝寝ゴロナオ、ツメ研ぎ、ゴロゴロが大好きで、勤勉なのは大嫌い。このブログも長い間ずっと親方に書かせてました。アイツの文章力はまだまだ未熟で、練習させてやる必要もあり、これからも彼に書かせてやるつもりでいます。ただ、今回に限っては、どうしも書きたくなって出てきました。 「書きたいこと」というのは福島のネズミのことです。  福島第一原発の使用済み燃料冷却用の電源が3日間にわたって停電した原因について、ハッキリとしたことはまだわからないが、配電盤の近くにネズミの死体があったと伝えられていましたね。  そのため、配電盤に入り込んだネズミの体で回路がショートして停電したという見方が浮上しているようです。配電盤には電線を通す穴があるのでネズミなどの小さな動物が入り込みやすいつくりになっています。  ネズミは体をさらすことを極端に嫌う動物で、常に体が何かに接触していることを好むのです。だから、電線に沿って歩いてきて偶然配電盤に入ったり、巣作りに好適な場所として好んで入り込んだりすることはよくあります。  それに福島の壊れた原発付近は、放射線の非常に強い区域でしょうから中に入ってくる人間はとても少ないと思います。放射線のことなど知らないネズミたちにとって住み心地は悪くないかも知れません。  え、何を食べているかって?  現地のことはわかりませんが、一般的に核燃料の崩壊熱、放射の除去装置の駆動、たくさんのポンプなどがあるし、燃料貯蔵プールの水は30℃前後ありますから周りから昆虫や爬虫類など割に多くの小動物が集まってきていると思われます。北海道の弟子屈町にも地熱が高いので、真冬でも雪が積もらず、草が茂りマダラスズというコオロギの一種が鳴いているポンポン山という所があります。  福島第一原発の事故現場は、ちょうどそんな環境なのでしょう。昆虫や小動物、それらの死骸などを食べるネズミたちもそこに集まって来ないわけはないと思います。  ううーむ。考えただけで僕も行ってネズミを捕まえたくなってきた。でも、放射線は怖いよなあ。賢いネコは行かないな。やっぱり。  まさか、放射線の影響で突然変異が起き、ゴジラみたいに巨大化したネズミなんかがいたらもっと怖いしね。ちなみにそんな怪獣の名前は「チュジラ」だよね。

2013年3月20日水曜日

悲しきキハ54

 札幌からの帰路だ。  札幌を14時20分に出発する特急に乗り、釧路発18時31分の花咲線根室行き普通列車に乗り換える。その車内でこれを書いている。  今日の車両はキハ54 522だ。国鉄が分割民営化される直前に四国や北海道など「赤字」が予想されるローカル線向けに建造したディーゼルカーで、「新造」と言ってもそれまで使っていた車両の部品を再利用している。  なかなか優れた車両だと思うが、そんな先入観があるためか、どうしても地味に感じる車両だ。言わば分割民営化に際して、解体されることの決まった国鉄が形見分けのように地方線区に遺してくれた形式なのだ。  たとえば、今、僕が座っているシートだが、背もたれにはテーブルやポケットが付いている。しかもリクライニングシートだ。誰が見ても地方ローカル線のワンマンカーに使われるシートではない。  このシートは使わなくなった特急用キハ183系ディーゼルカーから乗せ替えたものだ。地方ローカル線の不便なダイヤで走る車両に不似合いなこのシート。豪華であるだけにかえって物悲しい。    儲かる路線にはカネをかける。地方路線は赤字を生み出すばかりだから、特急のお古で我慢しなさい。カネを稼ぐ線区は優遇するが赤字の線区の住民が辛く惨めな思いをするのは当然だ。貧乏な地方は報われなくて良い。特急のお下がりのシートを使わせてもらえるだけありがたいと思え、と言わんばかりだ。まさしく新自由主義の象徴だ。  ごく少数でも人が暮らしている場所には駅があり、駅舎の灯りの下には駅員が勤務している。そこにやって来る汽車にのれば、レールが繋がっている場所ならどこへでも行ける。採算よりも人や物が通う生活の基盤として鉄道が、かつてはこの国にもあった。  そんな国鉄を一部の政治家とマスコミ、それらに欺された国民がこぞって袋だたきにして分割民営化を進めた歴史がある。金儲け最優先の論理だけがその後も一人歩きし、分割民営化後も多くの地方線区を廃してきた。その勢いはまだ止まない。  いま、また道南の江差線が廃線になろうとしている。

2013年3月19日火曜日

不都合を隠蔽する文化

 先週のESD研修会で教育大学釧路校の先生から聞いた話だが、キンギョ以外の動物は絶対に学校では飼わないというある校長先生がいたのだそうだ。小学校の校長先生で、その理由は、動物が死んだところを子どもたちに見せるべきではないという保護者からの強い要望があるから、ということだった。  この話は、僕が直接聞いたことではなく、人を介して聞いたことだからその事実関係の細部のことはわからないが、現代の小学校の実情を考え合わせれば「死んだ動物を見せたくない」という発想が一部の教師や保護者から出てきても不思議はないと思った。  不快な部分、汚れた部分、きつい匂いのするもの、醜いものを水面下に隠蔽し、見てくれの良い快適で都合の良い所だけを見えるようにする、または見るようにする傾向は、もうすでにずいぶん前から指摘されている。  ホルモン、ミノ、カルビ、サガリなどの焼き肉を食べながらテレビで放映される野生動物の姿や仕草を「ワー!かわいい」などと言いつつ楽しんでいる。もちろんそれはかまわない。  だが、その時、心の片隅で、自分が食べている肉を命と引き替えに提供してくれた動物のことを少しは考えてもらいたい。そこ介在する人々、つまり家畜を飼育し、屠畜し、解体し、部位をごとに切り分け、食べやすい大きさに切りそろえる仕事をした人々のことも少しは考えてほしいものだ。  そのことへ思い至れば、家畜を飼育してる農家へ行って「クサイ」とか「きたない」などという言葉は出ないはずだ。  同様に動物の死から生命の尊厳を感じ取り、「生きている」ということについて正面から受け止められるようになるのではないだろうか。

