2013年3月5日火曜日

「『自然だーい好き』なんて言うな!」と書いたことをめぐって

昨日の僕のtwitterでの発言が一部で不興を買った。それはこんな発言だ。 ◎北海道の暴風雪について思ったこと。チャラチャラと「自然だーい好き」なんて言ってるヤツ(本当はコピーライターかも知れないが)に、今回の吹雪の現実を突き付けてやりたい。俺たちはこんな吹雪も含めた自然環境を見つめている。  「人を見下した傲慢な印象を免れない」という批判だ。  言われてみればそうかも知れない。もし不快に感じた方がいたらまずお詫びしよう。  同時に、こんな発言が生まれた背景も説明させてもらいたい。それによってますます不愉快に感じられたら困ってしまうのだが・・・。  日本人の中でどれくらいの人が「吹雪の怖さ」を知っているだろうかと思ったのだ。ほとんどのマスコミや政府、北海道庁でさえ今回の被害の元を「大雪」と言っている。雪と暮らしていると一口に「雪」では片付かないほど雪には多様な「相」があることがわかる。吉幾三の歌にも「津軽には七つの雪が降る」と歌われているではないか。重い雪、湿った雪、乾いた雪、堅い雪、ふわっとした雪、濡れ雪など雪そのものの状態だけでも多様だ。 そして一言で「吹雪」と言っても降雪量と風の強さと気温や湿度との組み合わせで様々な形態がある。ロシア語には「吹雪」に相当する単語は5つ以上あると聞いた。  現在の日本語や日本の文化は、主に照葉樹林帯で作られたと考えていいだろう。ごく大雑把に分けて、北海道東部や北部は亜寒帯針葉樹林帯に属し、南西部は夏緑林帯の気候風土と言って良い。  夏緑林帯で生まれ育った僕は、就職して初めて網走地方の猛吹雪を経験して、これほど激しい雪嵐があるのだと驚いた。吹雪いている雪は気体で、小さな隙間から容赦なく入り込む。そのまま積もれば固体に変わり、その場で融ければ液体になる。  クルマを運転していて、自分の車が走っているのか停まっているのかを速度計だけを頼りに判断するという状況を何人の人が理解できるだろう。  以上のような経験や経緯が前提にあって、冒頭のような発言になった。その思いをよりかき立てたのは、マスコミの「大雪」という表現や政府や北海道庁の「対応策」があまりにも当事者の感覚からかけ離れたものだったこのへの怒りだったと思う。  「自然」は良いもので「人工」は良くないものだ、というような一般的な気分もあり、「自然派」「自然系」などという言葉も市民権を得ている。「自然」に対して好印象を持つことは悪いことではないけれども、他方で人知の及ばぬ桁外れな力を無差別にふるうのも「自然」だ。地震も津波も火山噴火も先日の隕石も自然のなせる現象だ。  人は無力で弱い存在だから、「自然」持つ二面性のうち自分たちに都合の良い部分だけに注目し、都合の悪いところは見ないようにする傾向がある。そのような傾向を苦々しく感じて「チャラチャラと」と書いてしまった。そこには「自然の力の強大さや危険をきちんと理解していますか」という問いを込めたつもりだった。  繰り返しになるが、挑発的な書き方をしたつもりはなかったのだけれど、不快に感じた人々にはお詫びしたい。  互いに異なる文化同士が理解し合うことが何よりも肝要だ。激しい暴風雪が吹き荒れる地域で暮らす人々は、全人口に比べればごく少数かも知れないが、互いに相手の立場を理解し合ってこそ真の異文化理解、多文化共存だと思う。  けっして「上から目線」のつもりはなかった。  本当に「上から目線」なのは政府や北海道庁の役人たちではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