2013年5月30日木曜日

名犬 矢間(ヤマ)の物語

 来月の出張の時、一泊は雲仙温泉にしようかと考えている。いま、雲仙の宿を探しているのだが、湯元ホテルという宿のホームページを見ていた。この宿は300年以上の歴史があるとか。その長い歴史の中では当然いろいろな出来事があったろう。HPにあったそれらのエピソードの中で、非常に印象的なものが一つあった。  雲仙湯元の犬、矢間(ヤマ)は、ご主人の加藤小左衛門正時から「矢間。お使いに行ってきておくれ」と言われると、手紙を風呂敷に包んで、首に巻きつけてもらい挨拶代わりに「ワン」と一声吠えて、喜んで三里(およそ十二キロ)の山道を越えて矢櫃にある八木家まで元気に走っていきます  八木家について「ワン」と吠えると「おー、よしよし。矢間、ご苦労だったな」と当主が手紙を受け取ります。  矢間は好きなご馳走を貰い、しばらく八木家の気持ちのよい屋敷の中でゆっくりと昼寝をして、返事の手紙を風呂敷に包んでもらい首に結わえてもらって雲仙にかえるのでした。  急用があれば、雪の日でも雨の日でも矢櫃まで喜んでお使いに行くのでした。ある暑い日。雲仙から矢間は、いつものように手紙を首に結わえてもらって矢櫃まで下って行きました。  もうすぐ八木家に着く山路で、八木家の五つになる上枝(ほずえ)という娘が、真っ蒼になってじっと立っていました。その足元に真っ黒いカラス蛇が、いまにも飛びかからんばかりに鎌首を上げて上枝を睨んでいました。  多分、上枝の毬がカラス蛇の寝ていた草むらの中に落ちたのでしょう。  とたんに矢間は、上枝を助けようと「ワンワン」吠えながらカラス蛇にかかって行きました。びっくりしたカラス蛇は、草むらの中に逃げて行きました。  「矢間!」上枝は泣きながら矢間にしがみつきました。八木家の当主は、上枝が矢間に助けられたことを感謝して手紙に書き添えました。  あるどんよりと曇った日。湯元の小左衛門は、法要の打ち合わせのため手紙を書いて浅黄色の風呂敷に包んで「矢間、ご苦労だが八木家に行ってきておくれ」と、矢間の首に巻きつけようとしましたが、すぐ喜んでお使いをする矢間が、どうしたことかこの日は、小左衛門正時の手をなめて、なかなか風呂敷を結ばせません。  そして、甘えるようにご主人の目をじっと見つめていました。でも、最後には元気に一声吠えると走っていきました。  ところが、矢間は矢櫃の帰り、札の原(昔、湯元掟という木札が立っていたところ)というところで倒れておりました。首には風呂敷はありませんでした。  きっと泥棒が、風呂敷に何か入っていると思ったのでしょう。矢間のお腹と頭にひどく叩かれたあとがありました。矢間は泥棒に風呂敷を取られまいと戦ったのですが、敵わなかったのです。  もうすぐ湯元だったのに、矢間はどんなに悲しかったことでしょう。日ごろ可愛がってもらっているご主人に会えずにここに倒れてしまったことを。  札の原の側に住んでいる人が、矢間を見つけましたが、もう死んでいました。  知らせを聞いて小左衛門正時をはじめ湯元の人々も駆けつけました。皆、口々に「矢間。矢間」と言って哀しみました。  「あんなに元気だった矢間が、こんなに変わり果てた姿になるなんて」皆で札の原に丁寧に葬りました。忠義で利口な犬でしたので小左衛門は、『天明七年十一月二十四日名犬矢間の墓』と石に書き、矢間の姿を石に刻み、札の原に建てました。今もそのまま建っています。  これは二百年余り前の話です。     ※雲仙湯守の宿 湯元ホテル公式HP     →「施設案内」→「湯元のはなし」より転載(一部加筆)  200年以上前の世界でもイヌと人とは互いに愛と信頼の強い絆で結ばれていたということである。この宿に泊まろうか、いま、心がつよく動いている。 本ブログは,来月から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

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