2013年3月18日月曜日

札幌にて

 札幌に着いてあらためて感じた。  都市空間の環境と僕が普段生活している知床の環境とのギャップになんだか戸惑う。人類は、とっくに限界を超えているのかもしれない。

2013年3月17日日曜日

エゾシカ有害駆除

 久しぶりに羅臼町のエゾシカ有害駆除に参加し、一日中走り回った。シカには何の恨みもない。無闇に生命を奪うことには抵抗を感じる。  だが、現在の条件下で、増えるにまかせて放置しておけば、個体数は天井を知らないかのように増え、樹皮矧ぎ、希少植物への食害等で植生に対して回復不能な被害を与える虞が十分考えられる。  シカの個体数調整にはどんな方法が最善なのか、まだハッキリとしたことは言えないけれど、現在おこなわれているハンターによる駆除が、一定の効果を挙げているので、これを続けていかざるをえない。  これからの季節、除雪が進んだ国道の路肩などがもっとも雪解けが早い。おまけに国道の路肩にはご丁寧に「芝生」という名の牧草が植えられている。空きっ腹を抱えて冬を乗り切ったシカにとっては最高のエサ場だ。その結果交通事故も増える。  また、酪農家の牧草地では、雪が解けると牧草の新芽が一斉に伸び始める。芽を出したばかりの牧草を食べられてしまうのだから酪農家はたまらない。  目の前のシカには全く何の罪もない。だが、そんなあれこれを考えながら、今日は一日シカたちをスコープで覗いて過ごした。

2013年3月16日土曜日

羅臼町の教員は、はたして自分を高める意欲をもっているのか?・・・ESD研修会で

 午後に気圧の谷が通り過ぎたので夕方から宵の口にかけて細かな雪が多めに降り、風もやや強まって吹雪き気味の天気になった。  昨日は羅臼町でESD(持続可能な発展のための教育)に関する研修会を開いた。幼稚園の先生方は午後の早いうちが良いと言い、小中高校の先生方は放課後が忙しいと言う。されば、午後と宵の二部構成でと思い立ち講師のO教授にお願いして同一の内容で二度の講演をお願いしたところ快く引き受けて下さった。  午後の幼稚園の先生方を対象にしたものは、まだ勤務時間中であったこともあり町内のすべての先生方が集まってくれた。O先生自身の経験や彼が調査した膨大な実践事例を披露してくれて、「勤務」として集まってくれた先生方にも好評な研修会となった。  ところが、異変は夜の第二部に起きた。研修会の参加者はゼロだったのだ。勤務時間外の研修会だから誰一人参加の義務はない。そして、一人一人いろいろな事情もあるだろう。最初から大勢の出席は予想していなかった。参加対象は60人以上いる。だから2~3人の出席でもかまわないと思っていた。  出席するか否かは、あくまでも一人一人の自主性と主体性に任せたものだ。教員の研修には「自主」「民主」「公開」という三原則がある。だから自分から進んで自分の見識や力量を高めようと努めることが研修の原則だ。その意味で研修の時間帯を夜間に設定することに問題はない。僕自身も現役の時は、夜の峠を越えてウトロ側までいろいろな研究者の話を聴きに出かけていた。夜間に出かけるのは少々しんどい。それでも進んで学ぶことは、自分の世界を広々としたものにしてくれた。そのお陰でいろいろなことを知り、それがきっかけとなって、また新たな興味が湧いてきたものだ。  羅臼の先生方にはそのような知的な好奇心、向上心が無いのだろうか。それらがあっても夜、町内で行われる研修会に出かけていく意欲さえ湧かないほど疲弊しているのだろうか。 理由を知る術はない。しかし、とにかく地域の子どもたちの優れた教育を提供するためには、教員の質を飛躍的に向上させなければどうしようもない、という現実を突きつけられた夜であった。

2013年3月15日金曜日

卒園式

 町議会が開会中だったので、代理出席を頼まれて幼稚園の卒園式に出させてもらった。 28人の可愛らしい園児たちが一人ずつ登壇し卒園証書を受け取っていた。3歳の時に入園し、今日までの3年間で心身ともに大きく成長したことだろう。見守る保護者や先生方の感激もひとしおだったようだ。  野外活動などの時に呼ばれて、指導させてもらうことはあるが、やや緊張気味で畏まった子どもたちを見るのは僕も初めてのことだ。得難い体験をさせてもらえた。  子どもたちを賢く健やかに心豊かに育てたいと願う思いは親にも教師にも共通で、それは社会の思いでもあるだろう。  それなのに、たった一つの企業が暴走して引き起こした事故のために、福島ではどれだけの子どもたちが不自由な辛い目に遭っているのか。思いはどうしてもそこへ向かう。 写真撮る父の目元の潤って、誇らかに歩む卒園の列

