2010年5月19日水曜日

虐殺の朝



 虐殺は夜には起きない。

 朝、いつも通りニワトリ(烏骨鶏)の給餌に向かう。ドアを見たとき、異変を予感した。地上1メートルの位置にある窓の網が破れていたからだ。通気性を確保するため、網戸用の網を張ってあった。それが破れていた。
ドアを開けたとき、予感が的中したことを知った。累々と横たわる黒い烏骨鶏の死骸。イタチだ。ふと顔を上げるとイタチと目が合った。なんとふてぶてしい…というのは僕の思い込み。イタチにしてみると急なことで逃げ道もなく途方に暮れていたのだろう。おそらくニワトリを殺した直後だったのだろう。食事の真っ最中で、獲物への執着を見せていた。
 思いついてカメラを取りに家に入り、再び鶏舎へ。
 もう、いないのではないか、という予想に反して止まり木代わりに置いたビールケースの下に潜り込んでこちらを窺っている。数枚の写真を撮った。
 するとその直後、僕の足下めがけてダッシュして来るではないか。全力疾走するイタチにレンズを向けて闇雲にシャッターを切る。栄養状態の良さそうな背中がそこに写っていた。

 いままで、これほど派手にイタチに襲われたことはない。犬がいて、睨みをきかせていてくれたことが大きいと思う。実際、我が犬が目の前に現れたイタチを捕獲したこともあった。
 かえすがえすも昨冬の事故死が悔やまれる。これが本当の犬死にだ。

 自然はヒトのために存在しているわけではない。ヒトに対して意地悪であったり、凶暴であったりするものだ。自然と濃密に接して暮らすということは、こういう事である。だから嬉しいことの嬉しさが増幅される。

 「自然に癒されて」とか「地球に優しく」などというキレイ事など「前線」では通用しない。
 そんな厳しい事実をあらためて自覚させられた出来事だった。授業料は高過ぎたけれども。
※種名は ホンドイタチ

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