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2013年4月23日火曜日

 バスは  バスは9時に出発。  ワシントンDCから約1時間の距離にある、チェサピーク湾の環境教育施設CHESPAX(チェスパックス)を訪問した。午前中は説明と記念植樹、午後は実際のアクティビティを体験した。  この施設はメリーランド州のカルバート郡内のすべての学校が利用する環境学習施設で、25の学校の16300人の生徒が一年間を通してクラス単位で利用している。チェサピーク湾とパックス川に挟まれた半島に位置していてボランティアを含む6人くらいのスタッフで運営している。  われわれはアメリカハナズオウを記念植樹し、昼食の後は腐葉土と土、草地の水の透過性の違いについての実験、水の透明度の測定、地引き網による魚の捕獲、そしてバードウォッチングの4つのアクティビティを体験した。  日本の野外体験も盛んになってきているが、児童生徒の数に対して指導者が少なく、一人で20人も30人ものの子どもを指導することが少なくない。 「野外」という場に出ると、子どもたちはどうしても気分が高揚する。それは悪いことではないが、「野外での活動=遊び」という受け取られ方をされてしまいがちだ。  この意識は、教師の側にも生じる。  それに対しては、きっちりとしたカリキュラムと指導案、少人数による指導によって対応するのが最良だと思う。  ここでは、そのような緻密な環境教育が行われていた。 9時に出発。  ワシントンDCから約1時間の距離にある、チェサピーク湾の環境教育施設CHESPAX(チェスパックス)を訪問した。午前中は説明と記念植樹、午後は実際のアクティビティを体験した。  この施設はメリーランド州のカルバート郡内のすべての学校が利用する環境学習施設で、25の学校の16300人の生徒が一年間を通してクラス単位で利用している。チェサピーク湾とパックス川に挟まれた半島に位置していてボランティアを含む6人くらいのスタッフで運営している。  われわれはアメリカハナズオウを記念植樹し、昼食の後は腐葉土と土、草地の水の透過性の違いについての実験、水の透明度の測定、地引き網による魚の捕獲、そしてバードウォッチングの4つのアクティビティを体験した。  日本の野外体験も盛んになってきているが、児童生徒の数に対して指導者が少なく、一人で20人も30人ものの子どもを指導することが少なくない。 「野外」という場に出ると、子どもたちはどうしても気分が高揚する。それは悪いことではないが、「野外での活動=遊び」という受け取られ方をされてしまいがちだ。  この意識は、教師の側にも生じる。  それに対しては、きっちりとしたカリキュラムと指導案、少人数による指導によって対応するのが最良だと思う。  ここでは、そのような緻密な環境教育が行われていた。

2013年4月8日月曜日

「地球環境の未来学」をあらためて読み直した

 わが家の裏を西別川が流れている。根釧原野でもっとも長い川だ。  昨日からの雨と雪解けで一気に水嵩が増え、夕方帰宅したときは川幅が2倍くらいになっていた。もう数十センチ水位が上がったら川向かいの家は床下浸水になる。  これ以上の増水がないよう祈るばかりだ。 年度の始まりにあたり今年度の羅臼町の環境教育の課題と基本方針をまとめる作業を続けている。環境教育は、「持続可能なDevelopment(発展あるいは開発)のための教育」へと進化し、今や世界に広まっている。  そこで、先日からずっと「発展」あるいは「開発」ということについて考え続けているのだが、今日のように様々の環境許容量の限界が明白になり、開発がもたらした環境破壊の歴史が明らかになっている状況下では、もはや無条件な開発が人々に幸福をもたらすものではないことははっきりしている。  だから「開発」に種々の形容詞を冠したり、「発展」と言い換えたりすることが堂々と行われていると思われる。  そこでドイツの環境学者ヴォルフガング・ザックスの著書である「地球環境の未来学」をあらためて読み替えしてみた。すると示唆に富んだ記述があちこちにあって、ハッとさせられることが多い。  まだまだ未熟で不勉強な自分がそこにいた。 「開発というフィルターを通すと、常に何が欠けているかという目で世界を見るようになる。その結果、それぞれの土地に根付く豊かな選択肢を見る目が曇ってしまう。開発の対立概念は決して停滞ではない。-中略-開発という概念は、かつて高くそびえているモニュメントとして世界に熱狂を巻き起こした。今日その骨組みは朽ち、倒壊の危機さえ迫っているのだが、その威圧的な廃墟はあらゆるものの上に君臨し逃げ口をふさいでいる。今しなければならないのは、瓦礫をどかし、新しい地面を見出すことだ。」 (今、あらためて読み直しているヴォルフガング・ザックス著「地球文明の未来学」・・川村久美子・村井章子訳)にある一節だ。

