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2013年5月24日金曜日

クマ住む町で思うこと その2

(「その1は昨年の5月24日」)  今月に入って町内でエゾシカの有害駆除が始まった。 北海道内の市町村は、どこでもエゾシカによる農林業への被害に悩まされている。羅臼町も例外ではないが、知床半島基部の他町に比べると町内のエゾシカの個体数は減ってきている。  それは、羅臼町内のハンターの連携が上手くいっているからだろう。そして、リーダー格のハンターの射撃技術が優秀だということもある。遠距離の射撃はそのようなベテランが引き受け、近くにいるエゾシカはショットガンを持つ人たちが撃つ。撃ったシカは回収部隊が回収する、という流れが確立している。  それでも、険しい崖の途中や急流を挟んだ対岸にシカがいる場合、たとえ弾が届く距離でも撃てない場合がある。それは、回収ができないと判断された時である。  市街地に近い場所で駆除を行っているので、そんな場所に死体を放置できないからだ。市街地の近くにシカの死体を放置すれば、確実にクマを誘引する。真っ先に考えなければならないのは、このことだ。 羅臼では、街でお酒を飲み、家まで歩いて帰る数百メートルの間にヒグマと遭遇する可能性はゼロではない。  「現代の日本で、熊スプレーを持ってお酒を飲みに来るなんて、羅臼くらいのものだろうな」と話して笑い合ったことがあったが、これは冗談ではないのだ。 よく、そんな所によく住めますね。怖くないですか、と質問される。たしかに怖い。  だが、よく考えると意味もなく人が刺されたり、ナイフを持った者が暴れたり、クルマが突っ込んできたりする都会の危険の方が起こる可能性が大きいかも知れない。 ヒグマの襲撃には理由がある。理由もなく人を襲うことは無いと考えてよい。十分に用心し、こちらが襲撃の理由を作らないように心がければ、事故はほぼ100%防げるだろう。  そんな「ヒグマの心を読む力」を子どもたちにつけてもらうことを目指して、今年もクマ授業の季節がやってきた。 本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月9日木曜日

長引く「イラクサの日々」

 北海道周辺の気圧配置は、このところほとんど変わることがなく、今日も強い北西よりの風が吹いて、気温の上がらない一日だった。  ジェット気流の蛇行に伴って、寒気が南下してきているのだとか。  五月中旬に入ろうという暦を考えればさすがにうんざりするような冷え込みではある。  しかし、ものは考えようで、この低温で植物の成長が足踏みしている。芽を出し始めたばかりのイラクサが、ちょうど食べ頃の状態でわが家の周辺に広がっている。どれほど採っても採りきることにはならない。低温が続けば、この食べ頃の芽吹きを長く楽しむことができる。  イラクサは、おひたし、きんぴら風、卵とじ、天ぷら、細かく刻んで汁の実にと、いろいろな食べ方ができる。お風呂に適量を入れて入浴剤にもなる。  おまけにタンパク質やミネラルが豊富で、アレルギーの緩和、利尿作用などの薬効もあるらしい。 まことに良いことずくめのハーブだ。 しかし、イラクサには棘があり、棘の基部にはアセチルコリンとヒスタミンを含んだ液体の入った袋を持ち、棘に触れその袋が破れて皮膚につくと強い痛みが起きる。そして、無数の小さな針が皮膚に突き刺さっているかのような不快感がしばらく続くのである。酷い場合には火ぶくれができることもある。  「イラクサ」という名もそれに由来しているのだろう。  だから、山野草の中で、とても意地悪なものに思えている。  そのせいか山菜ブームになっても一向に人気がでなかったのもイラクサだ。  やれギョウジャニンニクだ、タラの芽だと人気の山菜に人々は群がっているが、イラクサが注目されないことに少しだけホッとしている自分は、やっぱり意地悪だろうか。

2013年4月9日火曜日

突然現れた幻の沼・・・水鳥たちの王国

 土曜日からの雨と暖気で根釧原野の雪が一気に融けた。全ての水は川に集まる。わが家の裏には西別川が流れている。河口まで800メートル程度だ。  大袈裟に言えば根釧原野の水の大部分が流れている。昨日になって水嵩が一気に増えた。めったに冠水しない牧草地も広い広い沼になった。  渡りの途中の水鳥たちがあちこちに舞い降りて嬉しそうに翼を休めている。  今朝、確認しただけだが以下のような種類が観察できた。 マガモ、ヒドリガモ、コガモ、ハシビロガモ、オナガガモ、オカヨシガモ、シマアジ、ヨシガモ、キンクロハジロ、オオハクチョウ。  時間をかけてゆっくり探せばもっと別の種類が見つかるだろう。  夜になっても、闇の中からカモたちの鳴き声が賑やかに聞こえてくる。  突然出現した水鳥たちの一大帝国。やがて水が引けば消えていくことだろう。  唐突に現れ、繁栄を極めた後にいつの間にか消え去る。  ウーム、何かに似ている。

