2013年1月30日水曜日

羅臼町のESDについて。今日は真面目に

 ESD(Education for Sustainable Development=持続可能な成長のための教育)に取り組んでいる。この「Development」の訳し方でニュアンスが変わってくるが、そのことには今は触れないでおこう。日を変えて論じてみたいと考えている。  羅臼町では町を挙げて、幼稚園から高校までのすべての学校がESDに取り組んでいる。いや、取り組もうとしている、かな。  その出発点は「無いものねだりよりも有るもの探し」から始まる。  過疎に悩む地方の町で暮らしていると嫌でも「無いもの」が意識される。特に羅臼町は漁業の不振で町の財政が逼迫していて、文化施設や体育館、中学校の校舎などは老朽化している。実際には「無いもの」によって悩まされることも多いわけだ。 だが、それを嘆いてばかりいても解決しない。それらはスッパリとあきらめて「他の場所にないけれど羅臼にはあるもの」を探してみる。するとこれが続々見つかる。笑いが止まらないほど出てくる。  当然だろう。「最後の秘境」「人跡未踏」「奇跡の海」などなどと形容される世界遺産知床半島のまっただ中の町であるのだから。本当はこれらの形容の中には正確ではなくイメージだけでそう表現されているものもある。だが当たらずと言えども遠からずなのだ。  今、羅臼じゅうの子どもたちは、少しずつ「有るもの」を意識するようになってきた。  その次に「知床」について学ぶようになる。  その学びは「IN」「ABOUT」「FOR」という三つの前置詞を基本に据えている。  つまり「知床という場で学ぶ」これは当然のことである。  「知床について」地質学的な知識、考古学的なことがら、生き物や物質循環について、さらに現在直面している問題点について学ぶ。  そして、学んだことを「知床のために」行動することで生きたものに再構築していく。 これを「知床学」と呼んでいる。  こんな「生きた」勉強をすることで、優れた人材が育ち、町全体や町民ひとりひとりが「持続可能な成長」を遂げることができたらと願っているのである。

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