2011年7月29日金曜日

明日から知床岬へ行って来ます。

 羅臼町のふるさと少年探検隊の出発が明日に迫った。

 今年もクマに対する「用心棒」として参加。知床岬まで歩くことになった。

 年とともに体力が低下していくのを実感できるが、まだ、人の役に立たせてもらえるということはありがたい。
せいぜい、力いっぱい努力しようと思う。

 そして、岩がゴロゴロしていて歩き難い海岸、ザイルを使っての崖の登り降り、海水に浸かりながらの海岸歩行など、大人でも辛い道程なのだが、そこを自分の足で歩ききった時の達成感は何者にも代え難い。

 電気も水道もない。携帯電話も通じない、身内に何か起きても絶対にすぐに駆けつけることは出来ない。もちろんインターネットなどない。こんな環境に身を置くことで、文明とは何か、便利さとは何かを有り余る時間で考えてみようと思う。

 というわけで、このブログは8月4日までお休みさせて頂きます。
 なお、その間の記録は、わが相棒である黒猫=ピョートル・ユリーノビッチ・コトリスキー(愛称ペーチャ)のブログに、彼が代筆してくれることになっています。
 お時間がありましたらご参照下さい。
http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2011年7月28日木曜日

羅臼湖




根室管内初任者教員の研修で、羅臼湖へ行って来た。

70名を引率して羅臼湖へ行くというのは、無謀な企てに近いと思った。

「是非とも」と頼まれて断りきれなかった。

70名がズラリと連なり一列で入ることはできない。

7~8人ずつ、9つの小グループに分けて、時間差をつけてコースに入ることにした。

グループごとにリーダー(解説者)が必要で、羅臼町内から初任者研修に参加する人たちに事前研修で一往復経験してもらい、リーダーになってもらった。

各グループの即席リーダーたちは、一生懸命に解説・案内をしてくれていた。

天気にも恵まれ、良い企画になった。



それにしても、羅臼湖に70名は多すぎる。

2011年7月27日水曜日

中国の列車事故

 鬼の首でもとったように嬉しそうに批判する日本のマスコミの姿勢が鼻につく。

 人命を軽視し、安全性より商品開発や国威発揚を優先した結果だろうから批判されて当然だ。
 その後の対応もまずい。

 事故が起きる。
 被害を小さく見せようとすし、早めの幕引きを図る。
 不都合な情報は隠す。

 この行動様式を僕らはどこかで経験した。つい最近。

 ウン!もちろん、原子力発電所事故だ。

 国が違い、政治体制が違っても、権力のやることはよく似ている。
 そして、尻馬に乗るようなマスコミの騒ぎ方も。

 犠牲を強いられるのは、いつも国民だ。
 その国民の集団も、当事者以外はさほど関心は持続しないことだろう。

 権力者というのものは、そこまで読んで次の手を打っていく。

 そこもよく似ている。

2011年7月26日火曜日

シャチ三首 と写真


その音で心鎮まる
水面(みなも)より
吹き上げられる
噴気のリズム


その旗は
我らの旗ぞ
水面(みなも)より
高く掲げよ
その時のために



何もかも
引きずり込まん渦のごと
潜りゆくシャチの早さ静かさ

2011年7月25日月曜日

今日、シャチに会ってきた

 荒れ気味の根室海峡で、船は不規則に大きく揺れながら、シャチの群れを待った。 

 日ロの中間ラインの向こう側、つまりロシア側の主張するロシア領海にいたシャチの群れは、始めのうち2マイル(約3,6km)ほど離れていて、双眼鏡でしか確認できない大きさだったのだが、ゆっくりと近づいて来、やがて船のすぐ近くに現れた。

 シャチは、ニンゲンの精神に棲み着く生きものだと思う。

 初めてそれを見ると、その姿は無意識の世界に刻印される。

 人々は、自分の一生の目的の重要なひとつに、シャチを観るというテーマを据えるようになるのではないだろうか。

 そしてさらに、一部の人は、そのことを自分の仕事として位置づけてしまう場合もあるようだ。


 いずれにしても、この海のどこかに、

 あの巨大で、圧倒的な力を秘めたシャチたちが遊弋している、という意識が

 心の深い所に刻み込まれてしまう。

 ヒトというほ乳類の、力の限界を自覚し、自然を謙虚に見ることができるようになるためには

 シャチの力は絶大だと思う。

2011年7月24日日曜日

羅臼湖

「静謐」(せいひつ)という言葉は羅臼湖のためにあるように思う。

太宰治は「津軽」の中で、十三湖について、こう書いている。

「十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛ったような、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮かんでいない。ひっそりしていて、そうして、なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬというような感じだ。」

