2011年12月31日土曜日

ごあいさつ

みなさま!

一年間、小ブログをお読み下さってありがとうございます。

いつまでたっても拙い内容ですが、これからも書き続けてまいりたい所存です。

来年も、相変わらずお読み頂けたら幸せに思います。


それでは、どうぞ、佳き新年をお迎え下さいますように。

また、来年。

2011年12月30日金曜日

どうする!どうする?

沖縄での防衛局<防衛省<日本政府<米国政府の横暴と真っ向から対峙して一歩も引かない人々、震災や津波そして原発事故のために避難している人々、われわれのように例年とほぼ変わりのない年末を迎えている多数の人々。
 様々な怒りや悲しみ、あるいは笑い、時には泣き笑いを載せて今年も暮れようとしている。

 今年の年末が今までと違っていることを多くの人々が感じているのではないだろうか。

 そして、今ある「穏やかで平安」(に見えるだけだなのだが)な暮らしが、決して今後も変わりなく保証されているものではないことに、気づき始めているのではないか。

 巨大地震や津波は、いつ我々を襲うかわからないし、不完全な技術で欠陥を隠蔽して建設され運転されている原子力発電所の安全性など絵に描いた餅に過ぎず、フクシマで起きた悲劇が我々にも起きないという保証はない。
 そして、何より不幸なことは、この国の政府は、全力を挙げて国民の命と暮らしを守ってくれる政府ではなく、国民よりも米国政府の鼻息を窺うことにそのすべてのエネルギーを注いでいることが、ここ数日間の辺野古新基地を巡る沖縄防衛局と沖縄県との間で繰り広げられた出来事で明らかになったことだろう。
 まあ、本当は、ずっと前からわかっていたのだけれど。

 もう、あと二十数時間で年があらたまる。

 今後、こんな政府の元で人生を送る不幸について、より多くの人に考えてもらいたい。
 そして、この状況を本当にどうにかしなくてはならない。
次の選挙で政権を取り返す気満々の自民党自身が、基地問題にしても原子力発電にしても、今のこのどうしようもない状態を生み出した張本人ではないか!

 この国の国民であり続けるなら、今後どう行動すべきか、一人一人が真剣に考えなければならない時かも知れない。

 そんなことを考えた年の瀬であった。

2011年12月29日木曜日

いま、沖縄で起こっていること

米海兵隊普天間基地の辺野古への移転を画策する防衛省沖縄防衛局は、28日午前4時、沖縄県庁の守衛室に段ボール箱十数箱に入れた、環境影響評価書を、守衛室にコッソリと持ち込んだ。ところが、監視中の県民に見つかり、全部を運び込むことができず。逃げ去った。
沖縄を蹂躙しようという者のこれが正体である。

 国が、自治体に対してすることだろうか。
 「法治国家だ」「文明国だ」と胸を張って言う者のすることだろうか。

 こんな「提出」(された、とは言い難いが)のされ方で、貴重な生物が生息する美しいサンゴの海に滑走路や基地を作られてはたまならない。環境影響評価書の内容そのものが全く信憑性を持たないことは明白だ。

 もうひとつ驚くべきことがある。このニュースは本土では詳しく報じられていないのだ。 「評価書を早朝に提出した」と報じられただけだ。
 自分たちの選んだ政府が、嬉々としてアメリカ政府の提灯持ちを演じ、国民に対してどれほど卑劣で、破廉恥で、姑息なことをしているか、沖縄県民以外の国民には全く知らされていないのである。

 僕は、不愉快だったので28日は、全くTVを見なかったから自分では確認していないが、昨日の午後7時のNHKニュースのトップは、北朝鮮の葬儀の模様だったらしい。
 それ以上に重要で、国民が考えるべきことが、この辺野古新基地の問題ではないのか。
 そして、今日の同じ時刻のニュースでは、一言も触れられていなかった。

 テレビとか大手新聞が、必ずしも重要な真実や物事のディテールを報じないことは、福島原発事故に関する報道で皆わかりかけていることだと思うが、今回の事件で、それがいよいよ明らかになってきた。

 沖縄の基地問題は深刻だ。直ちに無条件に撤去すべきだと思う。さらに、辺野古には、ジュゴンの生息地など壊してはならない自然がある。

 心ある沖縄県民は、思想信条や立場、所属団体の有無や種類を越えて反対している。その意志がいかに固いか。
 われわれ沖縄県外の人間は、それにどう応えるべきか。
 強い問いかけが、今、沖縄から発せられている。

2011年12月28日水曜日

吹雪に吹かれて、静かに燃やそう この怒り



 このところ羅臼は吹雪が続いている。
 降雪なのか地吹雪によって風に運ばれた雪なのか、よくわからないが、朝、目覚めると玄関が雪の山に埋もれている。
 玄関前の雪山は、風によって吹き寄せられたもので、よくもまあ、こんなにかき集めてくれるものだと感心する。

 そんな羅臼から今日は久しぶりに自宅に帰ってきた。
 根釧原野には、まだ雪は無く、寒々した枯れ草の草原が広がっている。

 ニュースなどは見ることも聞くこともせず、今日は静かに過ごしたい。
 海兵隊を辺野古に移転させるために強行された環境影響評価書の「提出」をめぐって、あまりにも拙く、聞けば聞くほど馬鹿馬鹿しい、国のやり方について、書き出したら自分を止められないような気がするから。

2011年12月27日火曜日

吹雪に吹かれながら

知床半島は、高山を横倒しにしたような場所だ。
 半島基部の標津町あたりが登山口で、古田糠→薫別→崎無異→植別と進むにしたがって雪が深くなる。羅臼を過ぎ、ルサ川を超えた辺りからはもう一段雪が深まる。
 知床岬などは、さしずめ岩峰の突端だ。

 海辺で暮らしながら、高山の気分を味わえるのが羅臼だと思う。

 今日も羅臼川の谷間を吹き降りてくる猛烈な風と雪を眺めながら、そんなことを考えた。
 昔、この地で暮らしていた人々も、この風雪に耐えていたのだろう

http://www.youtube.com/watch?v=fh-hVCwHXOA&feature=colike

2011年12月26日月曜日

羅臼町郷土資料館開館



 峯浜に「羅臼町郷土資料館」がオープンした。
 今まで、羅臼町町民体育館の一階の一部に数多くの収蔵物が所狭しと並べられていたが、昨年度、閉校になった植別小中学校の校舎を改築して、展示スペースを作った。
 二階建てで、一階に考古第一、第二、近世の3つの展示室の他、この建物の前身である植別小中学校を記念する「植別室」がある。二階には、昆虫、植物、動物、産業、生活展示室の他にレクチュアルーム、実習室。工作室などを備えている。

