2011年3月31日木曜日

脅しに屈してはいけない

 台風情報などで
 「中心の気圧○○ヘクトパスカル」と言う解説は、すっかり定着している。以前は「ミリバール」だったが、「ミリバール」だったことを覚えている人はどれほどだろう?

 「マイクロシーベルト」とか「ミリシーベルト」などという単位が日常的に使われるようになり、それが耳に定着しつつあることが怖い。
 今日、ラジオを聞いていたら、「本日の各地の放射線の強さ」というのを放送していた。

 天気予報のように「秋田市○○マイクロシーベルト・・・・」とやっていた。
 なんだか近未来の怖いSFの世界に迷い込んだように感じたが、現実なのである。
 本当にこんな世界を自分の子どもや孫たちに手渡して良いのだろうか。良いはずがない。

 「福島後」を見通し始めた原発推進勢力の思惑が反映されているのか、
 「今の生活水準を落とすわけにはいかないだろう?」という脅しのようなキャンペーンが盛んになってきたように感じる。

 「今の生活水準を維持したい」→「そのためには原子力発電は必要」という図式を示したいようだ。オバマ米国大統領がそれを後押ししている。

 「どうしても原子力発電を続ける」という信念から全てを出発させるから、こういう話が出てくるのだろう。
 「今の生活」を人質に取り、人々を脅しているわけだ。
 脅かされてうろたえる人も人だと思うが、まあ、やはり、そんな巧妙なやり方で世論を誘導する側が悪賢い。
(裏を返せばそれだけ今回の事故による反発を恐れているとも受け取れるのだが)

 「不自由を常と思えば不足なし」と徳川家康が言っているという。人は思いの外、適応力が旺盛だと思うのだが、どうだろう。
 ニンゲンの歴史で、電気がなかった時代は、電気が使われていた時代の数万倍の長さがあるはずだ。

2011年3月30日水曜日

腐敗アミン説を知っていますか?

 純丘曜彰大阪芸術大学 芸術学部哲学教授の文で、水俣病の原因として「腐敗アミン説」というものがあったことを知った。

 1956年に発見された水俣病は、しばらくの間、原因が突き止められなかった。
 清浦雷作・東京工業大学教授はわずか5日の調査で「有毒アミン説」を提唱したり、戸木田菊次・東邦大学教授は現地調査も実施せず「腐敗アミン説」を発表した。
  その他にも様々な妨害があって、有機水銀が原因物質、チッソが原因企業であることは、12年間も隠され続けたのだという。
その結果、熊本大学医学部が行なった調査結果を覆し、軽んじる発言を繰り返した。

       水俣病が発見された際、地元の熊本大学は、ただちに現地調査を行い、
      有機水銀が原因であることを特定し、チッソに排水停止を求めた。ところ
      が、日本化学工業協会は、東大教授たちに水俣病研究懇談会、通称「田宮
      委員会」を作らせ、連中が腐った魚を喰ったせいだ、などという腐敗アミ
      ン説をでっち上げ、当時のマスコミも、この東大教授たちの権威を悪用し
      た世論操作に乗せられて、その後も被害を拡大し続けてしまった。
                         (以上純丘教授の文)

 東京電力は東大の寄付講座に5億円も流し込んでいるという。
 水俣病のときも、企業は、東大の学者を利用して事実を隠蔽し、その被害を拡大させてしまった。
 現在、旧国立大学は独立行政法人化され、「お金になる」研究が優先されている。私立大学も私学補助金が大幅減額される中で「業界」からの資金に頼らざるを得ない状況になっている。
 いつの間にか(いや、小泉政権の時から)科学は「人民の幸せのため」より「行財界の金儲けのため」のものになっていたのである。
 いま、福島で、水俣以上の悲劇が起きようとしていることは間違いない。

2011年3月29日火曜日

どうする?

 どうするのだろう。
 いい加減に収束してほしい原子力発電所事故だが、TVのニュースを見ていると、手詰まりにも見える退き引きならない状態に追い込まれたように見える。
 原子炉を冷やすためには注水を続けなければならず、注水を続ければ高濃度の放射性物質を含む水が施設内に溜まり続け、やがて溢れ出る恐れがある。
 原子炉を冷やさなければ、原子炉や格納容器が破裂して放射性物質が空気中に飛散する。
 冷やし続ければ汚れた水が溢れ出して土壌や海を汚染する。

 進むことも退くこともできない状態とはこのことだろう。
 どうするのだろう。

 この事態を、何とか最小の被害で乗り切ってほしいと願うが、「最小」が具体的にどの程度の害か、相変わらず曖昧だ。

流行語と化した
 「ただちに影響はない」と繰り返すばかりだ。
 どう切り抜けるか、具体的な説明が全く無い。

 爆発のような、派手で急激な事態の悪化が起きたわけではないが、じわじわと進展して現在の状況に追い詰められたことが、かえって恐ろしく感じられる。

2011年3月28日月曜日

五年前の指摘

吉井分科員:今もおはなしがあったように、この押し波高が、例えば十メーターだとかもっと高いのもあるんですね。それに埋もれてしまったといいますか、水没に近い状態で、原発の機械室の機能が損なわれるとか、もちろんそういうこともあるんですが、私は、以外とあまり注目されていない引き波の方の問題ですね。。
 実はその記録は、波高高の方は、例えば明治の三陸地震にちても、東京電力は電柱の上に三十八メーターとかマーキングしています。そういうのもあるわけですけれども、引き波のときにどこまで下がったかというのは、実はなかなか記録としてのこりにくいものですから、検潮所にしても針が振り切れてしまってわからないとか、なかなか大変なんです。
 しかし、まず、この周期で見れば、五十分前後でのものがあり、それから沖合三百メートル海底が露出してくるとか、深さが三メートルから六メートルとかこういうふうになってきますから、そういう点では、この日本の原子力発電所が冷却の時に通常は海水を使いますが、清浄に取水をできるのかどうかというのをきちんとやはり見ておかなきゃいけないと思うんです。
 実は、保安院の方からも資料をいただきまいしたけれども。そこで参考人に最初に伺いますが、三陸海岸にある東北電力女川原発の一号機、東電福島第一の一、二、三、四、五号機、この六基では、、基準水面から四メートル深さまで下がると冷却水を取水する事が出来ないという事態がおこりうるのではないかと思いますが、どうですか。