この名文について、作家の長部日出雄は、「津軽空想旅行」の中で
「太宰の文が十三湖を形容しているのか、十三湖の方が太宰の文に姿を似せているのか」という意味のことを書いていたように思う。

羅臼湖について、誰かこのような格調高い形容をしてくれる人はいないものだろうか。

小雨と霧の中を進んで行き着いた今日の羅臼湖は、
やっぱり静まりかえっていた。

いつまでも、こうあってほしい場所である。

2011年7月23日土曜日

なぜ急ぐのか?Ⅱ

 昨日のつづき。
 昨日は、200キロメートルと少しを往復して、その間の燃費は32.4キロメートル毎リットルだった。
 普段、通勤に使っていて、27km前後だから、ゆっくり走る値打ちはある。二酸化炭素排出量などまではあまり考えないが、化石燃料を無駄に使わない(それでも使っているのだからあまり大きなコトは言えない)ことは良いことに違いない。
 ホンネを言えば、何よりもお財布に心地よい。

 そのために片道30分、往復で1時間を余分に費やすことになる。

 しかし、これも考え方次第だ。
 出発前、木陰に椅子を持ち出し、気持ちよさそうに昼寝するアファン(犬1歳)のそばで、ゆっくりと本を読んだ。
 街でもゆっくりと買い物したので帰宅は遅くなったけれど、家で留守番していたアファンに大歓迎してもらった。

 クルマと整備された道路があることを前提に100km=約2時間という距離と時間の関係が成り立っている。
 ハダカのニンゲンの独力では、こんな関係は成り立たず、別の数値に置き換えなければならない。

 だから、現在の構造に硬直的に依存していると、その前提が崩れた時にどうして良いのかわからなくなる。

 「発電量が足りなくなる」という事実を突きつけられると(それは脅しも含まれているだろうが)
 「原子力発電に頼らざるを得ないかな?」とか
「代替エネルギーを探さなければ・・・」となってしまう。

 なぜ、この工業資源の乏しい国で、工業を興工業製品の輸出に頼っていかなければならないのか?

 そして、そのしわ寄せで、ほとんど海外からの輸入した材料で作られている天ぷらそばしか食べられないのか?

 人が生きていくために必要なものは、お金ではなく食べものではないだろうかと思う。

 こんな論議が起こってこないことが、不思議に感じられる昨今だ。

2011年7月22日金曜日

なぜ 急ぐのか?

 釧路へ行く用があった。
 釧路までは100キロメートルと少し。

 今日は、時間に余裕があったので「燃費」を重視して走ることにした。

 普通なら1時間半くらいで行くのだが、今日は2時間かかった。

 だが、30分の違いは、どれだけ重要なんだろう?


 運転していると、後ろから来たクルマが次々に追い越して行く。ビュンビュンと。

 皆、どうしてそんなに急ぐのだろう?事情はそれぞれあるに違いない。普段の僕もギリギリまで色々なことをやっていて、到着時刻を逆算しながらすっ飛んでいく、ということがよくある。

 「効率」を考えすぎると、そうなってしまうのだろうか。

2011年7月21日木曜日

30億年かけて完成された防御機構

台風の余波だろうか。
 北西の風が強く、海が荒れ気味だった。
 天気は快晴に近く、日差しがあるので、この地方にしては気温が高い。
 ある意味では夏らしくない。初秋のような感じだ。

 今朝、出勤時にラジオを聴いていた。
 「夏休みこども科学電話相談」。毎年、夏になるとこの番組を楽しみにしている。

 「野菜の花はどうして黄色いものが多いのですか?」という質問が幼稚園児から寄せられていた。

 回答者:
 「花は、花粉を運んでくれる昆虫にアピールするために、どれも目立つ色になっているけれど、 黄色い色は有害な紫外線をはね返すから特に多いのです」

 質問した仔は、鋭い観察力で、
 「花粉が黄色いのも同じ理由ですか」と質問を重ねた。やるう!
 もちろんその通りだった。

 紫外線はDNAを傷つける。花弁や花粉が黄色にして、多くの紫外線を反射させる、とは解説されなかったけれど、そういうことなのだと納得できた。

 陸上の生物は、進化の過程で海から上がってきた時、濃い酸素や強い重力への適応を迫られると同時に強い紫外線から遺伝子を守るための仕組みを進化させる必要があった。

 紫外線は電磁波だ。
 放射線の中にも有害な電磁波がある。
 X線やガンマ線だ。
 内部被曝が問題なのは、放射線源が体内に取り込まれ、そこから遺伝子を傷つける放射線を出し続けるからだ。