 展示物は縄文時代早期の土器や石器から始まり、江戸時代・明治・大正・昭和初期に至るまでの知床の生活用具や写真・図などで、知床・羅臼町の歴史が一度に体感できる。

 今後、羅臼町の文化の新しい発信源になるとともに、児童生徒の学習の場所としても活用されることになるだろう。

 写真は、アイヌ民族の伝統的な家(チセ)の精巧な模型。内部も精密に作り込まれている。

 場所:目梨郡羅臼町峯浜町307番地
 電話:0153-88-3850
開館日:祝祭日・年末年始を除く月曜日~金曜日
 時間:10時~17時
入館料:無料

2011年12月25日日曜日

夕焼けの彼方は吹雪 西風の音に聴きいる 冬の兆しを


 昨日、車(ARCTICA)の修理をしていた。どうしても必要な部品があって、ちょっと買い物に出かけた以外、家から出ずに過ごした。
 もちろんイヌの運動に付き合って原野を歩き回っていたからまったく運動不足にはならない。通常通りに出勤して、一日中机に向かっている日の方が、ずっと運動不足になるのだ。

 夕方、西の空に夕焼けが出ていた。
 ちょうどこの方向で、今、吹雪が荒れ狂っているなんて、信じられないほどの夕焼けだった。

2011年12月24日土曜日

クリスマスの夜に

キリストの誕生は、人類にとってどんな意味があったのだろう。

 キリストが生まれた当時のユダヤは、ローマに支配され、政治的にも混乱していたと聞く。クリスマスは、北ヨーロッパの冬至の太陽の復活を祝う行事と融合したとも言われているから、本当に明日が、イエスの生まれた日かどうかは別としても、閉塞感の満ちあふれていた時代に対して、ひとつの大きな衝撃的な出来事がイエスの誕生だったことは間違いないのだろう。

 いつかこの閉塞した時代や苦痛な生活状況から、自分たちを救済してくれる救世主の到来を渇望する空気が満ちあふれていた中に、自分たちを永遠の幸福と栄光に導く救世主(キリスト)が降臨するという希望は、ユダヤ人や奴隷・使用人といった社会的弱者の他にも倦怠感や無気力感の蔓延した支配する側(ローマ人・貴族階級)の間にもあったと言われている。
『私は何の為に生きているのか?』『この世界が存在する意義とは何なのか?』という疑問への答えを指し示してくれる(かも知れない)存在としてイエス・キリストの誕生を祝ったのだろうと思う。

 そして、それから2000年以上経過して、人類のココロは、それほど変わっておらずクリスマスは、単なるお祭り、あるいは、消費奨励期間の一つと化してしまった。

 今夜は、このようなもろもろを静かに考える夜にしたい。少しだけでも。

2011年12月23日金曜日

ワシを見ながら

低気圧が発達して接近するというから身構えていたが、根釧原野にはまだ大きな影響は出ていない。
昨夜、重たい雪が一時だけ激しく降り、少しだけ積もっていた。
 今日は、イヌの散歩以外には外へ出ることなく、ずっと家で過ごした。

 朝日に照らされた雪晴れの空をオジロワシたちが舞っていた。
 
 ワシは生態系の頂点にいて、食物網を通じてい濃縮された環境汚染物質を一身に集める立場にある。
 以前、ある研究者の発表を聞いたことがあるが、オオワシやオジロワシの血液中から非常に高い濃度のPCBや重金属が検出されるのだそうだ。

 海の生態系で頂点にいるアザラシやトドなど海獣類、そして鯨類などは、体内に放射性物質を蓄積した魚を大量に食べ、これからいろいろな影響が現れるのではないだろうか。

 このワシたちも「海ワシ」と言い、主に魚を食べる。

 無心に舞っているワシたちを見ていて、これからのことが心配になってくる。

2011年12月22日木曜日

安全と安心は別なのダ

本当はそうじゃないのだろうが、この頃、ワープロとの相性が悪いように感じる。
漢字変換が一発で決まらないコトが多いように思うのだ。

 今朝も仕事で「ケッセキ」と打ったら「結石」が一番に出てきた。それに気づかず、その文書を課長に送ったら爆笑されてしまった。
 まあ、職場の雰囲気の向上には貢献できたワケだが。


 今日は冬至だ。
 前にも書いたけれど、日の出の時刻は、明日以降もまだ遅くなり続ける。
 しかし、トータルすれば、昼間の長さは今日が最も短い。それは、地球上から見上げた時の空の太陽の通り道(黄道)と天の赤道(赤道の真上の空に引いた線)とがおよそ23度傾いているため、太陽が空を移動する速度がいつも同じではないことと、地球の公転軌道が楕円形をしていることが原因しているらしい。

 それはともかく、明日から昼間の時間は、間違いなく長くなり始める。


 そして、今日、食品に含まれることが許容される放射能の基準が発表された。

 今さらなにをか言わんやだが、この国の政府は、国民の安全よりも安心させることを一番の目的にしているらしい。つまり「安全よりも安心を」なのである。
 「安心して政府の決めたことに従って、文句を言わずに黙っていなさい」ということだ。

 今回のことで、その姿勢が明白になっただろう。
 「国民の安全のため」というのは全然ホンネではないわけだ。
 こうなると
 「アメリカ軍基地が国の安全のために必要だ」というのも、疑わざるを得ない。

 これだけ事実を突きつけられても、それに気づかず、まだ「安心」している人々は、お人好しを通り越して…………と言わなければならないだろう。

2011年12月21日水曜日

連結器とセシウムと

たとえば日本の国鉄の車両で、一斉に連結器の交換工事をしたことがあった。
 1925(大正15)年7月17日のことだ。

 記録を調べてみたら交換したのは、機関車が約3200両、客車8900両、さらに貨車約52万8000両あったという。合計すると54万両あまりを交換した。連結器というものは、鉄道の車両一両につき2個あるから、全部で104万個以上の連結器の交換を一日でやったことになる。
バッファー・リンク式連結器は、日本の鉄道開通以来使われていた連結器で、連結・解放作業に時間がかかり、作業に危険を伴うものだった。自動連結器は今でも使われている優れた連結器である。
 この二種類の連結器を混在させるわけにはいかなかっただろうから、この作業をどうしも一日でやり遂げる必要があったのだろう。

