2010年7月15日木曜日

カモイウンベ=ヒグマの多い所

 「カモイウンベまで帰る」と言っていたおばちゃんは無事に帰ることができただろうか。まあ、何もニュースが無いから無事に帰り着いたのだろうし、彼女にしてみれば、そんなことは日常の何でもないことなのだろう。それでも最近、従来とは行動のパターンの異なるクマの出没が続いているので、心配になってしまう。
それにしても、クマがウヨウヨしている夕方の海岸を一人で歩いて帰るバイタリティには脱帽してしまう。もちろん銃もクマスプレーも持たずに、である。
 そんな、危険と隣り合わせのバイタリティに依拠して、この国の「繁栄」があったはずだし、現在も続いているはずだ。政治家は、本当に真剣にそれを理解しているのだろうか。わかっていないとしか思えないことが多すぎる。少しでもわかっていたら、羅臼町から病院が消えて無くなりそうな状況など生じるわけが無いではないか。
 どの角度から考えても良い国ではないなあ。

2010年7月13日火曜日

待合室にて

 医師がおらず、診療を休止したり再開したりしている病院。「金儲けをしない者はすべて悪だ」と言わんばかりの思想で推し進められてきた政府の医療政策に翻弄され続けてきた、全国どこにでもある僻地の病院のひとつだ。

「今日は、外科の診療はしていただけますか?」
 午前中に立ち寄り、受付に質問した。
「内科の先生しかいませんけど外科も診ますよ。ただ、今日はすごく混でいるので、相当待つことになりますよ。」そして、親切なことにこう付け加えてくれた。
「夕方いらした方があまり待たずに済むと思います。」

 仕事もあったので、夕方もう一度来ることにして、一旦診療所を出た。

 仕事が一段落した午後3時過ぎ、再び病院へ行った。心持ち待っている人は減っていた。しかし、診療の手続きをして診察室前のイスに腰をおろした時、ビックリしたのは、そこにいた人たちは午前中に受け付けを済ませた人々だったという事実だ。その人々は、朝の九時頃からひたすら診察の順番を待ち続けていたのである。

 その人々の会話が自然に耳に入ってくる。
 今年のコンブの出来具合の悪いこと、嫁との仲のこと、天気のこと、これから始まるコンブ漁のこと、新しく折れないマッカ(コンブを巻き取る道具)は重くて年寄りには使いこなせないということetc.etc.
 七〇歳台後半のお爺さんのしみじみとした言葉が印象的だった。
「中標津や標津の病院より、やっぱり羅臼の病院がいいもなあ。(いいんだよなあ)ずいぶんこの病院には世話になった。」

 なぜ、今日がこれほど混雑しているかもわかった。そろそろコンブ漁が始まる。漁が始まると皆、「コンブ場」と呼ばれる漁場の番屋に移って生活する。知床岬近くの、道路の無い所に建つ番屋も少なくない。道路があってもクルマを運転できる若い人々は、漁にかかりきりで老人の送迎をすることはできない。そのため、三ヶ月分もの薬をまとめて出してもらうのだという。そして、それだけの量の薬を処方してもらうためには医師の診察を受けなければならない。そんなわけでたった一人しかいない医師の元へ皆が一度に集まってきたということらしい。
 そんな事情を聞いていると、ネコの咬み傷程度で来院した僕は、病院を忙しくした、はなはだ迷惑な存在に思えてくる。

 夕方、遅くなって、一人のおばさんが腰を上げた。
「これらからカモイウンベまで帰らなきゃならないんだ」と言う。そばにいたおじさんが問いかける。
「どやって帰るのさ?」
「クルマで相泊まで送ってもらって後はあるくべさ」

 僕は耳を疑った。カモイウンベは道路の終点、相泊から岬方向に4キロもある。海岸をずっと歩くのだ。人頭大の石がゴロゴロしている浜は、それほど早くは歩けない。そして、あの辺りは特にクマの多い場所だ。それをこのおばさんは、まるで「ススキノから円山まで帰るんだ」と言っている調子で事も無げに「歩く」と言ってのけたのだ。
 ああ、知床で生きるということはこういうことなんだなあ。あらためて感じられた。 

2010年7月12日月曜日

飼いネコに手を咬まれる

 ネコは悪くない。昨日の夕方、買い物に行こうとして車に乗り込んだとき、外で遊んでいた我が家のネコ=ピョートル大帝が一緒に乗り込んできた。乗り込んだのは良いが、中まで入ってこようとしない。膝に乗ったかと思ったらすぐに開いた窓に乗った。窓の縁に乗っているから大丈夫だと思い、ドアを閉めた途端、これまで聞いたことのないような叫び声。この世のものとは思えない声だった。優美な長い尻尾がドアの上部に挟まったのだ。ドアを開きつつ尻尾で宙づりになるのを防ぐためネコの身体を支えた。その時に、彼は、思わず僕の左手に咬みついたのであろう。
 よほど痛かったらしく、上下四本の牙がすべて掌に食い込んでいた。
ペーチャ(「ピョートル」の愛称)の方は、大騒ぎした割にはほとんど怪我はなかったようである。安心した。

 僕の掌もそれほどの傷ではない。オキシドールで消毒し、抗生物質入りの軟膏を塗っておいた。それでもやはり動物による咬み傷はどうしても炎症を起こしてしまうらしい。腫れて熱を持ってきたので、病院へ行き、抗生物質を出してもらった。

2010年7月10日土曜日

サカマタの記





 いつか遭えるだろうという予感は持ち続けていた。だが、予感の時があまりにも長かった。択捉島で一瞬だけ目にしたあの三角。海面に誇らしく突き出されたシャチの背びれ。

 雨をついて出向した「エバーグリーン」のアッパーデッキで、「今日もダメかな」と弱気になった頃、隣で海面を見張っていたSさんが低い声で、しかしはっきりと船長へ伝えるのが聞こえた。
「シャチ。11時30分。距離0.5マイルくらい」と。
目を凝らしてみる。だが、見えない。
船はそれほど速度を上げることなく近づいていくだが、シャチの群れも同じくらいの速度で遠ざかっているらしく、なかなか姿をとらえることができない。
 結果的に5分ほど追尾してやっとブローが見えるようになった。さらに数分後、ジャンプする姿もとらえられるようになった。
 それからは、船はほとんど停止しているのだがシャチの方から近づいてきたり、船底をくぐり抜けたりし始め、存分に遊んでくれた。
 それにしても、シャチはなぜわれわれを惹きつけるのだろう。レプンカムイと呼ばれる。神秘的な存在として扱われることも多いし、その気持ちもよくわかる。いろいろな思いが一気に吹き出したシャチとの出会いだった。