 生物が紫外線を防御する仕組みを獲得するまでに、おそらく何百万年、何千万年もの時を要したことだろう。

 そのような長い時を置かず、いきなり強力な放射線に曝される危険をどれだけの人が真剣に心配しているだろう。

 今になっても原子力発電にしがみついている人々は、生物が長い長い進化の過程で、放射線や紫外線(同じようなものだが)からの防御機構を発達させてきた事実を全然考えていないのではないだろうか。
 非常に冒険心が強いか、危険に対して鈍感か、どちらかだ

2011年7月20日水曜日

クマとキツネと観光客


 今年はヒグマの出没が多い。
 「出没」と言ってしまうと何か突然湧いて出てくるような感じがある。クマはもともと生息しているものだから「出没」ではなく、たまたま目撃されただけだ。
 つまりたまたま人間と出会ったというわけだ。
 出会った場所が、主に人間の活動する領域なのかクマの活動する領域なのかによって印象が異なってくる。
 人間の活動領域、例えば市街地の真ん中にクマがヒョッコリやって来たような場合、「クマが出た」と言い、追い払いや駆除の対象になる。クマの領域であれば、そこまでの必要は無い。
 しかし、「人間の領域」と言っても、それはクマが住み始めた頃より、はるかに後のことであり、「いつから」とか「どこから」という線引きは、実は難しい。
 知床では100年も遡れば、ほぼ全域が「クマの領域」だったわけで、クマにしてみれば、その頃からの「時代の移り変わりに伴う変遷」など理解できるはずはない。

 住民の安全は最優先させなければならない。
 できれば野生の命を無駄に失わせたくない。

 毎年のことだが、この矛盾に悩まされつつ、クマへの対応を行わなければならない。

 先日も、知床峠の国道上で野生のキツネに餌を与えていた観光客の車が何台かいた。

 これだけ啓発が繰り返されているのに、こういう無責任な人々がまだまだ生き残っていることに驚き悲しくなった。
 仔ギツネは、ものすごく可愛い。だが、彼らにヒトの食物の味を覚えさせることは、確実に彼らの寿命を縮める結果につながる。
 可愛いと感じたら、そっと黙って見守るのが最良なのだ。

2011年7月19日火曜日

ヒト、ヒトの集団、ヒトの社会

 ヒトは、ふとしたことがきっかけで、とんでもない結果を招くことがある。

 様々な因子が互いに影響し合い、全体の未来の予測が困難なシステムのことを複雑系という。要するにヒトスジナワではいかないもののことだ。

 地殻の動き、気候変動、生命活動などを指すが、ヒトの心も複雑系だろう。

 ヒトスジナワではいかない自分自身や周りの人々との軋轢で、多くのエネルギーが費やされる。
 ヒトが生きるとは、そういうことなのかも知れない。

2011年7月18日月曜日

網をカメラに持ち替えて





 撮り溜めていた写真の中に昆虫の写真が結構ある。
 今日、ハードディスクの中に「標本箱」というフォルダーを作った。このフォルダーに、今までの昆虫の写真を整理することにした。
 かつて、昆虫を採り、標本にしていた時代があった。
 いまも必要なら標本は作るのだが、大学卒業と同時期に標本集めは止めた。個人で標本を管理するのは大変だし、自分はコレクターではないとかねがね自覚していたから。
 というのは言い訳で、本当は面倒で煩わしいからだ。

 昆虫は、ほ乳類などよりはるかに古くから地球上で暮らしてきた。
 これまでの長い年月、おそらく激しい地震や気候の変動、天変地異を何度も乗り越えてきたことだろう。
 それらの試練を乗り越えて、今日生きている。
 『虫けら』と呼ばれ、時には大げさに嫌われるが、ほとんど無視されている存在。

 だが、われわれほ乳類よりもはるかに強靱なはずだ。

 そんな昆虫たちも、ニンゲンが放射能をまき散らした今度ばかりはどうなることか。心配だ。

2011年7月17日日曜日

郭公の呼び声

 早朝、野を散歩した
 濃い霧に包まれ
 霧の中からカッコウの声が聞こえてくる
 それは、果てから響いている

 果てとは
 これより先は無い、ということだ
 ここでおしまい、ということだ

 例えば
 海岸にあるこの場所から
 沖に向かって22.224キロメートル進めば
 そこから先はこの国ではない

 だが、
 果てとは
 時間の果ての事かも知れない
 カッコウは
 この国の時間の終わりの向こう側から
 呼びかけているのだろうか

 放射性同位元素が
 広くまき散らされているこの国の
 果てから呼びかけているのだろうか

2011年7月16日土曜日

オホーツクの風




 久しぶりにオホーツクの風に吹かれてきた。
 知床半島はオホーツク海に突き出ているから、知床に吹く風は「オホーツクの風」なのだけれども、1000メートルを超す山々や深い山林を越えて吹く風は、僕のイメージにある「オホーツクの風」とはやや異なる気がする。(勝手な印象だが)