2013年4月1日月曜日

今年度最後のエゾシカ有害駆除

 31日、羅臼町で今年度最後のエゾシカ有害駆除が行われた。  羅臼のエゾシカ駆除は、基本的に巻き狩りというやり方である。シカのいそうな場所を大勢の勢子(せこ)が取り囲み、包囲網を縮めながら一定の方向に追い出し、あらかじめ決められた場所に展開していた射手それを撃つというものだ。  勢子は、雪が深くても斜面がどんなに急でも、あらかじめ決められた方向にシカを追うので、若くて体力のある人が受け持つ。当然、僕はいつも勢子に指名されると思っているのだが、どういう訳かいつも射手に回される。不思議だ。  冗談はさておき、巻き狩りではこの射手のことを「マチ」という。おそらく「待ち」から来た言葉だろう。  気配を消し、太い樹の陰などに入って、シカが出てくるのをじっと待つのだ。森の中で自分の気配を消しているので、待っている間に思いがけない森の表情に接することができ、なかなか楽しい時間でもある。  ある時など、シマリスが目の前を行ったり来たりしたことがあった。今回は、いろいろな野鳥が訪問してくれた。  今日来た鳥たち:エナガ、ハシブトガラ、シジュウカラ、ヒガラ、ゴジュウカラ、コゲラ、ヤマセミ、カワガラス。それにハイタカ、ワタリガラスなども通っていった。  森はじつに賑やかである。  エゾシカの生命を奪うかどうかという瀬戸際で、神経を張り詰めている自分が、のどかに「日常生活」を送っている森の小動物たちの姿に心和ませているというのは、どこか矛盾したような奇妙で不思議な状況である。  こんなことを考えながらスコープを覗いていた。

2013年3月29日金曜日

シカよ! いつか、また、どこかで・・・月夜のできごと

僕自身の不注意から一昨日、馬が体調を崩してしまった。友人から質の良い柔らかな草を分けてもらってきて与えていた。 馬の様子や食べ方を観察しながら少しずつ食べさせていた。夜、寝る前に馬の所へ行った時のことだ。  最初、  「あれ?馬が2頭になっている」と思った。国道の街灯からの光に巨大な影が二つ並んでいたのだ。一つは我が家の馬だ。  もう一つは、注意してみると頭から高々と角がそそり立っている。まぎれもなく雄のエゾシカなのだが、その大きさは信じられないくらいのものだった。  これまでに嫌と言うほどシカを見てきたし、大きな雄ジカにも何度も遇ったことがある。しかし、その雄は間違いなくかつて見たことのない大きさに見えた。  思わず足が止まった。 やがて馬の方に近づく僕に気づいて、シカはゆっくりと離れ、遠ざかりはじめた。その歩みはどこまでもゆったりと落ち着いてた。それは、決して重い体重によって雪に足を取られているためではないと思った。  僕は馬のいる所へ近づく。シカは僕から斜めに遠ざかる。  が、途中で足を止め、振り返ってこちらを見た。目が合った。その距離60メートルくらいか。僕も睨み返す。  実際の時間は1分足らずだった思うが、それが5分にも10分にも感じられるほど長い睨み合いだった。  エゾシカによる被害は激しく、我が家の牧草地もあちこちが掘り返された。庭に植えてあるリンゴやヤナギの樹皮はことごとく食べられ、樹木は青息吐息だ。これから出る草の新芽も壊滅的に食べられるだろう。雲霞のごとく姿を現すシカの群れに対して、正直なところ憎しみを抱いてしまうし、実際に何とか対策は立てなければならない。  しかし、考えてみれば北海道の森林で生活していたエゾシカという哺乳類は、人間が暴力的に改変した環境の影響で生息数を急に減らしたり激増させたりしてきた。つまり、シカたちもニンゲンに翻弄されてきたわけだ。 その狩猟規制の経緯を大まかに振り返ると 1980年(明治23年)全道で捕獲禁止 1900年(明治33年)捕獲禁止措置解除 1920年(大正9年) 全道で捕獲禁止 1957年(昭和32年)一部地域で雄ジカのみ捕獲禁止解除 1975年(昭和50年)牝ジカの有害駆除開始 という具合にめまぐるしく変わっている。  ハンターの立場から見れば獲物。  農業や林業からは害獣。  観光客からは間近に見られる野生。  ニンゲンの側からは、その立場によって見え方が様々に変わる多面体だ。 そんな「見え方」などとは全く無関係に、僕と睨み合っていた巨大な雄は、静かに向きを変え、林の中に消えて行った。  その威圧的とさえ思えたその視線を跳ね返しながら、いつか倒さなければという思いとそれとは正反対の尊敬にも似た感情が涌いて来るのを感じた。  月夜の雪の原での忘れられない経験である。