2013年3月14日木曜日

愚行を繰り返す人々の愚考

 今になって放射線の危険性がどれほどのものか、が激しく論じられるようになっている。ちょっとおかしい。 現実に放射性物質は広範囲に飛散したし、海水や地下水を汚染した。そして魚介類の体内に取り込まれ蓄積し食物連鎖による濃縮も起きている。森林に降下し土壌に吸着されイノシシの体内で高い値が記録されている。  これが危険か危険でないかという論点で議論する時、これらの放射性物質が原因でどんなことが起きているかが問題になるが、今度はその因果関係について評価が分かれる。  こんなふうに議論を延々と引き延ばしているのは、「放射線被曝による害を小さく見せたい側」の人々だ。これは断言していいと思う。水俣病などの公害病の時も同様だったがある有害物質に起因する被害を立証しようとすれば、最初はかならず疫学的な方法になる。つまり起きている事象から原因を推し量る方法だ。  僕は、それで十分証明になると思うが、屁理屈をこねる「反対派」は、必ず因果関係の立証を求める。それ自体が議論のための議論で、加害者の責任逃れでしかないのだが。  現実に原発が爆発して放射性物質が飛散し、今も汚染された水を生み出し続けている。そして人が簡単には立ち入れないほど放射線の強い地域が生まれてしまった。放射性物質で食物も汚染されている。  これだけの事実で十分ではないのか。自然界に無かったはずの放射性物質がこれだけ身のまわりにまき散らされているのだ。現実的な害があろうと無かろうと(残念ながらあるだろうが)それに不安を感じさせられている人たちがいるという事実だけで、原子力発電を推進した政府、電力会社、財界、そしてそれらと癒着した一部研究者や技術者は、重大な責任がある。  だから、この場に及んで「被害は限定的」とか「心配によるストレス」とか「過剰な反応」などと言うことは許されない。許されないことを堂々と主張する者がいる。あまつさえ国会で国民が中継を見ている中で、英雄気取りで見得を切ってみせる愚か者さえいる。  そして、そんな輩の跋扈をほくそ笑みながら見つめている者もいる。なにより、この国の雰囲気が、今、それを許容している。  怖いことだし、恥ずべきことだし、どうしようもなく困ったことだ。

2013年3月13日水曜日

国会中継を聞きながら

 今日、衆議院予算委員会の質問をラジオで聞いていたら日本維新の会の議員が質問していた。それは質問と言うより安倍内閣に阿りヨイショしているという姿だった。  その中で、唖然としたのは原発事故で飛び散った放射性物質はそれほど多くなく、今や危険はないのにまだ立ち入りを制限しているのは憲法の定める居住の自由を冒すものだと大声で述べていたことだ。さらに、空間線量と外部被曝線量は異なるから空間線量だけで規制するのは間違っているとも言っていた。放射線のうちベータ線はそれほど危険はないので、内部被曝も問題にしなくていいと主張していた。   さらに除染は無駄な事業だから止めろとまで言っていた。  現憲法を敵視する維新の会が、政府を追及するときに憲法を持ち出すのも滑稽な話だと思ったが、それはまあよい。国会の場で放送で、の中継を意識してだろうが、平然とウソ八百を並べ立てる図々しさだ。維新の会というのはファシストの集団だと思っているし、ファシストは平気でウソをつく。「小さなウソはばれるが大きなウソは皆が信じる」、と言ったのは、ナチスのゲッペルスだったろうか。 取るに足らぬ笑止なことだと思う。ただ、聞いていてカチンときたのは、彼がしきりに「科学的」を連発し、放射能の人体への影響を心配する人々を「反科学」と罵っていたことだ。彼の方こそ非科学的で政治的な思惑で真理を平気で真理を曲げる体質を持っていることは明かなのだが、大声で何度も繰り返すことで自分の主張が正しいものであるかのように印象づけようという意図がありありと見えていた。  とにかく下品な質問者で、あんな議員を千葉県の選挙民が選んだこと自体を恥と思ってもらわなければならないだろう。

2013年3月12日火曜日

何と姑息な!・・・こそ泥のようなファシストは、記憶が薄れた頃に動き出す

 腹立たしいことが多いが、とりわけ腹立たしいニュースだった。  今日午前の閣議で、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効を踏まえ、「日本の主権回復と国際社会復帰」を記念する式典を4月28日に政府主催で開催することを決定したという。  一瞬、呆気にとられた。  この条約によって日本の「領土」も以下のように限定された。(抜粋) ・千島列島・南樺太の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(c)) ・南西諸島(北緯29度以南。琉球諸島・大東諸島など)・南方諸島(孀婦岩より南。小笠 原諸島・西之島・火山列島)・沖ノ鳥島・南鳥島をアメリカ合衆国の信託統治領とする 同国の提案に同意(第3条) つまり、サンフランシスコ講和条約によって、沖縄が日本から切り離され以後20年間アメリカの施政権下に置かれた。米軍基地が集中し、米兵の犯罪が後を絶たない現在の沖縄の状態の基盤がこの条約によって作られたことになる。  つまりアメリカは、この条約以後、銃剣とブルドーザーで土地を強制的に接収し、沖縄を「基地の島」とした。そして、東西の冷戦が激化する中で沖縄を「太平洋のキーストーン(要石)」と位置づけたのだ。実際、沖縄の基地からB52爆撃機がベトナムの爆撃に出撃しいていたし、枯葉剤の散布訓練、ジャングルでの戦闘訓練、負傷兵の収容など最前線の基地として活用してきた。  日本本土の政府は、この条約を受け入れることで沖縄を見棄てた。だから沖縄県民はこの日を「屈辱の日」としている。  当時の冷戦構造が背景にあったが、この条約には第二次世界大戦の戦争相手国である中国(中華人民共和国と中華民国つまり台湾)は不参加、ソ連などは締結交渉には参加したが署名しなかった。国内でもアメリカとの単独講和か戦争の相手国全てと講和する全面講和かとの論争が起こったが、単独講和を進める当時の与党を中心とした勢力が力尽くで締結した。その結果、アメリカにとっては非常に都合の良い形で条約が結ばれたことになる。  この条約は「主権回復」などというきれいごとではなく、米軍基地の恒常化や日米地位協定、原発の推進からTPPまで、現代日本に蔓延する権力と世論の食い違いのもっとも根底にある条約で、これのもつ歪みとしこりを取り除かない限り、日本はまとまった国になれない。  この日を祝おうという人々は、二重の罪を重ねるだろう。  すなわち、沖縄の人々の心を土足で踏みにじる罪と現在の日本の様々な歪んだ政策を批判する人々圧迫し黙らせる民主主義を破壊する罪だ。  こんなものを提案してくる厚顔無恥な安倍政権には一刻も早く退陣してもらわねばならない。  4月28日、僕は喪章を着けるつもりだ。

