2012年11月9日金曜日

自然を商品にするということ

 「アミューズトラベル」という会社の名前に記憶があった。  あの、トムラウシ遭難事故を起こした会社だ。  数年前、斜里岳に登ったことがあった。  頂上に着いて一休みし、下山にとりかかった。  山頂から尾根伝いに下り、鞍部に至り、そこからいよいよ沢に入ろうとした時、下から登ってくる大きなパーティーがあることに気づいた。30人以上いたと思う。  皆が、沢筋から尾根に出るための最後の急坂に取り付いていた。 僕らは、その集団が登り切るまで、沢へ下るのを待っていた。 やがて尾根に登り着いた一行の顔を見て驚いた。全員顔が青ざめ、おぼつかない足取りで宙を踏むようにして歩いているではないか。 「幽鬼の群れ」という言葉が頭に浮かんだ。  山では、だれにでも挨拶するのが当たり前だから「こんにちは」と声をかけた。  「こんにちは」と応えてくれた人は、5~6人に一人だった。  他の人々は、挨拶も出来ないほど疲労困憊していたのだ。大部分がけっこうな高齢の方だった。 ああ、これがよく耳にした「弾丸登山ツアー」というものか、と思った。  中国河北省張家口市郊外の「万里の長城」近くで日本人観光客らが遭難し、北九州市の男性を含む60~70代の日本人男女3人が亡くなった。  このツアーを企画した会社が、2009年に北海道・トムラウシ山遭難事故で8人が死亡したツアーも企画していた。  夏のことだったが天気の急変による雨で体温が急激に低下し「ハイポサーミア(低体温症)」による犠牲者が出たのだ。  ずっと以前から疑問に思っていた。登山を商品にすることは、正しいことなのだろうか。  山に登るということは、山と向き合うことを通して自分自身と向き合うことだと思っている。  ただ、それをする舞台が「山岳」という自然条件のきわめて厳しい場であるので、何よりも安全であることが求められ、そのためには自然への深い理解と知識、経験、技術などを要する。  これらは、登山者一人一人の努力によって学ばれ、身に付けられていくもので、周りから与えられる、あるいはお金で買い取れるものでは断じてない。  ところが、登山をディズニーランドや名刹巡りと同列の旅行商品としてパッケージにして安易に売り出す旅行業者が増え、中には安全面への配慮を欠く事例が時々問題にされる。  斜里岳で遭遇したツアーも、聞くところによると1日目は羅臼岳に登り、2日目に斜里岳、3日目は雌阿寒岳または雄阿寒岳に登るのだという。  あの「幽鬼の群れ」も翌日は阿寒に向かったことだろう。 登山ツアー全部が悪いとは思っていない。  的確なリーダーに率いられて、簡単にいくことの出来ない遠くの山に登り、自分の普段のフィールドとの違いを楽しんで自然の奥深さと多様さを堪能するような、ツアーも少ないだろう。  だが、「登山ツアーは儲かる」ということで他社との競争心から、安直な企画をしている旅行業者は、いないだろうか?  いるからこのような事故が起こるのではないか。  さらに山小屋での場所取り、料理人の同行と食材をアルバイトにボッカ(運搬)させるツアーも少ないと聞く。 そして、なにより儲けを最優先させるような業者は、山の環境を保全していくことなど考えもしないのだ。  自然を畏れ敬う人々なら注意深く自制的な行動を保つだろう。  「儲かればいい」という旅行業者が、そこまで良心的に行動するなど絶対に信じられない。なにしろ客の生命さえ危険にさらすのだから。 これも会社間の競争を煽る新自由主義の招いた現象の一つである。

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