 これは、第百六十四回国会衆議院予算委員会、第七分科会の議事録である。
 平成18年3月1日(水)の審議で、共産党の吉井英勝議員の質問議事録の一部だ。
 怖ろしいくらい、今回の事態を予測している。
 今から、5年も前の指摘に対して、何も手を打たなかった結果が今日の状況を生み出しているという事実をまずもってわれわれは知るべきだろう。

2011年3月27日日曜日

DD51

 青函トンネルが開通し、青函連絡船が廃止になったとき、
 「ちょっと待て」と思ったことがあった。
たしかに、あれだけ大きな船を動ける状態で維持するのは大変な経費がかかり、実際には不可能なことだったのだろう。
 だが、北海道と本州の物流を一本のトンネルを通る鉄道だけに頼るのは危険じゃないかな、と思ったのだ。
 世の中にはソロバンだけでは決められないことがあると、ずっと思い続けている。ソロバンだけで物事を見るニンゲンが大嫌いな性分なのだ。

 今回、地震被災地へ貨物列車を走らせるために、全国の機関区で余っているディーゼル機関車「DD51」を集めて磐越西線経由で郡山まで貨物列車を運行し始めているという。
 ディーゼル機関車だから非電化区間でもかまわない。
 DD51は、1962年から1978年にかけて造られた機関車で、蒸気機関車に取って代わった機関車で、良い印象は持てなかった。それに中央に運転室がある「入れ替え機型」の地味なデザインで、登場した頃、僕は悪口を言っていたものだ。
 しかし、40年以上の歳月を経て今よみがえり被災地のために働く姿はりりしい。
 やっぱり保存しておいて良かったなあと思う。
 こういう経費は必要なのだ。

莫大な建設費をかけ、廃棄物の水一滴、作業に使った長靴一足さえ、膨大な経費をかけて放射性廃棄物として管理しなければならない原子力発電。
 今また、「事故」を治めるためにどれほど経費がかかるか、いまだに見当もつかない原子力発電。
 これこそ金の無駄遣いの最たるものではないのか。

2011年3月26日土曜日

ファシストたちの黄昏

皮肉なものだ。
 東京電力福島第一原子力発電所一号機は、運転開始から今日で40周年を迎えるのだそうだ。
 
 あまたの反対意見、批判、危険性の指摘な拙速を諫める意見を一切無視して建設され運転を強行した結果が現在の状況だ。反対意見の中には地震や津波に襲われた時の危険性をズバリと指摘したものもあった。
 強行した人たちは、なんと申し開くのだろう?月並みの詫び言で済むはずはない。

 新しい技術は、期待と歓迎によって受け入れられるものだが、同時に懐疑と警戒の視線を浴びせられるものでもある。
 自分の姿を写真に撮られると魂を奪われる、と忌み嫌われた時代があった。
 蒸気機関車が登場した時、沿線住民が大反対をしたということもあったようだ。
 携帯電話の電磁波が身体に悪いと信じて疑わない人もいる。
 新幹線沿線の低周波振動で健康被害が出たのは事実だ。
 大規模風車による風力発電が原因の低周波被害も事実である。
 巨大風車は実際、短期間で16羽に及ぶオジロワシを殺した。しかもきわめて残虐な殺し方で。

 技術の発達と進歩は人類に幸福をもたらすべきだし、開発者もそれを願いながら努力しているはずだ。だが、その道のりはで可能な限り慎重であるべきで、開発の過程で様々の角度からの批判や意見に耳を傾ける謙虚さを失ってはならない。

 原子力発電は、批判に一切耳を貸さず、実現を強行した顕著な例であろう。

 聞くところによると「原子力村」というものがあるそうだ。東海村のことじゃない。
 霞ヶ関にあるらしい。みんな仲良しで、企業経営者、監督、保安院、検事、判事、学者、一部マスコミもいるようだ。
 結束は固く、原子力発電を取り巻く大小様々の関連事業の経営者、官僚、学者などが原子力発電所から生じる莫大な利権に群がっているらしい。
 利権に目が眩むと、客観的な安全性なんて全く見えなくなるものだ。
 それを喜んで受け入れている人々のなんと哀れで悲惨なことか。
 本当に気の滅入る話だ。

2011年3月25日金曜日

思い起こせ、マスコミの原点

福島第一原子力発電所の事故は、ついにスリーマイル島の事故を抜いてレベル6の事故に。
 世界第二位だ。
 「一番じゃなくてよかったネ」などとおちゃらけていられない。

もう、同じような話題を書きたくないのだが、こうも異常な状況に直面すると書かずにはいられない。
 というワケで
今夜も・・・・・。

 どこを見ても
 放射能の影響はほとんど無い。小さい。気にすることはない。という「解説」ばかりだ。でも、事故はまだ終わっていない。現在進行形なのだ。
 にもかかわらず、なぜ「安心無害」などと言えるだろう?
 これはもう、世論操作を狙っているとしか考えようがない。


それほど影響のないことなら、貴重な時間を割いて放送することもあるまい。
 災害から復旧しようとしている津波被災地のことをもっと伝えればいい。

 原子力発電所付近からの避難も必要なかろう。
この後、もっと悪いシナリオは予想されないのか。
 放射能のレベルが上昇したらどうするのか。
 危険をあらかじめ知らせて警鐘を鳴らすのがマスコミの責務ではないのか?

 似而非専門家の恣意的な「解説」で善良純朴な人々を騙し続けている現状は、国家権力による詐欺と言っても良いかも知れない。 
 理科嫌いのニンゲンを増やし、国民の科学への関心を低めてきた「効果」がいま表れているのかもしれない。

2011年3月24日木曜日

人の命を何だと思ってるんだ!!

