2009年11月28日土曜日

休日

 家(の敷地)から一歩も出ずに過ごした。

冬期間のウマたちへの給水路を延長した。

 あとは、クチグロのマリネと試験問題を作って一日暮れた。

2009年11月27日金曜日

冬が来る

 低気圧が接近し、天候下り坂。
 昨日は、斜里町知床博物館へ会議のためにに出向いた。根北峠を超えたが頂上は圧雪アイスバーン。
 いよいよ冬が来る。

fuyugakuru

 低気圧が接近し、天候下り坂。
 昨日は、斜里町知床博物館へ会議のためにに出向いた。根北峠を超えたが頂上は圧雪アイスバーン。
 いよいよ冬が来る。

2009年11月26日木曜日

クチグロ



  クチグロをもらった。
 クチギロとはマス。それもサクラマスだ。
 4匹も。
 まず、フライにした。まだまだ残っている。明日はマリネにしてみようかなあ。

11月25日(水)

暖かな一日だった。今週は、会議が多くあまり羅臼で仕事ができないが、授業もかねて高校の裏にクマが掘ろうとした穴を見に行った。
 住宅や国道が見渡せる斜面に本当に冬眠穴を掘ろうとしたのだろうか。

11月25日(水)

暖かな一日だった。今週は、会議が多くあまり羅臼で仕事ができないが、授業もかねて高校の裏にクマが掘ろうとした穴を見に行った。
 住宅や国道が見渡せる斜面に本当に冬眠穴を掘ろうとしたのだろうか。

シロキツネノサカズキ




11月24日(火)
 林野庁の自然環境教育の森づくり検討委員会、現地検討会で知床半島金山川河口付近のカツラの森を歩いた。
 シロキツネノサカズキという小さいなかわいらしいキノコと出会った。
 このキノコは、広葉樹の森の枯葉の中に埋もれている落枝に生える1センチほどの大きさ。真っ赤な地肌に白い毛が密生していてまるで霜がついているように見える。熟すると卵形の先端部が割れて、盃状の形になる。

2009年11月23日月曜日

サクラ

 牧草地にサクラの古木が一本立っている。
 今日、近くに行ってみると大きな枝が折れていた。

 先月の大風で折れたのだろうか。
 かなり傷んでいたから無理もないのだがなんとも惜しまれる。

 毎年美しい花を楽しみにしているのだから。
 残りの枝たちで、これからも末永く「我が家の庭」を飾ってもらいたい。

11月21日(土)

 久しぶりに一日在宅。

 部屋の片付けをする。少しはかどる。
 夜、星が美しかった。

11月21日(土)





本格的に雪が降った。
 いよいよ冬かな。
 馬たちに冬の餌になる牧草ロールを出した。
 今年は夏の天候が不順で、草の収量が少ないらしい。そのため、値段が高くなっている。それでも例年通りSさんがトラクターで運んで、家の入り口に積み上げてくれた。
 今日、さっそく一個のロールを出した。馬たち大喜び。