2010年6月3日木曜日

熊越えの滝


 「野外活動」の授業で熊越の滝までトレッキングをした。
熊越まで行くのは、2月以来だ。
 残雪が消えたばかりで、林床はなんだかガランとした感じだった。

 いつも通り、温泉を観察したり、植物を観たり、鳥の声に耳を傾けたりしながら進む。川沿いのルートを進み、角を曲がると遠くに滝が見えてくる。
 「ウワアー」
 「ヤベエな、これ」
 彼らなりの賞賛の声だ。
羅臼で生まれ育って17年、今回初めて来た者もいる。15メートルの高さを相当な量の水が一気に落ちている滝の迫力は、彼らを感動させるのに十分な迫力を備えているようだ。

 川辺まで降りた生徒が息せき切って上がってきた。手に小さな黒い塊。
 「先生、鳥が溺れていた」
 キビタキだった。
 水の淀みに、何かの理由で溜まった泡に絡めとられ、もがいていたらしい。身体は濡れていたが元気はある。
 滝の滞在を少し短めに切り上げ、ビジターセンターへ運ぶことにした。
 「さすが、知床学士1級のSくん。今夜小鳥の精がお礼を言いに訪ね来るね」
 「綺麗な女の人かなあ?」
 「あれ?あのキビタキは雄だろう?」
 「あ~あ!」

2010年6月1日火曜日

突然ケガニがやって来た


 今日は毛ガニを山のように持ってきてくれた人がいて、夕食はカニの山になった。
 9匹(北海道では9ハイと言いますが)

 当分、カニは食べなくて良さそうである。

2010年5月31日月曜日

漁協の市場で



 羅臼高校「海洋生物」の実習で羅臼の市場を見学に行った。
 この大ダコ、魚箱に収まりきらないオヒョウ、とくに珍しいわけではないが、あらためて根室海峡の豊かさを思った。

2010年5月30日日曜日

よもぎ団子



 「野外活動」の授業でヨモギ団子を作った。
 先だってはフキノトウで天ぷらを作ったが、「食物系授業」の第二弾だ。
 あくまでも野外活動なので、野外での簡便な調理を前提にした。そこで、ヨモギを生のまま生地に混ぜ込んで、団子にした。
 アクのせいだろうか、生地にまで茶緑色の色が着いてしまうが味は、その分野趣ゆたかで、素朴な味になる。
 ヨモギを摘んできて、目の前で刻み、団子を作っている僕に
「これ、ホントに食べられるの?」と疑っていた生徒たちも、一口食べてみると
「美味い、美味い」と連呼しながらが団子を貪っていた。

(アタボーよ。白玉粉で作って、きなこで食べてるんだからナ。)と密かにつぶやいた。

2010年5月24日月曜日

レタスの王

レタスの王

むかし
あるところに
レタスの汁の好きな王があった

王は
レタスの汁を飲むことを国民に義務づけた
一日に三杯は飲むように、と

最低でも三杯
王の呪文は
こう繰り返す

人民は貧しかった
やせた土地を
貧弱な農具で耕し
コムギを植えても
コムギは育たず
ニンジンを植えても
ニンジンは育たず
細々と
ソバを作って
細く延ばして
食い延ばしていた

ソバ作る人はレタスを作れず
レタスの汁は
あまりにも高価だった


人民がレタスの汁を飲もうとしない
報告を受け、その王は
ついに癇癪を起こしてしまった


レタスを飲まぬ人間は
わが臣民にあらず
即刻追放とするべし と

レタスの汁を飲めない農民たち
一人、二人と国を捨てる

いつしか
王の周りに人はいなくなり
乾いた廃墟だけが広がっている

永遠の命を備えた王
孤独な日々は終わらない

おごるなかれ

 昨日のこと
 日曜日、畑の手入れなどをして過ごした後、園芸資材の買い出しも兼ね中標津まででかけた。久しぶりにゆっくり過ごせたので、洋菓子とコーヒーでこのところ急速に評判の高まっている「L」という店で一休みすることにした。

 住宅街の中にあるこの店は、数年前にできたばかりで、簡素で清潔な店内のデザインととても美味しいケーキが評判で次第に名を知る人が増え、人気が高まりつつある。店頭での販売が主体らしいが店の隣で淹れたてのコーヒーとともに味わうことができる。僕も今までに何度か利用したことがあった。

 午後、遅い時間ということもあり、生っぽいケーキは売り切れていて、ショーケースの中には日持ちのしそうな半乾燥系の菓子だけが陳列されていた。それでもせっかく来たのだし、静かで落ち着いた空気の中で一休みする時間を持つ事自体に意義があると思っていたから、食べるケーキを注文し、コーヒーはフレンチローストに決めた。
 実は、このとき、僕に同行していた人は、極端にカフェインに敏感な体質の持ち主で、普段からコーヒーを飲むことをしない人だった。この店にコーヒー以外の飲み物がないということは、来る前からわかっていた。それでも、
 「水だけでも良い」ということで訪ねてきたわけだ。
 「コーヒーは一杯」という僕の注文に店の人は、表情を変えずに
 「ケーキとコーヒーを共に味わっていただきたいと考えてやっております」と言うではないか。
 「コーヒーも満足に飲めないような人間は、自分たちの店に来るな」と喧嘩を売っているようなものである。
 「テヤンデー、ベラボーめ。確かに店と品物は、オメーのモンかも知れねえが、金は俺のモンだ。こんな店、二度と来るか」 落語の八つぁんならこう啖呵を切ることだろう。
 コーヒーが飲めないというだけで人格を否定されたような気持ちにさせるケーキ屋がどこの世界にあるだろう。
 その店の名は、サンスクリット後で「日常」という意味なのだそうだ。中標津町は空港にもあり、「東京の隣町」と胸を張っているが、ちょっと人気が出てきただけで、こんな傲慢な態度が「日常」になるのであれば、所詮は田舎でしかないと思われるのではないだろうか。
 心配だなあ。