 毎日毎日、原子物理学者や放射線医学者たちが忙しい。
 なんとなくアヤシゲな学者たちがTVに出てきて、放射能の害はほとんど無い。安全だ、安全だという宣伝に務めている。

 彼らにも二種類ある。
 良心的な動機から、不安に駆られる人々を落ち着かせたいと考え、自分の知見を伝えようとする人。ただし、その発言が、マスコミや政府、電力会社にどう利用されるのかを認識できていない。

 もう一つは確信を持って、原子力発電は危険じゃないという宣伝に加担している人だ。この種の人たちは、どうしようもない。
 御用学者と呼んでもいいだろう。
もう学者とは言えないのじゃないかな。悪魔と契約した学者と言って良いかも知れない。

 非常に気になっていることがある。
 放射線レベルの強さの例えを胃のX線検査とか胸のレントゲンとかの医療行為の放射線レベルと比べる学者、またそれで説明しようとする解説者が多すぎることだ。

 放射線医療と原子力発電所から漏れ出した放射能とは、まったく意味が違うはずだ。
 また放射線を受ける時間も全く違っている。そこを隠して無理な比較をするということは、都合の良い印象を与えたいという意図があるからに他ならない。

 あまたいる学者や解説者の中で、科学は誰のためにあるのかを忘れた学者を見極める力を我々も持たなければならない。

2011年3月23日水曜日

気になる 怖い話

 福島第一原子力発電所の事故報道の初期段階で、どこかのテレビ局でチラリと伝えたことがあった。
 「3号機はプルサーマルの原子炉でモックス燃料を使っている」と。
 それを聞いてドキリとした。
だが、それ以後、この問題をマスコミがほとんど報道しなくなってしまった。

 モップスは「月光仮面」を歌っていたグループだが(古!)モックスは、使用済み核燃料に含まれるプルトニウムを取り出して、ウランと混ぜて再利用する燃料だ。

 3号機にはプルトニウムを含んだ燃料が使われている。あのグチャグチャになった骨組みで瓦礫の山に化した建て屋の下に、今でもプルトニウムを含んだ核燃料があるわけだ。
 プルトニウムは半減期が87年くらい。(同位体によって異なるようだが)アルファ線を出して崩壊していく。体内に入ると蓄積されてアルファ線を出し続けるので非常に発がん性が強いと言われている。

 京都大学原子炉実験所 小出裕章さんの言葉を借りれば、
 「人類が初めて作り出した放射性核種」であり、「かつて人類が遭遇した物質のうちでも最高の毒性を持つ」のだそうだ。

 もう一つ、プルトニウムとウランを混ぜることで、燃料棒の融点が下がる。つまり、普通より低い温度でも炉心溶融を起こしやすくなる恐れがあるという。

 こんな重要なことをどうしてマスコミは報道しないのだろう?
 「不安を煽るから」なのだろうか?
 だが、これは事実であり、知る権利のある人々に伝えるべき事柄の一つではないのか?

「勝った!勝った!」というニュースを伝え続け、日本軍が退き引きならない状態に追い詰められている事実を隠し続けたことを日本のマスコミは忘れてしまったのだろうか?

 プルトニウムも怖いが報道管制によって、国民に伝える情報が操作されることもそれと同じくらいに怖いことだ。 

2011年3月22日火曜日

良くない 隣人

 むかし、アイヌ民族は魚でも山菜でも、必要な量だけしか獲らなかったと言われる。
 自分と自分の家族が生きていくために必要な量。
 必要以上に獲らず、ため込まず、それを必要とするたの野生動物たちと分け合う、という考え方がそこにあった。

 こんな自然観をもつアイヌ民族の純朴さにつけ入り、不公平な商取引で莫大な金儲けをしたのが内地の商人たちだった。
 内地から一旗あげるために北海道にやって来た和人たちである。

 今、首都圏などで広がっている日用品の買い占めの現象を見ていて、ふと江戸時代の北海道にやって来た和人たちのことを思い出した。

 いや、この地でも山菜のシーズンになると車で山奥に入り込み、自分の家族だけではとうてい食べきれないほどの量の山菜を根こそぎ持ち帰る人々がいる。

 こんな人々がこの社会にいることを知ると、底知れぬ恐ろしさをおぼえる。

2011年3月21日月曜日

言葉を殺すなかれ



言葉を弄ぶな!
 「ただちに影響はない」
 「ただちに」とは何日、何時間のことだ?

 「念のため○○します」
 じゃ、しなくても大丈夫なの?
 責任もってくれるんだね。

 「今のところ危険なレベルではない」
 安全なレベルでもないのか?
 そして、明日のことはわからないのだろう?
 
「協力企業」
 下請け、孫請け、曾孫請けのことだろう?


 醜い、触れたくない、不快なものやことを直接表現せず、間接的に表現することはよくあることだ。
 そうやって、日常生活が円滑に送られるように配慮してきた生活の知恵だろう。
 それが行きすぎると自分に都合の悪いことは無かったことにしようとする。
 動物が殺されるのを見るのはイヤだけどお肉は食べたい。
 自分の手は汚したくないけど、汚い物、臭う物、不快な物は始末してほしい。

 挙げ句の果てには、そんな仕事をする人々を差別して、
 「ああ、自分はそれに関わらなくてよかったあ」と言う。

 そこに「言い換えの魔力」が発揮される。

 われわれの言葉は、そのような負の遺産を抱え込んでいる。その表現を使うことで差別や排除から目を逸らし、結果として差別や排除をそっくり残す。
 言われると「そんなことはありません」と開き直る。
 詐欺と変わらぬ。なんたる欺瞞。
 周囲と自分自身にウソをついているわけだ。

 言葉がウソつきの片棒を担がされるのは、言葉の自殺行為である。
 その意味で日本語は、もはや死に瀕していると言ってもかまわない。

 いろいろな もの や こと が見えてくる、原子力発電事故。
 (これは「災害」ではない。「事故」だ。そもそも予想されていた危険なのだ。)

復旧に努めている現場の人々の努力には敬服する。
 「命がけで事故の沈静化に向け、頑張っている人々がいるのだから批判はするな」という論がある。
 間違っている。
英雄的な美談があったからと言って、原子力発電を強行した政策は許されるものではない。

 原子力発電所の建設を計画し、進め、それを許した者たちは、末代まで責めを負わなければならない。
 このような事態を招いた構造を絶対に見失ってはならない。

2011年3月20日日曜日

早春の一日に

 今日も震災のニュースが多くの時間を占めていた。
 その中でリビアに対してヨーロッパ、アメリカの軍事攻撃が始まったという報が混じっていた。なんとも、憂鬱なニュースだ。

 朝から快晴で風も弱く穏やかな一日だった。
 数日前からアオサギも姿を見せている。

 
 根釧原野では、春は川の流れから始まる。
 まだ、雪の面積は広いが、川の氷が融け、水が液体であることを主張し始める。
今日、フキノトウも見た。
 季節は、予定通り確実に進む。
 
