2012年11月30日金曜日
「泊原発がなければ冬乗り切れぬ」という記事
今日の産経web版の記事には驚かされた。
こんなことを堂々と書けるものだとあきれた。
以下、引用する
暗闇の登別「泊原発なければ冬乗り切れぬ」 北海道大規模停電ルポ
暴風雪の影響で北海道登別市などの大規模停電被害は29日も続いた。北海道を代表する観光地、登別の温泉街はひっそりと静まりかえり、夜のとばりが降りると信号も消えた街を暗闇が覆った。衆院選を戦う各党に「脱原発」の動きが目立つ中、ひとたび大規模停電に陥れば市民生活が脅かされる現実を見せつけている。(大竹直樹)
「街は死んだような状態だ。町中真っ暗で電話もタクシー無線も通じない。商売あがったりだ」。JR登別駅前で客待ちをしていたタクシー運転手の加藤昭夫さん(65)が嘆く。
夜、小雪が舞う登別温泉街に着くと、観光客の姿はなく、凍(い)てつく強風が土産物店のシャッターを揺らしていた。
営業休止となった老舗旅館「第一滝本(たきもと)館」の上田俊英総支配人(55)は「電気がなければ暖房も使えず、館内放送さえできない。宿泊客の連絡先もパソコンの中で、連絡を取るのも一苦労だ。山奥でラジオも入らず、情報も不足している」と話す。登別観光協会によると、営業休止による被害総額は4億円を超えるという。
避難所となっている同市の施設では、急遽(きゅうきょ)設置された非常用発電機が轟音(ごうおん)を立てていた。28日夜には氷点下5・7度の厳しい冷え込みの中、242人が不安な一夜を過ごした。寝付かれずロビーにいた漁師の丹後武美さん(62)は「自宅にいたが、寒くて耐えられなかった。電気のある生活に慣れていたが、今回ほど電気の必要性を実感したことはない」。
27日に11月の観測史上最大となる瞬間風速39・7メートルの暴風雪に見舞われた都市部の室蘭市では、停電で思わぬ被害もあった。「坂の多い室蘭では、道路の融雪設備が停電で使えなくなり、道が凍り付いた」と室蘭観光協会の仲嶋憲一事務局長(38)は話す。
北海道では泊原発が定期検査に入り、道内の稼働原発はゼロだ。「布団にくるまって寒さをしのぐしかなかった。北海道の冬は泊原発がなければ乗り切れないのでは」。室蘭市のオール電化住宅に住む和田山忠生さん(72)は電気のありがたみを実感していた。(引用以上)
今日、パソコンのニュースを見ていたら、とんでもない見出しが目についた。
「泊原発なければ冬乗り切れぬ」というのだ。
室蘭市や登別市の送電線トラブルによる長期間停電の「北海道大規模停電ルポ」と称して、「ねっ!だから原発は必要ですよね」と書いているのだ。
新聞という公器を使った悪質な世論誘導であり、意図的に事実をねじ曲げ、論点をすり替えて、ひたすら原発再稼働に持って行こうとする意図が丸見えの記事だ。
ここであらためて述べるまでもないが、今回の停電の原因は、発達した低気圧による強風で送電線の鉄塔が倒壊したためだ。原発を何十基動かして電気を作っても、送電線が切れたら電気は泊まる。
たとえ原発が稼働していたとしても今回の停電は避けられなかったわけだ。
むしろ現在のような少数の大規模な発電所から一方的に送電するシステムだったことが原因の一つで、小規模な発電施設を散在させていたなら停電は避けられたかも知れないのだ。
この記事の筆者は、おそらく、そのようなことは百も承知していて、とにかく大規模停電という事件を原発再稼働のチャンスに利用しようとしたのだろう。そうであれば実に悪質きわまりない。
そうではなく、素朴に真剣にこの通りと信じていたのなら、あまりにも知識不足、勉強不足と誹られてもやむを得ないだろう。まさかね。
詐欺!破廉恥!悪意に満ちた誘導記事、という誹りを甘んじて受けなければならない。
2012年11月29日木曜日
「ダツダツ詐欺」が蔓延しているゾ
あまり「忙しいから」という言い訳をしたくないのだが、昨年までは12月と3月に分かれていた二つの行事が、12月に相次いで実施されるようになり、とにかく忙しい。
何もしていない時でも追われているような気ぜわしさを感じる。
だから、という訳ではないが以前のように欠かさずニュースを見たり聞いたりして世の中の動きから目を逸らすまいとする気持ちが失せた。
世の動きへの関心が失せたのではない。
放送や新聞のニュースが伝えることがどこまで信頼できるのか、また、大切なことをきちんと伝えているのか、という点への疑惑が強まったのだ。
だから選挙への関心も高くない。
もちろん参政権の行使は最大限に行うつもりでいるが、現状の日本の「多数」が正しい選択をする望みは薄い。残念ではあるが。
そのように考える根拠の一つに以下に述べる現実がある。
多くの政党がエネルギー政策について「脱原発」とか「卒原発」を言っている。
「段階的に減らす」と言っている政党もある。その展望は様々だが。
ところが、現在大飯原発の二基以外全国のすべての原発が停止しているではないか。この状態はかれこれ1年以上続いている。
それでも、何の問題もなくやってこれたではないか?
してみると、このまますべて原発を動かさずにやっていけるわけだ。大飯原発は別問題としても。
このような現状の中で「段階的に減らす」とか「○年後には無くする」と言っている政党の政策は、「とりあえずもう一回動かして、それから考えよう」と言っていることになる。
「即時停止」を言っていない政党は、こぞって「再稼働賛成」と言っているに過ぎない。
国民を欺すことしか考えていない政党の意志がここに透けて見える。
そして、それに欺される国民も多い。
日本はいつからこんな「詐欺の国」になったのか。
2012年11月28日水曜日
「有事」を心配する人々は「有事」に備えているだろうか
今日は満月。
嵐の接近を知らせる雲の向こうで、月が鋭く輝いていた。
発達した低気圧による強風で室蘭市の送電線の鉄塔が倒壊し、長時間で広範囲の停電が起きていることがニュースになっている。
この場で何度も書いてきたことだが、電気が停まってこれほどの騒ぎになることが信じられない。
どうして多くの人々は、電気はいつでもあるものと思い込むのだろう。
電線を通して外部から送られている事実は、家の軒を見ればわかることではないか。あの電線は、せいぜい直径1ミリメートルの銅線に過ぎない。ペンチ一つで簡単に切断できるシロモノであるのだ。
たとえば立木が倒れかかっても、大型車の積み荷が引っかかっても、即座に切れてしまう。
そんなものに暖房や給湯や場合によっては生命までも丸々全部預けてしまっていいはずがなかろう。
「もしも電気の供給が断たれたら」という想定がなぜできないのか?
暖房なら電気に頼らない暖房器具がたくさんある。照明だってどうにかなる。
どうしても電気の要るものにはバックアップ電源を考えておくべきだろう。
つい数十年前、長くても100年前には、電気など無かったはずだ。それでも、支障なく生活できていたはずだ。
そう言えば、東京電力の福島第一発電所の原子炉は、バックアップの電源がうまく作動しなかったためにあのような事故になったのだった!