2013年3月24日日曜日

早春の根釧原野から

 午後から会議があって斜里町まで出かけなければならなかったので、午前中にイヌと散歩した。  昨日は、今年初めてアオサギを見つけ、北帰して行くハクチョウの群れを見送った。今日は川岸にタンチョウが来ていた。毎年繁殖するペアかも知れない。  朝晩は、まだ氷点下の気温だが雪もだいぶ減り、河を覆っていた氷も融けてしまった。もはや晩冬といより早春に近い気配さえ感じる。例年になく雪の多い冬となったが、季節は確実に移ろっていく。

2013年3月23日土曜日

早春の西別川右岸を歩けば

 足で踏む雪が、古ぼけたリンゴの果肉のような感触になった。  一歩、春へと近づいた朝、西別川の河口まで散歩した。  川岸のヤナギも白い芽を出していた。  傍らのハンノキも冬芽を大きく膨らませ、今にもはじけそうな様子だった。  数十メートル歩いて河口の方にまがると第一次伊能忠敬測量隊最東端到達記念柱が立っている。彼らがやって来た季節はいつ頃だったのだろう?  クラリネットのような音が空から聞こえて、背後をふり仰いでみると北へ帰るハクチョウの群れが通り過ぎていった。 日本を去るハクチョウたちの背中が、なんとなく嬉しげに見えるのは、国民のことを全く顧みない政府に辟易している僕の思い過ごしだろうか。  季節は、確実に移ろっているのだが。 帰り道、トドマツの樹下でキクイタダキが一羽、しきりに食べ物を探していた。    

2013年3月17日日曜日

エゾシカ有害駆除

 久しぶりに羅臼町のエゾシカ有害駆除に参加し、一日中走り回った。シカには何の恨みもない。無闇に生命を奪うことには抵抗を感じる。  だが、現在の条件下で、増えるにまかせて放置しておけば、個体数は天井を知らないかのように増え、樹皮矧ぎ、希少植物への食害等で植生に対して回復不能な被害を与える虞が十分考えられる。  シカの個体数調整にはどんな方法が最善なのか、まだハッキリとしたことは言えないけれど、現在おこなわれているハンターによる駆除が、一定の効果を挙げているので、これを続けていかざるをえない。  これからの季節、除雪が進んだ国道の路肩などがもっとも雪解けが早い。おまけに国道の路肩にはご丁寧に「芝生」という名の牧草が植えられている。空きっ腹を抱えて冬を乗り切ったシカにとっては最高のエサ場だ。その結果交通事故も増える。  また、酪農家の牧草地では、雪が解けると牧草の新芽が一斉に伸び始める。芽を出したばかりの牧草を食べられてしまうのだから酪農家はたまらない。  目の前のシカには全く何の罪もない。だが、そんなあれこれを考えながら、今日は一日シカたちをスコープで覗いて過ごした。

2013年3月10日日曜日

低気圧と科学

 わが家、(北緯43°22′41″、東経145°16′55″)の今日の気圧の移り変わりは次の通りだ。 07:00 994hPa 08:00 990hPa 10:00 985Hpa 11:30 978hPa 13:00 972hPa 15:30 977hPa 16:30 980hPa  現在17時30分。低気圧はそれほど発達することなく、かつ速度を上げて根室沖に達した。  朝から90分おきに気圧の変化をみていたので、その通過を捉えることができた。かつ、天気も低気圧の通過に伴って鮮やかに変化した。まるで気象の教科書を見ているようだった。  この低気圧の速度と発達の様子はおそらく予想を裏切ったのではないだろうか。先週の猛吹雪をもたらした低気圧に懲りたか、JRは早くから特急の運休やダイヤの間引きを決めていた。予想の難しさだろう。  予想もつかないようなことを予想しようと努力してきたのが科学だ。天体の運行のように完璧に予想できるものもあるし地震のように予測の難しいものもある。予測が外れると腹を立てる人もいるがそれは予測技術の難しさを理解しない短絡ではないだろうか。  最近なんだか反科学主義、反権威主義的な考え方をする人が目につくのだが、もう一度「科学的」ということについてじっくり考えてみる時かも知れない。

