2011年3月21日月曜日
言葉を殺すなかれ
言葉を弄ぶな!
「ただちに影響はない」
「ただちに」とは何日、何時間のことだ?
「念のため○○します」
じゃ、しなくても大丈夫なの?
責任もってくれるんだね。
「今のところ危険なレベルではない」
安全なレベルでもないのか?
そして、明日のことはわからないのだろう?
「協力企業」
下請け、孫請け、曾孫請けのことだろう?
醜い、触れたくない、不快なものやことを直接表現せず、間接的に表現することはよくあることだ。
そうやって、日常生活が円滑に送られるように配慮してきた生活の知恵だろう。
それが行きすぎると自分に都合の悪いことは無かったことにしようとする。
動物が殺されるのを見るのはイヤだけどお肉は食べたい。
自分の手は汚したくないけど、汚い物、臭う物、不快な物は始末してほしい。
挙げ句の果てには、そんな仕事をする人々を差別して、
「ああ、自分はそれに関わらなくてよかったあ」と言う。
そこに「言い換えの魔力」が発揮される。
われわれの言葉は、そのような負の遺産を抱え込んでいる。その表現を使うことで差別や排除から目を逸らし、結果として差別や排除をそっくり残す。
言われると「そんなことはありません」と開き直る。
詐欺と変わらぬ。なんたる欺瞞。
周囲と自分自身にウソをついているわけだ。
言葉がウソつきの片棒を担がされるのは、言葉の自殺行為である。
その意味で日本語は、もはや死に瀕していると言ってもかまわない。
いろいろな もの や こと が見えてくる、原子力発電事故。
(これは「災害」ではない。「事故」だ。そもそも予想されていた危険なのだ。)
復旧に努めている現場の人々の努力には敬服する。
「命がけで事故の沈静化に向け、頑張っている人々がいるのだから批判はするな」という論がある。
間違っている。
英雄的な美談があったからと言って、原子力発電を強行した政策は許されるものではない。
原子力発電所の建設を計画し、進め、それを許した者たちは、末代まで責めを負わなければならない。
このような事態を招いた構造を絶対に見失ってはならない。
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