2010年5月23日日曜日

今年初の峠越え



金曜日、知床財団の評議員会があって、ウトロへ行った。

現在の峠の通行可能な時間帯は午前9時から午後4時30分まで。
会議は午後3時からなので、羅臼を2時頃出て、ゆっくりと走った。

あちこちに雪が残る早春の知床連山を超え、ウトロ側へと下りる。

羅臼岳は、いつもの通り、どっしりと座っていてくれた。


なんだか例年よりも強く印象に残った峠越えだった。

2010年5月19日水曜日

虐殺の朝



 虐殺は夜には起きない。

 朝、いつも通りニワトリ(烏骨鶏)の給餌に向かう。ドアを見たとき、異変を予感した。地上1メートルの位置にある窓の網が破れていたからだ。通気性を確保するため、網戸用の網を張ってあった。それが破れていた。
ドアを開けたとき、予感が的中したことを知った。累々と横たわる黒い烏骨鶏の死骸。イタチだ。ふと顔を上げるとイタチと目が合った。なんとふてぶてしい…というのは僕の思い込み。イタチにしてみると急なことで逃げ道もなく途方に暮れていたのだろう。おそらくニワトリを殺した直後だったのだろう。食事の真っ最中で、獲物への執着を見せていた。
 思いついてカメラを取りに家に入り、再び鶏舎へ。
 もう、いないのではないか、という予想に反して止まり木代わりに置いたビールケースの下に潜り込んでこちらを窺っている。数枚の写真を撮った。
 するとその直後、僕の足下めがけてダッシュして来るではないか。全力疾走するイタチにレンズを向けて闇雲にシャッターを切る。栄養状態の良さそうな背中がそこに写っていた。

 いままで、これほど派手にイタチに襲われたことはない。犬がいて、睨みをきかせていてくれたことが大きいと思う。実際、我が犬が目の前に現れたイタチを捕獲したこともあった。
 かえすがえすも昨冬の事故死が悔やまれる。これが本当の犬死にだ。

 自然はヒトのために存在しているわけではない。ヒトに対して意地悪であったり、凶暴であったりするものだ。自然と濃密に接して暮らすということは、こういう事である。だから嬉しいことの嬉しさが増幅される。

 「自然に癒されて」とか「地球に優しく」などというキレイ事など「前線」では通用しない。
 そんな厳しい事実をあらためて自覚させられた出来事だった。授業料は高過ぎたけれども。
※種名は ホンドイタチ

2010年5月18日火曜日

ああ、体重

 環境省グリーンウエーブ事業に協力し、羅臼高校2学年「野外観察」の受講生徒がルサフィールドハウス横の空き地にヤナギの植樹を行った。

 体重が減らない。
 毎朝、体重を測定し、記録している。同じような衣類を着て測っているので、毎日の変化量は、だいたい実際値に近いはずだ。
 一時期は一週間ほど続けて一日0.5kgずつ減少したこともあった。
「この調子でいけば160日で体重ゼロになる。シメシメ!」などとは思わなかったが、密かに喜んでいた。
 今は、大幅に増えもしないかわりに減りもしない。馬に乗るためには、もう少し減らしておきたいのだが、なかなか思うにまかせない。
 運動不足が最大の原因だとはわかっているのだ。

 それでも職場の同僚に比べるとまだ努力している方だ…と思いたい。1キロ程度なら、ほとんど歩いて用を済ませるし、食事の量や内容にも気を配っている…つもりだ。

 たとえば今夜の夕食…
久々にホッケが安かったので買ってきた。肉よりも魚を食べる方が多い。明日の弁当用にドスイカも2ハイ買った。ドスイカの1パイは茹でてサラダに混ぜた。残りの1パイはフライにして何回かに分けてお弁当用として使うことにした。
 そして、米を炊くのには時間が遅かった。台所を見るとジャガイモが転がっていた。ホッケを焼き、ジャガイモはフライを揚げた後、スライスして揚げた。

 どうだ!これでフィッシュアンドチップスだ。
 おっと、これじゃやっぱり体重が減らないはずだなあ。あ~あ。

 ひとつ気づいたことがある。
 割にこまめに調理をすることが、僕の体重が減らない遠因かも知れない。

aa,

 環境省グリーンウエーブ事業に協力し、羅臼高校2学年「野外観察」の受講生徒がルサフィールドハウス横の空き地にヤナギの植樹を行った。

 体重が減らない。
 毎朝、体重を測定し、記録している。同じような衣類を着て測っているので、毎日の変化量は、だいたい実際値に近いはずだ。
 一時期は一週間ほど続けて一日0.5kgずつ減少したこともあった。
「この調子でいけば160日で体重ゼロになる。シメシメ!」などとは思わなかったが、密かに喜んでいた。
 今は、大幅に増えもしないかわりに減りもしない。馬に乗るためには、もう少し減らしておきたいのだが、なかなか思うにまかせない。
 運動不足が最大の原因だとはわかっているのだ。

 それでも職場の同僚に比べるとまだ努力している方だ…と思いたい。1キロ程度なら、ほとんど歩いて用を済ませるし、食事の量や内容にも気を配っている…つもりだ。

 たとえば今夜の夕食…
久々にホッケが安かったので買ってきた。肉よりも魚を食べる方が多い。明日の弁当用にドスイカも2ハイ買った。ドスイカの1パイは茹でてサラダに混ぜた。残りの1パイはフライにして何回かに分けてお弁当用として使うことにした。
 そして、米を炊くのには時間が遅かった。台所を見るとジャガイモが転がっていた。ホッケを焼き、ジャガイモはフライを揚げた後、スライスして揚げた。

 どうだ!これでフィッシュアンドチップスだ。
 おっと、これじゃやっぱり体重が減らないはずだなあ。あ~あ。

 ひとつ気づいたことがある。
 割にこまめに調理をすることが、僕の体重が減らない遠因かも知れない。

2010年5月6日木曜日

連休明け

連休中、急激に気温が上がった。

もの皆芽吹いたという感じだ。

鳩の馬脚もあらわれた。

アオジ、オオジシギ初鳴きもあった。

そして今日、気温は再び一桁。

摂氏4℃だった。人生のような激変だ。
いや、昨今の天候のような人生か。

急降下、急上昇を繰り返し
オオジシギに似た
生き様をする

2010年4月26日月曜日

ピアノコンサート

 昨日、羅臼で、主に子ども向けのピアノコンサートがあった。東京のピアニストが来町してピアノを聴かせてくれた。
 このピアニストはテレビや映画の曲を作るなど第一線で活躍する、その世界では有名な人らしい。「自然派」を自認しているようで、飲み物や水にもこだわった生活をし、斜里町にはもう何度も訪れて演奏をしている。