 海岸の砂丘を挟んで海と湖が分かたれ、エゾスカシユリ、ハマナス、エゾキスゲ、ノハナショウブなどの花の色が、絵の具を混ぜ合わせたパレットのように散りばめられた海岸草原の上を吹き渡る風が「オホーツクの風」のように感じる。

 何年かぶりに、今日は、その濤沸湖に沿って広がる原生花園を歩いてきた。

 懐旧の情を満面に浮かべて集まって来るヒトスジシマカさえもが懐かしく感じられた。

 例えば野付半島に代表される根室側の原生花園も文句なく良い所であるが、僕自身のきわめて個人的な体験に依る、「オホーツクの初夏」は、やっぱりこの場所のエゾキスゲ群落にあるのだということを自覚させられた。

2011年7月15日金曜日

セイヨウオオマルハナバチの巣


 今日は、単純な一日だった。
朝9時、自宅発。釧路市へ向かう。
 11時、途中で少々買い物をした後、大楽毛のYさん宅に到着。
 セイヨウオオマルハナバチの巣を見せて頂く。
12時、Yさん宅を出発。
 鶴居、弟子屈、清里経由で斜里町へ。
 斜里町に14時20分着。
 知床博物館で会議
 会議終了は17時45分。羅臼町へ向かう。
 知床峠を越えて羅臼へ。
 職場に寄って、打ち合わせ後
 「トキシラズを食べる会」に出て、トキシラズ(この時期に獲れるシロザケ)などを食べて、別海町に帰宅。
 帰宅は23時10分。

 ほとんどクルマを運転していただけのような一日だった。
 それにしてもセイヨウオオマルハナバチの巣の写真は貴重だと思う。

2011年7月14日木曜日

誕生日と原子力と人類

 先日、誕生日を迎えた。
 多くの人に祝って頂いて嬉しいかぎりであり、感謝感謝だが、ふと生きてきた時間の長さを思った。
 まあ、それだけ歳を重ねたということだ。馬齢を重ねたと言った方がいいだろう。

 僕が生まれた頃、テレビ放送は無かった。
 原子力も爆弾にしか使い途は、無かった。
 プレートテクトニクス理論もまだ無く、ウェゲナーの「大陸移動説」は荒唐無稽と評されていた。
 遺伝子の本体がDNAだということもまだ、確定していなかった。

 思えば、この間の科学の発達は目を見張るべきものがある。
 しかし、科学技術の発建速度と人間のモラルや倫理観の発達速度は、必ずしも同期していない。いや、全く同期していない。
 
これは、おそらく近現代に限ったことではないだろう。
 槍・弓矢・ナイフなど狩猟用の道具が発明された、原始時代から続いている事かも知れない。
 
 そして、原子力という質量の割に桁外れの出力を得られるシステム、そしてそれは太古から生命にとって危険きわまりない放射線を伴うもので、これを安全に制御できないうちに商業用に建設し、そこから揚がる利益に一部の人間が群がってきた事実は、科学技術とモラルのアンバランスが、相変わらず解消されていないことの証拠ではないだろうか。

 そして、何より、科学技術の発達にモラルの発達が追いつかないこと問題になっていないところに、ことの深刻さがあるだと思う。

2011年7月13日水曜日

政治の季節の再来

 与謝野財務大臣は、強烈な原発推進論者で、「今の日本には原発はどうしても必要だ」とTVで強調していた。
 曰わく、「この豊かさを保つためにはなんとしても原子力発電は、なければならない。原発がなければ日本は貧乏な国になってしまう。」

 この人は、正直な人だな、と感じた。
 知らぬ間に、原子力発電をめぐる論点をわかりやすく説明してくれていたから。

 今日、発表された日本の貧困率は、過去最大となった。
 貧困率が増え続けることを放置し続け、ついには過去最大を記録しておいて、「豊かな日本」などと言うこと自体チャンチャラおかしい。

 それは置くとして、地震で脆くも崩壊し、広範囲に放射能をまき散らし、いまだにはき出しつつある原子炉に頼って、「今の豊かさ」を手に入れたわけだ。
 そのエネルギー政策が間違っていたわけだ。
 間違った政策の結果として手に入れた「豊かさ」なら、間違った時点まで戻るのは当然だろう。
 今の「豊かさ」(本当にそんなものがあるとすれば)は、間違った豊かさなのだ。