「もしも」の停電対策ができていなくて慌てふためいた人々の中に、
「国の有事に備えて防衛力を強化すべきだ」などと主張する人がいたら笑止だ。
2012年11月27日火曜日
やっぱりペットボトルは問題だ!
生徒たちの手でゴミの海岸のゴミの調査をしている。2学年の「野外観察」という授業だ。
屋外での調査を終え、今はデータの整理を中心に行っている。
一言で「ゴミ」と言っても、人工物と自然物、漂着物と投棄物、不燃物と可燃物など多様な分類が可能で、いかに定量化して発表まで漕ぎつけるか、なかなか難しい。かなりの時間を割いて、生徒と論議を重ねてきた。
一定の方向性が出たところで、今週から実際の統計処理作業に入った。
調査地点ごとに不燃物と可燃物の割合を出し、そこから漂着物と投棄物を類推してみることになった。生徒のアイディアが主導しているので、文句の付けようがないほど科学的だとは言えないかも知れないが。
3つの調査地点を選んでいるのだがどの調査点でも飲料のペットボトルが目立った。
非常に目につくので試みにペットボトルだけの重さを求め、全体に占める割合を重量で出してみることにした。
すると、ペットボトルがゴミの全体量に占める割合は、3地点で8パーセントから10パーセントに達していた。
このことは、ペットボトルをゴミとして投棄しなければゴミの量を10パーセント近く減らせることを意味している。10パーセントというのは相当な量だと思う。
そもそもペットボトルは、石油製品である。膨大な量のペットボトル消費され、資源として再生されないままムダに消費されている事実を突きつけられたわけだ。
しかも、その処理には費用がかかっているのだ。
現代日本社会は、様々の問題を抱え、病んでいるとさえ言われているが、ペットボトルの問題も将来の持続可能な社会を築くために解決しなければならない深刻な問題である。
2012年11月26日月曜日
ナウシカのジレンマ
今朝の根釧原野は濡れ雪。道路はシャーベット状でハンドルを取られやすくて非常に危険な状況だった。
そして羅臼は雪。
大粒のボタン雪。
午後からは次第に気温が上がり、雨に変わった。
根室海峡を挟んで国後島が間近に見えた。
「国後が近くに見える時は荒れる」と地元の老漁師はよく言う。
いつもなら15時に一斉に出漁するイカ漁の船(僕たちは「イカ付け」と呼んでいる)も、早々と14時に出航していった。荒天が予想されているからだという。
漁師町には、そこはかとない緊張感が漂っている。嵐が近いのだ。
自然と向き合って生活している町だ。あらためてそう感じた。
それより前、「環境保護」の授業では、「ナウシカ」の最終巻について生徒たちと話し合った。
ナウシカたちが腐海を離れては生きられない身体になっているという事実は、現代の人間の状況を例えたのではないか、と生徒が言うのだ。
つまり、「手つかずの大自然」に憧れる人は多く、毎年たくさんの人が知床を訪れるのだが、その人々も(もちろん我々も含めてだが)人間社会から切り離されて知床のような厳しい自然の中で生きていくことはできない。
つまり文明社会の「毒」がなければ生きられない身体だというのだ。
ナウシカたちが「清浄な空気の中では生きていけない身体になっている」という設定は、これを暗喩しているのではないか、と指摘するのである。
なかなかスルドイ。
一理ある。
自然の大切さを訴え、その保全を望んでいる我々といえども、自然から切り離されてしまった存在であるという事実から出発しなければならないのだ。
この矛盾にどう向き合うか。
羅臼高校自然環境科目群の「環境保護」は正念場にさしかかっている。
2012年11月25日日曜日
マッカウストンネル
昨日のことだがトンネルを掘っている現場へ見学に行った。
羅臼町の道道「羅臼・相泊線」のマッカウス洞窟の裏側に掘られているトンネルだ。
マッカウス洞窟という名前はなじみがないかも知れないが、ヒカリゴケのある洞窟のことだ。海岸線沿いに作られている現在の道は、もろく不安定な崖のすぐ下を通っているうえに海が時化ると波をかぶる難所でもある。
この部分の通行が不可能になると羅臼町から知床岬方面への陸路の連絡が完全に途絶してしまう。
そこでトンネルを掘る構想が以前からあったようだが、ヒカリゴケのある洞窟の裏側に当たるので、地下水脈に影響を与え、ヒカリゴケの生育が困難になるおそれがあるとされていた。
今回は、洞窟へ通じる水脈の部分を通るトンネルを完全に防水構造にして地下水の流れを断ち切らない工法が取られているのだそうだ。
そのような工法の宣伝もあるのか、工事を実施している会社の好意で小学生とその保護者を対象にした見学会が催された。
工事は貫通まであと100メートルを切っていて、その先端部まで行けるというので参加してみることにした。
トンネル工事現場には、トンネル内専用のダンプや重機があり、他の場所では見ることのできない珍しい機械があった。中でも最先端で掘削するヘッダーという掘削機は、まるで巨大ロボットのような形をしており、そのようなものが好きな人には魅力的に見えるのだろうな、と思った。
掘削面のコンクリート吹きつけも専用の巨大な吹きつけ機で行われてる。そのため穴をあけた直後からどんどん吹きつけをしているようで、最先端の切り羽まで、壁は隙間無くコンクリートで固められていた。
知床の「地底」に入り込み、そこにある岩石を直に見たり触ったりできるか、と期待していた僕にとって、この点は少々物足りなかった。
しかし、休日を返上し、トンネル建設の工程をわかりやすく説明してれた現場の親切な人々の気持ちに接することができ、収穫の多い見学会だった。
2012年11月24日土曜日
「遺伝子組み換え」は昔からあったというお話
先日、高校の「生物Ⅰ」の授業を見せてもらう機会があった。
遺伝の単元でも最後の仕上げともいうべき「連鎖と組み換え」という節だった。
授業をする先生の口から
「ここで言う『組み換え』とは、遺伝子組み換え食品の『組み換え』とは全く違う意味だからちゅういするように」という注釈を聞くまで自分で全然気づかなかったが、確かにその通りだ。
「生物Ⅰ」で出てくる「遺伝子の組み換え」とは、減数分裂の時に二本の相同染色体が捻れて分裂することによって、それまで同一の染色体上にあった遺伝子が他の染色体に乗り換えることを言う。
たとえば雌方の1番染色体にAとBという遺伝子があり、雄方の1番にはaとbがあったとすると、「A」と「B」は常に一緒に移動し、「a」と「b」も同様に振る舞うのが普通で「Aとb」または「aとB」という組み合わせは生じない。
しかし、一定の割合で染色体が捻れたまま分裂し「Ab」または「aB」の組み合わせた生じることがある。これを「組み換え」と言うのだ。
他に「乗り換え」とか「交鎖」と呼ぶこともあるが、この授業で使われている教科書では「組み換え」という言葉が使われていた。
これに対して遺伝子組み換え食品の「組み換え」は、人工的に遺伝子を操作して、細胞の中の遺伝子の組成を換える操作のことである。
この両者は全然関係が無い。
関係のない二つの現象(あるいは操作)に同じ言葉を用いる無神経さに呆れた。
もちろん前者(ややこしい説明を加えた方)の「組み換え」の方が古くから使われていた用語だ。
最近になって出現した技術の名前は、もう少し配慮して、「組み換え」という用語を使うことは遠慮すべきだった。
生物を教えていていつも感じていたが、日本の生物学用語は難しすぎる。日常生活では絶対に使わない語を多用している。
たとえば、「採餌」は英語では「Feeding」という。なぜ簡単に「食う」と言えないのか。
