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2013年5月23日木曜日

 はじめに断っておくがこれは決して個人的非難や攻撃ではない。  先日ある会合の席で小学校低学年を担当する先生と話す機会があった。  以前から気になっていたことだが、低学年向けの「せいかつ科」などの教科書に載っている生物の種類が北海道には生息していないものが多すぎることを指摘した。たとえばある教科書には、「はるのなかまたち」としてクマバチ、ヤマトシジミ、タガメなどが載っている。  日本の自然は多様性に富んでいるからそのこと自体は構わないと思うのだが、地方の教育では、そのような教科書の記述を補う資料または副教科書のようなもので、この地方特有の生物相について、取り上げておくべきではないか、という意見を僕が述べた。  それに対して、その先生は、わざわざ副教科書のようなものを作らなくても、ビデオなどで教科書に載っている生き物を見せればそれで良いのではないか、と反論した。  ちょっと驚いた。  いや、正直に言うとものすごく驚いた。開いた口がふさがらないほど驚いた。  そして、この先生ご自身も、おそらく生き物に触れる経験を十分に持てないまま、教師になったのではないだろうかと考えた。そのような環境で成長されたのかもしれない。  あらためて自然体験の重要性を感じた一瞬だった。  そんな思いを抱きながら今日の羅臼高校2学年「野外観察」の生徒を学校から少し離れた牧草地に連れて行った。途中の渓流の景色を楽しんで、広大な牧草地に着いた。記念写真を撮るのにも大はしゃぎをしている。しまいには鬼ごっこをやり始める。  うん。体験させる教育が、人間の成長には絶対に欠かせない。  いつの日か、冒頭の発言をした先生にも生の自然を感じとってもらいたい。  本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月22日水曜日

 「TEACHERS OPEN DOOR, BUT YOU MUST ENTER BY YOURSELF」学ぶということ

 先日訪問したアメリカの高校の生物教室に張ってあったポスターに書かれていた言葉だ。  「教師は扉を開けるが、入るのはキミ自身だ」とでも訳せばいいだろうか。教師は、学問の世界の入り口まで生徒を導き、入り口のドアを開けて示すことはできる。だが、そこから学問の世界に踏み込むのは生徒自身の意欲次第だ、という意味である。  別な例え方で「泉のそばにウマを曳いていくのは飼い主の人間だが、水を飲むかどうかを決めるのはウマ自身だ」とも言われる。  学ぶということの本質を突いた言葉だ。 そう考えていくと学習指導要領なるものをどれほどいじくり回しても、学ぶ主体(児童生徒) が本気で取り組まなければ、学びは成立しないことが明らかになる。もちろんそこに介在する教師の力量や技能も重要な要素である。  だから指導要領は、本質的でシンプルな方が良い。ガイドラインと言って良いかもしれない。  「『あれとこれは、必ず教えるようにしなさい』と指導要領で指示しました。だから子どもたちに学力が身につかないのは私たちの責任ではありません」という役人のアリバイ作りだったとしたら、日本の教育はあまりに貧しい。 本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月16日木曜日

科学はロマンであるべきだと思うのだが

 羅臼高校「野外観察」の授業で鳥の鳴き声を聴きに外を歩いた。  朝のうち降っていた雨は上がっていたが、例年にない寒さで、鳥もあまり活動的でなくなかなか鳴き声を拾うことができなかった。  そんな時は、つい地面に目が行く。草むらの水たまりでカエルの卵塊を見つけた。退屈紛れにすくい上げてみると、ちょうど原腸胚の後期らしく卵黄が原口に吸い込まれ、卵黄栓(卵黄プラグ)と呼ばれる状態の胚であった。  この時期の胚は、もう少し時間が経つと卵黄栓が完全に体内に収まり、真っ黒な球にしか見えない状態になる。だからカエルの発生過程ではなかなか観察し難い段階の一つなのだ。  生物を選択している生徒に声をかけて、そのことを説明しようとしたところ現役の生物教師から待ったがかかった。 「いま、個体発生は教科書から消えました」と。  指導要領が新しくなったことは知っていた。しかし、僕が高校生だった頃から生物の教師になって、退職するまでの間、ドイツのシュペーマンが繊細な実験と緻密な観察によって見つけ出した発生学は生物の重要な単元であった。それをあっさり捨て去って、高校生たちに生命の何を教えようというのだろう?  生物学の学習は観察が重要な位置を占めている。受精卵のどこから卵割が始まり、細かく分裂した細胞がどのように組織されて個体の身体ができあがるかは、生物体を理解する基礎だと思う。  その上で分化した組織が、どのような仕組みで有機的につながった器官や器官系へと発達していくかへの疑問が生じ、より深い学習への入り口になる。  専門的な研究者にならない子であっても、将来自分や自分の愛する相手が、子どもを宿す時、このような過程で我が子の身体が形成されていくのだというイメージは持つことができるだろう。  学問はロマンだと思う。  生物の教科書から発生を消すのは、日本の生物教育からロマンを消し去ることのように感じられてならない。  発生が進み、原腸胚後期になっている。黒い卵の表明に見える白い小さな丸い点か、卵黄栓で、やがて体内に吸収さる。そこが原口で、将来肛門になる。