2013年3月3日日曜日

244号線遭難記2013年版 その2

金山から2キロほどの路上で一夜を明かした。猛烈な風と雪だった。停まっているはずのクルマが悪路を疾走している時のように揺れる。真っ白い幕が次々と眼前を飛び去る。凶暴な風としか表現が思いつかない。  シートを倒しウトウトと眠るが風の音と車体の揺れですぐに目が覚める。目が覚めたときは車外に出てクルマの周りを一周し点検する。排気管が雪に埋もれていないかを確かめるためだ。それから車内に戻るが冷えて濡れた身体を暖めるためにヒーターを使いたいがバッテリーへの負荷を減らし、不測の事態を防ぎたいから車内温度は低めに設定しなおした。それは同時に燃料を節約することにもなる。  ウツラウツラしながら夜を明かした。午前5時、周囲が明るくなり始めると同時に、また職員がやって来て、この場所は風が激しいのでUターンして昨夜の出発地の駐車帯まで戻って待っていてもらいたいということで、出発点まで引き返すことになった。  午前6時少し前に駐車帯に戻り、そこでひたすら待った。斜里町を出るとき、4分の1程度の残量を示しいた燃料計は、すでに「0」に近づきつつあり、「残量わずか」という警告も出ていた。  そのことを伝えると、ガソリンを運んできてタップリと補給してくれた。お陰で斜里出発時よりもはるかに多くの量がタンクに入り、気持ちに余裕ができた。  それにしてもどこからガソリンを持ってくるのだろう。不思議に思い訊いてみた。すると、救援の雪上車などが来ていて、一部は人力で運んで来るのだそうだ。猛吹雪の中で燃料が減っていくのは不安なものだ。この人々は身を挺して、通りすがりの僕らのために働いてくれているのだ。たとえ燃料が無くなってもすぐ傍に大型の除雪車もいてくれる。外部との連絡もとれている。後で知ったのだが、今回の吹雪ではクルマの中にいたり、クルマを出て自力で歩こうとしたりして8人の人が亡くなっている。なんと幸運な「遭難」をしたのだろうとあらためて思った。  その後、クルマの中で読書したり眠ったり音楽を聴いたりしてノンビリ過ごし、動き始めたのは12時過ぎだった。吹雪は、すでに収まっており、一旦動き始めるとそれほど遅滞なく標津市街まで進むことができた。  今回の経験で、考えさせられたことは多い。自分の準備で足りなかったもの、準備しておいてよかったものなど挙げればきりがないほどだ。  これほどの規模の吹雪はここしばらく無かった。そのことでどこかに気の緩みもあったかも知れない。だが、道東地方は、ひとたび荒れれば命に危険が及ぶ場所なのだ。  今日は、寝不足もあって、考えがうまくまとまらない。いずれもう一度、この経験を振り返って、要点をまとめることをしようと思う。

2013年2月28日木曜日

雪降る原野から

 いま、20時20分。  風の無い空中を雪が降っている。  粒の大きな雪が降ってくる。    平らに広がった雪の粒は  途中の空気と戯れ  小さな紙片のように  ヒラヒラと  あとからあとから  降ってくる。  この先止むことが無いように  降り続ける。  ここは北緯43度22分  温量指数46(※注)  最低気温の記録はないが  植物にとっては日本列島の寒極の一つだ。  雪原に独り立つサクラが花を咲かすまで  たっぷり100日はかかる この原野に似合っているのは  一本だけ離れ、独り立つ孤独なサクラだ。  大勢が花を囲んで大騒ぎする花見は似合わない。  100日したら  独りでサクラと向き合いに行こう。  今日の雪のように  止むことなく舞い落ちる花びらを  受け止めに行ってみよう。 ※作者注 「温量指数」:植物の生育に関する指数とも呼ばれる。     その土地の毎月の平均気温から5を引いて、正の数だけを積算した数値。     5を減じるのは、一般に植物は5℃以上で光合成を行い、消費するエネルギーを   上回る生産をして、蓄積できるとされているから。つまり植物は5℃以上の気温で   成長できるということ。 根釧原野の指数は46.1、稚内:55、東京:131.3、那覇 :212.4