遺伝学用語では、「検定交雑」を「Test cross」と言う。
よく、「簡単なことを難しく教える日本の生物学」と授業中によく揶揄したものである。
ちなみに「遺伝子組み換え」については、前者の「組み換え」を「Chromosomal crossover」後者の「組み換え」は「Genetic recombination」と区別されている。
文科省は、日本の子どもの学力について「言語活動能力の低下」を指摘している。
だが、教科指導に用いられる言語そのものが貧弱ではないか。
2012年11月23日金曜日
「結果が全て」という精神の貧困
選挙が近いということで、どの政党とどの政党が手を結んだとか合流を呼びかけたとか喧しい。
主張を捨て、基本政策を捨て、ただただ当選者数を増やすための方法を探っている。
もはやそこにあるのは政治ではない。
興味もないので、これらに関するニュースは一切無視することにしている。
綱領があり、それに賛同しそれを実現するための政治思想をもった国民が支持し、そこから選ばれるの政治家と、それを支える党員からなるのが政党ではないのか。
その政党を支持する国民が投票し、政治活動のための資金も寄付するのが本来あるべき政党の財政ではないのか。
大企業からの寄付とタップリ集め、その上われわれの税金から政党交付金までもらって、離合集散にうつつを抜かしている数多の「政党」の姿を見ていると辟易する。
おまけに選挙がおわり、政権を取ったら取ったでロクなことをしない。アメリカに尻尾を振って、お腹を出してゴロニャンするばかりで国民が苦しんでいても知らぬ顔だ。
それも当然だろう。
政党の活動資金を国民から直接もらっていないのだから。
税として強制的に取り上げた中から当然のような顔をして掴み取っているのだから。
どうしても言いたいことがある。
昨日や今日になってにわかに生まれ、離合集散を繰り返す「政党」には投票しないで欲しい。
政党交付金としてわれわれの血税からゴッソリ資金を受け取っているような「寄生政党」にも投票しないで欲しい。
そして、なにより必ず投票に行って欲しい。
当選するために手段を選ばないような選挙運動で当選しても、そんなものは本当に選ばれたことにはならない。結果が全てではない。
2012年11月22日木曜日
ある日
今日は、低気圧の狭間の穏やかな晴れた一日だった。
朝、通勤のために運転する車をずっとどこまでも走らせたい衝動に駆られた。
遠くの山がかぶる雪は、このところの冷え込みで一段と厚みを増したように感じられ、その稜線を見ていると、どういうわけか故人となった友のことが思い出された。
写真家のK
詩人のC
サラリーマンだったU
三人の名前が呪文のように繰り返し繰り返し心に浮かんできた。
今は、「時」によって遠く隔たった彼らに、突然近づいたのは何故だろう。
時空の歪みのようなものがあって、僕らには感じられない第五次元の方角で、彼らのいる世界とすれ違ったのだろうか。
夜、月の周りを真円の「笠」が取り巻いていた。
次の低気圧が近づいている。
彼らの世界が、再び遠ざかるのが、少し心残りだ。
2012年11月21日水曜日
僕が青年だった頃の選挙の思い出
「今度の選挙は、誰にいれればいいの?」向かい側の席に座った年配の農家の婦人らしい人が、隣に座っていたその人の息子らしいサラリーマン風の男性に何気なく訊いた。
昔、僕が浪人して頃のことだった。
列車内で出会った光景だ。
しかし、次の瞬間、男性の答を聞いて、僕はびっくりした。
「ウン。まだ、組合からはっきり聞いてないんだ。明日あたり、わかると思う」
いつまで経っても忘れずに覚えているのは、この時の驚きのせいだと思う。
高校時代、「政治経済」という科目があった。
その中に「労働組合の政治活動」という単元があり、労働組合は特定の政党を支持するべきではない、と教えられた。
その時の試験問題だった「労働組合と政党の正しい関係について述べなさい」という問題に次のように解答して満点をもらったことを覚えている。
「労働組合は、労働者の生活と権利を守るための組織である。そのため、政治的な活動を積極的に行う必要がある。しかし、選挙で投票する対象や支持政党を決めるのは、あくまでも個々の労働者個人であり、個人の政党支持の自由は、基本的人権の一つとして最大限に尊重されるべきである。したがって労働組合は、各政党の政策や候補者に関する情報を組合員に積極的に提供すべきではあるが、決して特定の政党への支持や候補者への投票を組合員に求めるべきではない。」
そのような経験をした僕の目の前で、平然と「組合の指示で投票する候補者を決める」と言い切る男性。
さらに、(おそらく)自分が投票する候補者を息子の意のままに決める母親の実在は、少なからず衝撃的だった。
日本の民主主義とは、この程度だったのかと暗い気持ちになった。もう40年以上も前のことだ。
そして今、国民の投票行動は、少しは変わったのだろうか。日本の民主主義は僅かでも成長しただろうか。
率直に言って、あまり変わっていないように思う。
また、それが試されようとしているのだけれども。
2012年11月20日火曜日
「風の谷のナウシカ」で授業する
羅臼高校3年生、「環境保護」の授業で、今年度から「風の谷のナウシカ」を教材に取り入れた。
今年度取り入れたばかりだから、展開のし方や授業の形態に関して改善や工夫が必要だが、授業にマンガが入り込んだだけでも生徒たちは新鮮に感じるのだろう。真面目に熱心に取り組んでくれる。
つまりは「食いつきの良い」教材であるらしい。
しかし、その内容の深さと情報量の多さは、ちょっとした小説をはるかに凌ぐものがあり、マンガを読み進むうちに生徒たちは四苦八苦し始めた。
そこで、その内容について話し合う中で解りやすく解説してやったり、感想を聞き出したりしながら読み進めている。
授業は、いよいよ最終巻の第7巻に入った。
そこには、たとえばこんなくだりがある。
(以下漫画の台詞を引用する)
墓所の主:そなたたち人間はあきることなく、同じ道を歩み続ける。何度も繰り返された 道を。
みな自分だけは過ちをしないと信じながら、
拳(こぶし)が拳(こぶし)を生み、悲しみが悲しみを作る輪から抜け出せな い。
ほんの断片の台詞だが、ここで昨日から今日にかけて報道されたハマスとイスラエル軍の戦闘の記事のコピーを配って、ガザで行われている戦闘によって市民が100人以上も犠牲になっている事実を教える。
この漫画が1980年代に書かれたものであることは、最初から伝えてあるが、あらためて再確認し、人間の「業」について考えさせ、感想を述べてもらうのである。
もちろん、「風の谷のナウシカ」の一部を切り取って、そこだけを取り上げるのではない。全体の流れの中から重要と思われる部分を取り上げ、そこを検討したうえで再度全体の流れに戻っていく作業を繰り返す。
この授業は、春からの地球環境に対してヒトがどのように関わり働きかけてきたかという環境史を学び続けてきた末に、「人間とはなにか」という最終単元の中に位置づけられている。
数学や物理のようにたった一つの正解に到達するという性格のものではないところがこのような展開を可能にしている。
正直に白状すれば、僕自身も生徒とともに学んでいる。学ぶところが大きいのだ。
「ナウシカの時代」はまだまだ続くように思う。
2012年11月19日月曜日
一本の映画との出会い
偶然の出会いというものがある。
札幌でつくづくそういう経験をした。
日曜日午後、ちょっとした行き違いで、4~6時間ほどの時間が空いた。