2012年8月29日水曜日

「森の美術館」という授業

 昨日、羅臼高校の「野外観察」の授業で「森の美術館」を行った。  透明なプラスチック板をはめ込んだ二枚のスライドのマウントの間に、森にあるものを挟んで思い思いの世界を描くのだ。  「森にあるもの」というのは、たとえば花とか葉、苔や樹の皮、ハチの翅など二枚のプラ板の間に収まるものなら何でも良い。  それらのものを使ってとにかくスライドの小さな画面に自分の世界を描くのだ。  完成した作品は、相互に鑑賞しあい、作者は、簡潔なスピーチでその作品で表現したかったことを皆に解説する。  この授業は、個人的にも僕の好きな授業で、普段あまり目立たない生徒が思いがけない輝きを見せたりする。  誰がどんな才能を持っているか、何かきっかけでその才能が開花するか全くわからない。  このささやかな授業で、偉大な才能が引き出されるわけは無いと思っているが、日常では見ることの出来ない、意外なセンスの良さと出会うことはしばしばある。  母親の血液検査によって胎児の遺伝的な病気を事前に知ることが出来るようになり、それが臨床に適用されるというニュースが流れていた。  もし、妊娠中の子に何らかの障害が見つかったら、その時点で妊娠を中絶するという選択が可能になるらしい。  それが良いことなのか悪いことなのか、軽々しく判断できないが、出産以前に胎児に対してある種の選択圧が働けば、生まれてくる子が画一的になるのではないか、という危惧を覚える。  昨日の授業の時に僕の感じたワクワクした気持ちが、失われるような世の中になるのは、間違っていると思うのだが。

2012年5月16日水曜日

テンプラの日

日曜日から続いた体調の不良もどうやら治まった。
  昨夜は、その前の夜にも増して寝ている間に多くの汗をかいた。
 おかげで、朝は調子が良い。顔を洗い、固く絞ったタオルで身体を拭いたら、気持ちまでキリリとひきしまった。
 おそらく、病気の峠はもう越えたのだろう。月曜日の夜が最悪のようだった。この後、再び症状が悪化するようなら深刻なことで、きちんとした診察を受ける必要があるだろうが、まずその必要は無いだろう。

 今日は、羅臼高校の「野外活動」の授業で山菜の天ぷらを作った。
「午後からも雨」という予報に反して昼前まで激しく降っていた雨が止み、どうやら屋外での授業が実施可能になった。 
 三つの班に分かれて、フキ、フキノトウ、コゴミ(クサソテツ)、イラクサ、ツクシなどを摘み取ってきて揚げて食べた。

 道ばたに生えているような草が、本当に食べられるのかどうか、怖々口にした生徒達の感想は、異口同音に「美味い」というものだった。
 もちろん食べてはいけない種、食べても美味しくない種も教えておいた。

 この授業は、もう6年目になる。家庭科でもない授業で物を食べるということ自体が、新鮮な体験として受け止められているようだが、自然と触れ合う感覚に使ってはいけない感覚など無い。五感をすべて働かせてこそ「自然体験」なのである。

 ただ、困ったことに、この授業をするとしばらくの間、僕は揚げ物を見ただけで満腹感を感じるようになってしまう。
 これも一種の職業病だろうか。 


2011年11月6日日曜日

今年の合同教研

 合同教研が終わった。
 今年の合同教研の公害・環境と教育の分科会では、ここ数年原子力発電に関する話題は出されていなかったが、東日本大震災と福島原発事故の影響で、直接か間接的にこれに触れているレポートが数本あった。