 そのために、統計によってもっとも物流の不活発な日を選び、何日も前から作業員の研修を重ね、車両にも必要な工事を施し、入念な準備をして決行に臨んだとされる。
 一両の交換に要した時間は15分だったという。
 これによって鉄道の輸送力は大幅に向上した。そして、この後、日本は長い侵略戦争の時代に突入する。それは、別問題として、世界にも例がないと言われるこの一斉工事は、日本人の技術的な優秀さばかりでなく、施工の正確さ、組織性の優秀さを世界に示した出来事に違いない。

 このような例は、他にも多く見られる。零戦の設計も同様だろうし、内視鏡の開発などもそうだろう。
 ロボットなど現代の先端技術に関しては、ここでわざわざ述べる必要もないだろう。


 だが、優れた技術を生み出してきた実績に対して、われわれは少し自信過剰になっているのではないだろうか。
 破滅した東京電力福島第一原子力発電所から飛び散った放射能は、濃淡を作りつつ広い範囲に広がり、あらゆる場所に降り積もった。
 森にも畑にも、田にも、家の庭にも、芝生にも、学校の屋根やベランダにも、広場にも、歩道にも、車道にも、公園にも、産院にも、墓地にも。
 「降り積もった」と言えば表面を洗い流せば、きれいになるような印象を受ける。
 しかし、「降って」来たのは、原子の状態にまで細かくなっている放射能である。
 放射能を持ったセシウム原子の大きさは、0.0006ミクロン、つまり1千万分の1ミリメートルくらいの大きさだ。
 こんな小さな「粒」が表面だけに付着するわけがない。
 例えて言えば、金網のザルに小麦粉をばら撒いたようなもので、コンクリートや屋根の塗料など、木材の内部などにどんどん入り込んでいくだろう。その有様は「浸透」と呼ぶ方がふさわしいだろう。
 そして、そこからガンマ線を出し続ける。その強さは、30年あまり経ってやっと半分に減るのだ。

 「除染・除染」と呪文のように繰り返しているが、どれほど実効があるのだろうか。
  セシウム原子の浸透の例ひとつ取り上げても不安になってくる。

 一日で連結器を交換したという技術への過信と奢りから、何の根拠もなく「除染」もうまくいくだろうと考えるのは、あまりにも危険な楽観主義と言うべきだろう。

 零戦を作り、戦艦大和を建造して、果てしない侵略戦争に突入し、国民を不幸のどん底に陥れた愚行がまた繰り返されるのだろうか。

2011年12月20日火曜日

昆虫食のすすめ

昆虫を食べるのが結構好きだ。

 学生時代の研究室が「農業害虫学研究室」というところだったからだろうか。
 スズメバチの幼虫、バッタ、セミ、トンボなどいろいろな虫を食べた。

 コガタルリハムシ(小型瑠璃葉虫)という虫が卒論のテーマだった。一匹の雌が毎日産む卵の数を、来る日も来る日も数え続けた。顕微鏡の下で黄金色に輝くその卵を、どうしても食べてみたかった。しかし、孵化率を測定する必要があり、食欲をじっとガマンして作業を続けたことを覚えている。


 タンパク質は、およそ二十種類のアミノ酸からできた長い鎖である。
 われわれがタンパク質を食べると消化酵素によって、その長い鎖が短く切り分けられていく。
 そうやって出来た、数個から数十個のアミノ酸からなる短い鎖をペプチドという。

 ペプチドは、さらに分解されて吸収されれば栄養になるだけだが、ある特定の種類のアミノ酸がある決まった順序で並ぶと細胞に対して、特定の行動(例えば「分裂しろ」とか「ホルモンを分泌しろ」などという)を促す命令となる場合がある。

 そして、近縁種のタンパク質を分解して作られるペプチドは、そのような「命令文」としての意味を持っている場合が多いと言われている。

 だから、健康と安全のためには、タンパク質を摂る場合、近縁な生物を避け、分類学的に遠い生物のものを食べるようにするのが良いのだそうだ。
 現に、BSE発生の直接の引き金は、ウシの餌にウシから作った肉骨粉を混ぜて食べさせたからだと言われている。

 われわれの身体は、複雑な構造をもち、小さいきっかけで大きな(そして大抵は不可逆的な)結果を生じるものだ。

このことを考えると、放射線の内部被曝に対して、われわれは、もっと慎重で神経質であるべきではないかと思う。
 それなのに、今、日本で行われていることは、その正反対。
 まるで、心理的な脱感作のように、少量の放射線量から徐々に増やして、国民をすこしずつ(あくまでも心理的にだけだが)馴れさせようとしているとしか思えない。

 放射能が体内に蓄積され、細胞に対して至近距離から放射線を当て続けることで、遺伝子やタンパク質の構造に修復不能な損傷を与える危険性があることは、誰が考えても想像できることではないだろうか。

 食品に含まれる放射能の「安全基準」など限りなくゼロに近づけなければならない。
ゼロからスタートすべきことではないだろうか。
 乳児用粉ミルクから放射能が検出されて、慌てて作った「基準」など真の基準たりえないことは明白なのである。

2011年12月19日月曜日

こんなニュースが

北朝鮮のキム総書記死亡のニュースでかき消され気味だが、東京電力福島第一原子力発電所の事故原因を究明するため、国会に設置された「事故調査委員会」の黒川委員長が、記者会見で、野田総理大臣が原発事故の収束を宣言したことについて、「納得がいかない」と批判しまたと報道されていた。

 政府と独立した形で国会に設置された「事故調査委員会」の黒川委員長は、福島第一原発や住民の立ち入りが禁じられている「警戒区域」を視察した。このあと記者会見し、「警戒区域」の様子について、

「音も声も聞こえず、悲惨で、空虚で、不思議な感じがする。住めなくなった人の気持ちや仕事がどうなったのかを考えなければいけない」と述べた。

 そのうえで、黒川氏は、野田総理大臣が原発事故の収束を宣言したことについて、
「納得がいかない。そういうことを正当化できる根拠があるのか。国民の受け止め方とギャップがある。これからが長い復旧への第一歩なのではないか」と述べ、野田総理大臣の対応を批判した。      (NHK ニュースより一部引用)


 海外からも、この「終息宣言」に対しては、多くの疑問や批判が寄せられている。
 自分たちに都合の悪い意見に対しては、聞こえなかったことにする、見なかったことにするという姿勢なのだろう。
 このようは無謬主義が、原発事故の背景にあったと指摘されているが、終わっていない事故を終わったことにしてしまう政府の姿勢の中に、次の事故が起こる要因が、もう既に兆している。