場所は札幌の中心街狸小路でのことだ。
時間の使い道に不自由はしない。そこで選択したのは映画を観ることだった。
6丁目にシアターキノという大手配給会社の系列に属さない映画館がある。
そこで邦題「あの日 あの時 愛の記憶」(英題「Remembrance」)というポーランドを舞台にしたドイツの映画に出会った。
タイトルから受ける印象は、なんだか照れくさいラブストーリーのように感じた。
ところが、この映画は1944年のポーランドと1976年のニューヨークおよびポーランドを舞台にした硬派な映画だった。
1944年、アウシュビッツ収容所で、囚人となっているポーランド人男性トマシュとドイツから連行されてきたユダヤ人女性ハンナとが愛し合うようになったところから物語が始まる。
トマシュはナチスに抵抗する収容所内の地下組織に属していて、ナチスの残虐行為を密かに撮影したフィルムを外に持ち出し、抵抗組織に届ける任務を引き受ける。
そして、その機会に乗じてハンナをも連れ出して兄の恋人が暮らしている家に匿い、自分はフィルムを届けるためワルシャワへと向かう。
二人はそこで別れ別れになるが、ナチスドイツの崩壊やソ連のドイツ侵攻に伴うポーランド占領などの混乱で、再会を果たせず、互いに死んだものと思い込んで戦後を生きていく。
やがてニューヨークで暮らすようになったハンナが、偶然にトマシュが生存していることを知り、ポーランドへと向かう。
そこに至るまで、現代(といっても1976年だが)と1944年を行きつ戻りつしながら映画が展開する。
最初から最後まで非常に緊張感のある映画で、息をつく暇もない展開だった。ただし、その緊張感は、登場人物が日常を普通に行動する中での心理的緊張であり、決して派手なアクションや破壊シーンを伴うようなものではない。映画自体はまるでドキュメンタリーのように、淡々と「日常」を描いているだけなのだが。
言語もポーランド語、ドイツ語、英語が次々に出てくる。ドイツ語やポーランド語は、ほとんど理解できないのだが、9月に旅をした場所でもあり、少しだけ耳に馴染んでいて親しみが感じられた。
この映画は実話を元にして作られたのだそうだが、たしかに僕らが訪ねたアウシュビッツには、収容者が命がけで撮影し、外に持ち出されたフィルムからプリントした写真が何枚か展示されていた。
映画館のポスターを見るまで、その存在すらしらない映画だったが、観ることが出来てほんとうに良かった、得をしたと思える映画だった。
一本の映画とこういう出会い方をする場合もあるのだ。
2011年 ドイツの映画 監督 アンナ・ジャスティス
原題 「DIE VERLORENE ZEIT」=「失われた時代」 英題「Remembrance」
2012年11月18日日曜日
甲状腺の危機
前線が通り過ぎて、じわじわと気温が下がってきた。
気圧配置が冬型になってきた。
札幌に来ているのだが帰路の峠は雪になりそうだ。
福島県の子どもに甲状腺癌の疑いのある患者が見つかったと今朝の北海道新聞が報じていた。
原子力発電所から出た放射性物質の中にヨウ素の放射性同位体が多量に含まれていたこと。ヨウ素はチロキシンの材料としてヨウ素は甲状腺に取り込まれる。放射性ヨウ素が甲状腺に集まり、そこで放射線を発するからその近くの細胞が被ばくし、癌化が起きる危険性が高まること。
ここまでは、誰もが知っている事実だ。
それゆえ、福島県に住む子どもたちに甲状腺の検査が行われていることは、よく知られていることだ。
だが、その検査の結果がどうなっているのかあまり知らさていない。
少しだけ発表されてもその内容への信頼性が揺らいでいた。
なぜなら過去の公害事件の例と同様に、支配者は、常に被害を小さく見せようとするから。
大手メディアには、常にそのバイアスが働いていた。今回の原子力発電所の事故も同様だった。今さら具体例を挙げるまでもない。
低線量による内部被曝の影響は、すぐに把握できないことだからこそもっとも隠したい事柄であり、隠しやすいやすい事でもある。
当然、マスコミもなかなか取り上げない。
「癌患者の発生」という隠し通せない事実が浮上して、しぶしぶ報道したという感がある。
チェルノブイリにおける例では、若い人に甲状腺癌の多発が確認されるまで4年かかっているという話もあるから、今回の患者と原子力公害との因果関係は不明だとされている。 その通りかも知れない。
なによりも重要なことは、福島県に住む若い人々の甲状腺の状態への関心をもっと高めることだろう。
さらに報道機関がこの問題をどれほど正確に伝えているかも監視していくことだろう。
2012年11月17日土曜日
冬のタイヤに
タイヤを交換した。
積雪の遅い根釧原野では、路面が雪に被われる季節はもう少し先なのだが、羅臼へ通うことも多いので、このところ早めに履き替えることにしている。
それにしても今年の雪は、降り始めが遅く、「まだ間に合う、まだ間に合う」と一日延ばしにしてきた。
しかし、今日は、これから峠を越えて行かねばならない。
背に腹は替えられないというわけで、出発前の慌ただしさの中で作業した。
コンプレッサの配管に漏れがあって、作業が手間取ったがなんとか午前中に作業を終えた。
これから出発する。
なんだか冬に向かって出発するというような気分である。
2012年11月16日金曜日
キーンという寒さがやって来た日、政治は全然良くならない
激しく雨の降る日が続いた。
3日ぶりに雨の上がった今朝、知床の山々が真っ白になっていた。
降ったばかりの雪だ。はるかに離れた所から見ていても、心なしか白さが一層きわだっているように感じた。
家の外においたタライの水も凍っていた。
今日、衆議院が解散になり、選挙が近づいて騒がしい。
選挙になれば、どの政党もどの候補者も耳障りの良いことばかりを言う。
多くの世論の反対を押し切って、大飯原発を再稼働させた野田総理大臣でさえ、
「原発は、なくしていく」と言う。
自分の寿命が尽きた先のこととして「公約」しているのだから笑止だ。
そして、それに騙される有権者も少なくないのだからやりきれない。
「新党だ」とか「第三極」だというのも流行っている。
自民党の政治に辟易して民主党を選び、民主党に失望したからといって自民党に戻るわけにもいかぬという有権者の票を取り込むための「受け皿」作りなのだろう。
「受け皿」にしか目のいかない有権者も有権者だ。
中身はパチンコ屋の「新装開店」と同じことなのに。
そう言えば、「新党」の面々のセリフにも抱腹絶倒した。
「国民は、既成政党に不満を募らせている」とよく言っているが、それを言う議員たちは、もともと「既成政党」の議員なのだ。
「既成政党」を否定するなら、「既成政党」所属の議員は、スッパリと辞めなければならないだろう。
政党助成金に群がる寄生虫たち。
党の看板を掛け替えるだけでは意味がない。
国民の血税に寄生する「寄生政党」が、いくら名前を変えても、絶対にこの国の政治は良くならない。
2012年11月15日木曜日
ああ、早すぎるその死よ
あまりにも早すぎる死だ。
羅臼高校に転勤する前の高校を卒業した若者が一昨日、死んだ。
交通事故による死亡だった。
年下の者の死は、いつも切ない。
特に、生徒だった者の死は悲しい。
一つ屋根の下で共に三年間を共有していた生徒の場合には、さらに辛い。
お通夜の席に座りながら、「どうして?」という思いが幾度も去来した。
集まった友人たちの悲しみ、残された家族の嘆き。
ひとつの命がどれほど数多くの命と関わり合っていたか、あらためて気づかされる。
われわれは「生きている」という状態を当たり前のことのように思い、