2013年5月7日火曜日

「社会復帰」の日々

 久々に出勤した。  当然なことで、やむを得ないことだが、様々の仕事が溜まっていた。郵便物や連絡書類、メールもそれなりのボリウムで待ち受けていた。  それらが錯綜し、少々多忙な一日だった。  少しずつ環境に馴化していかなければ。海外から帰ってくるといつもこうなのだ。    そして何より、羅臼町で行われているESDを質・量ともに高めていく必要がある。それには、先生たちの意識を今以上にESDに向けていくことが不可欠だ。そして、羅臼らしいESDを作っていかなければならない。  今回のプログラムでもっとも強く感じたのは、ESDにおける環境教育の重要性だ。言い換えればESDにおける環境教育の優位性とも言えるだろう。この点に関してはESD関係者の間でも必ずしも意見の一致を見ていない。  しかし、国際理解や平和教育、世界遺産教育などをどんなに推進しても、自然環境と人間との関わりの歴史とあり方への正しい理解がなければ、結局は人類の生きる環境を破滅に導いてしまうのではないだろうか。 今後考えねばならない課題が、あまりにも多く、「社会復帰」の過程でこれらを上手に整理していく必要がある。

2013年4月2日火曜日

ジンパを禁止された北大生に 衰退を思いこの国の凋落を予感する

 4月1日をもって北海道大学が構内のレクリエーションエリアを廃止し、北大名物の「ジンパ」ことジンギスカンパーティが禁止されることとなった 。  北大の農学部東側と総合博物館南側には「レクリエーションエリア」と呼ばれる場所があり、大学生協で買ったジンパセットでバーベキューをするジンパが北大名物となっていたという。僕に言わせればそんなことは最近始まったことで、それほど長い歴史があるようには思われないのだが。 大学側の言い分では、最近になってマナーの悪い学生が騒いだり、芝生への影響が出たりしたことが問題となり、大学施設部がバーベキュー禁止を表明し、構内でのジンパが禁止されることになったらしい。  たかがバーベキューの問題だ。食べたければ北大の周辺には焼肉屋さんは数多ある。一見どうでもいい問題のように思えるだろう。  だが、「ジンパ問題」の背後にある構造を考えるとやっぱり気が重くなってしまうのだ。70年代に学生だった僕たちの感覚では、大学構内における学生の行動を簡単に規制する実力を「大学側」が持っているということが信じられない。これじゃまるで高校か中学と同じではないか。  大学の自治というのは、もはや死語なのだろうか。  そう言えば日本では、大学の入学式や卒業式に保護者が付き添うのは当たり前になった。それどころか入学試験当日や合格発表にまで保護者がつきまとっている姿を見かける。大学には「生徒指導部」があり、家庭訪問や校門での朝の指導までする所があるという。  嘆かわしい。  ヒトは、幼小中高とステップアップするごとに成長していくのが自然な姿ではないのか。これでは、いつまで経っても保護者による庇護から抜け出せず自立した個人が育つとは思えない。  かくして日本の民力はひたすら衰退へと向かうのだ。  ヒトとしての成長をテストにおける得点能力にすり替え、ペーパーテストで1点でも多く得点することにのみ血眼になってきた「教育」の結果がこれだ。  もっともある種の人々にとっては、こんな大学生が増え、その中の「成績優秀」な者が官僚として行政機関に入ってくることは、望ましいことに違いない。その思惑は見事に達成され、引き替えに若者の幼稚化が著しく進行したというわけだ。かくして、物言えぬ有権者を大量生産するシステムが完成する。  北大生よ、正しい伝統を受け継ぎたいなら、見事ジンパを奪い返してみよ!

2013年4月1日月曜日

新年度のスタートに

 2013年度がスタートした。  羅臼町教育委員会で働くようになって5年目を迎える。早いものだと思う。2005年、長い間勤めた標津町の高校から羅臼高校へと転勤した。その年の今日は、金曜日で初めて羅臼高校の職員室を訪ねたのだった。 「学校に顔出し、職員室をのぞく。二間口用の校舎は、小さく狭い。『小さな学校』という感じが強い。生徒数は標津より多いのだが。」初めて羅臼高校を訪ねたときの印象がこう書かれていた。  その4年後、高校を退職し羅臼町教育委員会の今の職に就くことができた。環境教育のカリキュラム編成と実践から始められた僕の仕事は、やがてESD(持続可能な発展の為の教育)と出会って、肉付けされていった。  ESDについては、内容が多面的で、幾通りもの解釈が成り立つ概念で、場合によっては「開発による環境破壊の免罪符」とか「国家間の格差を固定化する」などの批判もある。(「地球文明の未来学」ヴォルフガング・ザックス)そして、その批判が当たっている面もあると思う。  だが、多義的な解釈が可能であるからこそESDは世界中に広がり多くの人に支持されている。  そして、ESDの基盤は環境教育であるという共通認識を広げていくことで、多くの批判や危惧に応えていけるように思う。  今年度の羅臼町のESDは、以上のような考え方で展開していくつもりである。