 だが、人の世は、そうもいかない。
 その理由はハッキリしている。
 人の営みは、不可逆的で、エントロピーを増加させる方向のみに向かっているからだ。
 もちろん僕たち生き物が生きているということは、すべて、エントロピーを増加させていることになる。

 けれど、ニンゲンのそれは桁外れに大きいし、自分たちが生きるためだけではなく、自分たちが生きる場を作るためにもエントロピーを増大させている。
 誰が見てもちょっとやり過ぎだ。 

 その最たるものが原子力というわけだ。

だが、人のつくる世界は、そのように進みはしない。その理由はハッキリしている。人の営みは、不可逆的で、エントロピーを増加させる方向のみに向かっているからだ。

 その最たるものが原子力というわけだ。

アジアの知恵って

 日本も中国も欧米の「文明」を追って、科学技術だけを焦って導入したのだろうか。
 公害や鉱毒、今回の原子力発電事故など、技術を支えている文明リテラシーのようなもの(曖昧で自分でもよくわからないのだが)に目を向ける必要があるのではないか。
 あるいは、アジアが持っている、知恵というか文明リテラシーが必要ではないだろうか。

2011年3月18日金曜日

我が亡き後に洪水よ来たれ

「我が亡き後に洪水よ来たれ」
 フランスのルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour,)の言葉とされている。

 湯水のようにお金を使って、あちこちに邸宅を建てさせ(現大統領官邸エリゼ宮は彼女の邸宅のひとつ)、やがて政治に関心の薄いルイ15世に代わって権勢を振るうようになる。ポンパドゥール夫人に推されて1758年外務大臣となったリベラル派のシュワズールは戦争大臣なども兼務し、およそ10年にわたって事実上の宰相となった。フランスの重農学派ケネーも彼女の主治医であった。ベッドの上でフランスの政治を牛耳った「影の実力者」といえる。(この部分Wikipediaより引用)

 この大浪費がフランス革命の原因のひとつとなったと言われている。
 これをいさめる忠告に対して、
 「そんなこと私の知ったこっちゃないわ。大洪水(財政破綻)がくるなら、私が死んでからにしてヨ」 という意味でこう言ったと伝えられている。
 事実、ルイ16世の時代になってフランス革命という大洪水がおきたわけだ。

 反対論に耳を貸そうともせず原子力発電所の建設を強行した人々、その提灯持ちをした人々の心にはこの言葉があったに違いない。
 最近では「持続可能な社会のため」などという偽装も見られる。

 こんな人々に食い散らかされてはたまらない。

2011年3月17日木曜日

流氷再接岸

 今朝、羅臼に流氷が再接岸していた。沖が開いていたので短時間で離岸するだろう。北寄りの風が強かったせいだろう。。湯の沢では北東からの風で吹雪になっていた。
 三月も後半になってから不意に現れた流氷は、ふとした時によみがえる昔の記憶のようだ。

 一晩で現れ
 一晩で姿を消す
 流氷は
 冬の記憶を載せている
 冬の記憶は
 何気なく過ごす日常を
 突然凍らせ 
根拠の無い自信に満ちた
傲慢な視線を凍らせる

 流氷は
 一晩で去るかも知れず
 永遠に動かぬかも知らない
 予測不能とはこんなことだよと
 嘯きながら
 禁忌の力を
 解き放ってしまった愚かさを
 あざ笑っている

2011年3月16日水曜日

原子力発電所の向こうに見えるもの

「人体に影響のあるレベルではない」
放射線の強さについて、しきりにこの言葉が繰り返されていた。
最近は
「人体にただちに影響のあるレベル・・・・」と変わってきているが。
まあ、どちらにしてもそのこと自体に嘘はあるまい。
確かに医療やジェット機での旅において私たちは天然の放射線を浴びている。

だが、医療行為で受ける放射線は、健康の維持や病気の治療というわれわれの「利益」と引き替える「対価」である。旅行の時も同様だ。
強引な原子力政策のもとに、多くの反対を押し切って建設された原子力発電所が垂れ流した放射能は、どんな「利益」の対価になったというのだろう。

冷静に考えてみても、原子力に頼るほど多量の電力は、どんな場所で、どんな目的で、使われているのだろう。
はたして、われわれが慎ましく生活するのに、それほどのエネルギーが要るのだろうか。

「原子力に頼らざるを得ない」ように装うために、休止している水力発電所や火力発電所がいくつもあるという話だ。

百歩譲って、どうしても原子力発電所を必要になったら、十分に議論を尽くし、時間をかけ、大部分の人が納得してから建設すべきなのではないか。

ところが、実際には賛否が真っ二つに分かれている中で、初めから決まっている結論を押しつけて建設が強行されたのが日本の原発である。
その結果、都合の悪い情報を隠し、多額の資金を使って「安全だ。きれいだ。」という根拠の無い宣伝を繰り返してきた。

学校の現場にいると、この種のパンフレット、冊子、本、ビデオなどが惜しみなく送られて来る。
あまりに立派で高価そうな教材の洪水を見て、逆に胡散臭く感るほどだった。そして、確かにその通りだった。

このように、日本では国民の意見を聞くのではなく、既定の方針に従って、一部の人間の思い通りに政策が強行されてきた。
かつてはまさに「力」で。
ある時期からは、カネの力で。
ダム建設も、リゾート開発も、そして米軍基地も、である。

メア氏による「ゆすりの名人」発言は、このような現実を見てきた外国人の中途半端な理解による正直な感想であったかも知れない。
正確には「日本政府は懐柔の名人」と言ってほしかったが。

つくづくわれわれは、民主主義からは遠い社会に住んでいるのだなあと実感する。
溜息を禁じ得ない。 

2011年3月15日火曜日

いくつもの不幸が

 不条理な避難を強いられて、もう、暴動になっても不思議ではないのに、原発に反対するデモも起きないのか。
 日本人は、本当におとなしくなってしまった。

 昔、日本軍は、戦況不利になったとき、「退却」とは言わず「転進」と言ったそうだ。
今日、2号炉で爆発があり作業員の安全を確保しようとした時、東電は、「待避」とか「避難」とは言わず「移動」と言っていた。
 とてもよく似ていると思った。

 昨日、友人からきたメールが印象的だった。一部抜粋して紹介する。

尊敬する皆様
 東北方面にいらっしゃる皆様、ご親戚ご友人をお持ちのみなさま、ご無事でしたか? 何人かの方はメーリングリストで無事を確認しておりますが、皆様もご無事でいらっしゃることをお祈りしています。