「明日もまた同じように続くだろう」と心のどこかで考えている。
死神は、気まぐれにその大鎌で、魂の緒をばっさりと断ち切ってみせることがある。
この事実を知らずに生活しているのか、知っていても敢えて見ようとせぬのか。
衆議院選挙の日程が明らかになったことで、なりふり構わず、ただヤミクモに当選することだけを目指して血眼になっている政治家たちに、今一度「生きている」ということの不確実性を突きつけてやりたい。
「命の大切さ」などという手垢にまみれた言葉ではなく、心底からの実感させてやりたい。
彼らが、生命の不安定性と、不安定であるがゆえの尊厳を認識できたならば、今よりはもう少し「生命と暮らしを大切にする政治」が実現するのでなかろうか。
それとも、欲で濁った目を持ち平然と戦争を始めようとする思考回路からは、もはやそのような感性は失われているのだろうか。
2012年11月14日水曜日
高校生イカの燻製づくりに挑戦! その作業中の深い哲学的おしゃべり
羅臼高校の3年生のうち海洋生物を選択している生徒たちとイカの燻製作りをした。
役場職員の専門家に指導してもらい、町の施設を利用しての実習だ。イカは、羅臼漁協から提供をうけている。
町ぐるみで応援してもらって成り立っているこの実習は、もう10年近く続いている。
イカをおろし、味付けして一晩乾燥させる。
この作業は昨日実施した。
今日は、朝から乾燥したイカに煙をかける作業だ。
燻煙を終えたイカは適度な厚さにスライスし、真空パックにする。
一枚ずつ包丁で切るのだから、厚みにバラツキが出るのはご愛敬だ。
大胆豪華な厚切りから顕微鏡標本のような薄切りまで、いろいろだ。
「これが手作りの味わいだよ」などと話していると、指導してくれる専門家が、
「工場では、機械で切るから常に均一な厚さになります。やはり商品ですからね」と付け加えてくれた。
ふーむ、商品にはばらつきがあってはダメなのだ、と改めて思い起こした。
だが、イカだって生きものだ。大きなイカもいれば小さなイカもいる。
生徒も生きもので、彼らが手で切るのだから均一な厚さを保つというわけにはいかない。
そして、それを食べる人々も実は生きものだから口の大きさや噛む力はまちまちだ。
「統一された均一な規格」というものは、「生きもの」とは、相容れないのかも知れないな、と思った。
鉄やコンクリートなど人工的に作られる物には、商品の均一性は大事な要素だ。
だが、生物由来の原料を使い、生物が食べ物とする製品に、統一された規格や均質さを強く求める必要があるだろうか。
われわれは、自然から乖離(かいり)した生活を送るうちに、知らぬ間に食べ物の規格が統一されていることを求め過ぎているのではないだろうか。
燻煙されたイカの胴体の両端は、乾燥が進みすぎ、煙の味が濃くなり過ぎているの切り取って、「製品」にはなることはできない。(生徒たちが喜んで食べ、残りは持ち帰ったが)
工場で大量生産されるとしたら、こんな「規格外」の部分は捨てられる運命になるかも知れない。
われわれはここでも自然から恵みを無駄にしている。
罰当たりなことをしていることになる。
食べ物を「工業製品」として流通させることには、限界のようなものがあるのではないだろうか。いや、あるべきかも知れない。
規格の統一を強く求めすぎるから、電力も大規模発電所でなければ作ることが許されず、「品質」にバラツキのある自然エネルギーは敬遠されてきたのだろう。
「自然界は多様性に富んでいる」という事実を認識の基底に置いて、すべてを見直さなければ、人類に未来は無いと思った。
たかだがイカの燻製作りの最中に交わした与太話だが、なかなか深いテーマにつながったのであった。
2012年11月13日火曜日
獅子の星座に火の雨が降る
宮澤賢治先生の「原体剣舞連」の最終連
太刀は稲妻 萱穂〔かやほ〕のさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天〔あま〕のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
ここに出てくる「獅子の星座に散る火の雨」とは、言うまでもなく獅子座流星群のことだ。
もう、11年前。2001年のことだった。
この年は「大出現があるかも知れない」と言われていて、宵に少し仮眠をとっただけで一晩中起きていた。
未明を過ぎ、夜明けが近づいて来たと思う頃、それは突然始まった。
照明弾のように明るく輝く流星が、連続して落ちてくる。
数個の流星が同時にあちこちの方角に落ち、どこを見ればよいかさえわからなくなる。 本当にそれは照明弾のように煙のような尾を曳きながら(「永続痕」というらしい)落ちてくる。次の流星が永続痕を照らし、天空一面におびただしい不規則な線が描かれた。 流星というより火球と呼ぶべきだったのだろう。
後になって調べてみたら、マイナス8等級くらいの明るさのものも少なく無かったという。
あのような流星の嵐は、もちろん生まれて初めて見た。正直に言えば、これが何らかの実害をもたらすのではないかという恐怖さえ覚えた。
その流星群の季節がまた来る。
17日が極大なのだそうだ。
2012年11月12日月曜日
地より湧き出でるカエルたち
カエル、ヘビ、カタツムリ、ナメクジ、トカゲ。
蠢く者たち
のたうつ者たち
這い回る者たち
あらゆる地中の者たちが
ゆらりと立つ
ゆらりと立って
指さす
地を汚す者
水を濁す者
空を覆う者
毒をまき散らす者を
その弾劾に耐えられるか
誠意を裏切った者が。
昨日、「釧路市立美術館 マチナカ ギャラリー」という催しの「旧五十嵐邸+竹中真亀」という切り絵展を観てきた。
昭和30年代頃に建てられたと思われる邸宅の内部をまるごとギャラリーにして、カエルやヘビ、カメなど主に地上を這い回る動物たちをモチーフにした切り絵が、家中に展示されていた。
そこは、幻想と現実の接点のような不思議な空間で、背中を花模様などで飾った動物たちが、優しいまなざしのままで、静かにわれわれの所行を告発しているかのような感じを受けた。
2012年11月11日日曜日
「天声人語」に異議あり
昨日の朝日新聞「天声人語」
中国指導部の腐敗が進んでいる、と。
指導者の人事が密室で決められ、決定の過程が不透明である、と。
(以下部分引用)
庶民の間に、「幹部の四態」なる戯れ歌があるそうだ。
「午前は車でアチコチ
昼はお皿がぐるぐる
午後はサイコロがころころ
夜はスカートがひらひら」
<中略>
共産党独裁にして資本主義を疾走する大国が、この党大会でどう舵を切るのか注視したい。
(以上が引用。改行は筆者)
これに異議はない。同感できる。
だが、中国のこの体制との比較として「国民総参加だった大統領選と、大きな落差を感じる人もおられよう。」という一文が、その前段に挿入されている。ここに違和感を覚える。
直接投票ではなく、選挙人を選出し、勝った方がその州の選挙人を総取りする、やり方。選挙人の定数配分も人口比によっているから、アラスカなどは、あれほどの面積がありながらたった4人しか配分されていない。
物理学で有効理論という考え方がある。
マクロな情報だけを読み取り細部を無視することだ。普通に誰もがすることである。
例えば、鉛筆で直線を引く。誰がみても一本の整った線に見える。だが、実態顕微鏡のようなもので拡大して見ると、そこにはある程度の幅で(細かなバラツキはある)紙の表面に黒いカーボンの粉が散らばって見える。
決して直線ではないが、そのような細部を無視して受け止める習慣あるいは性能、または約束が暗黙の内にわれわれの中にある。