2013年3月25日月曜日

トップが伸びないのは平等主義が原因か?なんと陳腐な自民党教育再生実行本部提言

 自民党の教育再生実行本部は、「安倍内閣が最重要課題に掲げる経済再生のためには人材の育成が不可欠であり、平等主義から脱却してトップを伸ばす戦略的人材育成を行う」という提言をまとめた。  その内容もさることながら 「平等主義から脱却してトップを伸ばす戦略的人材育成」というのがおかしい。とんでもないことだ。  教育の機会均等は、憲法第14条(法の下の平等)に基づき、第26条第1項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と謳われていて、日本における教育の根幹をなす精神のひとつだ。  その精神を踏みにじり、教育の現場に無用な対立と差別を持ち込み、劣悪な環境を放置してきたのは他ならぬ戦後イヤになるほど続いた自民党政権であろう。そのような中でも児童生徒と直接向き合っている教師たちは献身的な努力で、生徒の学力維持に努めてきた。  イジメや不登校、教師の問題行動など教育をめぐる問題は山積している。その原因の全てとは言わないが、大部分はガチガチの官僚機構と化して統制を強めようとする教育行政とそれと有効に闘うことができず、不毛な対立を激化させることしかできなかった一部の硬直化した教職員組合とに原因があると思う。  その混乱を口実に「教育を再生する」と空疎な言葉だけを振り回した挙げ句、打ち出されたのが「平等主義」への攻撃であろう。  幼稚園の運動会で一列に並んでゴールインするような、極端に歪んだ「平等」の解釈があたかも一般化しているように宣伝し、その弊害で学力が低下していると結論づける。  この論理は単純でわかりやすく、失礼な言い方だが教育現場から縁遠い人々から支持されやすい。そのような「支持者」を煽って、一気に打ち出してきたのがこの「提言」ではないだろうか。いかにも嬉しそうにホンネを述べているな、という印象を受けた。  本当に平等主義が諸悪の根源だろうか。  提言では、「国際社会で活躍する人材を育成するため、英語教育の抜本的な改革を行うことや、イノベーションの推進を目指し、博士号取得者を倍増させるため、理数教育を刷新すること、それに、情報通信技術の教育を充実させる」としている。  そのために英語教育については、英語の検定試験「TOEFL」などで一定以上の点数をとることを大学受験の条件とするとか、小学校に理科の専任教師を配置する、すべての小・中・高校などでタブレット型の情報端末を1人1台整備することなどを提言している。  これらの施策は、むしろ進めてもらいたい事柄だ。だだ、「平等主義を脱却し」少数のエリートだけを対象にしているのであれば、大変な誤りとなるだろう。我が子を「少数のエリート」の中に何とかしもぐり込ませたいと考えるのは親心だ。そこで無用で熾烈な競争が起きることは明かだ。  そのような無意味で不毛な競争を煽って学力を形式化させ、子どもの心や身体を歪めてきたのが今までの教育ではないだろうか。それを激化させることが「再生」である訳がない。

2013年3月19日火曜日

不都合を隠蔽する文化

 先週のESD研修会で教育大学釧路校の先生から聞いた話だが、キンギョ以外の動物は絶対に学校では飼わないというある校長先生がいたのだそうだ。小学校の校長先生で、その理由は、動物が死んだところを子どもたちに見せるべきではないという保護者からの強い要望があるから、ということだった。  この話は、僕が直接聞いたことではなく、人を介して聞いたことだからその事実関係の細部のことはわからないが、現代の小学校の実情を考え合わせれば「死んだ動物を見せたくない」という発想が一部の教師や保護者から出てきても不思議はないと思った。  不快な部分、汚れた部分、きつい匂いのするもの、醜いものを水面下に隠蔽し、見てくれの良い快適で都合の良い所だけを見えるようにする、または見るようにする傾向は、もうすでにずいぶん前から指摘されている。  ホルモン、ミノ、カルビ、サガリなどの焼き肉を食べながらテレビで放映される野生動物の姿や仕草を「ワー!かわいい」などと言いつつ楽しんでいる。もちろんそれはかまわない。  だが、その時、心の片隅で、自分が食べている肉を命と引き替えに提供してくれた動物のことを少しは考えてもらいたい。そこ介在する人々、つまり家畜を飼育し、屠畜し、解体し、部位をごとに切り分け、食べやすい大きさに切りそろえる仕事をした人々のことも少しは考えてほしいものだ。  そのことへ思い至れば、家畜を飼育してる農家へ行って「クサイ」とか「きたない」などという言葉は出ないはずだ。  同様に動物の死から生命の尊厳を感じ取り、「生きている」ということについて正面から受け止められるようになるのではないだろうか。