2009年11月21日土曜日

金曜日

11月20日(金)
 羅臼だけに雪が降った。
 薫別のトンネルを抜けると雪だった。

 いよいよ来たのかなあ。冬。

 夏の知床岬のことを「イーストサイド」の原稿に書いた。

2009年11月19日木曜日

野外活動




 「野外活動」で羅臼高校の周囲の森に入った。
 クマが穴を掘った(掘ろうとした)跡。
 トドマツの幹を爪で引っ掻いた生々しい跡。
 クマの痕跡を探す授業となった。

 最後にこの付近でもっとも大きなミズナラを男子生徒3人で囲んでみた。山の上から高校生を見守る母なる樹かも知れない。

2009年11月18日水曜日

北冥

 寒気が流れ込んできているようで、雪がちらついた。積もるほどにはなっていないが、確実に少しずつ冬が近づいてくる。 例年に比べると冷え込みは厳しくないように思うが、実際のところはどうなのだろう? 二軒の家を管理している身にとっては、冷え込まないことは、ありがたい。 
 根室市のデータだが、今日の日の出は、6時14分、日没15時51分。 昼間の長さは、約9時間半だ。約40パーセント。これが冬至の日には8時間58分にまで縮まる。37.5パーセントだ。
 北国で暮らしていると、初冬の短日が嫌になることがある。寒さは慣れれば快いほどだし、対策はいくらでもある。だが、この暗さだけはどうにもならない。北海道より高緯度の北欧やロシア、北極圏地方などでは、この時期に鬱病の発症や自殺者が増えたりする、という話も聞いたことがある。 この地は北緯44度だからそれほど高緯度というわけではない。中緯度地域と言うらしい。それでも、日長の変化をこれほど感じるのだから、北欧やロシアの人々の気持ちもわかるような気がする。
 だが、それも考えようで、ほの暗さを楽しんだり、静かで落ち着いた雰囲気をジックリと味わうことができれば、何と言うこともないのではあるまいか。 そして、何より、太陽が甦ってくる冬至の喜びを強く感じ取れるだけ、この暗さはありがたいと思えてくる。
 「北冥」という言葉ある。「北の大海」という意味らしい。

2009年11月17日火曜日

野外観察の授業



 久々に裏山に入った。
 このあたりの低い山に、まだ雪は降っていない。しかし、冬を迎える準備がすっかり整っている、という感じだ。

 小さなカタツムリとササの葉に空けられた「マシンガンホール」

2009年11月16日月曜日

イカとホッケと季節風

 イカを買いに行ったらホッケももらってしまった。
 ふとしたときに触れるこの町の人の温かさが嬉しい。

 ホッケを焼き、イカの天ぷらと塩辛と刺身で豊かな夕食となった。

11月15日(日) 第21分科会

公害・環境と教育という名前の分科会だ。
 この分科会はテーマ別分科会の中でも古い歴史がある。いわゆる高度成長期に日本中で噴出した公害問題を多くの人がとりあげ、公害を垂れ流す企業とそれを容認する行政の犯罪性をこの場で指摘してきた。

 リゾート法が何よりも優先し、日本中にゴルフ場、スキー場、別荘地が作られていった時にはあちこちから反対運動の取り組みが報告された。

 そして、今年は、昨年よりレポート数が増えた。目だったものはダム、外来種、つまりは川と山の問題。それと風力発電。

 この分科会の司会を続けていて時代とともに問題は移り変わるが、自分だけが金儲けをしてやろうとタクラム人間の意志が、周囲に迷惑を垂れ流すという構造は変わっていないなあ、とつくづく感じる。このことを考えるとちょっと切ない気持ちになる。