2013年3月11日月曜日

最大の被害はなんだろう

上空に寒気が入っている、ということで今朝は-10℃の気温。路面が非常に滑りやすく、車を運転していてタイヤがすっかりすり減ったのではないかと何度も思った。-10℃というのは、この地域ではそれほどの冷え込みではない。冬としてはむしろ暖かい方なのだが、3月中旬という季節を考えると非常に寒く感じるから不思議だ。  今日は、あの地震から2年目ということで様々の行事が催された。ラジオも朝からその話題を多く取り上げていた。この地震は、現世に生きている人が経験したことのない規模であり同様の津波を伴っていたこと、おびただしい映像が撮影されマスコミやインターネットで流れたことなどが従来の災害とは異なる特徴だったろう。  さらに、原子力発電所の事故を引き起こしたのも大きな特徴で、このために被害が拡大・長期化し、まだ続いている。  そして、それに伴って「政府の発表」とか「専門家の見解」がウソと誤魔化しでしかなく、大手マスコミの報道も含めて全く信頼できないかつての「大本営発表」と同じ構図だということがバレてしまった。  政府の発表、権威者の話、大手マスコミの報道がこれほど信頼を失う状況は、かつて日本にあっただろうか。その状況が二年も続き三年目に突入したことになる。この溝は、この先3年や5年では埋まりそうもない。いや、数十年経っても無理のような気がする。 さまざまな被害や被災があるけれど、このことが日本にとって最大の災害かも知れない。

2013年3月10日日曜日

低気圧と科学

 わが家、(北緯43°22′41″、東経145°16′55″)の今日の気圧の移り変わりは次の通りだ。 07:00 994hPa 08:00 990hPa 10:00 985Hpa 11:30 978hPa 13:00 972hPa 15:30 977hPa 16:30 980hPa  現在17時30分。低気圧はそれほど発達することなく、かつ速度を上げて根室沖に達した。  朝から90分おきに気圧の変化をみていたので、その通過を捉えることができた。かつ、天気も低気圧の通過に伴って鮮やかに変化した。まるで気象の教科書を見ているようだった。  この低気圧の速度と発達の様子はおそらく予想を裏切ったのではないだろうか。先週の猛吹雪をもたらした低気圧に懲りたか、JRは早くから特急の運休やダイヤの間引きを決めていた。予想の難しさだろう。  予想もつかないようなことを予想しようと努力してきたのが科学だ。天体の運行のように完璧に予想できるものもあるし地震のように予測の難しいものもある。予測が外れると腹を立てる人もいるがそれは予測技術の難しさを理解しない短絡ではないだろうか。  最近なんだか反科学主義、反権威主義的な考え方をする人が目につくのだが、もう一度「科学的」ということについてじっくり考えてみる時かも知れない。

2013年3月9日土曜日

環境省の調査は作為的すぎるからデータの信憑性すらも揺らぐ

 昨日、環境省は福島県が実施している子どもの甲状腺検査の結果と比較するため、福島以外の青森県弘前市、甲府市、長崎市の3市で行った調査結果(速報値)を発表した。  これまでの調査では、対象の41%で小さなしこりなどが見つかっていたが、今回行われた県外3市での調査では57%だったので、環境省は「そもそも健康に悪影響を及ぼすものではないが、それで比較しても福島の内外の結果はほぼ同じ」とコメントしている。  福島県の調査は、事故当時に0~18歳だった約36万人が対象で、このうち1月までに検査を終えた約13万3000人の41%で、5ミリ以下のしこりや2センチ以下の嚢胞(分泌液を蓄える袋)が見つかっている。今回の調査は3歳から18歳までの4365人が対象になっている。 [以上がマスコミの報道を総合した内容だ。]  僕が記者なら「環境省は『そもそも健康に悪影響を及ぼすものではないが、それで比較しても福島の内外の結果はほぼ同じ』とコメントしている。」の部分を 「環境省は『そもそも健康に悪影響を及ぼすものではないが、それで比較しても福島の内外の結果はほぼ同じ』と鬼の首でも取ったようにコメントしている。」と書きたいところだ。  どうしてこうも高飛車な態度にでるだろう。この調査の狙いは福島で子どもを育てている保護者たちの不安を取り除くことが目的だったという。「不安を取り除く」のは保護者を安心させてあげたいからではないのか。それなら、もっと別のコメントがあるべきだ。 「不安に思う気持ちはもっともだけれど、福島から遠い他の地域でも同じくらいの割合で甲状腺にしこりや嚢胞を持つ子供がいることがわかりました。福島の子どもの割合が特別に高いとは言えないかもしれません。引き続き調査をしていきますのでどうぞ皆様も注意していてください。」とかなんとかネ。  そんな言葉も出ないほど政府は、不安を抱く福島の保護者たちと世論に追い詰められているのだろう。 だいたい、今回の調査結果から「福島の割合は他地域と大差がない」という結論を急ぎすぎていることがよく見て取れる。  まず調査対象が13万3000人と4365人では、30倍以上の開きがある。また、調査地域の設定の理由は示されていない。さらに、しこりや嚢胞の大きさの比較が無い。もし、被曝との因果関係を比較するなら、1ミリ以下が何人、1ミリから5ミリが何人、5ミリ以上が何人、という具合に発表すべきだ。この程度のデータで「放射能は関係ない」と結論づけるのは乱暴だ。小学生の夏休みの自由研究以下だと感じる。「速報値」ということで発表されているから、詳細は後日出てくるのだろうが、わざわざ速報値を出してまで不安を訴える人々を黙らせようという意図がハッキリと見える。  つまり調査そのもの虚心坦懐に始められたものではなく、最初から「因果関係を否定する」という目的をもって行われたのではないかと勘ぐりたくなる。いや、おそらくそうなのだろう。  それも保護者を安心させたいなどという殊勝な理由ではなく、喧しい愚民どもを黙らせたいという狙いで行われたに違いない。ま、環境大臣が大臣だからナ。  これが今の日本支配者たちの本性だ。

