「明日から計画停電実施」と喧しい。
いつの間にか、日本の都市部では、電気は途切れなく供給されて当たり前と考えられるようになっていたらしい。
その感覚は非常に危ういと思うのだが。
地下街、エレベータ、エスカレーター、動く歩道、電車、冷暖房、さらに不必要に多いライトアップや自動ドアなど、「電気はいつでも途切れることなくあって当たり前」という前提で都市が構成されている。
だが、電気というエネルギーは、ほぼ100パーセント他力本願だ。だから生殺与奪をすべて他人に握られていると言ってもよい。
自然の中で暮らすには、必要以上に「他力」に頼るのは危険だ。
他から供給されているものは、いつ止まるかわからないと考えるべきだ。
都市は、人間を家畜化し、自立の精神を奪う魔力を持っているようだ。
ここ根釧原野では、停電は日常茶飯のことだ。
風が吹いたら停電する。雪が降っても停電する。雷が落ちたら停電する。一度停電したら最低でも数時間、長ければ一昼夜以上も続く。
ある時など、送電線の電柱に車がぶつかったために3時間ほど停電したこともあった。 電気は、「あれば便利」、「無い時はしかたがない」程度のものに思っている。
必要な準備と心構えが必要ではないだろうか。
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