 さらに、それでもなお自由な競争が万能で、金儲けが善だという新自由主義者が蔭でほくそ笑んでいる図が想像されて、不愉快きわまりない気持ちになってしまう。

11月14日(土) 合同教研一日目

 沖縄の作家目取真俊(めどるま しゅん)さんの「群蝶の木」(ぐんちょうのき)を読んだ。「短編」に入るのだろうが、心の中に比重の大きいカタマリが残った。
 「群蝶の木」というのは、無数の蝶が群れ集まっているように花が咲くユウナの木のことである。
 久しぶりに帰省した義明の目前に、「村のホームレス」のような暮らしをしているゴゼイというおばあさんが突然現れる。正常な認知力を失ったゴゼイが義明に「ショーセイ」と呼びかけたところから、従軍慰安婦ゴゼイと、徴兵を忌避した男・昭正との一瞬の愛の日々が、甦り、ゴゼイの生が、次第に明かされていく。
 しかし、ゴゼイの生の真実は、誰にも語られることはない。 ゴゼイはずっと「日本兵ともアメリカとも寝れる、理解不可能な、廃屋で暮らす、村の異物であり、必要悪」として扱われ続けてきたのだ。
 村の祭りで演じられる「沖縄女工哀史」の劇に出てくる琉球人への差別に村人は、怒り、涙を流すが、そこに乱入したゴゼイの生きてきた道に思いをいたす者は誰もいない。
 日本軍の暴虐に泣き、飢えに苦しみ、砲弾の雨に打たれた住民にとって、敗戦は解放だったかもしれないが、ゴゼイにとっては、新たな苦しみの始まりに過ぎなかった。
 ゴゼイは、目の前から消えた昭正との愛を確かめたユウナの木を自分の精神の中心に据え、その下で生きる。
「この作品はそれ自体が、戦争の記憶の表現であると同時に、戦争をめぐる表現に対しての批評となっている。結局ゴゼイの体験は、義明に継承されることはない。この、伝達されないということが伝達内容であるという点で、この作品はきわめて複雑な構造を持つと同時に、その分、読者の役割はきわめて大きくなっている。(大野隆之・『群蝶の木』書評より)」
 ゴゼイは「我が哀り、お前達が分かるんな?」と問う。それは、大和人(ヤマトンチュ)である私たちへの問いかけでもある。 危険きわまりない米軍基地を放置させ、慰安婦はいなかった、日本軍の自決強要はなかったという強弁を許す、こんな世界の一員である、私たちへの問いかけに他ならないのではないか。 一方、リゾート地としての沖縄の明るい日差しの中で、徹底的に「なかったモノ・忘れたいモノ・存在しないモノ」として埒外に追いやられるゴゼイのような人々のことを誰も知らないし、歴史教育でも知らされることはない。 他者の苦しみに寄り添い、自分のことのように思いやる事の大切さを叫ぶ一方で、実際にはその真反対の事をやって見せているのが、現代のこの国の「指導者」たちなのではないだろうか。
 昭正との濃密な日々、日本兵のおぞましさ、自分を慰安婦とさせている全世界への憎しみ、同胞であるはずの沖縄人への深い失望、怒り、村から排除され、村人の誰からも顧みられなかった孤独、寂しさ、それらをひっくるめた、言葉にならないゴゼイの思いと昭正との日々をよすがにして生きるしかなかったゴゼイの気持ちの深淵が、しこりのように心に残った。
 と、感想を書いてまとめたのは土曜日の朝だった。
 そして、その日、全道合同教研で、分科会の始める前のテーマ討論「世界の少数民族」に出席した。 そこではアイヌ民族が今でも激しい差別を受け、現代社会の辺縁に押しやられている現実、「人類学」の名のもとに墓を暴かれて持ち去られた骨が、世界中のあちこちに散らばっている事実を知った。そして、それらの骨が返還されて来た時、合同慰霊施設を作るという所までは良いのだが、それを観光施設としても活用しようという思惑もあることなど驚くべき事実を知らされた。 もちろん、自分の無知も知らされたのだが。
 琉球、アイヌ、ウィルタ……重い重い研究会の幕開けだった。

2009年11月13日金曜日

2009年全道合同教研

 明日から合同教研。「世界遺産の現場から」の報告も5回目を数える。

 今回は、前後の日程が詰まっていて、今日、仕事を終えてからの出発。月曜日、普通通りに出勤できるよに日曜日のよる帰宅、という強行軍だ。直前までクルマで行くか汽車にするか迷った。今日の朝までは、ほぼクルマで行く方向に傾いていたが、国道の峠の情報を聞いているうちに考えが変わってきた。 雪道を走ることは何でもないのだが、夏に比べてどうしても速度が落ちる。日程に余裕があれば速度の落ちることは問題ない。だが、ギリギリの時間で走っていると影響が大きい。例えば、今日の夜、予約したホテルにはチェックイン23時30分と伝えてある。夏の道なら余裕をもって間に合うのだが雪道ではどれほど遅れが出るか予想がつかないのだ。到着が遅れることは構わないが、それだけ睡眠時間が圧縮されてしまう。明日の研究会にも影響するし。

 というわけで札幌行きの最終の特急にとび乗った。指定席をとることもできなかったから自由席にいる。週末のためだろうか、思いの外混雑している。それでも帯広で降りる乗客が多く、帯広以降はゆったりと座ることができた。

 そして、目取真俊さんの「群蝶の木」をゆっくりと、一気に読むことができた。不思議な読後感に包まれながら札幌に近づいている。この本の印象は、もう少しまとめてから後日。