2011年12月18日日曜日

日本の夜明けは遠いけれど 一足先に 知床の夜明けだ


羅臼の朝日は国後島から昇る。
 海沿いの道を散歩すると冬至間近の遅い日の出を散歩しながら楽しむ。
 これも贅沢なことだなあ、と思う。

 今日は、知床学士認定試験の日だ。

2011年12月17日土曜日

無邪気なもの と



 この地球上には無邪気な者の方が圧倒的に多いな、とふと考えた。

 ヒトに飼われているイヌやネコたち、ヒトの子どもたちも、ヒトだって大部分は素朴で無邪気に生きているに違いない。

 野生動物は、「無邪気」とは少し違うように思うが、「正直に真面目に生きている」という点は、共通している。

 無邪気でないほんの一部の者が、放射能を撒き散らかし、中を見て確かめることもできない壊れた原子炉を「もう安全だ」などと言い張っている。

 こういう者があるから、闘わなければならない。

2011年12月16日金曜日

勝手にやっちゃう人々

もう、かなり昔のこと。
 四輪駆動のクロスカントリー車が、まだ、それほど一般化していいない頃のことだ。

その頃、その種のクルマの主流は、N社とT社が作り続けてきた、大型の四輪駆動車と急速に普及してきたM社のPで始まる車種だった。

 そして、I社も地味ながらBで始まる名前の四輪駆動車を販売していた。このクルマは、他の三車種に比べて、車輪の上下に動く範囲が狭く、四駆乗りの間では「足が短い」という評判を得ていた。
 「足が短い」とは、不整地を走る際に、障害となる地面のデコボコを乗り越える能力が低いということを意味している。
 つまり、すぐにお腹がつかえてしまうということだ。
 もちろん、その当時のことで、今では改善されいてるが。

 そうした頃、そのクルマの宣伝のコピーに
「このクラス随一の悪路走破性」という言葉が使われていた。

 硬派な四輪駆動車専門雑誌がそれをからかって、
「勝手にクラスを設定して、『クラス一』を謳っている」と書いていたのを、笑いながら読んだ記憶がある。

 低線量被ばくについて、政府の作業部会が、「年間20ミリシーベルトの被曝による健康への影響は十分に低い水準」とする報告書をまとめたというという話を聞いて、この「勝手にクラスを設定して・・・」というくだりを思い出した。
 勝手に「工程表」を作り、客観的な評価を受けることなく、「ステップ2に達した」などと勝手に判断しているのも同様である。

 自分たちの失敗で引き起こした事故の危険性や安全基準を事故を起こした当事者が、勝手に作って、勝手に評価しているわけで、なんの説得力も持たない。

 クルマのことなら笑い話で済むが、ことは命と暮らしの問題。
 笑い事ではない。

2011年12月15日木曜日

根釧原野のふたつの冬



 雪が来た。

 かねてから言っていることだが、根釧原野には冬がふたつある。
  「雪の無い冬」と「雪のある冬」。

 昨日の夕方まで、薬になるかならぬかほどの雪が草地の片隅に斑のようにあるだけだった。しかし、昨日の夜半、根室沖を通った低気圧が、本格的な雪を降らせた。
 夜、寝る前に点けてみた外灯の光の中を、大粒の雪が次々と舞い降りていた。そして、朝の原野は雪景色に変わっていた。

 この潔い変容が魅力だ、と思っていた。

 ところが、例年になく冷え込みが足りないので、昼間の気温が上がり、大部分が解け、再び「雪の無い冬」に戻ってしまった。 


 この冬は、どんな冬になっていくのだろう。
 それを観察するのも楽しみの一つである。

2011年12月14日水曜日

春までを測る

今日、根釧原野にあるわが家では
日の出は6時44分、日の入り:15時44分。
昼間の長さ9時間ちょうど。

冬至の  12月22日:
日の出、6時49分、日の入り:15時47分 
昼間の長さ:8時間58分。

そして、冬至の翌々日の12月24日:
日の出、6時50分、日の入り:15時48分
昼間の長さ:8時間58分

その翌日の12月25日
日の出、6時50分、日の入り:15時49分
昼間の長さ:8時間59分

 日の出は、まだ、しばらく遅くなり続けるが、日没がこの日あたりからさらに遅くなりはじめ、昼間の長さは少しずつ長くなり始める。

そして12月30日から1月9日まで、
6時52分の日の出が続き、その間に日没は、15時52分から16時01分へと、グングン伸びる。

1月10日には、日の出も6時51分になり、この日から日の出も早まりだす。

 こうして、「光の春」が近づいて来るのだ。

 冬至まであと一週間。
 今は、「もうすぐ!もうすぐ!」と日の長くなる時を待ち続ける日々である。

2011年12月13日火曜日

知床学士検定が近づく中で考えたこと

18日に知床学士検定試験がある。
 羅臼町内の中学生と高校生が受験でき、今年は約40人が、3級から1級までの「学士」に挑戦する。
 問題作成をしている僕は、いま、事前講習会で忙しい。
 問題作成者が事前講習をすることは、アヤシイと思われるので何とかしたいのだが、この制度は、発足してまだ3年目なので仕方のないことでもあるのだ。
 次回あたりからそろそろ、出題者と講習会講師との分離を検討してもいいと思う。

 それにしても、講習会の講師をするのは楽しい。
 目の前に検定試験という目標があるから、生徒は熱心に話を聴き、考えてくれる。生徒の知らないことを説明すると、うなずきながら聴いてくれる。
 普段の教科の授業では味わうことの少ない醍醐味と充実感を感じる。

 この経験は、ささやかな地域学習の場面に過ぎない。しかし、「学力」ということについて、ふと考えさせられる。

 知識偏重の「詰め込み型」の学習の問題点を反省し、「ゆとり教育」の必要が指摘され奨励された。
 ところが、国際的な「学力」の低下が問題視され、一転して学習の強化が叫ばれるようになった。
 国の方針が、このように正反対の方向で振幅していては、当の子どもたちはもちろん、現場の教師たちまでも混乱させられる。

 読み書き、計算、意思表明、コミュニケーションなどの能力は、確かに重要で、子どもたちのこれらの力を初等・中等教育を通して、存分に伸ばしてやることはオトナの務めだと思う。
 今までの教育政策は、不十分ながらも、それを第一番に願って進められてきたと思う。だが、そこで決定的に欠落していたものがあった。
 それは、自分が身につけた様々の能力を何のためにどのように活用するかを、学ぶ者ひとりひとりに考えさせ、個々の価値観や世界観、人生観、歴史観を形成してやるという、言葉の正しい意味におけるキャリア教育である。

