2013年3月3日日曜日

244号線遭難記2013年版 その2

金山から2キロほどの路上で一夜を明かした。猛烈な風と雪だった。停まっているはずのクルマが悪路を疾走している時のように揺れる。真っ白い幕が次々と眼前を飛び去る。凶暴な風としか表現が思いつかない。  シートを倒しウトウトと眠るが風の音と車体の揺れですぐに目が覚める。目が覚めたときは車外に出てクルマの周りを一周し点検する。排気管が雪に埋もれていないかを確かめるためだ。それから車内に戻るが冷えて濡れた身体を暖めるためにヒーターを使いたいがバッテリーへの負荷を減らし、不測の事態を防ぎたいから車内温度は低めに設定しなおした。それは同時に燃料を節約することにもなる。  ウツラウツラしながら夜を明かした。午前5時、周囲が明るくなり始めると同時に、また職員がやって来て、この場所は風が激しいのでUターンして昨夜の出発地の駐車帯まで戻って待っていてもらいたいということで、出発点まで引き返すことになった。  午前6時少し前に駐車帯に戻り、そこでひたすら待った。斜里町を出るとき、4分の1程度の残量を示しいた燃料計は、すでに「0」に近づきつつあり、「残量わずか」という警告も出ていた。  そのことを伝えると、ガソリンを運んできてタップリと補給してくれた。お陰で斜里出発時よりもはるかに多くの量がタンクに入り、気持ちに余裕ができた。  それにしてもどこからガソリンを持ってくるのだろう。不思議に思い訊いてみた。すると、救援の雪上車などが来ていて、一部は人力で運んで来るのだそうだ。猛吹雪の中で燃料が減っていくのは不安なものだ。この人々は身を挺して、通りすがりの僕らのために働いてくれているのだ。たとえ燃料が無くなってもすぐ傍に大型の除雪車もいてくれる。外部との連絡もとれている。後で知ったのだが、今回の吹雪ではクルマの中にいたり、クルマを出て自力で歩こうとしたりして8人の人が亡くなっている。なんと幸運な「遭難」をしたのだろうとあらためて思った。  その後、クルマの中で読書したり眠ったり音楽を聴いたりしてノンビリ過ごし、動き始めたのは12時過ぎだった。吹雪は、すでに収まっており、一旦動き始めるとそれほど遅滞なく標津市街まで進むことができた。  今回の経験で、考えさせられたことは多い。自分の準備で足りなかったもの、準備しておいてよかったものなど挙げればきりがないほどだ。  これほどの規模の吹雪はここしばらく無かった。そのことでどこかに気の緩みもあったかも知れない。だが、道東地方は、ひとたび荒れれば命に危険が及ぶ場所なのだ。  今日は、寝不足もあって、考えがうまくまとまらない。いずれもう一度、この経験を振り返って、要点をまとめることをしようと思う。

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