 今回の演奏会は、僕も実行委員会のメンバーだったのだがはじめからなんとなく気が乗らなかった。演奏者側からのコンサートへの要求に「上から目線」を何となく感じられたことが再三あったためだ。出演者側が遠隔地の会場や実行委員会に対して、上演に必要な様々な条件を示し、要求を送ってくることは普通のことだし、これがなければ円滑な公演はできない。実行委員会側と公演者側とが、緊密なコミュニケーションを交わし、ココロを一つにしてはじめて良い公演が生み出される。
 そんなことはわかっている。だが、今回のやりとりは、なぜか「コミュニケーション」というより一方通行の「命令」のように感じ取れてしかたがなかった。そんな感情がこちらのやる気をどんどん低下させた。

 そして日曜日。公演当日だ。
 その発言に僕は、「やっぱり!」と思った。
 ステージに現れ、最初の一曲を弾き終わった後の挨拶で、彼女はいみじくも言ってのけた。
「わたしは、知床には何度もきています。けれど知床以外の場所で演奏するのは、初めてで羅臼を訪れることを楽しみにしていました。」
 あ~あ!羅臼も知床半島の町です。いや、羅臼こそ「知床旅情」の作られた町だし、町の全域が知床半島に存在しているのは羅臼町だけなのですヨ。もう少し勉強してから来て欲しかったなあ。

 たしかに実力もあり、偉い芸術家なのかもしれないけれど、聴衆からお金を集めて自分の演奏、つまり「芸」を売って生業にしている以上、「芸人」と読んでも良いはずだ。もちろん卑下する意味は全くない。ただ、芸人なら自分の訪れる土地のことをもう少しきちんと勉強しておいても良いのではないだろうか。。
「芸人は、上手も下手も無かりけり。行く先々の水に合わねば。」と昔から言われている。今回の発言と準備段階のやりとりの印象が、固く結びついてしまった。

 そして、このような態度は、現地の当事者のことをどこまで誠実に思んばかれるかが問われるという点で、例えば沖縄県民が、米軍基地の過重な負担に苦しんでいることに対して、皮相的な同情だけを示す、欺瞞的なポーズと通底するものがあるように思えてならない。
 「沖縄の基地を何とかしなければ」と叫んでいるヒトに、
 「じゃ、あなたの町に持って行って下さい」と言ったら、
いったい何人が承諾するだろう。
 ゴミ処分場、原子力発電所、核廃棄物貯蔵施設、墓地から老人福祉施設、はては保育所や小学校まで。不可欠の施設だけど自分の目の届かない場所に置いておきたいヒトたちの何と多くいることだろう。

 昨日のコンサートを眺めて、なぜか薄ら寒い感じを覚えた。

2010年4月20日火曜日

アイスランドの火山噴火と日本のマスコミ

カワラヒワ初鳴き

火山と鮭の話

アイスランドの火山噴火すごいね。
火山灰が大量に成層圏にまで吹き上げられた。
航空機の飛行に危険が予想されヨーロッパの主要な空港が閉鎖されてしまった。
日本人の観光客も1万5000人くらいが足止めを食っているらしい。
空港で足止めされている旅行者の姿に続いて、北欧から輸入しているナマのサケ(アトランティックサーモン)が入荷せず、回転寿司でサーモンが食べられない、と嘆いている女性の声がニュースで紹介されていた。皆「不便だ、不便だ。困った、困った。早く帰りたい」と嘆いていた。
 遠く海外にまで出かけるような旅行者なら、予測不可能な事態に出会う可能性は、日本国内の旅に比べて大きいわけで、始めからそのようなリスクを覚悟して出かけるべきだよね。それが嫌なら行くべきじゃない。金を出すだけで、快適な旅行を買えると思っている人に限って、こんな時に困るんだよね。自分の力でなんとかできないとね。
 そんな事態を逆に楽しむくらいのバイタリティがあった方がいいと思うんだけどね。
 それにしても、サーモンが食えないことぐらいで大騒ぎしないでほしいね。消費者が悪いのかマスコミが悪いのかわからないけど、ね。サーモンなんかより、火山噴火で航空交通がマヒするという事実の方がずっと深刻じゃないかなあ。将来、どこで同じような(または、もっと規模の大きな)火山噴火が起こらない保証はないのだから。
 たとえばカムチャツカの火山が噴火したら日本の航空交通網は完全にダメになっちゃうよね。そうなったらサーモンの生寿司どころの問題じゃなないでしょう。そんなシミュレーションを先取りしてみせることこそマスコミの責任だと思うんだけど。 今回の問題は、人類が火山とどう向き合うべきかということこそ問題の中心じゃないかなあ。 (ゆ)

2010年4月18日日曜日

北上する


昨日は、当別、月形、浦臼、新篠津と国道275号線を北上した。

高速道路ができたので今では滅多に通ることはないコースだ。だが、昔、高速道路の無い時代、あっても現在のように一本に繋がっていない時代、札幌や函館と道東を往復するのによく通った道だ。

実に久しぶりだった。

このコースは石狩川に沿っている。石狩川の右岸を通っているのだ。そして、それは日本海側のコースを北上する渡り鳥たちの使っているコースでもある。

月形付近ではおびただしい数のコハクチョウ、(オオハクチョウもいたけど)、マガンが田んぼに降りてひたすら食事をしていた。

日頃、道東で目にしている太平洋側のコースを帰って行くオオハクチョウやヒシクイたちとは、またひと味雰囲気の異なる鳥たちだ。

そういえば、コハクチョウやマガンと出会うのも久しぶりだったように思った。

2010年4月16日金曜日

斜里岳


 今日は斜里岳を見た。
 空気感がよく、透明度の高い大気の向こうに輝くように座っていた。

 今年は登りたいな。

2010年4月15日木曜日

さよなら

朝、海岸沿いに走るとき、オオハクチョウの群れと併走することが時々ある。

何回も書いているかも知れないけれど、この群れは短距離を移動するのではなく、長距離を飛んで帰って行くのだ、という明確な意志をハクチョウの群れから感じ取ることができる。

