イカを二ハイ買ってきた。一枚は刺身で食べた。もう一枚は冷凍。足は天ぷらにしてげそ天丼で食べた。
動物性タンパク、実に安い。植物を食べなければ。
「あなたが『ラ・マンチャの男』のラストシーン、アロンソ・キハーナが死に際にドンキホーテに戻るシーンで感動し、涙を流すのは何故だろう?」文系で非常に頭の切れるある人から質問された。うーん、と考え込む。そして、しどろもどろに答えた。
「現実の辛い世界で生きることから解放され、自分の理想の中に生きることができるようになったドン・キホーテやドルシネアの思いが伝わってきたからかなあ」
すると、さらに切り込まれた。
「現実よりも妄想の世界で生きる方が幸せなの?」
「うーん。そんなことは無いよなあ」
僕がこの話に惹かれるのは、劇中に登場する作者セルバンテスの
「現実とは、理想を閉じ込めておくための檻だ」という台詞に共感したからだ。
昔、高校生の頃、両親はじめ大人たちに
「現実をよく見なさい。どんなに理想を言っても、現実に適応していかなけば生きていけない」とうるさく言われ続けたことへの反発だろうか。
大人は勝手だ。このようなことを言う同じ口で
「夢を持ち続けることが大切だ」などとも言っているのだ。
要するに、若者が大人たちが許容できる範囲内で「夢」を語っているうちはそれで良く、自分たちの「安全基準」から少しでも逸脱したことを言い出すと、「現実が大切だ」と圧殺にかかるのだ。
普天間の海兵隊の海外移転を求める県民大会が開かれた。
「海外移転」を言い出すと、決まってしたり顔で「現実の国防問題が…」と言い出す人たちがいる。ここでもまた、自分の青年時代を思い出す。
やはり、僕は高校生の頃と同じ言葉を繰り返すべきだと思う。
「アメリカは沖縄から日本から出て行け」
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