 貧乏で、何も無い「みじめな」状態から再出発しなければならない。それはやむを得ないことだ。
 そして、それは、決して恥ずかしいことでもないし、不幸なことでもない。
 むしろ誇らしいことだと思うのだが。

 今後、原子力発電をめぐって、与謝野大臣のような考え方と、それに真っ向から反対の考え方が対立し、大きな争点になっていくのだろうと思う。
 思想や信条を越えて、この点でどちらの側に付くのかが問われていくだろう。

 再び、政治の季節が来るのかも知れない。

2011年7月12日火曜日

とても簡単な事実

 人間には感情や気分があり、物事の判断にも、それらは深く関わっていることはわかる。

 原子力発電所の運転再開に関しては、感情や気分を排して、事実をありのままに見つめて、決定するべきではないのか。

 むかし、どこかの病院で放射線治療に使う放射線源(放射線を出す小さな針状の物体)が一本だけ行方不明になって大騒ぎになったことがあった。

放射線を無闇に怖れる必要はない、とよく言われる。
 たしかに相手(対象)のことをきちんと理解することなく、ただ恐れ、騒ぎ立てる態度は望ましいものではないと思う。
 同時に侮ることも許されないわけで、危険に対する正確な認識を持つことが求められる。だからこそ、針一本の放射線源でも慎重に管理しなければならないわけだ。

 だが、原子力発電所では、トン単位で放射性物質が取り扱われている。スケールが大きくなることで、次第に危険への抵抗感が薄らぐのもまた人間の性だ。

 そして、地震が起きたことによって原子炉は、壊れた。大量の放射能が飛び散った。これが「起こったこと」だ。(まさかこれを否定する人はいないだろう)

 現在、日本中にある原子力発電所のすべてが、いつ起きるかわからない地震の危険にさらされている。福島で起きたことが、次の瞬間、他の場所で起きるかも知れない。その可能性を誰ひとりとして否定することはできないだろう。
 これも事実ではないのか。

 そうなると、さしあたり、すべての原子炉の運転を止めるしか当面の安全策はない。その結果起きること、電気が足りないとかモノが作れないとか、カネが儲からないとか、貧しくなるなどの事象は、重大かも知れないが、運転によって生じるかも知れない被害の規模と深刻さを考えれば、それらは再開の理由にはなり得ない。断じてなり得ない。

 こんな簡単なことがどうしてわからないのだろう。
 一部の悪賢い者は、本当はわかっていて、原子炉にしがみついているに違いないが。

 結局、モノを考えるとき、意識的にあるいは無意識的に、自分の都合とか立場を優先させる「心の中の悪魔のささやき」に負けてしまうからであろう。

 感情や気分で物事を判断する。人間の弱い部分が顔を出すというのはこういう事なのだ。 そして人間は再び同じ過ちを繰り返す。
 結局、弱さと愚かさが日本にまた災いをもたらす。 

小さな事なら、それも人間の愛らしさかもしれない。
 だが、放射能に関しては、笑って済ますことはできない。
 これによって人間は、少なくとも日本は滅びることになるだろう。

 だから、それがイヤなら全ての原発をやめるしか道はない。
 こんな簡単なことがわからないヒトが、まだいるらしい。

2011年7月11日月曜日

オショロコマを釣る授業

 「野外活動」の授業で2週間前から釣りをやっている。
 一応「渓流釣り」の範疇に入る。

 今まで羅臼川で釣っていたが、今年の羅臼川は思うように釣れない。全く釣れないわけではないが、釣りの上手な者にしか釣れない。
 そこで、今日は場所を変えることにした。

 2時間の授業時間内で学校からの往復が可能で、かつ釣りをする時間もそこそこにあるような川となると選択が難しい。先生方と協議し、結局サシルイ川に決めた。

 15分弱で川に着き、おもむろに釣り始める。

 生徒にポイントをアドバイスしてやるとすぐに一匹のオショロコマがかかった。
 続いて、各自が次々に釣り上げる。

 結局ほぼ全員が釣果をあげて満足して帰路に就いた。

 魚をつかめなかった男の子、虫にさわれなかった女の子、それぞれ課題を抱えつつ、魚がかかった一瞬の快感を報酬に、それぞれの課題克服に努力していた。授業に関する課題に対してこれほど熱心に努力する生徒を僕は他で見たことがない。
 終了時刻が近づいてもなお「授業を続けたい」と求める高校生を、他では知らない。

 知床のオショロコマはシマフクロウの重要な食物だ。
 規制が無いといっても無闇に捕獲するべきでない。
 だが、生徒たちがその豊かさを理屈抜きに感じ取るために、少量のオショロコマが捕獲されたとしても、コタンコロカムイは許してくれるのではないだろうか。

 こう考えるのは身勝手かなあ? 