2013年3月16日土曜日

羅臼町の教員は、はたして自分を高める意欲をもっているのか?・・・ESD研修会で

 午後に気圧の谷が通り過ぎたので夕方から宵の口にかけて細かな雪が多めに降り、風もやや強まって吹雪き気味の天気になった。  昨日は羅臼町でESD(持続可能な発展のための教育)に関する研修会を開いた。幼稚園の先生方は午後の早いうちが良いと言い、小中高校の先生方は放課後が忙しいと言う。されば、午後と宵の二部構成でと思い立ち講師のO教授にお願いして同一の内容で二度の講演をお願いしたところ快く引き受けて下さった。  午後の幼稚園の先生方を対象にしたものは、まだ勤務時間中であったこともあり町内のすべての先生方が集まってくれた。O先生自身の経験や彼が調査した膨大な実践事例を披露してくれて、「勤務」として集まってくれた先生方にも好評な研修会となった。  ところが、異変は夜の第二部に起きた。研修会の参加者はゼロだったのだ。勤務時間外の研修会だから誰一人参加の義務はない。そして、一人一人いろいろな事情もあるだろう。最初から大勢の出席は予想していなかった。参加対象は60人以上いる。だから2~3人の出席でもかまわないと思っていた。  出席するか否かは、あくまでも一人一人の自主性と主体性に任せたものだ。教員の研修には「自主」「民主」「公開」という三原則がある。だから自分から進んで自分の見識や力量を高めようと努めることが研修の原則だ。その意味で研修の時間帯を夜間に設定することに問題はない。僕自身も現役の時は、夜の峠を越えてウトロ側までいろいろな研究者の話を聴きに出かけていた。夜間に出かけるのは少々しんどい。それでも進んで学ぶことは、自分の世界を広々としたものにしてくれた。そのお陰でいろいろなことを知り、それがきっかけとなって、また新たな興味が湧いてきたものだ。  羅臼の先生方にはそのような知的な好奇心、向上心が無いのだろうか。それらがあっても夜、町内で行われる研修会に出かけていく意欲さえ湧かないほど疲弊しているのだろうか。 理由を知る術はない。しかし、とにかく地域の子どもたちの優れた教育を提供するためには、教員の質を飛躍的に向上させなければどうしようもない、という現実を突きつけられた夜であった。

2013年2月14日木曜日

300高地を目指して・・・本日の授業

 羅臼高校の裏に標高300メートルほどの山がある。「山」というほどではない。名前もないのだから。もちろん登山道もない。学校から1~2キロの道のりだから簡単に往復できそうに思えるがそうは行かない。人の背丈よりも高いササに覆われていて、ササをかき分けなければ前進できない。その速度、毎分1メートル。10メートルも進めばヘトヘトになる。100メートル進めばぶっ倒れる。  それは世間で「ヤブコギ」と言われる登山法で、自虐嗜愛者の好む行為とされる。  冬の積雪期間になると事情が変わる。  背丈以上あったササ薮を雪が埋め尽くしてくれるのだ。スキーは雪の上の舟のように行きたい場所に僕らを運んでくれる。  高校2年生の「野外観察」という授業は、本来はフィールドにおける各種調査やサンプリングなどを学ぶアカデミックな科目だが、知床のフィールドで実践的に学ぶ以上、野外で安全に行動するための注意やコツを体験的に学ぶことも必要だ。  特に積雪期の体験は今の時期を置いてはできない。そこで今日は特別講師を招いての実習を計画した。  講師は羅臼山岳会会長のSさん。知床の山の隅から隅までを知り尽くしている超ベテランの山男だ。もちろん山スキーの技術も一流だ。  5時間目、生徒玄関前から出発。野球場を左手に見ながら小さな山を越え、いよいよ目的地の300メートル高地に続く斜面に取り付く。Sさんは、初対面の生徒達でも楽について来られるようにペースを調整している。見事なものだ。それは隊列を見れば一目瞭然である。  やがて眼下に前浜が広がる。  流氷が来ているのだが、高度を上げるとその粗密の様子が一目でわかるようになる。南側の尾根に出て、緩い斜面を探るように登り、一気に頂上に達した。それまでほぼ45分。  この山を、この生徒達は毎日のように仰ぎ見て来たことだろう。羅臼高校の過去の卒業生も全員この山を見て高校生活を送っていたと思う。だが、この頂上に立った経験を持つ者はその中に何人いるだろう。  この科目が始まってからここまで登り切った学年もあったが全員そろって頂上に立ったのは初めてのことではないだろうか。  今日の経験は、時間が経ってからじわじわとその意味を噛みしめられる種類のものだと思う。  快晴無風。気温プラス1℃。  天候にも恵まれていた。