 「キャリア教育」と聞くと、反射的に面接の受け方とかお辞儀のしかたとかの就職試験で成功するための技術を身につける学習を重い浮かべるかも知れないが、本当は違う。
 本来のキャリア教育は、自分の人生を社会とどう関わらせていくか考える力を養うことがの目的だと思う。現実には、先に述べたような、「就職教育」に堕している場合が多いのだが。

 日本の教育は、「ゆとり」で行くとしても、「詰め込み」でいくとしても、その前に徹底的に「何故学ぶか?」を考えさせてから、学習活動に入るべきだったのだ。

 そのあたりが上手くいかなかった結果、優秀な人材が原子力ムラの構成員になったり、オウムへ流れたり、一部の企業に囲い込まれ、企業の利益だけのために行動する人間に墜ちてしまったり、おかしな政治家になったりしたのではないだろうか。

 知床についての学習を進めながら、こんなトホーも無いことをあれこれと考えた、今日の講習会であった。

2011年12月12日月曜日

気圏の底の大失敗

先日の月蝕の写真は、ことごとく失敗した。
 上手に撮れた人たちに対して嫉妬を覚えるほどの惨めな出来だった。

 そろそろ頭が冷えてきたので、「敗因」の分析を試みた。
 
 その第一はシャッター速度を遅くしたことによるブレだと思った。
 事前のテストで、シャッター速度は1.5分の1秒から3分の1秒くらいにしていた。カメラに付いているモニターでは、まずまずの仕上がりに見えた。だからその設定で撮影したのだった。

 どうも「天体の撮影にはスローシャッター」という固定観念から抜け出せないでいたことも原因らしい。

 だが、カメラは重い三脚に固定していた。
 どれほど遅いシャッター速度を使っても、ブレが生じるはずはないのだ。

 それなのに、写真は明らかにブレている。スローシャッターを使った時の手ぶれそのもののようなブレが生じている。不思議だと思った。


 今日、よ~く考えてみて、ふと気づいた。
 これは、カメラがブレたのではなく、被写体である月の方が動いたのだ。!

 まあ、月が本当に動くはずはないから、空気が揺れて、ブレたわけである。
 われわれは、大気の底から宇宙を見上げている。
 大気のフィルターを通して、月を見ているということを忘れていたわけだ。
 なんと恥ずかしい。この失態は、二重に恥ずかしい、誤りではないか。
 大気の底で暮らしていながら、その存在を忘れていた、自分自身が情けない。

 月を撮るなら、シャッター速度は、短くして、絞りは開放、ISO感度によって露光の調節をすれば良かったのだ。

 というわけで、今回のチャンスは、惜しくも生かすことができなかった。次の機会にこの経験を役立てよう。

2011年12月11日日曜日

温暖化と二酸化炭素と

大陸からの高気圧の張り出しがあり、気圧配置は間違いなく冬型だが、例年よりも張り出しが南に偏っているように思う。
 そのせいだろうか、冷え込み方が弱いような気がする。
 今朝の気温は、-2.5℃。

 冬至目前の今頃、冬の「しばれ」が一気に作り出され、この時期に蓄えた「しばれ」を春まで持続させるのが例年のパターンなのだが。

 未来の環境が心配になってくる、最近の気候だ。

 いま、われわれが気候変動に直面しているのは、現実であるように思うし、それを裏付ける現象が数多く観察されている。
 そして、その原因の一つが二酸化炭素であることは、間違いないと考えられる。しかし、いまだに二酸化炭素原因説に反対する人々がいる。
 二酸化炭素の温室効果(保温断熱効果)は客観的な事実だし、大気中の二酸化炭素量も増加してきている。そして、平均気温も上昇している。
 この三者が観察可能な事実としてあれば、二酸化炭素が温暖化の原因だと言えるのではないだろうか。もちろん、他にも原因があることを否定するものではないが。

 二酸化炭素原因説が原子力発電促進の理由として使われてきたからだろうか。
 二酸化炭素原因説を否定する人は、「脱原発派」に多く見られるような気がする。

 それぞれに、考える所があり、確信できる理由があっての主張かも知れないが、地球の気候のような複雑系に対する解釈と評価は、実に難しい。
 僕は、二酸化炭素原因説による温暖化の説明と放射線の内部被曝による障害の発生とは、よく似たような因果関係の生み出され方のように思う。
 明らかな事実を積み上げて、その底に流れる真実を推定していくという、いわば状況証拠を積み上げて判断するという点で、両者は似ているのだ。
 
だから、対象が複雑で複雑な要素が入り込む余地を残している場合、感情や政治的な思惑などが入り込みやすい。
 温暖化の問題を考える時、無意識にそのような思考に陥っていないか、よく吟味してもらえればと思う。

2011年12月10日土曜日

真夜中の三日月


「月食」と書くのが普通だろう。
 「月蝕」と書く方が、僕は好きだ。
 「食べられる」のではなく「蝕まれる」ように見えるから。

 食の開始21時45分
 月はほぼ天頂近くにあった。
 オリオン座の二等星サイフとベラとリックスを結んだ延長線上だ

 東側から欠け始めた。

 22時35分頃にはほぼ半分の大きさになり、星たちの光が急に強まったように見えた。

 22時55分、三日月のように細まった。
 真夜中の三日月は、このような時にしか見られない。

しかし、写真撮影には見事失敗!!