2013年2月15日金曜日

盲亀の浮木 優曇華の花の出来事

 「盲亀浮木」とは、100年に一度海面に顔を出す盲目の亀が、たまたまそこに浮いている木と出会って、そこに隠れ場所を見出すといういみで、非常に稀な出来事のたとえに使われる。  僕がこの言葉にもっとも頻繁に出会うのはやっぱり落語の台詞だろう。  「ここで会ったが盲亀浮木、優曇華の花待ち得たる今日ただいま、いざ尋常の勝負に及べ・・・・」と続く。長年探し求めてきた敵に出会った時の決め台詞だ。  ①盲目の亀が海にいる確率・・・・・とても低い。  ②海面に顔を出す確率は100年に一度。・・・・ずいぶん低い。  ③そこに流木が浮いている確率・・・・・・きわめて低い。  ④都合良くその流木にカメが隠れるほどの穴のある確率・・・・・・恐ろしく低い。  このような事態がおこる確率は①×②×③×④だから (とても低い)×(ずいぶん低い)×(きわめて低い)×(恐ろしく低い)となり起こりうる場合の数は、「目が眩むほど低い」ということだ。  宇宙空間を走る地球に他の小さな天体が衝突する確率といいうのは、どの程度の小ささなのだろう。  ロシアのチェラビンスクに隕石が落ちたようだが、確率は、どちらが大きいだろう。  一昨年われわれは「1000年に一度」という大津波を経験した。  地球上の人類は、宇宙や地殻変動という自然に無防備にさらされている弱々しい脆い存在だということを再認識させられた出来事だ。  些細なことで互いに目をつり上げ泡を飛ばして相手を罵っている場合ではなかろう。  まして、玩具に毛の生えたような兵器で互いに威嚇し合ってなんの意味があるというのだろう。  ばかばかしい。

2013年2月7日木曜日

やっぱり失われた余裕なのだ

 朝、事務室前の駐車場にあるイチイの大木で二羽のハシブトガラスが戯れていた。  そのうち、一羽がミカンの皮を拾ってきて中段の枝で食べ始めた。しかし、手元(いや、クチバシ元か?)が狂ったらしくポトリと落としてしまった。  すると、それまでミカンの皮を食べる様子を羨ましそうに見ていたもう一羽がサッと舞い降りてすかさずそれを自分のものにした。 窓からその様子を観ていた同僚と僕は爆笑した。 それからこんな会話を交わした。 「昔の人は動物たちのいろいろな行動をよく観察していたんだね。こういう話がたくさん残っていたり、そこからその動物の性格を描写したりしてますよね。」 「だから、寓話や伝説を作ったのでしょうね。」  昔の人の観察力は非常に鋭かったのだろう。  それは、日常生活に自然観察以外の刺激がなかったせいもあるだろう。  テレビもない、本もない、インターネットもない。仕事も・・・たぶん今ほどの密度はなかっただろう。 そして、衣食住に関して自然から学ぶべきことは山ほどあっただろう。  それにしても現代人には、駐車場でのカラスの振る舞いをじっくり観察する余裕が亡くなりすぎているのだなとあらためて思った。 