2013年1月30日水曜日

羅臼町のESDについて。今日は真面目に

 ESD(Education for Sustainable Development=持続可能な成長のための教育)に取り組んでいる。この「Development」の訳し方でニュアンスが変わってくるが、そのことには今は触れないでおこう。日を変えて論じてみたいと考えている。  羅臼町では町を挙げて、幼稚園から高校までのすべての学校がESDに取り組んでいる。いや、取り組もうとしている、かな。  その出発点は「無いものねだりよりも有るもの探し」から始まる。  過疎に悩む地方の町で暮らしていると嫌でも「無いもの」が意識される。特に羅臼町は漁業の不振で町の財政が逼迫していて、文化施設や体育館、中学校の校舎などは老朽化している。実際には「無いもの」によって悩まされることも多いわけだ。 だが、それを嘆いてばかりいても解決しない。それらはスッパリとあきらめて「他の場所にないけれど羅臼にはあるもの」を探してみる。するとこれが続々見つかる。笑いが止まらないほど出てくる。  当然だろう。「最後の秘境」「人跡未踏」「奇跡の海」などなどと形容される世界遺産知床半島のまっただ中の町であるのだから。本当はこれらの形容の中には正確ではなくイメージだけでそう表現されているものもある。だが当たらずと言えども遠からずなのだ。  今、羅臼じゅうの子どもたちは、少しずつ「有るもの」を意識するようになってきた。  その次に「知床」について学ぶようになる。  その学びは「IN」「ABOUT」「FOR」という三つの前置詞を基本に据えている。  つまり「知床という場で学ぶ」これは当然のことである。  「知床について」地質学的な知識、考古学的なことがら、生き物や物質循環について、さらに現在直面している問題点について学ぶ。  そして、学んだことを「知床のために」行動することで生きたものに再構築していく。 これを「知床学」と呼んでいる。  こんな「生きた」勉強をすることで、優れた人材が育ち、町全体や町民ひとりひとりが「持続可能な成長」を遂げることができたらと願っているのである。

2013年1月28日月曜日

平均点の一人歩き

 北海道の小中学生の学力は全国学力検査の平均点よりも下回っている。北海道教育委員会はこの後2年間の計画で平均点を上回らせることを目指すのだそうだ。  子どもたちの基礎学力が不足していることは教育の現場にいた者として僕も痛感している。そして、人間が生きていくうえで基礎学力が低いと様々な不利益に出会う。まず、何と言っても政府や悪質な企業の真実の隠蔽や悪意あるデマゴーグを見抜くことが難しくなる。  あるいは、流言飛語に属する根も葉もない噂に翻弄され不必要に悩んだり心配したり苦しんだりする。  だからより騙されず、真実を見抜くために基礎学力は高い方がいい。  だが、学力は他者と比べて一喜一憂するものだろうか。学力検査における平均点には、どれくらいの意味があるのだろう。全く意味がないとは思わないのだけれど「得点」だけにこだわりそれを自己目的化してしまっては、学力の本来の意味を見失うのではないだろうか。  まして「平均点」にどれほどの意味があるのだろう。一定の目安になることまでは否定しない。しかし、仮に全国の都道府県ですべての小中学生が頑張って平均点を上げていったら、「平均より上回ること」にどんな意味があるだろう。  学習と評価に関して、もっと基本的なところからの検証が必要なのではないだろうか。  平均点を上げようとする政策は、学力を矮小化した数値に置き換え学力論や評価論をあまり真摯に考えない人々にも「わかりやすい」ように迎合しようとする意図が明らかだ。  こんなことでは困る。 

2013年1月25日金曜日

吹雪の夜の物語

 その学校はオホーツク海のほとりの小さな小中併置校だった。校長は一見豪放磊落で、思い込んだら誰も止められない勢いのある人だったが実際には細やかな心配りをする繊細な神経も持ち合わせていた。  そんな学校に新任教員として僕は12月に赴任した。その数日後、すさまじい吹雪に見舞われた。除雪体制が現在ほど整っていなかったからか、その頃の吹雪が今よりも激しかったのか、とにかく道路には一晩で家一軒分くらいの吹きだまりがたくさんできる有様だった。  お昼少し前だったと思う。全教員が職員室に集められ緊急会議を開いた。そこで授業打ち切り、保護者に連絡して児童生徒を即座に下校させることが決まった。  だが、問題が一つ残った。小学生は、全員の家が学校から歩いて帰ることのできる範囲にある。上級生が誘導したり保護者が迎えに来たりして円滑に下校可能だった。しかし、中学生の中には、そこから15kmほど山に入った地域から通っている生徒たちがいた。 基本的には彼らも保護者が迎えに来れば良いのだが、吹雪はますます激しさを増すという情報がもたらされていた。また、彼らのほとんどは農家の子どもたちで、道路から住宅までの取り付け道路が埋まっていてクルマを道路に出すのは難しいという連絡も入ってきた。  それを知った校長の決断は早かった。  「よし。送っていくべ」と。  校長自身、屈強な体育教師、そして一番若いという理由で僕の三人がそれぞれのクルマを出すことになった。それぞれのクルマに3~4人の中学生を乗せ、三台は一列になって山へ向かう。クルマのボンネットの高さほどの吹きだまりが所々にできている。先頭の校長のクルマは果敢にそれに体当たりし雪煙を立てて突き進んでいく。彼の性格のものだな、などと思いながら僕も必死で後をついていった。  しかし、吹きだまりがだんだん大型で厚みのあるものになっていき、とうとう集落の手前3~4kmという辺りで、校長のクルマが動けなくなった。スコップを出し必死で雪を掘る。男子生徒を全員降ろし、クルマを押させてやっと一つの吹きだまりを越える。次のクルマがやっぱりスタックする。同じように全員で前に進める。強風で吹き付けられる雪で顔が痛い。生徒も先生たちも融けた雪と汗で身体はビショビショになっている。こんなことを繰り返しながら100m単位でカタツムリのように前進した。 この時、必死で雪を掘りながらこれが教育の現場なんだという思いが胸に焼き付いた。  北海道のオホーツク海の斜辺で、三人の教師と十数人の中学生が汗と雪にまみれ、何が何でも前に進もうとしていることなど、東京や札幌の空調の効いたビルで机に向かっているだけの役人には想像することができないだろうなと思った。そしてつくづく「こちら側」に身を置いた自分は幸せだと感じた。  やがて生徒のお父さんの一人が、大きなフロントローダの着いた四輪駆動のトラクターで現れ、三台のクルマを集落の中心まで先導してくれた。さらに学校までの帰路にも先導してもらったので、無事に帰り着くことができた。  縁あって道東地方で長く暮らしてきた今となっては、さほどのこともない、ありふれた出来事ではあるのだが、道南出身の僕にとっては強烈な吹雪初体験だった。そして、教育という営みの本質に触れることができたような気がする貴重な経験でもあった。  今日のような吹雪の晩、決まって思い出すエピソードである。 