2011年7月10日日曜日

ひさしぶりの休日





 実に実に久しぶりの休日だった。
 あまりに久しぶりだったので、やりたいことが多すぎ、何から手を付けるべきか迷ってしまった。

 いろいろな事をして一日を過ごしたが、マルハナバチの写真をたくさん写した。「セイヨウ」はおらず、ナガマルハナバチ、アカマルハナバチが中心だった。
 ナガマルハナバチは、ハナショウブにばかり集まり、アカマルハナバチはシロツメクサで見られた。
 ここでも、特定の花と特定のマルハナバチとの共生関係を観察することができる。

 午後、用があって、普段あまり立ち入らないD型ハウスに入ったら、スズメバチが放置された木箱の穴に入っていくのが見えた。
 開けてみると案の定、育房が約20室ほどの巣が作られていた。

 そのまま放置して見守るか、取り除くか、かなり迷ったが、ヒトの出入りする場所であり、事故が起きてからでは遅いので、スズメバチには気の毒だったが、巣を取り除くことにした。

 生命にあふれたわが家の周りを眺めていると、原子力発電所の事故など、全く別の世界の出来事のように感じられる。

 こちらの方こそヒトが生きるという原点に近いのだと思う。ヒトの住む場所だということができよう。
 それを思うと、あらためて身の引き締まるような思いがする。

2011年7月9日土曜日

ちょっと貧しく ちょっと不便で でも安心

 羅臼町は日本の東のはずれにある町だ。人口は6000人弱。鉄道は通っていない。
 JRの最寄りの駅まで100キロ以上ある。

 夏は二本だが、冬は一本の国道しか通じていない。ほんの小さな橋が壊れただけで、「本土」から孤立する。

 スケトウダラの漁獲が、天文学的な数字で推移してた30年ほど前とは違って、今では、それほど多額の水揚げがあるわけではない。

 他の自治体にも言えることかも知れないが、町は深刻な財政難にあえいでいる。

 町長専用のクルマなどとっくに無くなっている。運転手もいない。町長がどこかへ行く時は、自分で運転する。

 町の職員は給料を一部カットされている。

 二つある中学校の校舎はボロボロ。限界を超えている。
 先日、クマ学習で訪れた中学校の体育館では、割れた窓ガラスの所に段ボールを当ててしのいでいた。

 病院も明治時代を彷彿とさせるような建物だったが、つい先日やっと建て替えが決まった。

 職員は、ボールペン一本、消しゴム一つをも大事に使っている。


 佐賀県の玄海町町長が、原発を抱える自治体としての苦衷を述べていた。
「玄海町は日本の西の端にあって、これと言う産業も無いので原子力発電に伴う国からの交付金に頼らざるを得なかった」という言葉が引っかかった。
 地理的に羅臼町との共通点が多いようだ。
 しかし、TVで紹介された玄海町には、立派で新しいスポーツ施設や温泉、学校などが建っている。
 どうしても羅臼町の各種施設と比べてしまう。

 原子力発電所を受け入れ、「原発推進の側」に付けば、こんな立派な町になれるんだ。

 つくづく考えた。
 お金に困っても、町の施設がボロボロでも、今のままの羅臼で良いではないか。
 ひとたび暴走すれば、半径何十キロにもわたり、そして何十年間にもわたり、放射能汚染をまき散らす原子力発電所と同居し、危険と引き替えに「豊かな」暮らしを手に入れるより、たとえちょっとみすぼらしくても安心して暮らせる町の方が良いに決まっている。

 羅臼では皆、このように頑張っているのではないだろうか。
 今年から正式に「持続可能な発展のための教育(ESD)」が町長の町政執行方針に採り入れられた。

 今のままで良いではないか。
 町の前浜根室海峡に行けば、お腹いっぱい食べられるだけの魚が獲れる。
 ウニも美味しい。濃いダシのとれるコンブもある。
 
 悪魔に魂を売ってまで、豊かな生活を求める必要はない。 

2011年7月8日金曜日

呆れもしないし、驚きもしない

 九州電力やらせメール

「やっぱりな」が率直な感想。
もう、今さら目くじらを立てるようなことじゃない。

原子力発電所も米軍基地も、ダムも大規模林道も河口堰も、全て全て、虚構の賛成意見をかき集め、無理矢理「民意」を作り出して権力の思う通りに進めて来たではないか!