もちろん、こう考えなければ現実世界は前に進まない。
アメリカの選挙制度は、「細部を無視する」有効理論に基づけば、効率的で現実的な民主主義なのかも知れない。しかし、ベストな方法とは言えない。
誰が考えても「死に票」が多すぎるだろう。
おそらく、あの広い国土に非常に少ない人口で、しかも先住民や国境を越えて入り込んでくる人々、奴隷として連れてこられた人々など、さまざまな立場の人がいる中で、「可能な限りの民主的な方法」として生み出されたのではないだろうか。
(中国の国家体制も、また違った歴史的過程の結果として成立していると思うが)
時の流れと共に条件は変化する。
その意味で、中国もアメリカもそれほど違わないような気がする。
国のリーダーの決め方について、「今のやりかたがベストである」と断定したとき、すでに綻びが始まっているのではないだろうか。
もちろん日本も。
2012年11月10日土曜日
フユシャクの夜に
激しい雨降りが治まったと思ったら、約束していたかのように寒波が来た。
今朝、外気温は10℃あったが、どんどん下がり続け、昼には5℃を切った。
今、夜の10時半。外気温は4℃である。
阿寒からは初雪が降ったと知らせがあった。
そんな冷え込みの中をフラフラと飛ぶ小型の蛾がいる。
フユシャクたちだ。
鮮やかな色をしているでもない。奇怪な姿をしているでもない。
鱗翅目という大きく派手なグループの片隅にひっそりと属している。
学者たちでさえその存在に気づかない種も含まれる。
ひそやかな、ひそやかな生命。
消化器も持たない。
口もない。
何も食べず、何も飲まず、
ただ生殖のためだけに羽化した虫たち。
動かぬ雌から発せられる
かすかな匂い
匂いとも言えぬ分子の震動を頼りに
フユシャクたちが飛び回っている夜。
しずかにしずかに更けていく
2012年11月9日金曜日
自然を商品にするということ
「アミューズトラベル」という会社の名前に記憶があった。
あの、トムラウシ遭難事故を起こした会社だ。
数年前、斜里岳に登ったことがあった。
頂上に着いて一休みし、下山にとりかかった。
山頂から尾根伝いに下り、鞍部に至り、そこからいよいよ沢に入ろうとした時、下から登ってくる大きなパーティーがあることに気づいた。30人以上いたと思う。
皆が、沢筋から尾根に出るための最後の急坂に取り付いていた。
僕らは、その集団が登り切るまで、沢へ下るのを待っていた。
やがて尾根に登り着いた一行の顔を見て驚いた。全員顔が青ざめ、おぼつかない足取りで宙を踏むようにして歩いているではないか。
「幽鬼の群れ」という言葉が頭に浮かんだ。
山では、だれにでも挨拶するのが当たり前だから「こんにちは」と声をかけた。
「こんにちは」と応えてくれた人は、5~6人に一人だった。
他の人々は、挨拶も出来ないほど疲労困憊していたのだ。大部分がけっこうな高齢の方だった。
ああ、これがよく耳にした「弾丸登山ツアー」というものか、と思った。
中国河北省張家口市郊外の「万里の長城」近くで日本人観光客らが遭難し、北九州市の男性を含む60~70代の日本人男女3人が亡くなった。
このツアーを企画した会社が、2009年に北海道・トムラウシ山遭難事故で8人が死亡したツアーも企画していた。
夏のことだったが天気の急変による雨で体温が急激に低下し「ハイポサーミア(低体温症)」による犠牲者が出たのだ。
ずっと以前から疑問に思っていた。登山を商品にすることは、正しいことなのだろうか。
山に登るということは、山と向き合うことを通して自分自身と向き合うことだと思っている。
ただ、それをする舞台が「山岳」という自然条件のきわめて厳しい場であるので、何よりも安全であることが求められ、そのためには自然への深い理解と知識、経験、技術などを要する。
これらは、登山者一人一人の努力によって学ばれ、身に付けられていくもので、周りから与えられる、あるいはお金で買い取れるものでは断じてない。
ところが、登山をディズニーランドや名刹巡りと同列の旅行商品としてパッケージにして安易に売り出す旅行業者が増え、中には安全面への配慮を欠く事例が時々問題にされる。
斜里岳で遭遇したツアーも、聞くところによると1日目は羅臼岳に登り、2日目に斜里岳、3日目は雌阿寒岳または雄阿寒岳に登るのだという。
あの「幽鬼の群れ」も翌日は阿寒に向かったことだろう。
登山ツアー全部が悪いとは思っていない。
的確なリーダーに率いられて、簡単にいくことの出来ない遠くの山に登り、自分の普段のフィールドとの違いを楽しんで自然の奥深さと多様さを堪能するような、ツアーも少ないだろう。
だが、「登山ツアーは儲かる」ということで他社との競争心から、安直な企画をしている旅行業者は、いないだろうか?
いるからこのような事故が起こるのではないか。
さらに山小屋での場所取り、料理人の同行と食材をアルバイトにボッカ(運搬)させるツアーも少ないと聞く。
そして、なにより儲けを最優先させるような業者は、山の環境を保全していくことなど考えもしないのだ。
自然を畏れ敬う人々なら注意深く自制的な行動を保つだろう。
「儲かればいい」という旅行業者が、そこまで良心的に行動するなど絶対に信じられない。なにしろ客の生命さえ危険にさらすのだから。
これも会社間の競争を煽る新自由主義の招いた現象の一つである。
2012年11月8日木曜日
狂った大臣を任命する狂った首相を選ぶ狂った組織・・・・
田中真紀子文部科学大臣は、不認可と判断していた札幌保健医療大など3大学の新設を認可した。これにより3大学の来春開学が正式に決まった。
わずか6日間で「不認可」から「認可」へ180度変わったわけである。
「不認可」の理由はもっともらしく付けられていたが、大学設置審議会などで設立の基準を審議し、「問題はなく、設置を認可すべき」とされていたものをひっくり返してのものだった。
「乱暴な決定だ」という批判が相次いだことで、取り下げざるを得なくなったのであろう。
先日、札幌保健医療大学への進学を希望している生徒を抱えている、ある高校の先生と出会って話をしたばかりだったこともあり、田中大臣の「不認可」の判断を批判的に見ていた。
欲と利権が絡み合ったダム建設や道路の建設などとは全く違った質の問題で、将来ある若者の進路に関わる決定である。
教師は「魂の技術者」とか「聖職」などと呼ばれることがあるのは、これから来る時代を生きていく人々を育てる職業であるからだろう。
文部科学大臣は、もちろん教育者ではないが、少なくとも教育政策に責任を持つ最上位の立場にある。
前任の大臣の在任期間とはいえ、長い時間と膨大なエネルギーを注ぎ込んで準備を重ねてきた大学の開学を思いつきのような(としか思えないが)唐突さで、ひっくり返すというやり方は、あきらかに権力の濫用、権力の私物化と言うしかない。
権力者は、一旦その座に就くと、なんでも好き放題に出来る、と錯覚してしまうものなのだろうか。
人間の本性とは、大体がそのように浅ましいものなのだろうか。
今回、最も迷惑を被ったのは大学進学を控えた若者たちである。彼らは、多感なこの時期に、文相の気まぐれで自分の運命が二転三転したことを一生忘れないだろう。
これは、決して教育的な事ではない。
こんな大臣を文相に選ぶ民主党もおかしな政党だが、そんな政党を支持している日教組も全く理解できない。正気の沙汰ではない。
文相は、たとえ詫びたとしても、許されるものではない。
責任をとるのなら辞めるしかあるまい。
2012年11月7日水曜日
アメリカの大統領選挙結果なんて、急いで知る必要なんか無いべっ!