2013年1月23日水曜日

象はやって来るか

 埼玉県の教員が100名以上1月いっぱいで退職する意向を示していることがニュースになっている。  2月1日以降の退職者について退職金を大幅に減額すると決められたことがその背景にあるのは明らかで、現場は混乱を極めているらしい。  僕は、この話を聞いて宮沢賢治先生の「オツベルと象」を思い出した。  やり手の地主のオツベルにうまく言いくるめられた温和しい象が、さんざんこき使われた挙げ句、衰弱してしまう。仲間の象がそれを知って森から大挙して襲来しオツベルの家や工場を壊して救い出す。オツベルもその時に命を落とすという話だ。  教育の現場は、日教組をナショナルセンターとする教員組合と右翼的な教育にノスタルジーを抱く一部勢力が長い間不毛な対立を続けてきた。それぞれに言い分はあるだろうが、もはやそれは本質論からはずれ、メンツや形式的な対立に矮小化されてしまっているように見える。長年そのような現場を見てきた感じるのは、対立が先鋭化するあまり、肝心の子どもへの教育を真剣に論議する場が失われている事実があることだ。  そして、真綿で首を絞めるように教育現場への不当な介入や支配がだんだんと強められてきた。並行して給与面での待遇が劣化の一途をたどった。大多数の現場の教員は、それでも目の前にいる子どもたちのために我慢しつつ懸命に職務に取り組んできた。  教育と医療は素人が安易に口を挟むことの多い分野だから、教育のありかたや教員の待遇を巡っても床屋の待合の与太話のようなヤッカミを含む批判や中傷がまかり通ってきた。  もちろん問題のある教員も少なからずいるのは現実だが、大多数の教員は真面目に職務を遂行してきたと思う。過酷な毎日の仕事の中身を真剣に受け止める人は多くない。その結果、自殺者や精神疾患を持つ者が異常に増え、現場の疲弊はますます進んできた。  今回の埼玉県での問題は、このような背景をもって生じたことのような気がする。重い責任を負わされ、追い詰められ、こき使われても黙って耐えてきた教師たちの心の中で象が動き始めたのだろうか。  はたして、教師たちの心の森から仲間の象が救出にやって来るのだろうか。

2012年12月12日水曜日

ただただ感謝・・・12月11日、羅臼町ユネスコスクール研究発表会 成功

 それほど大がかりな集まりではない。町内の全中高生と二つの小学校の3、4年生が集まっただけだ。  それでも人数は400人に達し、羅臼町の公民館のホールは満員になった。  落語家の立川談志さんが、噺のまくらでよく「文化レベルの低い町ほど立派な文化会館などを持っている」と毒づいていたが、羅臼町の文化レベルは全国でもトップクラスということになろうか。  小学生(一部ではあるが)から高校生までが一堂に会するという行事は、なかなか例が無い。しかも一つの大きなテーマでそれを行うということは、あまりないことだったかも知れない。  このような異校種が共同する行事によって、それぞれの児童生徒が何かを得てくれれば嬉しい。  この会を実行するためにたくさんの人が力を出してくれた。ピストン輸送で子どもたちを運んでくれたバスの運転手さんたち。前日から会場設営に力を出し、当日の照明や音響などの裏方をすべて支えてくれた公民館職員。当日参加できないにもかかわらずロビーで幼稚園児の作品展示をすべて取り仕切ってくれた幼稚園の先生方。町民への広報のために織り込みをし、一軒ずつ配布してくれた町職員の方々。そして何より、この日の発表のために調査し、まとめ、発表練習に励んでくれた子どもたち。この経験は、きっと宝物になるだろう。  あらためて、力を貸して下さった、すべての皆さんにお礼を言いたい。