 茨城北部へ援助が遅れているそうです。また、都心では千葉沿岸部の皆さんが心配です。元気でいてくれますように。

 さて、今最も懸念されるのは余震に加えて原発ですが、福島3号機、友人から鋭い指摘がありましたのでお伝えしたく、メールしました。現在東京方面は大規模な『計画停電』で、電車が止まり、混乱がつづいていますが、

「これはほら、原発がないとやっぱり大変でしょう」と宣伝するための『計画』停電ではないか? という友人の推測です。
 というのも、「たとえば北海道には使っていない火力発電所がたくさんある」そうです。

 実は被災地でも止まっている火力発電所が一箇所あるのですが、そのことを思い出させる報道は特にありません。
 それと、3号機は1号機と同じような状況に、といっていますが、昨晩私が知ったのは
「3号機は東電初のプルサーマル発電だ」という重大な事実です。 

 みなさんのほうが良くご存知でしょうが、これはプルトニウムを燃料にいれる発電で、
核兵器の材料を作るのに都合がよいらしく、推進したがっていますが、事故が起こったときの影響の大きさも計り知れず、廃棄物の処理も大変で、大きな反対が起こっていたやつですね。

 3号機から漏れる放射能は、プルトニウムだということです。これが溶け出たり、爆発して風に乗っていくと、体内に入った時の影響は、考えたくもありません

 皆さん、ここで原発を進める政策を大きく転換させるため、絶対に口車に乗せられないように、腰をすえてしっかりと
 市民としての発言、意見交換、マスコミの方は目先のもうけを狙う経済界にふりまわされず、エネルギー転換の方向へ社会をもっていくようにできることをしましょう。
 ここで踏ん張らないと、とめるときはありません。外国の友人にも見解を知らせましょう。
 ロシアのエネルギー省も早速「日本を見ろ、原発の事故はちゃんと管理できるから、原発は安全なのだ!」
 というのけぞるコメントをいち早く載せているそうです。
 一方で原発のニュースが出たとたん、色丹島の普通の人々などからパニックのメールが殺到しています。

2011年3月14日月曜日

渡り鳥の日

 ハクチョウが渡り始めている。
 今日、ヒシクイの群れも見た。
 南から帰ってきて、この後、さらに北へと去るのだろう。

 渡り鳥は、不思議だ。天気図を読めるわけでなく、気象衛星の写真を見ることができるわけでもないのに、何万年も以前から同じルートを、同じような気圧配置の日に渡る。

 春が近づいていることを知らせる渡り鳥の移動で、普通なら心が浮き立ってくるのだが、この南風とともに、壊れた原子力発電所から放射性物質が運ばれて来るのではないかと不安になる。
 困った春になった。

2011年3月13日日曜日

いつまでも あると思うな 親と電気

 「明日から計画停電実施」と喧しい。

 いつの間にか、日本の都市部では、電気は途切れなく供給されて当たり前と考えられるようになっていたらしい。
その感覚は非常に危ういと思うのだが。

 地下街、エレベータ、エスカレーター、動く歩道、電車、冷暖房、さらに不必要に多いライトアップや自動ドアなど、「電気はいつでも途切れることなくあって当たり前」という前提で都市が構成されている。

 だが、電気というエネルギーは、ほぼ100パーセント他力本願だ。だから生殺与奪をすべて他人に握られていると言ってもよい。

 自然の中で暮らすには、必要以上に「他力」に頼るのは危険だ。
 他から供給されているものは、いつ止まるかわからないと考えるべきだ。

 都市は、人間を家畜化し、自立の精神を奪う魔力を持っているようだ。

 ここ根釧原野では、停電は日常茶飯のことだ。
 風が吹いたら停電する。雪が降っても停電する。雷が落ちたら停電する。一度停電したら最低でも数時間、長ければ一昼夜以上も続く。
 ある時など、送電線の電柱に車がぶつかったために3時間ほど停電したこともあった。 電気は、「あれば便利」、「無い時はしかたがない」程度のものに思っている。

 必要な準備と心構えが必要ではないだろうか。

2011年3月12日土曜日

「それみたことか」などと言っている場合じゃないが、やっぱりそれ見たことか!

 巨大な地震、すさまじい津波。
 海岸線から900メートルくらいの所に位置する我が家は、よくある「普通の」津波ならそれほど心配はない。
 だが、今回の津波は予想をはるかに超えていた。
 万が一津波が到達したした場合に備えて、車に食料など当座必要な物を積み込んで、テレビの情報を注視していた。
 津波とその被害を告げる報道に、東京電力福島第一と第二の発電所の異常を知らせるニュースが少しずつ混じってきていた。

 そして、そのニュースは、始めのうちは控えめに、しかし徐々に深刻さを増して、伝えられるようになった。

そして、17時10分頃、第一発電所の一号機の原子炉建屋の外壁が吹っ飛んだ映像が映し出された。

 それにしても、原発が陥っている事態を可能な限り過小に伝えようとしている意図が見え見えなこの間の報道姿勢は何なのだろう?
 出演して解説する「専門家」は大部分が御用学者のように見える。危険性を小さく印象づけようと必死になっている。

 原子力安全保安院の発表も同様だ。
 たとえば、燃料が水から露出し、温度が上昇している時、非常用にストックしてある水を注入して冷やす、と説明してたが、その水の量は「2万4千リットル」だ、と言っていた。
だが、それは24キロリットルのことで浴槽24杯分にしか過ぎない。風呂桶24杯の水で、3000℃近い熱を十分冷ましきれるのだろうか。

 明らかに、よくわからない人に正確な情報を伝えるのではなく、よくわからないように伝えて、「なんだか知らないけどたいしたこと無いんだ」という印象を持たせようとする意図が働いているのではないだろうか。

高い費用をかけて要請される「専門家」なら、十分知識を持たない国民の側に立って、その安全を守ってゆくべきだろう。


発電所の入り口でセシウムが初めて検出され、燃料の被覆が溶け出したことが推定された時、こんなことを言っていた「専門家」もいた。
 「燃料のごく一部が溶け出てきたものと思われる。ほとんどの核燃料は容器の中に収ま  っていて、原子力発電はほとんど安全だ。」と。