2013年3月8日金曜日

メタンハイドレードの夢に騙されないために

 「キャラメル一粒と同じくらいの大きさの燃料で地球を10周できる」  子どもの頃に聞いた原子力船の夢のような性能だ。実際に建造された原子力船「むつ」は、実用化を見ないまままさに儚い夢に終わってしまった。  科学の歴史にはこんな失敗や行き詰まりが山ほどある。  最近のメタンハイドレードを採掘する技術に対しても同様の危惧を感じている。メタンハイドレードは深海底の土中に含まれるメタンの分子を氷のようになった水の分子が包んでいる物で、大雑把に言って、重さの約8割が水、2割がメタンという割合になっているという。これがにわかに注目されるようになったのは原発に代わるエネルギー源の一つとしてだ。日本の近海にはとりわけ多量のメタンハイドレードが埋蔵されているとのことで、エネルギーの安定自給を目指す日本にとっては、天の助けというものだろう。  政府は、愛知県と三重県の沖合で、ことし1月から試験採取の準備を進めてきたが、今日、海底より数百メートルの深さの地層から天然ガスを取り出すためのパイプを装着する準備などがほぼ完了し、週明けにもガスを採取できる見通しになった、と発表した。  このニュースは全般的に歓迎されている。衆議院の予算委員会でも通産大臣がはしゃぎ気味にこのことを報告していた。  実は、それを聞いて僕は、原子力船のことを思い出したのである。  メタンハイドレードの採取がもたらす環境問題に関してはいくつかの危惧が発表されている。よく指摘されるのは、回収しきれないメタンが大気中に放出されて温暖化を壊滅的に進行させるのではないか、というものだ。水面下500メートルほどの海底からさらに100~200メートル下の地層にあるメタンハイドレードだから、それを採掘すると言っても人が直接行うことはできない。海底に穴をあけ、何らかの方法で「吸い上げ」なければならないだろう。その時、その層にあるメタンハイドレードを100%完全に回収できることは考えにくい。必ず漏れ出すメタンがある。それらはすべて大気中に広がる。そして、メタンは二酸化炭素の20倍もの温室効果を持っている。  また、これだけの大規模で深海底中から物質を持ち出せば、地盤沈下など未知の影響があるはずだという人もいる。  もう一つ。僕は生物への影響を心配する。深海底では、調査のたびに新種が発見されるほど、生物的環境が未知だ。そこを今までに例のない方法で引っかき回したら生物への影響が無いわけがない。  地球上で最初に誕生した生命は深海底の火山の噴火口付近だと考えている生物学者も多い。深海底は地球上の生命のふるさとだという説は有力だ。人類が深海底を荒らし回ることによって、次の世代に地球上に出現する生命に影響を与えることはないだろうか。  いずれも確たる証拠はない。推論よるものではあるが、環境への影響については今こそ真剣に詳しく調べておく必要があるのではないだろうか。  科学技術には必ず負の側面がある。自然エネルギーの代表のようにもてはやされた風力発電にも鳥類との衝突事故という凶悪な一面があることがわかった。  自分たちに都合の良い面だけを賞賛し、不都合な部分は見ないようにする。こういう姿勢を貫いて原子力エネルギーは、「輝かしい未来を約束する夢のエネルギー」という座から転落したではないか。メタンハイドレードも同じ轍を踏みそうな気がしてならない。  数十年後「メタンハイドレード村」を批判しても、もはや手遅れかも知れないのだ。

2013年3月7日木曜日

懐かしの「EVER GREEN」

 羅臼高校一年生の「生態系学習Ⅱ」船に乗り30分ほど沖に出て、流氷帯にいるワシ類の観察をした。  防寒装備を万全にして港へ行く。いつも載せてもらっている「EVER GREEN」という船だ。船長のお子さんたちはみな教え子で、その中の男子二人は今、船長を手伝って一緒に乗り組んでいる。  出港予定より早めに船に行くと二人の息子たちの友人で、春休みで帰省している同級生の男の子たちが数人手伝いの「船員」としてキャビンに集まっていた。まるで船上の同窓会のようだった。  生徒達の到着を待って出港した。前回海に出てから半年以上も経っていた。エンジンの振動、微かに漂うオイルの匂い、波に揺られる動揺までが懐かしい。海の上に出るとなんだか訳もなく気持ちが落ち着く。  海は好きだけれど、海に関係する職業に就いたことはない。それにも関わらず船の上で感じる開放感、安心感はどこから来るのだろう。そんなことをボンヤリと考えていた。やがて船は日露中間ライン付近の流氷帯に近づいた。ワシたちはもう北帰を始めているらしく、個体数はかなり少なかった。あちらの氷の上に一羽、こちらの氷の角に一羽という具合にとまっていた。  寒さ対策の十分でない高校生を乗せているので30分ほど留まってから港に船首を向けた。来るときに比べて波が高くなっている。この急激な天候の変化が根室海峡の恐ろしさだ。  久しぶりに海に出た僕にとっては、その揺れも心を浮き立たせる要因となった。  これからは、積極的に機会を増やして、もっともっとこの海に出ようと考えているうちに港に戻った。