2012年12月9日日曜日

教室の時計はなぜ教師から見えない位置に掛けられるのか

 きのう、ツイッターにも投稿したのだが、以前から不思議に感じていたことがある。  日本の学校の教室にある時計のことだ。  学校の教室にはたいてい時計がある。  それがほとんど教室の正面に取り付けられている場合が多いのだ。  一番多いのは正面の真ん中。黒板の上だ。その下に教卓があり、授業者は教卓越しに生徒と向かい合うのが基本となる。言わばデフォルトの位置だ。  当然、時計は授業者の後頭部の上方にあり、生徒からはよく見えるが先生には見えない。  この状態は、授業の効率を落とす。生徒は黒板を見るたびに時計が目に入るのだ。授業の残り時間が気になるのは人情というものだろう。  おまけに授業をマネジメントしている教師は、首を回さなければ時間がわからないときている。  どうして教室の後方の壁に時計をかけないのだろう。  ささやかで私的な経験の範囲では、教室の後方に時計を配置している教室を、僕は見たことがない。  まあ、こんなことは小さな問題だと思う。小さなことだからこそずっと長い間にわたって、問題にされることもなく、この状態が今まで続いてきたのだろう。  しかし、この現象が日本の学校や教育が内包する問題のひとつを象徴しているような気がするというのは考え過ぎだろうか。  つまり、非効率、非合理的で「カタチ」ばかりにこだわる。「指導」のあり方も教育を受ける児童生徒の立場に立って考えるよりも先に、「自分の指導とその成果を周囲に見せる」ということを考えてしまう。  つまり、教師は「指導する」のではなく、「指導してみせる」ことばかりを意識する。  そのために、短期間に現れる結果にこだわる。  そして、数値化されたような「目に見える成果」ばかりを求めようとする。  これは内部告発に近いのだが、学校というのは見栄の世界だと言い切っていい。  教育にとってもっとも大切なものは、「愛」と「真理」だと思うのだが。  教育基本法を醜く改悪し、「建前」と「服従」のを学校教育に押しつけようとしている者が、いくつかの政党の党首としてまかり通っている。  彼らにとって、教育は命令通りに行動し温和しく死んでいく兵士を養成するシステムであればいいのだから、この非効率、日合理は当然のことであるに違いない。

2012年11月27日火曜日

やっぱりペットボトルは問題だ!

 生徒たちの手でゴミの海岸のゴミの調査をしている。2学年の「野外観察」という授業だ。  屋外での調査を終え、今はデータの整理を中心に行っている。  一言で「ゴミ」と言っても、人工物と自然物、漂着物と投棄物、不燃物と可燃物など多様な分類が可能で、いかに定量化して発表まで漕ぎつけるか、なかなか難しい。かなりの時間を割いて、生徒と論議を重ねてきた。  一定の方向性が出たところで、今週から実際の統計処理作業に入った。  調査地点ごとに不燃物と可燃物の割合を出し、そこから漂着物と投棄物を類推してみることになった。生徒のアイディアが主導しているので、文句の付けようがないほど科学的だとは言えないかも知れないが。  3つの調査地点を選んでいるのだがどの調査点でも飲料のペットボトルが目立った。  非常に目につくので試みにペットボトルだけの重さを求め、全体に占める割合を重量で出してみることにした。 すると、ペットボトルがゴミの全体量に占める割合は、3地点で8パーセントから10パーセントに達していた。  このことは、ペットボトルをゴミとして投棄しなければゴミの量を10パーセント近く減らせることを意味している。10パーセントというのは相当な量だと思う。  そもそもペットボトルは、石油製品である。膨大な量のペットボトル消費され、資源として再生されないままムダに消費されている事実を突きつけられたわけだ。  しかも、その処理には費用がかかっているのだ。  現代日本社会は、様々の問題を抱え、病んでいるとさえ言われているが、ペットボトルの問題も将来の持続可能な社会を築くために解決しなければならない深刻な問題である。

2012年11月24日土曜日

「遺伝子組み換え」は昔からあったというお話

 先日、高校の「生物Ⅰ」の授業を見せてもらう機会があった。 遺伝の単元でも最後の仕上げともいうべき「連鎖と組み換え」という節だった。  授業をする先生の口から 「ここで言う『組み換え』とは、遺伝子組み換え食品の『組み換え』とは全く違う意味だからちゅういするように」という注釈を聞くまで自分で全然気づかなかったが、確かにその通りだ。  「生物Ⅰ」で出てくる「遺伝子の組み換え」とは、減数分裂の時に二本の相同染色体が捻れて分裂することによって、それまで同一の染色体上にあった遺伝子が他の染色体に乗り換えることを言う。  たとえば雌方の1番染色体にAとBという遺伝子があり、雄方の1番にはaとbがあったとすると、「A」と「B」は常に一緒に移動し、「a」と「b」も同様に振る舞うのが普通で「Aとb」または「aとB」という組み合わせは生じない。  しかし、一定の割合で染色体が捻れたまま分裂し「Ab」または「aB」の組み合わせた生じることがある。これを「組み換え」と言うのだ。  他に「乗り換え」とか「交鎖」と呼ぶこともあるが、この授業で使われている教科書では「組み換え」という言葉が使われていた。  これに対して遺伝子組み換え食品の「組み換え」は、人工的に遺伝子を操作して、細胞の中の遺伝子の組成を換える操作のことである。  この両者は全然関係が無い。 関係のない二つの現象(あるいは操作)に同じ言葉を用いる無神経さに呆れた。  もちろん前者(ややこしい説明を加えた方)の「組み換え」の方が古くから使われていた用語だ。  最近になって出現した技術の名前は、もう少し配慮して、「組み換え」という用語を使うことは遠慮すべきだった。  生物を教えていていつも感じていたが、日本の生物学用語は難しすぎる。日常生活では絶対に使わない語を多用している。  たとえば、「採餌」は英語では「Feeding」という。なぜ簡単に「食う」と言えないのか。 遺伝学用語では、「検定交雑」を「Test cross」と言う。 よく、「簡単なことを難しく教える日本の生物学」と授業中によく揶揄したものである。  ちなみに「遺伝子組み換え」については、前者の「組み換え」を「Chromosomal crossover」後者の「組み換え」は「Genetic recombination」と区別されている。  文科省は、日本の子どもの学力について「言語活動能力の低下」を指摘している。  だが、教科指導に用いられる言語そのものが貧弱ではないか。