2011年12月9日金曜日

「風評」という風評

以前にも書いたが、東京電力福島第一発電所の事故によって多くの飲料水や食品が汚染された。
 汚染した(と思われる)地域で作られた食品は、可能な限り食べたくない、食べさせたくないと考える人は、多いだろう。

 その結果、汚染が疑われる食品の売れ行きが落ちることを「風評被害」と呼ぶようになった。それは今でも続いている。

 「風評」とは事実無根の噂のことだ。
 この場合、「汚染された」のは事実でだから「風評」と呼ぶのはおかしい。たしか、以前にこんなことを書いた覚えがある。

政府の対応はすばやかった。
 2011(平成23)年3月25日の第373回 食品安全委員会で「食品の暫定基準値」を決めている。
 これ以下のものは「直ちに影響は出ない」とした。
 オカミが「お墨付き」を与えたわけだ。

 ところが問題が出てきた。
 まず、「お墨付き」そのものへの不信。
 ヨーロッパなどの基準値に比べてあまりにも甘すぎるのである。だから、暫定基準値以下でも東電のまき散らした放射能の影響を受けている食品は結局は消費者に拒否されてしまう。
 学校給食やコンビニの弁当、ファミリーレストランなどでに密かに使ってしまおうと画策されているが、消費者にはそれらを拒む権利がある。権利を制限され、強制的に汚染されている食材を食べさせられたくないものだ。

 さらに米などは、「安全宣言」が出されているのに、汚染されていたという事実も明らかになった。これは、汚染状態の把握そのもに問題があったことを示しているが、オカミの行う「測定」や「評価」は、客観性を欠いたものだということを示す証拠になる。
 だから放射能汚染に関して、オカミへの不信は高まる一方で、もはや全く権威が失墜たとしか言いようがない。

 さらに、「暫定基準」や「安全の基準」の根拠が研究者によってあまりにも違いすぎる。
人体という複雑な構造とはたらきを持つ場は、実は宇宙のような多様性があり、年齢や性別によって大きく違うし、個人ごとにも異なる。
 われわれの身体は300万年かかって作られたのだ。
それに対して、放射線と人体の健康に関する研究が始められて、まだ百年も経っていない。研究者によって考え方の差が大きいのは当然なのである。

 そしてそこに、政治的な立場、または利己的な打算でものを見る研究者が入り込んでいるから話はまずます混乱するだろう。

 繰り返すけれど、核エネルギーと人類との付き合いは、まだ百年にも満たない。放射線の人体への影響に関する評価も定まっていない。
 そういう時は、今、考えられる限りの最大限の安全策をとることを前提に評価して「安全のための基準」をつくるべきではないのか。
 全国的に、過去1000年間の津波被害を再調査して、対策を建てているのは、「最大限の安全」を追求しているからではないのか。
 あまつさえ、放射能については、まだ百年の付き合いしかないのだ。

 「風評だ」と決めつけ、安全を求める人々の声を封じてはならない。
 「風評だ」と決めつけることこそ根拠の無い噂ではないだろうか。
 「風評という風評」は、ただちに止めるべきだ。

2011年12月8日木曜日

生きる ということ

東高西低の気圧配置で、北西からの風が強い。
 羅臼は、沢ごとに結構激しい吹雪になっていた。

 氷点下3℃の風はカミソリのように肌を切り付けてくる。
 太陽は一年中でもっとも弱々しい。
 お昼でも夕方のような斜光を投げかけてくる。

 根室海峡のイカ漁もピークを過ぎ、夕方に出漁していく船もすっかり少なくなった。早まった夕暮れの海に、十数個の漁り火が輝いている風景は、一段とわびしさを感じさせる。
 最盛期には、イカ釣り船の集魚灯の光で夜でも本が読めるほどに明るかったのだが。

 羅臼のイカ釣り船は地元ではなく、全国のあちこちから集まって来る外来船が主体だ。今年は豊漁だった上に浜値も高く、先に故郷に帰っていった船の人たちは、今頃家族と再会し、皆で迎える新年に希望を託していることだろう。

 今でも暗い夜の海に、取り残されたように輝いているわびしい漁り火の下で、働いている漁師たちは、どんな思いで仕事をしているのだろう。

 他の船と共に故郷へ帰らず、まだ残って漁を続けているのには、それぞれ様々な事情があることだとは思うが、イカ漁最盛期の9月の頃に比べれば、気温は低く、風も強く、波も荒くなっている。
 ヒーターの効いた運転席で、フロントガラスに吹き付ける吹雪をワイパーで拭いながら沖に浮かぶ漁り火を見ながら、ついそういう思いにとらわれる。

 だが、人は、与えられた仕事を黙々とこなしていかなければならないものだ。それが「生活」であり、生きるということなのだろう。

 来週は、朝から夕方まで会議や打ち合わせ、研究会などがすごい密度で連続する。
 今、それを考えると、正直なところ気が重くなるのだが、季節風の吹き付ける海に浮かんでいる、頼りなげな漁り火を見ていると、「頑張ろう」という気持ちになる。
そうなのだ。
 生きるということは、生きている現実から逃げずに踏みとどまることから始まるのだ。

 だが、福島の原子力発電所事故は、そのような人々の生きる場をメチャクチャにしてしまったのである。

2011年12月7日水曜日

明治製菓の想い出

昨日、「高経年化」など、言葉の言い換えの問題を取り上げたが、偶然にも東京新聞の「筆洗」というコラムに同様の趣旨のことが書かれてあったとのことだった。
 趣旨はほぼ同じで、発表の時期も偶然一致したことが、なんだか心強い。

 小学生の頃、住んでいた家は、車一台がやっと通れる路地に面していた。僕の家の向かいにK山さんという家があった。
 五十代くらいの上品なおばさんと二十代とおぼしきその娘さんとが暮らしていて、小学生だった僕は、ずいぶん可愛がってもらったことを覚えている。
 そのおねえさんは物静かで、あまり強い印象はないのだが、油絵を描いていて、展覧会にも出品していたらしいこと、明治製菓に勤めていたことの二点を、はっきりと覚えている。
 明治製菓は、函館市では数少ない全国規模の会社であり、小学生にとっては、最も身近な企業の一つだから、今になっても鮮やかに記憶しているのだと思う。

 そんな理由で、その頃から明治製菓には、ある種の親しみを感じていて、今になってもお菓子を買う時、なるべく明治の物を選んでいる。
 今回、明治の乳児用粉ミルクから放射性セシウムが検出され、製品の回収を始めたというニュースを聞いて、強い同情を感じた。

 産地の偽装や製造日の改ざん、あるいはデータの隠蔽など、食品メーカーに責任のある問題ではなく、東京電力の原子力発電所事故さえなければ起こらなかったことだ。
 製品の回収で、会社は巨額の損失を被るだろう。

 明治は、東京電力に損害の賠償を求める権利があると思う。
 それとも、東電は、国と結託して決めた「暫定基準値」よりも放射能のレベルが低かった、今回の製品の回収は、明治が勝手にやったことで賠償の義務はない、と居直るのだろうか。