ある種の悲壮感と言っても良いかもしれない。確かに悲壮感に違いない。彼らの渡りは命がけだ。頼れるものは自分の翼しかない。

ハクチョウたちの渡りのルートにある水たまりや川には群れからはぐれ、というより群れについて行けずに一羽だけ途中で降りた個体を時々見かける。中には初夏まで留まっている者もある。

そんな鳥は、きっと人知れず姿を消すのだろう。鳥のことに詳しい獣医が、夏になると大半のオオハクチョウは胃の内容物がカビてしまうので、北海道で夏を越すのは困難だ、と言っていたのを聞いたことがある。

渡りは淘汰の旅でもあるかもしない。

そんな悲壮感と裏腹の力強い羽ばたきで、しばしの間僕のクルマの横を飛んでいる。

標津町の市街地に入ると、僕はニンゲンの設けた道路交通法に従って、群れよりも速度を落とさざるを得ない。

そんな僕に後ろ姿を見せて、群れはぐんぐん遠ざかっていく。
「さよなら」
こころでつぶやいてみる。

涙が出そうになる。

2010年4月12日月曜日

日曜日

 岬のエゾシカ密度調整に行く予定だったが海上が時化で中止となった。ひとり広い家で過ごした日曜日。
 気をとり直し、日頃からやりたかった作業に取りかかった。

まず、昨年暮れから今年にかけて死んだてまりとメドヴェージの埋葬。寒い所で待っていた遺体は、やっと安住の地を得たわけだ。以前に拾ってきてあった流木で墓標を建てた。思えばこの場所には多くの動物たちが眠っている。墓標の前に腰を下ろし、しばらくぼんやりと想い出にひたった。

 次ぎに海岸へ砂を取りに行き、国道から進入してくる道の補修。今まで「四駆専用」のようになったので普通の乗用車でも走れるように補修した。

 さらに橋の修理。小さいけれど我が家の敷地内には橋もある。(ちょっと大袈裟な表現だが)この三年間で橋に盛り上げてある土が雨水で削られて崩れ始めていた。ずっと気になっていたのだがやっと補修に着手できた。とりあえず崩壊は食い止めた…のではないかと思う。

 なかなか周囲を片付けられずゴミなども散乱して見苦しい環境になっていたが、少しだけ改善できた。これから少しずつ手を加えていくつもりである。

2010年4月8日木曜日

別れの季節(レクイエム)

なんと多くの別れがあっただろう。この冬に。

メドヴェージ(犬)
てまり(猫)
こむぎ(猫)
クイックターン(馬)
そして、今日、エカチェリーナ(馬)

さらに、義母まで。

昨夜、僕は、自分でカーチャ(エカチェリーナ)の心音が止まる瞬間を確かめた。あんなに大きな躯をして、力強かった者が、なんとあっけなく死んでしまうのだろう。

「哀しい」と言葉に出すのはたやすい。
だが、これらの事実の前で、言葉も出ずに呆然として立ちつくしている自分がいる。

悔やまれる、と言えば全てが悔やまれる。どこまでも悔やまれる。

我が家の動物たちは、皆高齢化していたから、死が連続してもしかたがない、と言うこともできる。だが…

死んで、去っていった者たちは「時」の地平で表情を凍りつかせて
生きている僕らを
いつまでも見ている

2010年3月25日木曜日

「観光基礎」のこと

 午前中は羅臼高校の「観光基礎」の授業展開に関する打ち合わせ。僕の作った科目だが、その意を受け、K教諭はよくやってくれた。文部科学省の指導要領にある科目ではなく学校独自の科目、しかも他人の作った科目の授業をするというのは、とても面倒くさいものだろうと容易に想像できる。そのような中で本当によくやってくれたものだ。頭の下がる思いだ。

 しかし、転出するため昨年4月に赴任してきた新人が引き継ぐことになった。
 そのための打ち合わせである。

知床財団評議員会があり斜里町まで行った。
 帰路、峠は雪になり始めていた。 

2010年3月24日水曜日

学校のプライバシー




 神奈川県の教育委員会は昨年の全国学力テストの学校ごとの結果開示請求に応じることを決定した。この次、個人別の結果の開示を求めたら何と言うだろう。
 おそらく個人情報に属するから開示できない、と答えるだろうね。学校ごとの結果開示をした人(一人だけだったそうだが)自身の高校時代の成績などを開示しろ、と迫っても「個人情報の保護」を盾に拒否するだろう。

 そこで、ちょっと考えてみた。学校という「場」に個人情報のようなものは無いのだろうか。義務制の学校には校区があり、その校区にはその地域の人々が積み重ねてきた暮らしがある。さまざまな風土や地域性がその背景に横たわっているはずだろう。その地域を校区とする学校の「学力」というのは個人情報と同じように無闇に公開するべきものではないと思うのだが。

 個人情報が尊重されるようなるまで、非常に長い年月が必要だったことは、まだ、記憶に新しい。そういう意味では学校単位の情報のような特定の集団のプライバシーへの配慮が認められる社会は、この国ではまだまだ訪れそうもないかなあ。

2010年3月18日木曜日

幻想 新聞記事

 午後から斜里。ユネスコ協会北海道大会事務局会議のため。
 根北峠は割に楽な状態だった。

<引用>
◆環境省 「住宅密集地における犬猫の適正飼養ガイドライン」策定
 環境省は15日までに、住宅密集地での犬や猫の飼い方に関するガイドラインをまとめた。一般の飼い犬、飼い猫の扱い方やマナーに加え、飼い主がいない猫に不妊手術をした上でボランティアが世話をする「地域猫」に対する取り組み方も示しているのが特色。今後、地方自治体の飼育ルールづくりに生かす。

 指針は「犬や猫の起こしたトラブルはすべて飼い主の責任」と明記。マンションなどの集合住宅では建物の管理規約を順守し、上下左右の部屋の住民にもペットがいることを連絡するよう呼び掛けている。またエレベーターに乗るときに抱きかかえることができる中小型種や、鳴き声やしつけの問題が少ない品種を飼うよう勧めている。