 風力発電の低周波空気振動に関する話題も提供されていた。
 
 原子力発電と風力発電の両者に共通しているのは、建設の巨利に群がる利益共同体の産・学・官の癒着だ。

 それを許している社会の意識構造にも、基本的な問題がありそうに思う。

 どちらにしても、これからのキーワードは「持続可能性」ではないだろうか。

2011年7月1日金曜日

授業でサカナ釣り

 「野外活動」の授業でサカナ釣りをした。
渓流でオショロコマを釣った。

 生徒たち、結構不器用。
 テグスで輪を作れない。
 錘を取り付けることが出来ない。

 教室での準備でほぼ一時間消費した。


 川岸に着いてからも一騒動。
 石をひっくり返して餌にするためのカゲロウやトビケラの幼虫を探す。
 虫を触れない子も少なくない。
それでも、
 「皆で助け合ってね」と指示してあるから、キャーキャー叫びながらも準備が進んでいく。

 やがて、全員が川に糸を垂らすことができた。

 いつもおとなしく寡黙なAくん。
 黙ったままでどんどんつり上げていく。
 結局6匹くらい釣り上げた。今日の英雄だ。
 今まで気づかなかった才能を見せてくれた。

 女の子とたち。
 最初、虫をつかむことが出来なかった。
 「気持ち悪い」を連発していた。
 そのうち、一人が一匹のオショロコマを釣った。
 続いてもう一人。
 今度は餌を盗られた。
 だんだん釣りを楽しみ始めている。
 気がつけば、夢中で石をひっくり返し、川虫を手づかみして、針に付けている。

 人は変わるものだ。
 「虫に触る時は、『気持ちが悪い』と言うべきだ」というファッションをかなぐり捨てた瞬間だった。

 来週、もう一度この授業を行う予定だ。

2011年6月16日木曜日

羅臼町のクマ学習



 今年度初めての「クマ学習」が行われた。

 羅臼町の正式の「クマ学習」としては今年で五年目になる。それ以前から散発的に関心のある教師によって自主的なクマ学習は行われていた。

 羅臼町ほどヒトの生活圏とヒグマの生息域が重複している自治体はない。住民による目撃回数も最も多い町だろう。それも当然で知床半島は世界でも有数のヒグマ高密度生息域であり、羅臼町は知床半島の東半分を占めている町なのだから。

 五年前から、公益法人知床財団の全面的な協力で町内の全ての中学校と高校の授業時間に「クマ学習」が行われるようになった。
 火災や地震への備えと同様に、日本でもっとも大型の野生動物と安全に共生するための生活の智恵を伝え、不意の遭遇時への対処法を知らせておくことは有意義なことだ。

 クマ学習のプログラムはⅠ、Ⅱ、Ⅲの三段階からなり、中学1年と3年、高校2年と中高6年間で3回の学習を実施する。一回の学習は学校の時間で2コマ、110分からなっている。
 5年目を迎える今年度は、初めてⅠ~Ⅲまでが完全に揃うことになり、「Ⅲ」の内容について最終的な検討を行っている。

 今日は中学校3年生を対象にした「クマ学習Ⅱ」を実施した。昨年まで「Ⅲ」の内容と明確に区別することなく実施してきたが、完成年度の今年から純粋の第二段階のカリキュラムとして内容を精選・洗練した。

 講師となった知床財団のS氏は、一人でクマと対峙しても動じない胆力の持ち主だが、中学生の前で話すのことにはかなり緊張した様子で、途中で何度も水を飲みながら話を続けていた。
 だが、生徒たちはそういう彼の飾り気の無さに好感を持ったようで、良い雰囲気の授業になった。

 クマを畏れ、敬いながらその大切さを理解し、危険性も正しく認識できる未来の知床の住民を育てる一助になることを願って、「クマ学習」をこれからも充実させていきたい。