今日のNHKは、朝から嬉しそうにアメリカ大統領選挙の開票日であることを報じていた。
正確には数日前から、たびたび報道していた。テレビは全く見ていない。車に乗った時、ラジオでニュースを聞くくらいなのだが、何度もこのニュースが耳に入ってくるということは、かなりの頻度で報じているのだろう。
いよいよ開票日当日になって、通常の番組を中止し、編成を変えてまで報じていた。ほとんどリアルタイムで「開票速報」と言って差し支えなかろう。
これだけ集中的に選挙結果を報じられたら冗談では無しに、ここはアメリカの一部なのだ、という気がしてくる。
本当にそう思わせることを狙っていると思わざるを得ない。
少なくとも日米関係は、何よりも重要であるという考えに国民を誘導するうえで絶大な効果があるだろう。
オスプレイの問題も、米兵による暴行事件も、アメリカ軍の駐留を止めればあっさり解決する。
日本の権力者は、国民がそれに気づくことを極度に恐れているのだろう。「米軍撤退」の選択肢を必死に隠そうとしているに違いない。
実際、多くの人々に、この「アメリカ大事」という考えは確実に浸透している。
(このような表現は問題があるかも知れないが)政治の問題など日頃あまり考えていないような人々でさえ、「日米関係は大切」という幻想に取り憑かれている。
アメリカの大統領選挙をまるで我が国の出来事であるかのように伝える、NHKのこのような姿勢は、確実に世論形成に影響しているのだ。
それが意図的なものであったなら、由々しき問題と言わなければならない。売国的とも言えよう。
夕方のニュースで、大統領選結果に関するインタビューに、ごく普通っぽい若い男性が
「日本の安全のためには、沖縄の米軍の役割は重要だと思う」と答えていた。
聞きながら思わず
「それなら東京に駐留させればいいべっ!」と叫んでしまった。
クルマの中で、たったひとりだったが。
とにかく、大統領選の報道に接するたびにむかっ腹の立つ一日だった。
2012年11月6日火曜日
今夜、羅臼で「歌は風。沙漠も海も国境も軽々と越えていく」
その歌手は、コンサートの終わりにこう呟いて、最後の曲を歌った。
彼女の歌は、羅臼町内にある小さな店いっぱいに、時には切々と、時には情熱的に力強く、また、時には底抜けに陽気に響きわたる。
伴奏のアコーディオンがヴァイオリンのように、あるいはラッパのように、またあるいは、打楽器のように歌に寄り添っていた。
昨日、突然、友人からこんなメールが届いた。
「ご無沙汰しています、突然ですが、明日なんと羅臼でロシアの囚人が作ったバラード というか、ブルース、ってジャンルがあるんですが、これを歌っている石橋幸さん、っ ていう人のコンサートがあるそうです!
この人新宿のゴールデン街でガルガンチュアっていうロシア業界じゃ有名な小さな店 をやっていて、ロシアに招かれてコンサートもやる有名な人です。(以下略)」
生きる苦しみと悲しみ、愛する歓び、人生のあらゆるシーンが歌になっていく。
それも当然。ほとんどすべてがロシアの歌でロシア語で歌われているのだ。
ロシア革命前、ツァーリ(皇帝)の支配するロシアで過酷な暮らしを強いられる人々。
ロシア革命によって、解放されたと思うのもつかの間、スターリンの独裁体制による監視と密告、厳しい文化統制で窒息を強いられる生活。
第二次世界大戦でのナチスドイツの侵略。2000万人もの犠牲者を出したと言われている。
そんな厳しい条件の中でも、時には官憲の目をかい潜り、時には国外から、人々を励ます歌が、風のようにロシアの大地に吹き続けていたのだ。
多くの日本人に親しまれているロシア民謡ではなく、ロシアの普通に人々の間で歌い継がれてきた歌を中心に、18曲の歌が歌われた。
昨日の夜に、このコンサートのことを初めて知ったのだが、即座に行くことに決めた。そして、しみじみと行って良かったと感じている。
帰りにクルマの中で、僕の頭の中では、うろ覚えのロシア語の歌詞がグルグルと回転していた。
このコンサートを企画してくれた羅臼のKさん。
そして、通訳仲間の友人からの情報をわざわざ僕に伝えてくれた親友のFさん。
もちろん、歌手の石橋幸さんとアコーディオン奏者の後藤ミホコさんに深い尊敬と感謝を捧げたい。
2012年11月5日月曜日
札幌の銘菓
毎年、この時期に札幌で買うお菓子がある。
円山に近い古い市街地にある老舗の和菓子店がある。
その店で作っている菓子で、果物のブドウを砂糖の衣で包んだだけのごくシンプルなものだ。
口に入れると程よく溶ける砂糖の甘みとブドウの香り、わずかな酸味が上品に広がる。 「どうだ!甘いだろう!参ったか!エイ!エイ!」という押しつけがましさが全く無い。 「菓子」の「菓」は、元々「お茶うけなどの食用にされる果実」だからこれこそが和菓子の原点であるようにも思える。
もうずいぶん有名になり、人気も高まり、最近はやや品薄気味になってきているのが気がかりなほどだ。
だから、知っている人も増えているだろう。
もう30年以上も昔、学生時代に円山地区で暮らしたことがあった。その当時は、十月下旬頃から作られ始めるのを楽しみに待っていて、買いに行ったものだった。
菓子の構造上大量生産は、不可能なようで、円山にあるその店以外では絶対に買えない。 商業主義真っ盛りの昨今で、インターネットやアンテナショップ、一流デパート・ホテルなどで、全国の名物が買える時代だ。
そんな風潮に背を向けるかのように、創業した店(おそらく)のみでしか販売しないという方針を貫いているこの菓子店とその看板の銘菓に拍手を送りたい。
2012年11月4日日曜日
合同教研から
精神病棟での会話
男A「俺はナポレオンだ」
医師「ああ、そうですか。証拠は?誰が決めたんですか?」
男A「神が決めたのだ」
男C「俺がいつ、そんなことを決めたんだ」
いま、国会や政治家を見ていると、このジョークを思い出す。
いっそのことみんな揃って治療を受けたらどうだろう。
今回の滞在は、合同教育研究集会に参加するためだった。
いつも「環境・公害と教育」という分科会だった。
その中で、とりわけ強く感じたこと。
化学物質過敏症とか、低周波振動による健康障害などの問題も多く提起されていた。
水俣病やイタイイタイ病などの公害病も初めのうちは原因がわからず、原因が分からないことを隠れ蓑に企業の都合だけが優先されてしばらくの間、公害物質との因果関係が明らかにされないままに放置された経緯がある。
だから、化学物質過敏症や低周波振動障害、電磁波過敏症などもこれから、その因果関係が明らかになっていくかも知れない。その可能性を保留したままで、なおかつ感じたことである。