 地域猫については「野良猫を排除するのではなく、地域住民が飼育管理することでトラブルを無くすための試み」と評価。ただ「一方的に行えば人間同士のトラブルの原因になりかねない」として猫嫌いの人を含めた住民の合意が必要と指摘、活動の代表者を決め、苦情も真摯に受け止めるよう求めている。         (西日本新聞の記事から)


 どうして動物のことになると人はムキになるのだろう?あのクジラテロリストたちも。
 多くの人は、ほどほどの関係を望んでいるのだろうとは思う。しかし、中には、イヌやネコは一匹もいなくて、ペットと言えば縫いぐるみやロボット。ニオイは全くせず、体内のバクテリアさえ皆無、という環境で暮らしたいと考えている人々も少なからず都会には棲息しているように思えてならない。
 このようなガイドラインが必要となる社会の背景には、こんな風潮があるのではないだろうか。

ニャンタラネットを探したらこんな記事もあったような・・・

◆環境省 「住宅密集地における犬猫の適正飼養ガイドライン」策定
 猫環境省は15日までに、犬猫密集地でヒトの飼い方に関するガイドラインをまとめた。一般の飼いヒトの扱い方やマナーに加え、飼い主がいないヒトに不妊手術をした上でボランティア猫が世話をする「地域ヒト」に対する取り組み方も示しているのが特色。今後、地方自治体の飼育ルールづくりに生かす。

 指針は「ヒトの起こしたトラブル(戦争や環境破壊)はすべて飼い主の責任」と明記。大都市などの集合住宅では建物の管理規約を順守し、上下左右の部屋の住民にもヒトがいることを連絡するよう呼び掛けている。またひき逃げ事件や一方的な戦争を起こさない人種や、ひき逃げ事件などしつけの問題が少ない人種を飼うよう勧めている。

 地域ヒトについては「野良ヒトを排除するのではなく、地域犬猫が飼育管理することでトラブルを無くすための試み」と評価。ただ「一方的に行えば猫同士のトラブルの原因になりかねない」としてヒト嫌いの猫を含めた犬猫の合意が必要と指摘、活動の代表猫を決め、苦情も真摯に受け止めるよう求めている。      (ニャオ日本新聞の記事から)

2010年3月7日日曜日

熊越 第二次アタック






 熊越の滝まで行ってきた。

昨年は、クラストして固くなった川沿いの斜面で連続して二人も「滑落」し、途中で泣く泣く引き返したので、「今回こそ滝まで行こう」と意気込んで出発した。

 昨年より雪が多く、沢はほとんど埋まっていた。一昨日の気温上昇で小さな雪崩の跡があちこちにあり、その分ステップを切りやすく急斜面のトラバースは楽だった。

まずは急斜面を登って滝見台へ。ラッセルに少し汗をかいたが、それほどの時間もかからずに到着。雪雲の下で滝は、ひっそりと佇んでいた。
 去年の苦労は何だったのだろう?
 
 ちょっと物足りないので滝壺に降り、縁を巻いて川沿いの別ルートを戻ることにした。滝壺の縁へ降下していくルートは、夏には切り立った崖でまず通ることはない。慎重に降りた。滝壺の3分の1は雪で埋まっていて、夏には考えられないくらい滝のすぐそばまで近寄ることができた。初めてわかったことだが、熊越えの滝は柱状節理の岩盤でできていた。

 帰路、切り立った崖のトラバースは冷や汗ものだった。
 最後は諦めて川に降り、水の中を歩いたが。
 入り口からわずか数百メートルにある滝だが冬には冬の楽しみがある。存分に楽しむことができた一日であった。

2010年3月2日火曜日

事件事件事件

 ついにボイラーがに壊れた。給湯と浴槽の追い炊きに使っているボイラーだ。もう25年以上、毎日休まずに働いてくれていた。やはり故障してもやむを得ない時期ではあった。だが、それにしてもこの忙しい時に、この寒い時期に、よりによって今、壊れなくても…
と、つい愚痴が出てしまう。

 馬用の乾草を買った。エゾシカのことごとく食べられてしまったから。あの草食動物はオソロシイ。今年は2頭撃った。だがピーク時には50頭以上で貯蔵してある馬用のサイレージを食い散らかした。お陰で乾草を追加することになった。

 ボイラーの修理に備えて周辺の整備。
 乾草の運搬。仕事が終わってからが多忙な日だった。

2010年2月27日土曜日

そして沖縄へ



よんどころない理由で沖縄に来た。 2月と言っても暑い。 蒸し暑い。 朝、散歩に出て海に入った。 別海を出てくる時、気温は-4℃で、「温かくなってきたなあ」と感じたものだが。 今夜は東京泊まり。駆け足で帰る。

2010年2月17日水曜日

札幌で

 知床世界遺産地域生態系調査報告会という会議に出席するため札幌に来ている。知床連山の稜線から海底1000メートルに至るまで、今年度行われたあらゆる調査の成果が報告された。
 朝9時30分から夕方6時30分までというハードな日程だったが、発表時間は一件あたり20分しかなく、それでも足りずに2会場に分散して行われるほど発表件数が多かった。
 それだけ知床は生態学上の注目を集めているわけで、あらためてその価値を認識した。まあ 考えようによっては、日本人は、今まで自然を食いつぶし食いつぶし、食いつぶしまくって知床半島のような末端で険しい地形の地域にしか原始性を備えた自然環境が残っていない状況を作り出した、といいうことを物語っているわけだ。
 そして、その知床さえ、実はちょっと頼りない状況があるという現実を突きつけられている。
 あらためて自然と人間の関係について考えさせられた。

2010年2月13日土曜日

歯舞漁港からのバードウォッチング

 根室バードランドフェスティバルの探鳥会の案内を手伝った。
 歯舞漁港発着の船で根室半島先端近くの歯舞漁港から納沙布岬まで往復して海鳥を探した。

 確認した種(野帳写し…暫定)
 スズガモ     オジロワシ    ウミアイサ    クロガモ
 シノリガモ    コオリガモ    ウミスズメ    ケイマフリ
 ウミガラス    オオワシ シロカモメ    ワシカモメ
 オオセグロカモメ ウミバト     ヒメウ     (以上航海中)