2009年11月12日木曜日

バイオの黙示録

 アマゾンからのDMで諸星大二郎の「バイオの黙示録」というマンガの存在を知った。(「劇画」と書かないと叱られるだろうか?)ふだん、あまりマンガを読まない方だが、興味をもったので買ってしまった。

 「バイオの黙示録」は、DNA操作が進んだ未来世界の話。遺伝子操作で「優秀で有用な」農作物が効率的にどんどん生産されるようになってきた反面、人間の顔をして言葉を発するがその言葉に全く意味が込められていない鶏とか、魚とヒトの遺伝子が混ざり合って生まれた人魚、人間の姿をした雑草などの短い物語をオムニバス風にまとめられた内容である。

 一見荒唐無稽のように感じるが、実は現代の科学技術の持つ問題点を鋭く指摘していることに気づかされる。遺伝子操作は遺伝性の疾患の治療には効果的だし、そのための実験研究を止めるべきものではないと思うが、農産物の生産などへの適用は慎重であるべきだと思うのだ。
 実験室と生産現場では条件が違いすぎるからだ。最新の「技術」が災厄をもたらした最も典型的な例はセイヨウオオマルハナバチによる環境汚染だ。ニンゲンは、いつまでたっても、過去の多くの事例から教訓を学ぼうとせず、目先の利益が上がりさえすれば、なりふり構わず新しい技術に飛びついてきた。今もそれは変わっていないのだ。
 そして、その結果、取り返しのつかない災いを世界に広げ続けたのがこの2~300年だ。これは、今もなお懲りることなく、続いている。競争原理の信奉者、新自由主義者たちは、今も得々として「金儲けは善」と公言してはばからない。

 その結果、生物を取り巻く状況は諸星氏が描いて警告する方向に進まないとも限らない。

 DNAを細胞に植え付けるためには一種のウイルスを使う。もちろんインフルエンザのウイルスとは異なるものだ。だが、考えてみると、インフルエンザに感染するということは、一時的であるにせよ自分以外のDNAで汚染されることに他ならないのである。

 こう考えると、インフルエンザの流行も、ゾッとする現象に思えてくる。

2009年11月11日水曜日

眠る羅臼

 昨日、森重久弥氏が亡くなったという報道があった。「知床旅情」の作者としても知られている名優だろう。

 朝、オホーツク老人の銅像を眺めに行ってきた。

 今日の羅臼。
 無風の谷に、雪が音もなく降り続けていた。
 樹木も岩も、川までもが耳を澄ましているような日だった。

2009年11月10日火曜日

キソキホン・キソキホン

教育関係の集まりが二つあった。 「基礎・基本を重視した指導」 「基礎・基本を身につけさせる」などなど 「基礎・基本」という言葉があふれかえっていた。 どうも耳についてしょうがない。 「基礎」と「基本」はどう違うのだろう? 「学力」なら「基礎学力」というのが普通だ。 ウインドーズは「基本ソフト」だ。 「基本学力」とか「基礎ソフト」とは言わない。「基礎体温」であって「基本体温」じゃないよなあ。 教育基本法はあるけど教育基礎法は無いよなあ。ブツブツ。 教育の基本とは、知、徳、体の人間形成の全般を指すワケだし、基礎とは土台のことだし…。 考えてみて少し得したような気分になった。 それにしても、「基礎基本」を振り回している人たちは、本当に意味を理解してから振り回しているのだろうな。 納得できない言葉は、あまり振り回したくないな。

2009年11月9日月曜日

イカとドン・キホーテ

 イカを二ハイ買ってきた。一枚は刺身で食べた。もう一枚は冷凍。足は天ぷらにしてげそ天丼で食べた。
 動物性タンパク、実に安い。植物を食べなければ。


 「あなたが『ラ・マンチャの男』のラストシーン、アロンソ・キハーナが死に際にドンキホーテに戻るシーンで感動し、涙を流すのは何故だろう?」文系で非常に頭の切れるある人から質問された。うーん、と考え込む。そして、しどろもどろに答えた。
 「現実の辛い世界で生きることから解放され、自分の理想の中に生きることができるようになったドン・キホーテやドルシネアの思いが伝わってきたからかなあ」
 すると、さらに切り込まれた。
 「現実よりも妄想の世界で生きる方が幸せなの?」
 「うーん。そんなことは無いよなあ」

