2013年3月30日土曜日

今さら当たり前なことだけど、大切なことに気づかされた送別会

 昨夜は、職場を去る人たちを送る会があった。午前1時過ぎまで飲み歩いていたのだが、後半には自制してお酒を過ごさないようにしていたので、スッキリとした気分で朝を迎えることができた。  今回職場を去る人は二人。  一人は郷土資料館長。  彼は、学芸員として就職し、30年以上にわたって羅臼町内の遺跡の発掘や天然記念物の保護活動を続けてきた。数々の考古学上の重要な発見をし、その方面では非常に有名な人物である。でも、気取りのない人柄で彼の同僚になってからは知床の考古学について多くのことを教わった。遺跡や古代史に関する僕の質問に、即座に的確な答を返してくれた。彼の実力と造詣の深さを感じさせたものだ。年齢は僕より少し若いが、知床に関する大先輩であると言える。  お正月に家に押しかけ、囲炉裏のある彼の自慢の部屋で夜中過ぎまでお酒を飲み、翌日は二人とも宿酔いで七転八倒したのが、酔いいや良い思い出となった。  もう一人は教育委員会の文書の受付と管理や町立学校との連絡、机周りの清掃からたまに漁師さんからもらう魚の処理まで何でもやってくれた人だ。この人がいてくれたので事務所ではいつも熱いコーヒーを飲むことができた。また、外回りの仕事の多い僕の動向を常に把握していてくれて、安心して出歩くことができた。  人それぞれに歴史があり、今、僕が働いている職場も多くの人々が自分の人生と引き替えるようにして築きあげてきたものであるな、とあらためて感じた。その環境の中で、思う存分の仕事ができることは、すごく幸せなことである。  仕事に上下の差などあるはずはないが、特に目立たない立場で、こつこつと確実に仕事をこなしてきた人たちの力のお陰で、今の僕は快適に働くことができるのだと思った。  「表」に出る人間は、目立つしマスコミに顔や名前が出る機会も多い。少し大きな仕事をやり遂げれば、賞賛を浴びることもたまにはある。人間は愚かだからそんな時、自分の仕事を支えてくれたたくさんの人々の働きをつい忘れがちになるものだ。もっともっと自分の置かれている立場を誰がどのように手助けしてくれているのか、ということを正しく見ておかなければならない。  そんなことに気づかされた送別会であった。

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