オナガガモ    コクガン     トビ       ハシブトガラス
スズメ      ノスリ ホオジロガモ   ヒドリガモ
 マガモ      カモメ              (漁港等陸上で確認)

ユリカモメ    オオハクチョウ  
        (以上参加者の確認)

2010年2月12日金曜日

雪上の散歩


 昨日のことだが、西別川右岸を川に沿って1キロくらいさかのぼった。冬以外の季節であれば湿地やササ藪で歩きにくい、というよりほぼ歩けない。湿地は凍っているし藪は雪の下になっている。スキーを履けばどこまでもどこへでも行ける。ゲレンデのスキーではない。踵の固定されていないスキー。幅が広くて雪に埋まりにくい。長さは1メートル20センチ程度と短くて林の中でも邪魔にならない。さらに裏の滑走面にナイロン製の短い毛皮が張ってある。(本来はアザラシの毛皮を張るのだが。)これで上りの斜面でも楽々と登れる
 要するに山スキーだ。のんびり歩いているようでもスキーというものは以外に早く、1キロメートルを10分足らずで進むことが出来る。川は完全に結氷している。昔、シベリアでは結氷した川を交通路として馬そりで旅したというが、確かに凍った川は素晴らしい通路になっていた。
 時折エゾシカに出会う以外、生き物の気配は全くない。夏に咲いたツルアジサイの花が枯れたままで残っていた。本当は、この花の写真を写したくて森に入ってきたのである。真冬のドライフラワーだ。快晴の空。このところ少々運動不足気味だったので、良い運動にもなった。何か特別の珍しいものがある、というワケではないが自分はここの森はやはり自分の庭、という思いをあらためて感た。

2010年2月11日木曜日

リコール

 午前中トヨタ自動車に行ってきた。
 「Albireo」がリコールによるブレーキプログラムの修正を受けるためだ。
 いろいろと考えさせられるリコール騒ぎであった。

 ABS(「アンチロック ブレーキング システム」と言うらしい)は車輪のロックを検出し、非常に短い周期で断続的にブレーキを解除して車輪のロックを防ぐ装置だ。
 わが「ALBIREO」(プリウスだけど)は、このABSに加えて回生ブレーキが付いている。駆動用の電動機を発電機として作動させ、その抵抗で速度を抑えるものだ。今回の騒動は、この回生ブレーキとABSとの繋がりの時に遅れが生じるということだ、と理解している。実際、ブラックアイスバーンなどのきわめて滑りやすい路面で、何回かこの「空走感」を体験した。初めて体験したときは、「アレレレ?」と少し慌てたことは確かだ。だが、すぐに「こんなものかなぁ」と思い始めた。
 何しろABSなどという高級なメカニズムをもったクルマを運転したのは初めてだったから。わがファーストカー「ARCTICA」や我が家の旗艦「ARCADIA」にはABSなんて付いてない。付いているのは別のABS=(オールマニュアル ブレーキング システム)なのだ。
 そんなアナログなシステムで30年間近く冬の北海道を走ってきた身にとっては、ほんのちょっとの間の「空走感」があったとしても「おっとっと!」で済んでしまう。危険を感じるような問題ではない。

 聞けば、回生ブレーキからABSに移行する間の空白は0.06秒だというではないか。普通の人にとってそれは、ブレーキを踏む反応時間の長短よりもはるかに短いのではないだろうか。
 このことを問題にした人は、ものすごく神経過敏な繊細な人か、「クルマはブレーキペダルを踏み込んだら必ず止まるべきだ」と強く信じ込んでいる人かどちらかではないだろうか。そして、それを鬼の首でも取ったように大きく報道するマスメディアもずいぶん無責任だと感じる。

 僕は、トヨタ自動車に特別な思い入れや義理は無い。むしろ嫌いなメーカーだった。意識的にトヨタ車に乗ることを避けてきた。だが、今回の騒動は、どう考えても不公平だ。寄ってたかって弱みのあるも者を叩く、暴力性を感じている。そして、そういう社会は、とても怖いと思うのだが。

2010年2月4日木曜日

寒気の底とプリウスとそしてお詫び


 この寒気の底に入り込んで。今朝、-21℃。今日で三日目になる。今朝が最低だろうか。占冠では-34℃だったとのこと。 

何年かぶりで硬質の寒さだ。一面では快い。
 立春だが。


 昔、HR担任をしていたときHR通信を出していた。年度の始めのうちは丹念に編集し、週に一度とか、隔日とかに発行するのだがだんだんと続かなくなり、そのうちに、思い出したようにしか発行されなくなってしまう。そんなことを繰り返していたある年、先輩の教師からこんな事を言われた。
「印刷物はHRの生徒を対象に一度発行したら、もう公(おおやけ)のものだからやたらに発行を休むというのは良くないんだよ。それは一種の私物化と言っていい。」

 勝手気ままに書いているブログだから、そこまでの責任はないかも知れないのだが、やはりインターネットを通して誰でもが見られる状態にあるのだから、突然勝手に中断するのは良くないなあ、と反省した。

 今日、東京在住でたまに道東の自然に触れるために訪れてくれる友人から電話があった。
ブログがしばらく、書かれていないし、メールを出しても返事がないから(これも僕のズボラが原因になっている)病気か怪我でもしているのじゃないかと思って、と。

 激しく反省した。どうせそれほど大勢が読んでくれるわけがないし、という自分勝手な思い込みがあった。いや、思い込みではなく事実なのだけれど、読んでくれている人が誰も居ないわけではない。数の多寡ではなく、読み手を意識して誠実に書いていく、という態度がいつの間にか抜け落ちていただろう。

 三日や四日の間が空くのは仕方がないけれど、極端に長く間を空けるときはちゃんと伝えるのは、人間として基本的なマナーだった。実に情けないと思う。歳ばかりとっているだが、まだまだだ。

 プリウスに乗っている。
 実は、一瞬ブレーキが効かないという現象は僕も体験していた。それは「効かない」というより「効きが遅い」という感覚だった。僕は、冬になると日常的に凍結路面を走ることの多いので、こういう「一瞬の空走」はよくあることだし、あまり気にならなかった。むしろその後に効いてくるABSの制動力には瞠目した。ABSなどとは全く無縁のクルマに乗っていた(今も乗っているけど)僕には、プリウスのブレーキは、それほど問題には感じなかった。
 別にトヨタ自動車を応援する気持ちはないけれど、革新的なメカニズムというものは、様々な社会的な試練にさらされて角がとれ、多くの人に受け入れられる丸みを身につけていくものかも知れない。

