医師がおらず、診療を休止したり再開したりしている病院。「金儲けをしない者はすべて悪だ」と言わんばかりの思想で推し進められてきた政府の医療政策に翻弄され続けてきた、全国どこにでもある僻地の病院のひとつだ。
「今日は、外科の診療はしていただけますか?」
午前中に立ち寄り、受付に質問した。
「内科の先生しかいませんけど外科も診ますよ。ただ、今日はすごく混でいるので、相当待つことになりますよ。」そして、親切なことにこう付け加えてくれた。
「夕方いらした方があまり待たずに済むと思います。」
仕事もあったので、夕方もう一度来ることにして、一旦診療所を出た。
仕事が一段落した午後3時過ぎ、再び病院へ行った。心持ち待っている人は減っていた。しかし、診療の手続きをして診察室前のイスに腰をおろした時、ビックリしたのは、そこにいた人たちは午前中に受け付けを済ませた人々だったという事実だ。その人々は、朝の九時頃からひたすら診察の順番を待ち続けていたのである。
その人々の会話が自然に耳に入ってくる。
今年のコンブの出来具合の悪いこと、嫁との仲のこと、天気のこと、これから始まるコンブ漁のこと、新しく折れないマッカ(コンブを巻き取る道具)は重くて年寄りには使いこなせないということetc.etc.
七〇歳台後半のお爺さんのしみじみとした言葉が印象的だった。
「中標津や標津の病院より、やっぱり羅臼の病院がいいもなあ。(いいんだよなあ)ずいぶんこの病院には世話になった。」
なぜ、今日がこれほど混雑しているかもわかった。そろそろコンブ漁が始まる。漁が始まると皆、「コンブ場」と呼ばれる漁場の番屋に移って生活する。知床岬近くの、道路の無い所に建つ番屋も少なくない。道路があってもクルマを運転できる若い人々は、漁にかかりきりで老人の送迎をすることはできない。そのため、三ヶ月分もの薬をまとめて出してもらうのだという。そして、それだけの量の薬を処方してもらうためには医師の診察を受けなければならない。そんなわけでたった一人しかいない医師の元へ皆が一度に集まってきたということらしい。
そんな事情を聞いていると、ネコの咬み傷程度で来院した僕は、病院を忙しくした、はなはだ迷惑な存在に思えてくる。
夕方、遅くなって、一人のおばさんが腰を上げた。
「これらからカモイウンベまで帰らなきゃならないんだ」と言う。そばにいたおじさんが問いかける。
「どやって帰るのさ?」
「クルマで相泊まで送ってもらって後はあるくべさ」
僕は耳を疑った。カモイウンベは道路の終点、相泊から岬方向に4キロもある。海岸をずっと歩くのだ。人頭大の石がゴロゴロしている浜は、それほど早くは歩けない。そして、あの辺りは特にクマの多い場所だ。それをこのおばさんは、まるで「ススキノから円山まで帰るんだ」と言っている調子で事も無げに「歩く」と言ってのけたのだ。
ああ、知床で生きるということはこういうことなんだなあ。あらためて感じられた。
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