 僕がこの話に惹かれるのは、劇中に登場する作者セルバンテスの
「現実とは、理想を閉じ込めておくための檻だ」という台詞に共感したからだ。

昔、高校生の頃、両親はじめ大人たちに
「現実をよく見なさい。どんなに理想を言っても、現実に適応していかなけば生きていけない」とうるさく言われ続けたことへの反発だろうか。
大人は勝手だ。このようなことを言う同じ口で
「夢を持ち続けることが大切だ」などとも言っているのだ。

 要するに、若者が大人たちが許容できる範囲内で「夢」を語っているうちはそれで良く、自分たちの「安全基準」から少しでも逸脱したことを言い出すと、「現実が大切だ」と圧殺にかかるのだ。

 普天間の海兵隊の海外移転を求める県民大会が開かれた。
 「海外移転」を言い出すと、決まってしたり顔で「現実の国防問題が…」と言い出す人たちがいる。ここでもまた、自分の青年時代を思い出す。

 やはり、僕は高校生の頃と同じ言葉を繰り返すべきだと思う。
 「アメリカは沖縄から日本から出て行け」

11月8日(日) 「アイヌの美」展











 日曜日に予定されていた羅臼町内の小学生向けの行事がインフルエンザ流行のため中止となった。思いがけなく時間ができたので、帯広まで足を延ばした。北海道帯広美術館で開かれていた「アイヌの美展~カムイと創造する世界~」を観ようと思ったのだ。「ロシアのサンクトペテルブルグにあるロシア民族学博物館が所蔵するアイヌ民俗資料から約215点を紹介します。これらの作品は、1912年から13年にかけて、平取やサハリンで集められたものです。 会場は、生活文化をたどる「まかなう」、衣装に焦点をあてた「まとう」、祭礼儀式を紹介する「いのる」の三つのコーナーで構成。古くから北海道の地に暮らしつづけてきたアイヌの人々。その独自の文化と美の諸相を紹介します。」(パンフレットの紹介文を引用)
 午前中、ゆっくりしてから出発したので、帯広に着いたのは午後2時半頃だった。 それでも、美術館の主展示場と百年記念館の「描かれたアイヌの世界」(幕末から明治にかけて、アイヌ民族の生活の様子を画家(絵師)たちが描いた作品)の両方をじっくり観ることができた。
実際に使われていた食器や装身具、生活の道具などを眺めているとそれらのものが自分の来し方を語り続けているように感じられる。そして、それは、明らかに現代日本のルーツとは異なるひとつの大きな文化圏の存在を示している。そして、異文化同士の接触が決して友好的なあるいは幸福なものでなかっただろうことを容易に想像させる。
 多くの示唆をうけた展示であった。
 11日が最終日というこの展示会は、是非行きたいと思いつつも日程の都合上、行くのは無理だ、と諦めていただけに思い切って行って良かった。

2009年11月7日土曜日

土曜日

 久々に家で過ごす。
 タイヤ交換。薪割。道路の補修、などなど。

 灯油の買い出しにも行った。

2009年11月6日金曜日

集まるときには集まるものだ





 最近知り合った釧路の友人Iさんは、水産物加工会社の社員だ。北洋で獲れた紅サケを独自の方法で塩蔵・発酵させた商品を作っている。
 話を聞いたので、試しに送ってよ、と頼んだ。それが今日、届いた。一本物だから早速さばいた。三枚におろし、背骨の周りの中落ちからは肉を削ぎとしてたたきにする。試しに生で食べてみた。ビックリするほど美味しい。これはすごいモノだ。

 漁師さんからイカが来た。10ハイ。処理可能な量だ。次々におろして、刺身、マリネ、塩辛、足は小さく刻んでイカバーグにした。どれも美味しい。

 しかし、全部の仕事が終わったら11時近かった。