なんと多くの別れがあっただろう。この冬に。
メドヴェージ(犬)
てまり(猫)
こむぎ(猫)
クイックターン(馬)
そして、今日、エカチェリーナ(馬)
さらに、義母まで。
昨夜、僕は、自分でカーチャ(エカチェリーナ)の心音が止まる瞬間を確かめた。あんなに大きな躯をして、力強かった者が、なんとあっけなく死んでしまうのだろう。
「哀しい」と言葉に出すのはたやすい。
だが、これらの事実の前で、言葉も出ずに呆然として立ちつくしている自分がいる。
悔やまれる、と言えば全てが悔やまれる。どこまでも悔やまれる。
我が家の動物たちは、皆高齢化していたから、死が連続してもしかたがない、と言うこともできる。だが…
死んで、去っていった者たちは「時」の地平で表情を凍りつかせて
生きている僕らを
いつまでも見ている
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