大勢の良心的な市民、研究者が反対しても強行してきた。それは暴力だ。

自然エネルギーの利用促進のために、風力発電の巨大風車建設でさえも強行し、北海道では、16羽を越えるオジロワシをそのプロペラで斬殺しておきながら、いまだに反対意見に耳を貸そうともしない。
建設のための形式的なアセスメントでアリバイを作り、やりたい放題のことをする。
不利な情報は徹底的に隠そうとする。
「16羽」という数字だって、実際より少ない可能性を捨てきれない。

九州電力がしたようなことを、他のほとんどの開発業者がやっていることではないのか。

ウソをついて、データを改ざんし、誤魔化し、隠す。
「コンプライアンス」など実態のないお題目に過ぎない。

この国は、民主主義からは、まだ遙かに遠い。

2011年7月7日木曜日

目盛りの違う複数の物差し・・・そして散る日

物差しが複数併存していることによる不安
不満
不毛

原子力発電を巡って、
交わされる意見の論拠が、違いすぎる。

健康や安全、平和な暮らしを続けたいという願いから出発する意見と
消費的生活の持続や経済的な繁栄・成長を続けることを前提とした価値観から出発する意見とが
「対等」であるかのように並べられて論じられる虚しさ。

そして、時には、双方が譲り合うようなポーズも見せつつ。

ほんとうは、突き詰めれば、この両者は並び立たないかも知れない。

未来にわたって、環境が生命を脅かすこのない世の中を作りたいと願うなら、やっぱり少々の快適さはガマンしなければならないかも知れない。

現在以上の快適さ、便利さ、カッコ良さを求め続けるなら、時は原子力発電所が暴走し、生命や財産を脅かされる危険性をはらむ。

どんなに知恵を絞っても、両者の良いとこ取りは成り立たないだろう。
それを、中途半端に両立できるかのような印象を与えるから、混乱がなかなか収拾しない。

きょうは、こんな事を考えながら道ばたの花を眺めていたら、金井 直さんの詩の一節が突然に頭に浮かんだ。

      散る日            金井 直
   さくらの花が散る 惜げもなく己れを捨てるすばらしさ
   うれい顔がそれを眺める いま見たときから散りはじめた
    ようなはなやかさを

   見ているあいだに散り果ててしまいそうな風情
   こんなにゆたかな心がどこにあろう 誰にも見られない
    うちから散っているのだ

   そしてまた 落花に酔った者たちが去ったのちも
   さいはてにむかって散りつづけているのだ

                   『現代の名詩』小海永二編 大和書房刊

2011年7月6日水曜日

花に埋もれて暮れゆく野付で






 久しぶりに野付半島を訪ねた。
 退勤時間を過ぎてから始まる会議があったので出発が遅れ、野付に着いたのは午後6時過ぎだった。
 夕陽は、すでの西の山に近づきつつあった。

 野付半島は急速に沈降しつつある岩盤に乗っていて、やがて海底に沈んでしまうと言われている。
 沈みゆく大地へのレクイエムのように、毎年多くの種類の花が咲き、美しい風景を見せてくれる。

 エゾゼンテイカ、ハマエンドウ、ヒオウギアヤメ、ハマナス、センダイハギなどなど。 派手で華麗な花々に混じって、道ばたにハマハタザオが花をつけ始めていた。
 草丈が低く、目立つ花ではないけれど、地面からスッと立ち上がった姿は正に旗竿である。
 どんな旗が掲げられるのだろう?

 自然を汚す者
 強欲な者
 真実を隠そうとする者
 弱い者に強く出て、強い者にはへつらう者

 そんな自然の摂理を無視する者への抗議を突きつける旗が掲げられることだろう。
 こんなふうに、ひとりひとりの声は小さいかも知れないが、それはいつか必ず大きなうねりとなって、不正をはたらく権力を追いつめることになるだろう。

2011年7月5日火曜日

ヒトという動物の不思議さ




 昔、運輸大臣(当時)になった途端、国鉄の幹部に圧力をかけ、自分の選挙区の駅に急行列車を停車させた代議士がいた。その時は、公共交通機関の私物化に怒りを覚えた。(もちろん今も考えは変わらないが)

 だが、今回の松本龍復興担当相の暴言と尊大な態度に比べると、あの運輸大臣は、なんだか子どもじみていて微笑ましく思えてくる。
 松本大臣の場合、可愛らしさなどはマルハナバチの毛の先ほどにも感じない。