2010年1月12日火曜日

そして新記録

今朝、今冬最低の気温を記録。 -13℃。

2010年1月11日月曜日

土偶展

午前中、東京国立博物館で開かれている「土偶展」を見に行った。  これまで考古学とはあまり縁が無かったのだが、知床学で郷土の歴史を取り上げ始めて興味を感じるようになった。しかし、その方面の知識と感性の足りなさは如何ともしがたい。  土偶についても「シャコウキドグウ」などと聞いても漢字が思い当たらない。  「社交期土偶」だろうか?「社交期」とは縄文時代の時代区分の一つかしら?などと連想する始末だ。  展示を見て「遮光器」つまりサングラスを掛けているような土偶という意味だということをやっと理解するというお粗末さなのだ。    考古学についてあまりにも知識が無かったこと、道南や道央を除くと北海道から土偶があまり出土しておらず、なんとなく縁遠く感じていたこと、などがその原因であろう。
 だが、あらためて、本物の土偶と向き合ってみると、素朴な造形と精緻な加工に驚かされた。縄文早期のものが多かった。縄文文化の遺跡は知床にもたくさんある。しかしなぜ、知床を始め道東や道北から土偶は出土していないのかとあらためて疑問に思った。
 道東・道北の縄文文化と道南・道央を含む内地の縄文文化とは別物なのだろうか?素人考えながら、いろいろな想像が湧き上がってきた。 

2010年1月10日日曜日

甲斐路・・・わさわさ






 伊那市発0844岡谷ゆき普通列車で岡谷へ。  乗り継ぎの普通列車まで一時間あったので、諏訪湖の釜口水門を観てきた。天竜川の流れ出しだけあって、たいそうな水量だった。  上諏訪まで普通列車で移動し、特急を待つ一時間の間に諏訪湖畔を歩いた。ハクセキレイ、カルガモやアオサギがいて、懐かしい友人に出会ったような気がした。  東京に戻り、夜、友人のTさんの個展「わさわさ」を観に行ってきた。カエルを主とした切り絵。いつもながら見事なものだった。

2010年1月8日金曜日

ひきつづき表現のこと

 夜、テレビ朝日系のニュースを見ていたら、この番組ではシーシェパードを「反捕鯨団体」と表現していた。NHKの「環境保護団体」という表現よりはマシだと思う。しかし、「真に」反捕鯨を主張している人々にはやっぱり迷惑なことではないだろうか。今夜のニュースでは、大破した妨害船を放棄し、その船から燃料らしい油が流れ出ているということだった。
 まあ、馬脚が現れたというところだろう。もともといかがわしい集団だったのだろうから。だが、それにしてもそんな団体に大金を寄付している人達がいるということが許されないと思う。

2010年1月7日木曜日

NHKはじめマスコミ各位

 頼むから「シーシェパード」の頭に「環境保護団体」という呼称を付けるのは止めてください。
 付けるなら「テロリスト集団」と。
 また、オーストラリアの頭に「テロ支援国家」と付すこともお忘れにならぬよう。

 反捕鯨の考え方が在っても良い。そういう主張に耳を傾ける気持ちも持っている。
僕は、クジラを食べる習慣を持つ文化圏で育った。だから、同時に、できれば捕鯨と鯨食の習慣を持っている人の話も聞いてほしい。

 でも、クジラを守るために、平和な生活を送っていて、父であり、夫であるかも知れない人々の網膜を回復不能になるほどレーザーで焼いたりすることが、許されるとは思わない。

2010年1月6日水曜日

低気圧が考えさせてくれたこと


 昨夜からの雪は、夜半から雨になっていた。
 湿った雪と風で、夜間、何回も停電したらしい。
 いつも思うことだが、これほど頻繁に停電していると、都会ではパニックになることだろう。
 日本の「辺」であるが故に、不便さが押しつけられている。
 いや、都市という地域の方が異常なのだ。一瞬でも電気の供給が途絶えると、大騒ぎになる脆さと危うさを抱えている。
 僕の住む地域では停電はあって当たり前だ。電気は「あれば便利」程度の認識でいてちょうどいい。そして、自分の生活は自分で守らなければならない。

 だから都市生活に依存しつつ「環境に優しく」などと言っている人々に対して、日頃から何となく感じる違和感は、このような状況に原因があるのかもしれない。たかが電気のことであれば、まだ大きな問題ではない。
 危険な基地を間近に抱えて暮らさなければならない場所であれば、のんきなことは言っていられないだろう。自分たちは危険な基地から何千キロも離れた場所で生活しつつ、
「沖縄の痛みはわかるけれど・・・」などと良い人ぶった発言をしたところで、自分や自分の家族が危険に直面しているわけではない。その「本気さ」を疑われてもしかた無かろう。
 日本に基地が無ければならない理由があるのか、という本質的なところから問題を考えるのでなければ、「沖縄の痛み」なんてわかるわけがない。 

2010年1月5日火曜日

吹雪だああ


 日本海側と太平洋を北上してきた低気圧が一つにまとまり急速に発達するとかで、夕方から風が強まってきた。雪はまだ降っていないが、帯広など十勝地方には大雪警報が出ている。
 いずれ、別海町も降り始めるのだろう。
 明日から仕事が始まる。
 羅臼まで行けるかな?

2010年1月3日日曜日

初夢

正月三日目  なんとなく箱根駅伝を見ていた。いつの間にか、こんな夢を見た。  201X年箱根駅伝に大改革!  この年から、二日間、十数時間もかける箱根駅伝は、時間がかかりすぎて国民の生産性に多大な悪影響がある現実を鑑み、大きな改革が断行されることになった。  改革の骨子  往路、復路とも全ての区間で同時に全ての走者が一斉にスタートする。そして、そのタイムを各チームごとに合計して順位を決める。すると駅伝は、2時間以下に短縮され、国民の生産性は飛躍的に増加する。  しかし、効率や経済性を極端に推し進めれば、こんなことになるのかも知れませんね。