2013年1月26日土曜日

シマフクロウをめぐって羅臼町で開かれた歴史的なシンポジウム

 今日、羅臼町で小さなシンポジウムが開かれた。「私たちの町のシマフクロウ」と題されたこのシンポジウムは、全体で2時間ほど、参加者も70~80人程度だったが、歴史的な集まりとなったと言える。  人は、動物のことになると妙にムキになるものである。ある一つの種類の動物を長い間世話し続けたり、観察・研究してきたり、あるいは写真を撮るために追い続けたりすると、その種への思い入れが強まって、「コイツのことはオレが一番知っている」というような心理になっていく傾向があるようだ。顔つきや仕草まで似てくると言う。  シマフクロウをめぐっても同様のことが言える。  シマフクロウが北海道内には140羽ほどしか生息していない希少種だ。日本の野生動物では絶滅危惧種の最右翼と言っていいだろう。  そうなると天然記念物として文化財保護法などでの保護も受けるし、環境省では保護増殖事業に力を入れている。その繁殖場所はいまだに公にできない。大袈裟に言えば国家機密のような扱いを受けている。  そのシマフクロウへの思い入れが強くなりすぎるといろいろと厄介な問題が起きる。  隠されると人はそれを見たがるものだ。あまつさえ写真を撮ることだけに命をかける「自然写真愛好家」の執念はすごい。  環境省という国の機関に隠されていると、その希少性はますます高まる。しかし、相手は野生動物だ。法律で言う所この「無主物」なのだ。  「シマフクロウが見られる」ことを売り物にするホテルなどが現れるのも当然だろう。悪く言えばシマフクロウが客寄せに利用されるというわけだ。  当然「客寄せ」に利用している「観光派」と保護増殖や研究活動に取り組んでいる「保護派」との間に深い溝が生じる。  実際、両者の間には、長い間深い溝があり、「挨拶もしない」とか「口もきかない」などという実態があった。 人は動物がらみの問題では妙に意固地になるのだ。  羅臼町内にも小さい規模ながらシマフクロウが見られる宿がある。そのことがクチコミで広がり、来訪者は増える一方だった。 今日のシンポジウムが歴史的だと述べたのは、その宿の経営者も、保護増殖活動に取り組む人々もパネリストとして参加していたからだ。  さらに観光協会や郷土資料館など様々な立場の人が一堂に会してシマフクロウのことを語り合った。  知床半島は、北海道内に生息するシマフクロウの半数が生息している。僕の職場の同僚などは繁殖期になると、毎晩鳴き声がうるさくてちょっと困るなどと贅沢な苦情を言っていた。  そんな羅臼町にとって、シマフクロウとどう向き合うべきなのか。保護増殖活動を保証し、良好な生息環境を維持拡大しつつバードウォッチャーや正しい写真家に観察の場を提供していくにはどうしたらいいかを話し合うシンポジウムであった。  もちろん問題はそれほど簡単ではない。だから、今日のシンポジウムは、結論を求めることを目的としていなかった。  ただ、画期的だったのはこれまで背を向け合っていた「保護派」と「観光派」が同じテーブルに就いたという点だ。シマフクロウ保全の歴史は羅臼から始まると言って良いかも知れない。 そんな現場に立ち会えたことはたいへん幸せなことだった。  もう一つ、両方の立場の人と日頃から良い人間関係を築き、このシンポジウムの開催へ漕ぎ着けた羅臼の自然保護官Mさんの人柄と努力を惜しみなく称えたい。

2013年1月22日火曜日

流氷の表情・・・・その多面性  流氷百話 24/100

 今日、羅臼高校の坂道から流氷が見えた。羅臼の流氷初日だ。  一昨日の日曜日、網走沖で流氷を見てきたが、知床岬を迂回して根室海峡まで流れてきたわけだ。つい二日前のことなのだが懐かしさのようなものを覚えるのはどうしてだろう。  そう言えば流氷は、当然ながら自分自身で動いているわけではない。風や海流、波に運ばれているのだけれども、その動きの中に「意志」があるように感じるのはどうしてだろう。  地元の人の中には「流氷がいた」とか「帰った」などと表現する人がいる。たしかにそのように表現したくなるのも理解できる。  根室海峡に流れ込んできた流氷は、北西の風に押されて、国後島の海岸沿いに南東に進んでいている。だから近くで見ることはできないが、まばゆいほどに白く輝いて見えたので、分厚い本格的な氷からなる流氷の「本隊」ではないかと思われる。  一方、一昨日、網走で遭遇したのは「蓮の葉氷」という楕円形の氷の板だ。「本隊」の氷に比べて厚みがなく、低い密度で浮いているので氷と氷がぶつかり合いカドが取れて丸くなり、蓮の葉のような形になる。  視界全体にそのような楕円形の氷が広がっている景色は、それはそれで見事なものだ。流氷が昔から身近な存在だった人にとっては、蓮の葉氷など流氷群の前衛に過ぎず、「ホンモノの流氷ではない」という思いが強いかも知れない。  しかし、たとえば台湾からはるばるやって来た人々にとって、海に氷が浮かんでいるという現実だけで十分驚くに値するのだろう。こんな流氷もあって良いと思うのだ。 泥が浮かんでいるような氷泥も、何トンもあるような氷塊も、蓮の葉氷も、すべて海氷である。自然の多様性をそこから学んでもらえればいいと思う。