「避難の指示はだ念のためだ」ともその「専門家」は言った。
 無責任きわまりない態度だ。

 原発は「ほとんど」は危険でないのだ。
 裏を返せば
「ごく一部」は危険だ。
 そして、事態は「ごく一部」に向かって着々と進んでいたのではないか。

 地震と津波だけ、未曾有の災害になっている。
 何を好きこのんで、それに余計な災いを付け加えたのだ。
 愚かすぎる。

2011年3月11日金曜日

津波警報の夜

僕の職場は公民館にある。
 社会教育課の職員さんたちと同じ事務室を浸かっている。

 今日の午後の大地震直後、大津波警報が出た。
 警報が出た時の町職員の動きは見事なものだった。

 避難所として使われる学校に次々と連絡を入れる人。
 公民館や隣の体育館も雛所になるので、その受け入れ準備に走る人。

 警報が出て最初の30分間、キビキビと動き、必要な準備を瞬く間に整えた。
 僕は、ただ、おろおろして皆の動きを見ているだけという情けなさだったのだが。
 もっとも、初めから戦力に入っていないのだけれど。

 やがて次々と町の人が避難してきた。
 テキパキと受け入れて続きを行い、町の人には安心感を与える笑顔で接している。
 プロだなあ、と感心した。

 今、もうすぐ夜の10時半になる。
 公民館の事務室には、まだ、皆が残って避難者のお世話をしていることだろう。

 公務員は「親方日の丸」でタラタラしているとか、民間に比べて待遇が恵まれすぎている、などとしたり顔で批判する人がいるけれど、このように、自分の家が心配でも帰ることもせず、ひたすら町民のためにがんばっている姿を知っての上での批判だろうか。

 おまけに町財政の逼迫によって給料も一部カットされているのである。 

2011年3月10日木曜日

ウニが食べたああああい!

 ウニが獲れない

 不漁という訳ではない。
 出漁できない日が続くのだ。
 長く流氷が居座って舟が出せなかったり、海面が開いても吹き下ろしてくる風で波が高くて操業できないらしい。

 2月中旬頃、「はしり」のウニが店頭に並んだ。
 しかし、その後漁は途絶えた。
 この時期、羅臼では、多くの人が親戚・知人・友人にウニを贈る。これが最近の習わしのようになっているので、間欠的に漁があって少量が市場に出回ってもすぐに売り切れてしまう。
かく言う僕もその一人だ。
 今週は一昨日と昨日ウニ漁が行われていたので、今日は店に並んでいるかと思い、店を訪た。
 ごく少量あるにはあった。だがそれは、海洋深層水パックではなく普通の折り詰めだった。僕がいつも贈っているのは海洋深層水パックなのである。

 一日も早く大漁の日が巡ってくることを願いつつ、根室海峡を漂う氷を眺める日々がまだ続いている。

2011年3月9日水曜日

Dies irae (怒りの日)

  Dies irae

 背表紙は
 水色に
 変わっていった
 日に
 焼け残ったインクの色
 忘れられた部屋の空気にも似ている
 それは黴のにおい
 凝固した過去のにおい
 
 植民地であった
 基地が作られた
 記憶のにおいかもしれない

ふと一冊の本を手にする
 水色の背表紙と
 鮮やかな対比をなす
 表紙を開けば
 黴のにおいとともに
 たち上る
 あの日の思い
 別のあの日の記憶
 さらに別のあの・・・
 
 いつの間に
 日に焼けた背表紙の中に
 閉じ込めてしまったのか

 そんなことをしては
 いけなかったはずなのに

 もう一度
 埃を払って
 ここにある本たちを
 すべて開いてみなければならぬ
 閉じ込められている
 全ての情念を
 解き放たなければならぬ
 ならぬ

2011年3月8日火曜日

希代の正直者ケビン・メアはゴーヤが畑で作られるということを知らないようだ

朝日新聞の記事
【ワシントン=伊藤宏】米国務省のケビン・メア日本部長(前在沖縄米総領事)が昨年12月、米国の大学生を相手にした説明会の中で、沖縄県民を「ごまかし、ゆすりの名人」と述べるなど、差別的とも取れる発言をしていたことがわかった。沖縄県議会は抗議決議をする方針で、同県内で反発が広がっている。

 説明会は昨年12月3日、首都ワシントンのアメリカン大学の学生を対象に行われた。メア氏は、沖縄に研修旅行に訪れる十数人に対し、「米軍基地が沖縄に与える影響」と題して話したという。一部の学生が、その内容を発言録として記録していた。参加した学生は「オフレコ(会話の内容を外部に漏らさないこと)の会合かは決められていなかった」と話している。

 この発言録によると、メア氏は「日本は和の文化であり、合意形成は日本文化にとって大切だ」と説明した上で、「合意形成を装いながら、できるだけ多くの金を取ろうとする。沖縄の人々は、東京に対する、ごまかし、ゆすりの名人だ」と述べたという。

 メア氏は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の危険性について「沖縄の人々は普天間が世界で最も危険な基地だと主張するけれども、彼らはそれが真実でないことを知っている」としたうえで、「福岡空港や大阪の伊丹空港も同様に危険だ」と述べたという。

 また、メア氏は、日本の政治家は「常に建前と本音を使い分ける」としたうえで、「沖縄の政治家は東京での交渉で合意しても、沖縄に帰ると合意していないという」と語ったとされる。説明会では、「沖縄の人々より、他県の人の方が、より多くゴーヤーを生産する。沖縄の人々は、怠惰でゴーヤーも育てられない」との発言もあったという。


 沖縄のゴーヤの収量が少ないのは米軍基地のために耕作面積が制限されているからじゃないのか?