かの運輸大臣に感じた怒りの感情が薄まったのはどうしてだろう?
 ヒトというのは不思議な存在だ。

 夕方、散歩したら夕焼けが綺麗だった。
 だが、写真に撮ってみるとそれほどでもない。
 カメラの性能もあるだろうが、脳で感じている風景よりもカメラに写る風景の方が真実に近いように思う。
 よく言われていることだが、脳は、眼に映像を補正し、取捨選択し映像として感じていると言われる。
 つまり「見る」と「見える」が協調して視覚が成り立っているのだ。

 実物とそれを感じる側との間に、言葉や電波、活字、モニター、マイク、スピーカーなどが介在すればするほど歪みは大きくなるのだろうか。

 ヒトは他の動物にない、優れた働きの大脳を持ちながら、視覚や嗅覚、聴覚、記憶のみを頼りに毎日を命がけで生きている獣や鳥たちよりも愚かで懲りない存在であることは、間違いなさそうだ。

2011年7月4日月曜日

脳に浮かぶ台詞

 はじめ、いつも、何を書こうかと考える。
 もう、いちいち書く気がしない。
 佐賀県の玄海原発のことも、復興担当相のことも。
 馬鹿らし過ぎて、取り上げる気にもなれない。

 昨夜から降り続けている雨が、暗い怒りの炎を煽りたてる。
 このままで済むワケがない。

 「アカルサハ、ホロビノ姿デアラ
  ウカ。人モ家モ、暗イウチハマ
  ダ滅亡セヌ。」

 今日は、太宰治が小説「右大臣実朝」の中で言わせた、この台詞が何度も頭に浮かんだ。

2011年7月3日日曜日

秋の来た朝


 密かに秋が用意されている。
 昨日の朝、エゾフウロの花を見つけた。
 この花の咲く様子は、
 「もう春じゃない」と言っているように思える。

自然界は、着実に「今」の次に来るものを準備しておくものだ。
 
 エゾフウロが咲くまでは
 「まだ、夏じゃない」という思いが強く、
 これが咲いてしまうと
 「もう、夏じゃない」と思えてくる。

 そう言えば夏至は、もう過ぎているのだ。

2011年7月2日土曜日

セイヨウオオマルハナバチ関係者、何とか言ってみろ!

 斜里町でセイヨウオオマルハナバチ講習会を開いた。
 参加者11名。
 パワーポイントを準備し、標本を整え、資料を印刷し、会場を設営し・・・ちょっと忙しかった。
 明日はウトロで実施する。
 来週は羅臼だ。

このハチのために土曜日と日曜日が完全につぶれてしまった。
 恨みがましいことは言いたくないが、やはりこのハチを輸入し、金儲けをしている人たちに苦情を言いたい。

 自分たちが儲かれば、環境がどんなに悪化しても構わないの?
 それじゃ、1960年代の公害企業と何も違わないんじゃないの?

 いまだに、このハチは年間8万コロニー輸入されている。

 もし、このブログがセイヨウオオマルハナバチ関係者の目に触れていたら、この問題について是非コメントしてもらいたい。
 もしできるのなら、ね。

 ケッ!

2011年7月1日金曜日

授業でサカナ釣り

 「野外活動」の授業でサカナ釣りをした。
渓流でオショロコマを釣った。

 生徒たち、結構不器用。
 テグスで輪を作れない。
 錘を取り付けることが出来ない。

 教室での準備でほぼ一時間消費した。


 川岸に着いてからも一騒動。
 石をひっくり返して餌にするためのカゲロウやトビケラの幼虫を探す。
 虫を触れない子も少なくない。
それでも、
 「皆で助け合ってね」と指示してあるから、キャーキャー叫びながらも準備が進んでいく。

 やがて、全員が川に糸を垂らすことができた。

 いつもおとなしく寡黙なAくん。
 黙ったままでどんどんつり上げていく。
 結局6匹くらい釣り上げた。今日の英雄だ。
 今まで気づかなかった才能を見せてくれた。

 女の子とたち。
 最初、虫をつかむことが出来なかった。
 「気持ち悪い」を連発していた。
 そのうち、一人が一匹のオショロコマを釣った。
 続いてもう一人。
 今度は餌を盗られた。
 だんだん釣りを楽しみ始めている。
 気がつけば、夢中で石をひっくり返し、川虫を手づかみして、針に付けている。

 人は変わるものだ。
 「虫に触る時は、『気持ちが悪い』と言うべきだ」というファッションをかなぐり捨てた瞬間だった。

 来週、もう一度この授業を行う予定だ。