2013年1月21日月曜日

銃口の彼方のエゾシカたちに

 今年の狩猟シーズンが間もなく終わる。それにもかかわらず、僕はまだ獲物を得ていない。気持ちは焦るのだが有効射程距離の短い僕の銃では、見通しの良い根釧原野で獲物に気づかれないように近づくのはなかなか難しいのが現状だ。  一見すると無防備に人里に出てきて餌を探しているように見えるエゾシカだが、彼らの生き残り戦術は実に巧みで、昼間は安全な禁猟区で過ごし、夜になると可猟区に入ってきて餌を食べて朝になると帰って行くということを繰り返している。夜間の発砲が禁じられていることを知っているかのようだ。いや、おそらく狩猟者の行動を知り尽くしているのだろう。そうでなければ野生動物としてはとっくに絶滅させられている。  そんな彼らを見ていると尊敬の念が湧いてくる。とんでもなく偉大な存在を狩猟対象としているのだ。遊び半分、おもしろ半分で猟をすることはできないとあらためて感じることが多いシーズンだった。    昨日、網走市を訪ねたとき、北方民族博物館にも立ち寄って見学した。たまたま、そこで 山口未花子さんという方の写真展が開催されていた。それは「カスカ~カナダ・ユーコンの森の狩猟民」と題されたものだった。  山口さんは、東北大学東北アジア研究センターに所属する若手の研究者でカスカと自然の関係について調査をしているそうだ。 「カスカ」とは民族の名称で、広大なカナダの自然の中で暮らし、ビーバー・ヘラジカ・ウサギなどを主食とし、その毛皮も利用する狩猟民のことだ。  人口約2,100人。ユーコン準州で生活している。そんなカスカの人びとの暮らしぶりを写真で紹介しくれていた。 (教育庁生涯学習推進局文化財・博物館課 かわむらさんのブログより一部借用)  その中で森の木の枝にヘラジカの気管が無造作に引っかけられている写真があった。その解説文には、以下のように書かれていた。
ひとり、わが意を得たりという気持ちになった。

2013年1月20日日曜日

流氷への旅 その2

 今年の流氷に会ってきた。 網走沖で観光船の今シーズン第一便に乗ることができた。  南西の風で起きの方へ吹き戻された流氷群は、その前衛とも言える氷泥と蓮の葉氷が帯状に展開しているだけで、「本隊」の分厚くボリュームのある本格的な流氷には会えなかった。
 しかし、台湾や本州から来た観光客はそれらの氷で十分満足している様子だった。 考えようによっては、板状の氷が海水面に漂っている様子は、流氷を見たことのない人々が抱くイメージによく一致していて、受け入れられやすいのかも知れない。  視界のことごとくが一面に氷で覆われ、まるで陸地の平原のように見える景色は退屈な物に見えなくもない。
 今日は、はるばる流れ着いた流氷たちを間近で出迎えることができたことを感謝したいという気持ちで船を降りた。

2013年1月17日木曜日

オオハクチョウが渡っている

 一年前の小ブログに「フランスでは政府が国民を恐れているけれど、アメリカでは国民が政府を恐れている。」というフランス在住のアメリカ人の言葉を引用していた。  そして、日本の政府は国民を恐れておらず、アメリカを恐れていると付け足してあった。  アメリカの医療費と医療保険制度の問題点について厚かったドキュメンタリーを観た感想として書いたものだが、多くのことに当てはまる。 そのフランスもなんだかきな臭いことをやり始めた。フランス国内でのテロという事態も心配される。ヒトは本当に進歩のない愚かな生き物だ。  今朝、通勤途中、知床半島基部の海岸段丘の上を北北西の方向へ飛ぶオオハクチョウの小さな群れを見た。あの場所、あの方角への飛行はオホーツク海へ向かう渡りのコースだ。渡りの時期には早すぎる。なにしろこれから流氷が接岸しようという時だから。  少なくとも一ヶ月は早い。ハクチョウだけにフライングなのか、などとクダラナイことを思い浮かべてしまった。冗談はともかく、あの群れはおそらく網走の濤沸湖あたりを目指していたのだと思う。これから2月いっぱいを濤沸湖で過ごし、3月末から4月にかけて大勢のハクチョウたちが飛来する前に、さらに北を目指して飛ぶのであろう。  ハクチョウの行動は血縁のグループが基本だと言われている。渡りにコースや時期は、一族の中で受け継がれている。今朝、出会った群れは、他の群れに先んじて渡りの行動をするようにプログラムされた遺伝子を受け継いでいる一族だったに違いない。  気ぜわしく渡って行くグループ、大勢が一斉に行動するグループ、のんびりと全体の後ろから渡るグループ。同じ種の渡りという行動でも多様な行動様式がある。この多様な行動様式は、気候の極端な変動など環境の激変に対してしなやかに対応し、種の絶滅を防いできた。巧まざる自然の知恵と言えよう。  野生生物が同種内で殺し合うことがあったとしても、それには必ず何かの種の保存上の意味がある。ヒトという生き物の場合、どう考えてもそのような意味は見いだせないのではないと思うのだが。  それにしても極端に早い渡りに、なんとなく不吉なものを感じるのだが、そんな「予感」は外れてもらいたい。