2013年3月6日水曜日

久々にスキー授業

 久々に「野外観察」の授業でスキーを履いた。  一時間(正味50分)の授業だったので遠くへ行けないので、校舎の向かい側の斜面を登った。途中に大きなミズナラが立っている。胸高直径で軽く1メートルを越す巨木だ。 皆でその下に集まり、しばらくその斜面で滑った。気温が高く、湿ったボタン雪が積もっていて滑りが悪いのではないかと思ったが案に相違してなめらかに滑ることができた。  緩斜面なので、生徒たちも喜んで滑っていた。シーズンの始め頃にくらべて皆、ずいぶん上手になっている。やはり若者は新しいことに慣れるのも早い。  しばらく滑っていたが終業時刻が近づいたので、校舎までおりることにしたが、普段とは違うコースをとった。僕も今まで使ったことのないルートで野球場を作るために元々あった山を垂直に近い角度で削り取った斜面だ。しかし、このところの吹雪のお陰で45~50度くらいの傾斜になっている。  さすがに直滑降で降りる訳にはいかないので斜面を斜めに横切って降りることにした。まず、先頭に僕が降りた。寒気と風で雪の表面が適度にクラストしていてエッジがよく効いた。しかし、中程まで降りたとき異様に堅い雪面に捉えられ、エッジが抜けて横滑りとなり垂直に大きく落ちてしまった。  一旦停まってから立て直し、下まで一気に滑り降りた。後続の生徒にはコースを変更し、アイスバーンを避けるよう指示した。  やや時間がかかったが、まずまず全員が無事に降りることができた。  「夏にあの崖をもう一回見ておきなさい。今日、滑り降りた所がどんな斜面だったかあらためて驚くと思うよ。」そんな話を交わして授業を終えた。  短時間のスキー授業だったが一定の達成感を味わうことができた。

2013年3月5日火曜日

「『自然だーい好き』なんて言うな!」と書いたことをめぐって

昨日の僕のtwitterでの発言が一部で不興を買った。それはこんな発言だ。 ◎北海道の暴風雪について思ったこと。チャラチャラと「自然だーい好き」なんて言ってるヤツ(本当はコピーライターかも知れないが)に、今回の吹雪の現実を突き付けてやりたい。俺たちはこんな吹雪も含めた自然環境を見つめている。  「人を見下した傲慢な印象を免れない」という批判だ。  言われてみればそうかも知れない。もし不快に感じた方がいたらまずお詫びしよう。  同時に、こんな発言が生まれた背景も説明させてもらいたい。それによってますます不愉快に感じられたら困ってしまうのだが・・・。  日本人の中でどれくらいの人が「吹雪の怖さ」を知っているだろうかと思ったのだ。ほとんどのマスコミや政府、北海道庁でさえ今回の被害の元を「大雪」と言っている。雪と暮らしていると一口に「雪」では片付かないほど雪には多様な「相」があることがわかる。吉幾三の歌にも「津軽には七つの雪が降る」と歌われているではないか。重い雪、湿った雪、乾いた雪、堅い雪、ふわっとした雪、濡れ雪など雪そのものの状態だけでも多様だ。 そして一言で「吹雪」と言っても降雪量と風の強さと気温や湿度との組み合わせで様々な形態がある。ロシア語には「吹雪」に相当する単語は5つ以上あると聞いた。  現在の日本語や日本の文化は、主に照葉樹林帯で作られたと考えていいだろう。ごく大雑把に分けて、北海道東部や北部は亜寒帯針葉樹林帯に属し、南西部は夏緑林帯の気候風土と言って良い。  夏緑林帯で生まれ育った僕は、就職して初めて網走地方の猛吹雪を経験して、これほど激しい雪嵐があるのだと驚いた。吹雪いている雪は気体で、小さな隙間から容赦なく入り込む。そのまま積もれば固体に変わり、その場で融ければ液体になる。  クルマを運転していて、自分の車が走っているのか停まっているのかを速度計だけを頼りに判断するという状況を何人の人が理解できるだろう。  以上のような経験や経緯が前提にあって、冒頭のような発言になった。その思いをよりかき立てたのは、マスコミの「大雪」という表現や政府や北海道庁の「対応策」があまりにも当事者の感覚からかけ離れたものだったこのへの怒りだったと思う。  「自然」は良いもので「人工」は良くないものだ、というような一般的な気分もあり、「自然派」「自然系」などという言葉も市民権を得ている。「自然」に対して好印象を持つことは悪いことではないけれども、他方で人知の及ばぬ桁外れな力を無差別にふるうのも「自然」だ。地震も津波も火山噴火も先日の隕石も自然のなせる現象だ。  人は無力で弱い存在だから、「自然」持つ二面性のうち自分たちに都合の良い部分だけに注目し、都合の悪いところは見ないようにする傾向がある。そのような傾向を苦々しく感じて「チャラチャラと」と書いてしまった。そこには「自然の力の強大さや危険をきちんと理解していますか」という問いを込めたつもりだった。  繰り返しになるが、挑発的な書き方をしたつもりはなかったのだけれど、不快に感じた人々にはお詫びしたい。  互いに異なる文化同士が理解し合うことが何よりも肝要だ。激しい暴風雪が吹き荒れる地域で暮らす人々は、全人口に比べればごく少数かも知れないが、互いに相手の立場を理解し合ってこそ真の異文化理解、多文化共存だと思う。  けっして「上から目線」のつもりはなかった。  本当に「上から目線」なのは政府や北海道庁の役人たちではないだろうか。

