2013年3月3日日曜日

244号線遭難記2013年版 その1

 3月2日(土)昨日アップできなかった文です。吹雪に閉じ込められたクルマの中で書きました。  午後から斜里町で知床自然大学院大学設立財団の事務局会議が予定されていた。  朝9時の時点で気圧は971hPa。時間とともにさらに下がり続けていた。  やっぱり荒れるな、と思った。いつになく出かけるのが億劫で嫌な予感がした。だが、天候はまだ荒れていない。出席を辞退しようかとも思ったが、事務局会議としては初の顔合わせだったし予定では90分程度で終わるはずだったから、終わり次第急いで戻るつもりで出かけることにした。  だが、それが大変な結果を引き起こしてしまった。  いま、21時。  国道244号線上に停車している。いや、駐車していると言うべきか。  根北峠を下り、標津市街へ通じる直線部分に入ってすぐの場所だ。金山スキー場の入り口から2キロほど標津町側に寄った地点だ。それまで道は山間の森林地帯を走ってきた。ここから両側に牧草地が開ける。それも大規模な牧草地だ。当然猛烈な風が吹き付けてくる。白い幕が勢いよく引かれるように、目の前を雪の煙が走り抜けていく。5メートル前方に開発局の除雪車が停まっている。ハザードランプを点滅させているが、地吹雪で見えなくなることも多い。たまに見えるくらいだ。  斜里を出たのは16時。会議は15時30分に終わる予定だった。主な懸案は終了予定時刻までに片づいたが、会議後に細かな情報交換や連絡事項のやりとりがあり、事務所を出た時は16時になっていた。  事務所から外に出てすぐに「あ、失敗したな」と思った。斜里町市街は、すでに猛烈な吹雪になっていたから。それでも国道はまだ通行止めになっていなかった。開いてるなら通ってやろうと考えて峠へ向かった。  予想どおり、峠の手前、斜里市街から越川付近までの間が強い風とそれに飛ばされてくる雪で非常に視界が悪い。完全なホワイトアウトで自分の車のボンネットさえ見えなくなる。何度も弱気になる心を励まして進む。  国道を進み続ければ低気圧の中心から離れられるし、峠に入れば道は谷間を通っているし両側の森林が風を弱めてくれるだろう。  はたして予想は的中した。峠に入り快適な速度を取り戻して進むことができた。  やがて頂上を越え、下りにかかる。雪の量は増えていたが下りの道も快適と言えるほどのペースで進むことが出来た。  やがて標津町金山にさしかかった時、開発局の除雪車とそれに随行している道路パトロールカーが止まっていた。外に立っていた職員は僕を停めてこう言った。 「この先の標津までの間の地吹雪がひどい状態で、単独で行くのは非常に危険です。この除雪車が戻る時に私たちと一緒に行くのがいいと思います」と。  時刻は17時30分近くで、すでに辺りは暗くなっていた。  ホワイトアウトの中を走るのは本当に辛いし危険だ。根北峠を下りてから標津市街までの道路は、ほぼ直線だが両側に牧草地が広がり、風が猛烈な勢いで走ってくる。この区間では、今までに何度も危険な経験をしている。だから一も二もなく誘導してもらうことに決めた。  除雪車が根北峠の頂上で引き返してくるまで待たねばならない。少し先の駐車帯で待った。30分くらいで戻ってくると言っていたが、実際には1時間以上経ってからの出発となった。 もう一台、僕の後からきたクルマがあり、除雪車に誘導されて時速10~12キロの速さで手探りをするように進んだ。予想通り、猛烈な地吹雪ですぐ前のクルマのテールランプも時々見えなくなる。それでもまず安全に確実に前進し始めたのだ。やれやれこれで帰れると思った。  しかし、ほんの2キロほど進んだところで隊列が停まった。さすがの除雪車も普通の住宅くらいに積み上がった吹きだまりと視界不良で前に進めなくなったらしい。  時刻は19時を回っていた。  今夜のうちに家に帰りたかったが、それが叶わなくてもせめて標津市街くらいまでは行きたかった。  待つこと90分近く。やがて道路パトカーの人たちが非常食や水、携帯トイレを持ってきてくれた。吹雪の中を配り歩く姿は手を合わせたいほどありがたかったが同時に今夜は帰れないかも知れないと覚悟を決めた。  幸いわずかに携帯電話のつながる場所だったので家に連絡を入れることができた。  こうして長い長い夜が始まった。

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