2013年1月15日火曜日

ドジョウからウナギが生まれる時代が来るだろうか

東京海洋大学大学院の吉崎悟朗教授が、凍結保存したヤマメの精巣を解凍してニジマスの稚魚に移植したところ、オスとメスの体内でそれぞれ精子と卵が作られ、このオスとメスを交配させた結果、ヤマメの子を生ませることに成功したというニュースが取り上げられていた。  伝えられたことだけでは詳しくはわからないが、増やしたい魚の精巣さえ手に入れば、その近縁種を使って、目的の魚種を増殖させることができる技術の基礎が確立したということなのだろう。今まで誰も実現できなかったことが可能になったという点では素晴らしいことだ。 しかし、気になる点がいくつかある。  第一にこの操作を野生の魚に対して実施することで遺伝的多様性が失われる心配はないのかということだ。  そもそも、この操作によって生まれる稚魚は、遺伝的多様性をもっているのだろうか。  第二に魚類は野生動物であると同時に「水産資源」として産業活動の対象にされている。シロザケの人工ふ化技術によって、野生のサケ科魚類の分布が攪乱された歴史が再び新たな形で繰り返される恐れはないのか。  産学協同の研究の突出で、この技術が拙速に産業に応用される危惧はないか。   報道では、この技術によって絶滅のおそれがある魚種の遺伝子が保存できる点が盛んに強調されている。  日本では、現在河川環境の悪化、外来魚放流、乱獲などによって多くの魚種が絶滅に瀕しているのは事実だ。この方法によれば、オスの精巣を凍結保存しておけばその魚種を復活させることが比較的簡単に可能になる。だから、緊急避難的にこの方法を用いることは有効だし有意義なことだと思われる。 しかし、絶滅に瀕した魚種を救う方法があることで、一つの種の絶滅や一つの水系で特定の種が絶滅することを安直に許容するようになるなら本末転倒であり、論外だ。  さらに、どのような予想外の問題が生じるかわからない部分も多いだろう。生態学的な評価を徹底的に行い、慎重に実用化して欲しいものである。

2013年1月12日土曜日

森を歩けば

 このところよく森を歩き回る。  わが家の草地(「原野」と呼んでいるが)の周辺はちょっとした樹林に囲まれていて、その中の西別川沿いの林は永年にわたり人手が入っていない。「森」と呼ぶのはちょっとおこがましいのだが、市街地や道路からかなり離れていること、そこへ至る道が無いことなどから勝手に「森」にしている。  確かに雪の上には動物たちの足跡以外は見つからず、人が入ってきている形跡は見当たらない。こんな場所が自宅から歩いて数分のところにある環境は嬉しい。  いつも森を歩くようになると樹木の一本一本の特徴がわかるようになる。今までは、どれも同じような木で区別がつかなかったが、それぞれの個性が見えてくる。もちろん、すぐ「なじみ」になる木もあるし、あまり目立たない木もある。  特に、最近足繁く通っている河畔の森は小径木が密生しているので目立たない木が多い。そのため、これまで一本一本をじっくりと見る機会がなかったのだろう。「森を見て木を見ない」状態だったかも知れない。  一本ずつの特徴がわかってくると、それらがむやみに愛おしく感じるものだ。まるで昔からの知り合いででもあるように。  今日は一本のキハダに寄りかかって30分くらい動かずにじっとしていた。ゴジュウカラ、ハシブトガラ、エナガ、コゲラなどがすぐ近くまで寄ってきた。その後にアカゲラとカケスが寄ってきてワタリガラスが頭上を通り過ぎた。  歩き回っていると、これらの小鳥たちは、一定の距離以内に近づいてくることはない。動かずにいると近寄ってきてくれる。双眼鏡など不要な距離にまで来る。  考えてみると当たり前なのだが、久しくこのような体験から遠ざかっていた。忙しかったからだ、と言い訳したくなるが止めておこう。  「自然環境教育について」などと普段エラそうなことを振りかざしているが、自然の懐の深さを自分はまだまだ実感してないのだなと反省した一日だった。  夕方、犬を連れて原野を歩いていたら一羽のコミミズクが、ちらりとこちらを見て通り過ぎた。  「やっと気づいたのか?お疲れさん」と言うように。