 現実に東電のまき散らかした放射能のために、消費者が不安を感じ、返品したり購入を控えたりしたのだから、東京電力が責任を取るのは当然である。

 それにしても、われわれは、こんな悪魔のエネルギーとは、一刻も早く決別しなければならない。

2011年12月6日火曜日

「除染」は、猫のない笑いか

僕は、Atokという日本語入力ソフトを使っているが、「じょせん」と入力しても一番はじめは、変換されなかった。一文字ずつ「除」「染」と変換した。
 最近のソフトは実に頭が良いので、すぐに変換できるようになったが。
各種の辞書で調べても「じょせん」に該当する単語には行き当たらない。もちろんインターネットの世界では、もう普通に出てくるのだが。
とにかく、「除染」は、今までの日本語には無かった単語らしい。

 毎日、メディアやwebで使われていると、言葉はすぐに「市民権」を得て、昔からある言葉のような表情で流通する。日本語の造語力は、なかなかのものだということができる。
 だが、少し気になることがある。
 言葉や概念が定着するのと、現実の世界でその技術が確立されるのとは別のはずだ。最近は、ある概念を表す単語を皆が使うようになることで、その概念がひとり歩きすることが多すぎないだろうか。

 教育の世界でもこの例は多い。
 「ADHD」とか「アスペルガー症候群」「高機能広汎性発達障害」などなど。

 逆に別の言葉に言い換えることで、負のイメージを払拭しようというのもよく見受けられる。
 例えば、「老朽化」と言わず「高経年化」という。「原子炉の高経年化」と使う。これなどは、悪質なイメージの隠蔽だ。
 僕ももうかなり高経年化が進んでいる。
 これからは、老化と言わずにこう言えば良いかも知れない。
 高経年福祉年金とか高経年者介護施設、高経年者ホームとかね。
 「高経年化意識障害」と言えば、なんか偉そうに聞こえる。
 中国のお酒は「高経年酒」となるのかな?

 一度、「コーケーネンカ」と、耳に入っただけですぐに漢字が思い浮かぶだろうか?実に奇怪な日本語で、言葉を貶めているとしか思えない。

 話題が脱線しましたが、それまで漠然と問題が存在していたものを的確に言語化することで、多くの人が共通理解を持つようになることは便利だし望ましいことだ。文明の発展には必要なことだと思う。

 だが、繰り返しになるが単語が生まれても技術が確立したことには、ならないという点に、今、われわれはもっと注意すべきだ。

 もっとも気になるのは「除染」である。
「除染」しても放射能が消えて無くなるわけではない。ある場所から汚染された土などを取り除いて、他の場所に移すだけか、鋤き返して深いところに埋め込むだけなのだ。
 洗い落としたとしても水に溶かし流して、結局は、地下水→川→海へと流れて行く。

 最近、呪文のようにニュースで繰り返される「除染」という言葉を聞き続けているうちに、「除染」で放射能が消え去ってしまうかのように錯覚しそうな危惧を感じる。まあ、作為的にそうされているのに違いないのだし。

 「チェシャ猫症候群」というものがあるそうだ。もちろん「不思議の国のアリス」に登場するチェシャ猫だ。
 「不思議の国のアリス」に出てくるアリスとチェシャ猫とのやりとり。

アリス  :「チェシャ猫さん、あたしはどこへ行ったら良いのかしら?」
チェシャ猫:「あんたはどこに行きたいんだい?」
アリス  :「ワタシ、どこへ行っても良いんですけど・・・」
チェシャ猫:「へぇ。じゃあどっちに行っても良いんじゃないの」
アリス  :「どこかへ出られさえするならば・・・」
チェシャ猫:「そりゃ、どこかへ出るに決まってるさ。どこまでも進めばね」  
 まともな回答をしないまま、チェシャ猫は笑いながらスーッと消えてしまうのだ。
アリスは消えていくチェシャ猫を見て、
「笑う猫は見たことあるけど、猫の無い笑いなんて初めて見たわ」と言う。

 チェシャ猫症候群というのは、
 症状が顕れているのに病理的な所見がないような場合の呼び名らしい。
極端な例かも知れないが、事故で切断して、今は失われている指の痛みを覚えるような現象だろう。
 英語の「Cheshier cat」には、「理由もなくニヤニヤ笑う」という意味があるらしい。
病因がないのに症状がある。いや、チェシャ猫は「消えた」だけであって、存在しなくなったわけではない。

 「除染」によって、放射線障害、中でも内部被曝による障害という病因が無い(ように見えるだけだが)のに症状だけが存在する現象をあちこちに出現させるに違いない。
 それは、あたかも「猫の無い笑い」に似ているかも知れない。
 しかし、笑い事ではない。

2011年12月5日月曜日

「緩やかな死」への序曲


 3日の土曜日、札幌で開催された、「東日本大震災・福島原子力発電所事故を考えるシンポジウム」の講演者の一人、松井英介さんの話が印象的だった。

 まず、松井先生は、「外部被曝モデルと内部被曝モデル」というヨーロッパ放射線リスク委員会(ESRR)の発表を紹介してくれた。
 それは、外部被曝と内部被曝は、まったく別もので、許容できる線量限度を同じ基準で論じることはできない、というものだ。
 内部被曝の例として「核施設白血病」、「チェルノブイリの子どもたち」、「『劣化』ウランに被爆した湾岸戦争の帰還兵」、「イラクの子どもたち」などの具体的な例を挙げて説明してくれた。
 そして、国際放射線防護委員会(ICRP)の急性外部被曝モデルは根本から見直す必要があると指摘した。要するにICRPは原子力発電を推進していこうという組織だから、呼吸や飲食によって体内に入った放射能から出る放射線によって起こる内部被曝が人体に及ぼす影響を小さく見積もりすぎていると言うのだ。
 そして、日本政府が、それらよりもさらに低線量域のリスクを無視している様子がわかりやすい図に示されている。
 彼の著書、「見えない恐怖ー放射線内部被曝」にその図が載っている。

 今年の本当は一位かも知れない流行語「ただちに人体への影響はありません」は、全く正しかったのである。
 「『ただちに』影響はないが、慢性的な影響については、知らないヨ」という事なのだ。

 講演の中では、肺に入ったアルファ線源となる放射能が、ウニの棘のようにあらゆる方向にアルファ線(アルファ粒子線)を放射してい様子を撮した、恐ろしい写真も紹介されていた。

 チェルノブイリの子どもたちに起こっている病変は、もはや他人事ではない。
 「除染」をどれほど行っても、すでに体内に取り込まれた放射能は、「緩やかな死」へのカウントダウンをすでに始めているのである。

2011年12月4日日曜日

札幌に「阿寒の森」


JR札幌駅東コンコースの壁に作られた「Art box」という展示スペースで、
 「あかんの森 ゆらゆらふぁんたじい」と題して、
 切り絵作家 竹本万亀(たけもと まき:友人だけど芸術家だから敬称は付けないのダ)の作品が展示されている。
3日、シンポジウムの帰りに立ち寄って鑑賞してきた。
 以下は、その印象。