 すでにニュースを賑わしていているが、僕はこのニュースを昨日の朝日新聞の記事で知り、どうして問題にならないのかと思っていた。沖縄の新聞はいち早く取り上げていたようだけれど。

 それにしても、開いた口がふさがらないとは、このことだ。
 このような認識の人物が国家の重要な役職にいる国がマトモだなんてとても思えない。

 こんな国に隷属しているから、日本の政治家もだんだん似てくるのだろう。
 口では「厳しく抗議する」などと言っているけど、よく見れば同じ穴のムジナなのだ。 なぜなら、琉球を、アイヌ民族を、北海道の専従少数民族を、被差別部落を、朝鮮民族や中国人を聞くに堪えないほど悪し様に差別してきた事実があるのだから。
 ケビン・メアの方がはるかに正直者で、差別の歴史を隠蔽しようとしている者の方がはるかに正直者ということになる。

2011年3月7日月曜日

AFAN



AFAN
この名前は、C.W.ニコルさんの主宰する「アファン財団」や「アファンの森」から借用した。
ケルト語で「風の通る所」という意味だとか。

もうすぐ生後9ヶ月になる。
何にでも興味を持つ好奇心旺盛な年頃である。また、もっとも活動的な時期でもある。

家で過ごす休日はたいてい一緒に散歩する。
現在使われていない牧草地およそ10ヘクタールとそれに隣接した河畔林が僕らの遊び場だ。
小さいときからそこを走り回っていたのだが、最近になって一段と速く走るようになったみたいだ。
ピレニーズなので、イヌとしては大きな方だが、まさに「風のように」軽やかに走る。

昨日、日曜日の朝は、三区画に分かれた元の牧草地を越え、普段はあまり行くことのできない河畔林の奥深くまで入り込んだ。そして、西別川の岸まで達した。
慣れた場所では、僕から離れて走り回っるアファンだが、初めて行く所では、僕から離れようとしない。そう、彼女は良く言えば慎重、ハッキリ言えば小心者である。
その日も、最初のうちはすぐそばを歩いていた。

ところが、そのうちにエゾシカの大腿骨を見つけた。嬉しそうに骨を咥えた彼女は、僕から離れ、一人で歩きだした。無理もない。家では、彼女が咥える物はたいてい大事な物であり、ほとんどの場合、取り上げられる。
彼女は、自分で見つけた「良い物」を僕に取られないよう最大限の注意を払ったのだろう。

きょうは時間があるし、たまには好きなようにさせてやろうと僕は考えた。だから飽きるまで待とうと、切り株に腰を下ろし、一休みすることにした。

しばらくして彼女は視界から消えたが、近くで骨に夢中になっているのだろうと思っていた。

やがて、もう十分だと思ったので、呼んでみた。
だが、いくら待っても帰ってこない。何度も呼んでみたが来る気配がない。いつもなら走ってくるのだが。

ひょっとしたら先に家に戻って骨を楽しんでいるのかも知れない。そう考えて家に戻ることにした。

しかし、案に相違して家に帰っている様子はないではないか。
この時点で僕は少々焦りを感じた。やはり、僕は骨のあった場所を離れるべきじゃなかったのか。
急いで川に向かって戻り始めた。

そして、いつも散歩している草地を横切り、隣の区画にさしかかったとき、後ろでハァハァという息づかいが聞こえ、アファンが嬉しそうに走り寄ってきた。

「ああ、なあんだ。そこにいたのか?心配したよ。」などと言いながら二人で戻り始めた。
アファンは途中まで一緒に歩いていたが、草地の中程まで来たとき一人で走り出し、そこに放り出してあった骨を大事そうに咥えた。
彼女は、いつも散歩している、我が家にもっとも近い草地まで骨を運び、そこで、ゆっくりと楽しんでいた。
そして、自分を探しに戻る僕を見つけ、骨を放りだして追いかけてきたのだろう。
骨に魅力を感じつつも、自分を探す僕を呼び止めてくれた、そんな気持ちが伝わってきた。

もし、言葉を発したなら
「探すのが下手ですねえ。ホントに世話がやけるんだから。」くらいのことを言ったことだろう。

こんなココロの交流がある時、イヌとともに暮らす喜びを深く味わうことができる。

2011年3月6日日曜日

ゴミとなった生ゴミ処理機

 ひと頃、「生ゴミ処理機」というものが流行した。
 我が家でも早速、ゴミの減量、資源再利用の観点から張り切って購入した。町からの補助金があったがそれでも結構高価だった気がする。

 一人がけのイスほどの大きさ。野菜くずなどの生ゴミを「チップ」と呼ばれるオガ屑状の粉と混ぜて入れる。容器の中でバーが回転して攪拌し、ヒーターで温度管理をして発酵を促進させるというしくみの機械だ。
 2003年頃の話だ。

 一昨年、我が家の電気料金が異常に高いことが気になり、電気器具の使用電力量を点検してみた。可能な限り節約に努めたがあまり改善されなかった。最後に突き止めたのがこの生ゴミ処理機で、これの使用を止めた途端に電気料金は3分の2ほどに減った。

 この機械は、不調になってきたこともあり、それ以来、稼働を停止していた。
 昨年の春、狭い勝手口にデーンと置かれていて、非常に場所ふさぎだったので、屋外に出して、野ざらしになっていた。
 そして今日、ついに分解して廃棄する作業を行った。

機械を分解してみるとその設計者の思いが伝わってくることがしばしばある。
 この機械は、試作品を急いで販売した、という印象が強い。
 例えば、外側のケースがタッピングビスで無造作に止められていたこと、発酵室と攪拌用のモーターなど動力部分の隔離が不十分で駆動部にかなりほこりが入り込んでいたこと、小型の機械である割には使われているビスの種類が多く、8種類以上に及ぶ点などが、いかにも「開発途上」という感じだった。

 それはともかく、有機物を発酵させて、堆肥として使うという発想は良いとしても、そのためにモーターを回し、ヒーターを張りめぐらせて400ワット近い電力を使うというのこと自体が大きな矛盾ではないだろうか。さらにチップを買い足す必要があったり、ランニングコストがかかり過ぎた。
 2003年に導入したこの機械は、2009年の冬には稼働を止めたわけだから5年半ほどしか働いていなかったことになる。
 まあ、新しいアイディアにはこのような失敗はつきものなのだけれども。

 モーターとスプロケットは、回転魚干し機として利用しようかと考えている。外側のケースは、中でミミズでも増殖させて本格的な堆肥作りに再利用するつもりだ。

2011年3月5日土曜日

サヨナラの日





 朝、アファンと散歩していたらオオワシが舞っていた。
2羽、3羽、7羽と視界にはいるワシがどんどん増えていき、最終的には14羽ほどになった。

 こういう晴れた日には、上昇気流が出来る。ワシたちはそれに乗って、どんどん上昇し、相当な高さに達すると繁殖地を目指して一気に飛び去るのだそうだ。
 オオワシたちの繁殖地はカムチャツカ半島や沿海地方のオホーツク海岸だ。無事に繁殖地に戻り、次の冬にはまた渡って来てほしいものだ。
 地上では、こちらに残って繁殖するオジロワシのつがいが鳴き交わしていた。まるで、帰って行くオオワシを見送るみたいに。