それは、発電用大型風車や携帯電話の中継局などを建設する時に、建設を進める側がその立地に隣接する住民と間で、十分なコミュニケーションをとったうえで合意を形成しているようなケースはほとんど無い、という事実だ。
今日、ふと思ったのは、低周波振動や電磁波の障害を訴えている人の何パーセントかは、これらの公共事業が、十分な説明や話し合いをせず、「すでに決まったこと」としてトップダウンで強引に進められた結果、受け止める側の心理的なストレスの昂進によって、より激しい症状が出ているのではないか、ということだ。
つまり、不安定な体調変化で悩まされている人々の幾人かは、日本社会の公共事業の進め方の拙劣さの犠牲になっている人々ではないだろうか、と考えたのである。
もっと厳密な検証が必要だ、とは思うが、いずれにしても「権力」を持つ側の傲慢さ、強引さが引き起こす日本的な歪みの一側面ではないだろうか。
ディベロプメントということ
札幌にいる。
強い風が時雨をもたらし、ビルの陰で落ち葉をくるくると巻き上げている。
冬の足音の聞こえる札幌だ。
午前中、合同教育研究集会のテーマ討論「アイヌ副読本書き換え問題を考える」に出席。討論に聴き入った。
副読本の書き換えに圧力を加えた勢力が、どのような背景を持ち、どのような狙いをもって教育現場に介入しようとしているか、この「副読本問題」を通して、よく見えてきたように思う。
同時に今後の「さらに厳しい闘い」も予感させられた。
だが、その反面、闘志が湧いてくる自分の内面も感じた。
午後から、北海道ユネスコスクール研修会に出席。
印象的だったのは、北海道ユネスコ連絡協議会会長 大津先生の挨拶だ。
ESD(Education for Sustainable Development)の邦訳が
外務省は「持続可能な開発のための教育」と言い、
文科省は「持続可能な成長のための教育」として、「対立」がつづいていて、現場の先生や生徒は混乱するばかりだ。
しかし、「develop」という単語は「Envelop」であること。
それは何かが(封筒などに)しまわれ、隠されているところから、その包み(封筒など)を開いて取り出すことが「develop」という本来の意味であること。
成長というのは、隠された能力や可能性をそれを包んでいる封筒から取り出し、花開かせることことだ、という意味である。
だから、どちらの訳が正しいかなどという議論は意味のないことで、私たち教育に関わる者は、子どもたちの隠されている能力を花開かせるために努力しなければならない。
おおむね、このような内容だった。
久しぶりに、学ぶところの多い集まりであった。
2012年11月2日金曜日
帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!
もう、何度もニュースで流れているだろうが、沖縄で、アメリカ兵が一般の住宅に入り込み、そこにいた中学生を殴るという事件が起きた。
つい先日。女性を暴行する事件が起きたばかりで、米軍の「反省と自粛」の態度を示すため、夜間外出が禁止されていた中で起きた事件だ。
外出禁止が形骸化していることは以前から指摘されていたが、アメリカ軍の方にも、少しは「はばかる」態度があるのかと思っていた。
戦闘の場に臨めば、生命のやりとりをするのが軍隊だ。軍隊として行動する場面では、規律に絶対的に従う行動が必要となる。たとえ戦場に行っていなくても、日常的にそのような訓練をしている。
それによって起きるストレスは想像できないほど大きなものだろう。兵士の心は、荒れる宿命から逃れられないのだ。それが「戦争をする人間」の当たり前の姿だ。
だから、休暇を与え、リラックスさせる時、羽目をはずす行動を黙認せざるをえない。
命がけの戦争をし、あるいはいつ戦場に飛ばされるかわからない状況下におかれ、緊張を強いられている兵士が、休暇の時も羽を伸ばすことができず、「日米関係の良好を保つため」に模範的な行動をとることなど初めから無理なことである。
その意味で、今回の事件は起こるべきして起きたという面があろう。
だから事件の再発防止を本気で願うなら、米軍に帰ってもらうしかないのだ。
アメリカ軍が駐留している以上、これからも事件は起き続ける。
こんな簡単な理屈がなぜわからないか。
いや、戦後長期間政権の座についていた自民党も、それに代わった民主党も、政治家はそのことをよくわかっているはずだ。
わかっていて自国の国民を生け贄のように差し出すことは許されない。
もう一度言う。
アメリカ軍には出て行ってもらうしかない。
物心ついてからずっとそう思ってきたが、このような歳になっても、やっぱり思う。
今は、確信している。
帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!
2012年11月1日木曜日
朝の原野でトビムシと出会った
3日間、気圧の谷の中にいて、雨が降っていたが、今朝になって青空が戻って来た。
外気温5℃。ストーブが頼もしい。
今日から11月だ。
朝、犬と共に草地を散歩した。
日陰の草にうっすらと霜が残っていた。
出勤前のほんの30分程度だが、雨が降らない限りなるべく散歩につれだすことにした。
いや、正直に言えば、朝食時から家の中で僕につきまとって離れないから根負けして散歩に連れ出す。
遠くでシカの鳴き声が聞こえてくる。
哀愁を帯びてもの悲しい声なのだが、犬にとっても僕にとっても、その前にシカの居場所が気になる。
獲りやすい場所にいたら獲ってやろうという気持ちの方が強い。
なんと野暮な主従であろうか。
ふと一本のヤナギの幹を見ると小さな小さな白い虫が一匹だけ、ボンヤリと佇んでいた。
粘管目の昆虫 トビムシであろう。1ミリにも満たない小さな体で、腐植質を食べている。
小さな虫だが森林の土壌の生物多様性には欠かすことのできない生物群集だ。
一瞬の出会いがあり、次の瞬間にはもう二度と出会うことのない別れがやって来た。
とるに足らないような虫だが、放射性物質で汚染された地域では、この虫のような微小な土壌動物が、その影響を直接受けている。そして、上位の階層にいる生物ほど汚染物質を数十から数百倍ずつ多く蓄積しているのだろう。
まったく罪のない野生の生物たちの体に。
久しぶりに青空は戻ったけれど,遠い山の上や水平線上には不穏な意志を隠しているような雲が浮かんでいた。
青空が出ているけれど、いつ激しい雨が降ってくるかわからない、油断のならない空模様である。警戒を怠ることはできない。
トビムシの運命とわれわれ国民の運命が重なる。
一人一人の個人に比べて、はるかに大きな力を持っている国家権力は、はたして国民の幸福を守ろうとしているだろうか。
守ろうとしているはずはない。
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