海で生まれた記憶が、
 体内に刻印されているように
 森で生きていた記憶も
意識の底に沈殿しているに違いない
それは
 水面から反射して座敷の壁で踊る光
ひと時も止まることなく
 形を変え続ける
命のゆらぎ
 
時空を跳び越えて
 都市に出現した
 阿寒の森の生き物たちは
 ガラスの箱を飛び出して
 街の隅々に散らばる

 ネオンに照らされる路地にも
 胸を張って建つマンションのベランダにも
地下鉄の線路の間にも
 それらは潜み

エアコンのダクトから忍び入り
ケーブルを伝わり
 電線をたどり
 キーボードの隙間からたち上り
 一瞬で街を占領する

 そして
 都市で暮らす人々の
 森の記憶を揺り動かす



 そして、作者は、次のようにコメントしている。


 人々の行き交う都会の空気のなかに神秘の「あかんの森」が現れ、
日常をふっと忘れる絵本のようなファンタジーへと入り込む瞬間が生まれる。
あかんの森は、今この時も多くの生き物たちがうごめいている。
足を踏み入れると、エゾアカガエルやエゾサンショウウオがかさこそと草の隙間から飛び出し、
ヒグマやエゾフクロウは身を潜め、生い茂る木々の合間にゆらめく影たち。
森の住人たちのざわめきや息遣いの中で、私たちも生き物のひとつとして
ともに今を生きていることを感じられたらと思う。

展示は、来年2月29日まで。

2011年12月3日土曜日

札幌でシンポジウム

札幌に来ている。
 日本科学者会議などの主催するシンポジウム「東日本大震災:超巨大地震・津波被害、福島原発災害考える」に出席した。
 得るところが多かった。詳しい内容は、後日。

2011年12月2日金曜日

算盤勘定でヒグマを見ないでほしい

まずは、新聞記事を2つ

 札幌市など全道各地でヒグマの出没が相次いだことで、高橋はるみ知事は、1日の定例道議会で、「生息数などの調査に着手し、捕獲の担い手の育成などに取り組む」と述べ、北海道全域でヒグマ保護管理計画を策定する方針を明らかにした。自民党・道民会議の田中芳憲氏の一般質問に答えた。
<12月2日読売新聞>

 本年度のヒグマの捕獲数は11月末までで749頭に上り、記録が残る1955年度以降では、62年度の868頭、64年度の794頭に次いで3番目に多くなった。これを受けて道は1日、道内の適正な生息数をはじめ、人や農作物の被害防止策を盛り込んだ「保護管理計画」を策定する方針を決めた。全道の生息数を来年度から2年程度かけて調べ、有識者会議の議論を経て2014年度までの策定を目指す。
 <北海道新聞12月2日朝刊掲載>

 保護管理計画は、あった方が良い。作ることに反対ではない。
 だが、草食獣で繁殖率が高く、エゾオオカミが絶滅した影響で個体数が制御できなくなったエゾシカの場合とヒグマのケースでは、事情が違うことを多くの人に知ってもらいたい。

 記事にあるとおり、本年度の捕獲数749頭は1955年以降では第3位で非常に多い。 だが、その原因について、もっと詳しく分析されなければならない。

 ヒグマは北海道の山林に「いる」のだから、元々山林だった場所を伐り開いて市街地を作った場合、それまでそこを行動圏としていたヒグマが市街地に現れても「市街地に出た」ということになる。
 元々山林だった場所に新たに畑を作っても、そこに現れるヒグマは、「畑に出てきたクマ」になってしまう。だから単純に数字だけを見て「クマが増えている」だから「個体数の調整が必要だ」と考えるべきではないと思う。

 「ヒトと共存していける適正な個体数」も、多角的な検討が必要だと思う。有識者会議には、歴史的視点を加味して、それを是非探り出してもらいたい。
 エゾシカと同様な「増えているから数を減らせ」という、きわめて乱暴な「管理計画」ならヒグマを絶滅させることになるだろう。

 詳しくはわからないが、昨日の高橋北海道知事の答弁を聞いていると、エゾシカによる農業被害が59億円、ヒグマによる被害額が○○○○万円などと、すぐに金の高に話を持って行く。そして、このまま見過ごすことはできない、となる。
金勘定の得意な知事らしい答弁だ。

 高橋知事は、目先の算盤勘定しかできず、自然環境なんて観光資源に過ぎないという思想の持ち主らしいから、そういう答弁がスラスラ出てくるのだろうが、このような事態に立ち至った原因が、人間の経済活動だけにあるという正しい反省に立って、物事を見渡すのが知事の職責ではないか。

 北海道電力の役員や元幹部から政治献金をガッチリ集め、公聴会ではヤラセを野放しにし、泊原発1・2号機の運転再開も容認しようとしている知事であればこそ、北海道で昔からひっそりと暮らしてきたヒグマのことなど、髪の毛の先ほども考えようとしないのだろう。

 「保護管理計画」は2014年までにまとめるのだそうだ。その時まで、この人に知事を続けて欲しくはないが、(続けさせるべきでもないし)もし、これが高橋知事の頭の中にあるような、一方的な「保護管理計画」であれば、僕はもう北海道で環境教育なんかやってられない。
 そんな「計画」には、職を賭して反対するつもりだ。
 (たいした「職」ではないけれど。)

2011年12月1日木曜日

「死んだ女の子」との再会

単なる情報音痴だったのだろうか。
 マスコミの悪意で規制されたのだろうか。
 今朝まで、この歌を知らなかった。

 一昨日、「チェルノブイリハート」の日本公開に当たってのメッセージとして、ナーズム(ナジム)ヒクメットの詩が引用されていた。
 久しぶりにヒクメットに出会った。彼の詩で、日本ではもっとも有名なのは「死んだ女の子」ではないだろうか。
 昔、よく聴いたり歌ったりしたこの歌が聴きたくなり、YouTubeを調べていた。
 すると装いを一新した新しい「死んだ女の子」に偶然行き当たった。歌詞は、同じなのだが全然違う曲になっていた。


 外山雄三作曲 元ちとせの歌うこの歌は、「核エネルギーと人類」について鋭く問いかける力に満ちているように感じた。
 知らなかったのは僕だけかもしれないが、もし、聴いてみたい方がいらしたらどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=EmsRNQ57f1M