2013年3月4日月曜日

板子一枚下は地獄・・・反省をこめて

 「板子一枚下は地獄」とは、船底の板一枚を隔ててその下は大海原あり、いったん港を出れば風まかせ、波まかせで人の力は及ばない、と船乗りの仕事が危険に満ちた仕事であることをたとえた言葉。“板子”とは和船の船底のことだという。  今回の暴風雪で死者が9名になった。不幸なことだがひょっとしたらもっと増えることもあり得る。  吹雪にさらされている車内で横になっていた。車体や窓の凍結を防ぐ目的もあってエンジンは切らないでいた。不意の衝突を防止する目的で最小限の灯火類も必要かと思い、車幅灯を点灯していた。風に運ばれてくる雪が高速で螺旋を描いて飛び去っていくのがフロントガラスから見える。猛烈な風の軌跡を雪が可視化してくれる幻想的な光景だった。  そんな吹雪を見ながら「板子一枚下は・・・」という言葉を思い出していた。気温は氷点下6℃。決して「極寒」ではない。この季節、この地方の気温としては特に低温とは言えない。2~3時間おきに車外に出て排気管が露出しているかなどを点検するのだが。風速20メートルの風は容赦なく体温を奪い、肌を露出している部分は瞬間的に冷える。体感温度は-26℃ほどだろうか。「鉄板一枚外は地獄」だ。  今回の暴風雪でなくなられた方々の死因は、車内でのCO中毒と車外での凍死とが大部分ではないだろうか。エンジンをかけたまま車にこもるのも危険。避難先を目指して猛吹雪の中を歩き出すのも危険だ。特に吹雪きの中を歩くのは予想以上に大量を消耗するものだ。10メートルでも遠く感じる。100メートルならはるか彼方に感じる。目的地が見えているとしてもだ。  われわれは、日常的にクルマを多用し、クルマに頼りすぎていないだろうか。町の中であれば、クルマも「町」というシステムを構成する要素の一つとして、快適に便利に機能している。まるでエレベーターのようなものだ。  だが、町から町へと移動する時は、森林や海岸、峠や河川など様々な環境の中を通り過ぎることになる。内地と違って北海道、就中道東では、そのような「点と点を結ぶ移動」になることが多い。そのような場面で、クルマは「鉄板一枚外は地獄」という環境を通り抜ける場合もある。  僕らは、あらためてこのことを認識しなければならない。 強い反省もこめて、今回の立ち往生で足りなかった物、持っていてい良かった物をリストアップしてみた。 ××反省点 ・何と言っても斜里へ行くべきでなかった。行ったとしても遅くても一時間早く帰路に就くべきだった。 ×足りなかった物  ・燃料。斜里町を出発する時点で残量4分の1。航続距離は250km強だったから「間 に合う」と判断した。帰路を急ぐあまり給油をしなかったのは完全な判断ミスだ。幸い なことに開発局の除雪隊と行動を共にしたのでガソリンの補給を受けられたが、それに 頼らざるを得なくなったことが悔やまれる。 ◎持っていて心強かった物 ・食料   若干の食料を斜里町で購入した。ただし夕食は帰宅してから摂るつもりだったので、 「おやつ」程度だった。それでも何も無いよりはずっと良かった。 ・冬山用の防寒防水の上下の上着   これは吹雪の中で行動するには不可欠で、お陰でストレスなく外に出て行動すること ができた。 ・長靴   普段から履いている。 ・サンダル   車内で長時間快適に過ごすためにはよかった。 ・タオルケット   イヌ用にいつも積んである。いざとなったらこれにくるまろうと考えていたが実際に は使わなかった。   ・スコップ(小)   使うことはなかったが ・スノーヘルパー   同じく使わなかったが ・ゾンメル社製山スキー 使わなかったが、持っているだけで安心できた。雪上を歩くとき徒歩よりもずっと早 くて楽だ。 ・本やPC   時間を有効に使うためにはこんな物もあればいい。

2013年3月3日日曜日

244号線遭難記2013年版 その2

金山から2キロほどの路上で一夜を明かした。猛烈な風と雪だった。停まっているはずのクルマが悪路を疾走している時のように揺れる。真っ白い幕が次々と眼前を飛び去る。凶暴な風としか表現が思いつかない。  シートを倒しウトウトと眠るが風の音と車体の揺れですぐに目が覚める。目が覚めたときは車外に出てクルマの周りを一周し点検する。排気管が雪に埋もれていないかを確かめるためだ。それから車内に戻るが冷えて濡れた身体を暖めるためにヒーターを使いたいがバッテリーへの負荷を減らし、不測の事態を防ぎたいから車内温度は低めに設定しなおした。それは同時に燃料を節約することにもなる。  ウツラウツラしながら夜を明かした。午前5時、周囲が明るくなり始めると同時に、また職員がやって来て、この場所は風が激しいのでUターンして昨夜の出発地の駐車帯まで戻って待っていてもらいたいということで、出発点まで引き返すことになった。  午前6時少し前に駐車帯に戻り、そこでひたすら待った。斜里町を出るとき、4分の1程度の残量を示しいた燃料計は、すでに「0」に近づきつつあり、「残量わずか」という警告も出ていた。  そのことを伝えると、ガソリンを運んできてタップリと補給してくれた。お陰で斜里出発時よりもはるかに多くの量がタンクに入り、気持ちに余裕ができた。  それにしてもどこからガソリンを持ってくるのだろう。不思議に思い訊いてみた。すると、救援の雪上車などが来ていて、一部は人力で運んで来るのだそうだ。猛吹雪の中で燃料が減っていくのは不安なものだ。この人々は身を挺して、通りすがりの僕らのために働いてくれているのだ。たとえ燃料が無くなってもすぐ傍に大型の除雪車もいてくれる。外部との連絡もとれている。後で知ったのだが、今回の吹雪ではクルマの中にいたり、クルマを出て自力で歩こうとしたりして8人の人が亡くなっている。なんと幸運な「遭難」をしたのだろうとあらためて思った。  その後、クルマの中で読書したり眠ったり音楽を聴いたりしてノンビリ過ごし、動き始めたのは12時過ぎだった。吹雪は、すでに収まっており、一旦動き始めるとそれほど遅滞なく標津市街まで進むことができた。  今回の経験で、考えさせられたことは多い。自分の準備で足りなかったもの、準備しておいてよかったものなど挙げればきりがないほどだ。  これほどの規模の吹雪はここしばらく無かった。そのことでどこかに気の緩みもあったかも知れない。だが、道東地方は、ひとたび荒れれば命に危険が及ぶ場所なのだ。  今日は、寝不足もあって、考えがうまくまとまらない。いずれもう一度、この経験を振り返って、要点をまとめることをしようと思う。