 ヤナギも芽吹き始めている。
明日は啓蟄だ。

2011年3月4日金曜日

泣いちゃったよ、卒業式で

 教育長の代理で近くの高等養護学校の卒業式に出席してきた。

 36人の卒業生を送り出す式だ。
 心身の障害を背負った子や種々の理由で「普通」の学校に通うことを困難、とされている子たち36人が立派に卒業する姿を見せていただいた。
この子たちの三年間が悪戦苦闘の連続であり、それでありながら明るく楽しい学校生活だったであろうことが、よく伝わってきた。

 最初のクラスの四人目くらいの男の子が、証書を受け取り自席に戻るとき、突然、担任の名を呼び、
 「○○先生、三年間ありがとうございました。」と大きな声で呼びかけた。
 マイクの前で呼名をしていた担任の先生の顔は、その瞬間に泣き顔に変わった。
 また、答辞も感動的だった。始めのうちは、他の学校の卒業式とあまり変わりのない内容が淡々と読み進められいたのだが、後半になって、その生徒のお母さんへの感謝の言葉に変わった。途中でお父さんが亡くなり、お母さんが独りで頑張って、その子を支えてきたのだという。
 「これからは母親に孝行したい」と結ばれていた。
 今まで卒業式で泣いたことはなかったのだが、今日は泣いてしまった。
 答辞の後に「式歌」があって、涙を乾かす時間があってよかった。

 それにしても・・・・
 現在の養護学校の姿をみていると、言いたいことがたくさんあり、様々な疑問や怒りがこみ上げてくるのだが。
 もう少し整理してから書こう。
 今日は、おめでたい卒業の日だし。

2011年3月3日木曜日

開発途上国日本

 昨日の共同通信の記事にこんなものがあった。

 国民健康保険(国保)の保険料を滞納して「無保険」状態になったり、保険証は持っていても医療費の自己負担分を払えなかったりして受診が遅れ亡くなった人が昨年、24都道府県で71人に上り、前年(47人)の約1.5倍に増えたことが2日、全日本民主医療機関連合会(民医連)の調査で分かった。
 失業者や非正規労働者が多く、民医連は「厳しい雇用状況が続く中、払いたくても払えない人が急増しており、もはや『国民皆保険制度』は崩壊している」と指摘。調査対象は民医連加盟の病院や診療所計1767施設で「背後にはもっと多くの犠牲者がいる可能性がある」としている。
 71人のうち、保険料滞納は42人。内訳はまったく保険がない「無保険」が25人、滞納のため有効期間が短くなる「短期保険証」が10人、さらに滞納が続き保険証を返して医療費全額をいったん払わなければならない「資格証明書」が7人。
 都道府県別では長野、兵庫、沖縄が4人で最多。東京、神奈川、石川が3人。職業別では無職26人、非正規10人、自営業3人、ホームレス2人、年金生活者1人。年齢別では60代18人、50代11人、40代7人、70代4人、80代と30代が各1人。
                         2011/03/02 11:48 【共同通信】

 僕たちの国には、国民に銃口をむけるような独裁者はおらず、憲法によって、文化的で最低限度の生活を送る権利を保障されている、ことになっている。
だが、この記事のような事実は、これらの建前が絵に描いた餅であることを示している。

 もちろん、今に始まったことではないけれども、僕たちは、このような事実と数字を記憶しておく必要がある。ともすると、その時々の気分や勢いで、事実を見誤らせるような報道が氾濫することも少なくないから。

2011年3月2日水曜日

プロメテウスの嘆き

 もし
 日本が
 「先進国」なら
 もう
 いい加減に
 大学や高校をブランドのように見立てるのは、止められないのだろうか。
 
 入学の門戸をもう少し広げ、卒業の条件を厳しくすることで
 たとえ不正行為で入学できても、ほとんど意味がないという状態を作ることはできないだろうか。
 その結果、大学生がもっと本気で勉強するようになるなら、なお良いことだろう。

 携帯電話や様々な機器の発達した今日、百年前と変わらないペーパーテストに頼って選抜していたのでは、不正行為を防止しきれないのではないかと思う。
 もう限界であろう。

 携帯電話などを使った不正行為の防止策に、莫大なエネルギーが注がれているのは、大きな損失だとういう気がしてならない。
 大学を取り巻く構造を変えなければ
 入試制度は、もう耐えられないのではないだろうか。

 もっとも、こんな事はもう言われて久しいのだろうが。

2011年3月1日火曜日

わかってほしいんだが

キミは、知床五湖の喧噪を賑やかというのか?

クルマの排気ガスが濃く漂い

ガヤガヤと声高に話しながら歩く

観光客の列が途切れることなく続く

駐車場に入りきれないクルマ列をなす

     あの静謐はどこへ行った?

     あの輝いていた「地の涯て」のシンボルはどこへ消えた?

そして、いま

五湖を貪りつくした欲望は

次の獲物として羅臼湖を狙っている

いったい何万本の

可憐な花を踏みつければいいのか

山中に都市の便利さを求める人たちを

何十万人集めれば満足するのだ

「自然の景観を楽しみに来る人たちを
 親切に迎えたい。
 その人々の必要とするものをそろえたい。
 ただそれだけだ。
 自然を壊す気は無いんだ。
 そして、もっともっとこの町を
 繁栄させたい
 潤わせたい。」と

キミはそう言ったね

大音量の歌が流れることが

都会の商店街を歩くときと

同じ服装の人々が

花や樹や鳥や虫に

何の関心も示さず

大声で、

女優の離婚の話や

おいしいラーメンの話などをしながら

ただ、「訪れる」ことを目的に訪れるような観光地を

キミは本当の観光地と思うか?



自然から切り離されて

十数万年生きてきた

人間の過去と未来を思いながら

野の花に心を寄せ

鳥の歌に耳を傾け

チョウやトンボの舞に見とれて

静寂に包まれた中を静かに歩く

そして、

いつまでもここがそんな場所であるために

払われている注意や努力に思いをいたし

この場所が

これからもずっとこのままであるようにという望みを

あらためて心に抱いて帰って行く

羅臼湖は

そんな場所であるべきじゃないのか


以上、エコツーリズム協議会
第二回羅臼湖会合に出席して心に浮かんだことです。