2012年11月20日火曜日

「風の谷のナウシカ」で授業する

 羅臼高校3年生、「環境保護」の授業で、今年度から「風の谷のナウシカ」を教材に取り入れた。  今年度取り入れたばかりだから、展開のし方や授業の形態に関して改善や工夫が必要だが、授業にマンガが入り込んだだけでも生徒たちは新鮮に感じるのだろう。真面目に熱心に取り組んでくれる。  つまりは「食いつきの良い」教材であるらしい。  しかし、その内容の深さと情報量の多さは、ちょっとした小説をはるかに凌ぐものがあり、マンガを読み進むうちに生徒たちは四苦八苦し始めた。  そこで、その内容について話し合う中で解りやすく解説してやったり、感想を聞き出したりしながら読み進めている。  授業は、いよいよ最終巻の第7巻に入った。  そこには、たとえばこんなくだりがある。 (以下漫画の台詞を引用する) 墓所の主:そなたたち人間はあきることなく、同じ道を歩み続ける。何度も繰り返された     道を。      みな自分だけは過ちをしないと信じながら、      拳(こぶし)が拳(こぶし)を生み、悲しみが悲しみを作る輪から抜け出せな     い。  ほんの断片の台詞だが、ここで昨日から今日にかけて報道されたハマスとイスラエル軍の戦闘の記事のコピーを配って、ガザで行われている戦闘によって市民が100人以上も犠牲になっている事実を教える。  この漫画が1980年代に書かれたものであることは、最初から伝えてあるが、あらためて再確認し、人間の「業」について考えさせ、感想を述べてもらうのである。  もちろん、「風の谷のナウシカ」の一部を切り取って、そこだけを取り上げるのではない。全体の流れの中から重要と思われる部分を取り上げ、そこを検討したうえで再度全体の流れに戻っていく作業を繰り返す。  この授業は、春からの地球環境に対してヒトがどのように関わり働きかけてきたかという環境史を学び続けてきた末に、「人間とはなにか」という最終単元の中に位置づけられている。  数学や物理のようにたった一つの正解に到達するという性格のものではないところがこのような展開を可能にしている。  正直に白状すれば、僕自身も生徒とともに学んでいる。学ぶところが大きいのだ。  「ナウシカの時代」はまだまだ続くように思う。

2012年10月15日月曜日

「ニンゲンはカビだ」という結論が出されるまで

 羅臼高校二年生の選択科目「環境保護」。 生徒の間で「難しい」というウワサが流れて、このところ選択者が少ない。今年度は男子ばかり3名で開講中。  前時まで黒澤明作品の「デルス・ウザーラ」を観おわった感想を話し合っていた。  極東・ウスリー地方の先住民と二十世紀文明との出会いを描いた、探検者アルセーニェフの手記「デルスー・ウザラー」を元にした映画で、自然環境に強く依存して生活するタイガ(密林)の先住民の自然観を考えることがテーマだ。  それを受けて、今日は人類の出現から文明の発生、国家の形成などについて1学期に学んだ内容をさらい、「ニンゲンとは何か」というテーマへの導入にした。  この先は、哲学的な内容に入って行く。 「ニンゲンとは何か、あまり深く考えずに、思いつくままに一言で表してごらん」と問いかけた。  さまざまな答が出された。 「ニンゲンとは『欲』だと思う」 「ニンゲンとは、仲間を求めるものだと思う」 「ニンゲンとは、サルだ」  そこで、僕。 「パスカルは『人間は考える葦だ』と言ったよ」  すると生徒の一人が訊いてきた。 「先生ならなんて言う?」 (チクショウ!パスカルを出す前に訊いてほしかった!) 「『考える葦』である人間も、頭を使って文明を発達させたけど、地球規模の環境問題を次々に起こしているね。このままでは地球環境はニンゲンによって食いつくされてしまうかも知れない。地表を蝕むカビみんたいなものだな。オレに言わせれば『ニンゲンは地球のカビである』だね」 Aくん 「じゃ、『ニンゲンは考えるカビである』だね」 Bくん 「考えが足りないから問題をおこすんだよナ。」 Cくん 「じゃあ、『ニンゲンは考えないカビである』か?あれ?『考えないカビ』ならただのカビということになる。『ニンゲンはカビである』ということか!」 ハァ!