244号線遭難記2013年版 その1

 3月2日(土)昨日アップできなかった文です。吹雪に閉じ込められたクルマの中で書きました。  午後から斜里町で知床自然大学院大学設立財団の事務局会議が予定されていた。  朝9時の時点で気圧は971hPa。時間とともにさらに下がり続けていた。  やっぱり荒れるな、と思った。いつになく出かけるのが億劫で嫌な予感がした。だが、天候はまだ荒れていない。出席を辞退しようかとも思ったが、事務局会議としては初の顔合わせだったし予定では90分程度で終わるはずだったから、終わり次第急いで戻るつもりで出かけることにした。  だが、それが大変な結果を引き起こしてしまった。  いま、21時。  国道244号線上に停車している。いや、駐車していると言うべきか。  根北峠を下り、標津市街へ通じる直線部分に入ってすぐの場所だ。金山スキー場の入り口から2キロほど標津町側に寄った地点だ。それまで道は山間の森林地帯を走ってきた。ここから両側に牧草地が開ける。それも大規模な牧草地だ。当然猛烈な風が吹き付けてくる。白い幕が勢いよく引かれるように、目の前を雪の煙が走り抜けていく。5メートル前方に開発局の除雪車が停まっている。ハザードランプを点滅させているが、地吹雪で見えなくなることも多い。たまに見えるくらいだ。  斜里を出たのは16時。会議は15時30分に終わる予定だった。主な懸案は終了予定時刻までに片づいたが、会議後に細かな情報交換や連絡事項のやりとりがあり、事務所を出た時は16時になっていた。  事務所から外に出てすぐに「あ、失敗したな」と思った。斜里町市街は、すでに猛烈な吹雪になっていたから。それでも国道はまだ通行止めになっていなかった。開いてるなら通ってやろうと考えて峠へ向かった。  予想どおり、峠の手前、斜里市街から越川付近までの間が強い風とそれに飛ばされてくる雪で非常に視界が悪い。完全なホワイトアウトで自分の車のボンネットさえ見えなくなる。何度も弱気になる心を励まして進む。  国道を進み続ければ低気圧の中心から離れられるし、峠に入れば道は谷間を通っているし両側の森林が風を弱めてくれるだろう。  はたして予想は的中した。峠に入り快適な速度を取り戻して進むことができた。  やがて頂上を越え、下りにかかる。雪の量は増えていたが下りの道も快適と言えるほどのペースで進むことが出来た。  やがて標津町金山にさしかかった時、開発局の除雪車とそれに随行している道路パトロールカーが止まっていた。外に立っていた職員は僕を停めてこう言った。 「この先の標津までの間の地吹雪がひどい状態で、単独で行くのは非常に危険です。この除雪車が戻る時に私たちと一緒に行くのがいいと思います」と。  時刻は17時30分近くで、すでに辺りは暗くなっていた。  ホワイトアウトの中を走るのは本当に辛いし危険だ。根北峠を下りてから標津市街までの道路は、ほぼ直線だが両側に牧草地が広がり、風が猛烈な勢いで走ってくる。この区間では、今までに何度も危険な経験をしている。だから一も二もなく誘導してもらうことに決めた。  除雪車が根北峠の頂上で引き返してくるまで待たねばならない。少し先の駐車帯で待った。30分くらいで戻ってくると言っていたが、実際には1時間以上経ってからの出発となった。 もう一台、僕の後からきたクルマがあり、除雪車に誘導されて時速10~12キロの速さで手探りをするように進んだ。予想通り、猛烈な地吹雪ですぐ前のクルマのテールランプも時々見えなくなる。それでもまず安全に確実に前進し始めたのだ。やれやれこれで帰れると思った。  しかし、ほんの2キロほど進んだところで隊列が停まった。さすがの除雪車も普通の住宅くらいに積み上がった吹きだまりと視界不良で前に進めなくなったらしい。  時刻は19時を回っていた。  今夜のうちに家に帰りたかったが、それが叶わなくてもせめて標津市街くらいまでは行きたかった。  待つこと90分近く。やがて道路パトカーの人たちが非常食や水、携帯トイレを持ってきてくれた。吹雪の中を配り歩く姿は手を合わせたいほどありがたかったが同時に今夜は帰れないかも知れないと覚悟を決めた。  幸いわずかに携帯電話のつながる場所だったので家に連絡を入れることができた。  こうして長い長い夜が始まった。

2013年3月1日金曜日

「染まる」とは繊維の隙間に細かな色の粒子が入り込むことだ

 「染」という漢字の右上の「九」は、本来「乃」という字だったとのこと。 満開のサクラを”萬朶の桜(ばんだのさくら)”と言うように、「朶」は、萬開の花葉が、重く垂れ下がる形。従って「染」は、植物の花や葉から染色液を作って布を染める、いわゆる、”草木染め”のことだろうと思う。  以上のことは、伊東信夫さんという方の書いた『成り立ちで知る漢字のおもしろ世界動物・植物編』という本に書いてあった。 音読みは「セン」で、訓読みは「そ・める」、「し・みる」。  色がつく、しみこむ、という意味から拡大して影響を受けるという意味にも使われる。 「感染」や「伝染」という語からもそれがわかる。そしてもちろん「汚染」もそこから来ている。  「除染」は染まったものをそこから取り除くのだが、あくまでも「取り除く」だけだ。取り除いてどこかに持って行かなければならない。持って行く場所があるのだろうか。決して「消染」ではないのだ。  取り除いた汚染物の中には放射線源が含まれていて放射線を出し続けている。危険だ。法律で決められている「放射線管理区域」よりもはるかに高い放射線を出しているものもあるらしい。  いかにも簡単そうに「除染」と言っているが、実際には多くの困難がつきまとい、「除染」いうより「隠染」になっているようだ。  そのうえどれだけの費用がかかることになるか、いまだに見通しさえ立っていない。そして東京電力はその費用を原発のコストに入れていない。  こんな状況で原発を再稼働させることがいかに無謀であるか、明白だ。  今、もっとも取り除かなければならない汚れは、ここに至っても原発にしがみつこう、しがみつかせようとする考え方ではないだろうか。