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2012年12月5日水曜日

真のジャーナリストよ、いでよ!

 先日「本当のことを伝えない日本の新聞」という本を買って読んだ。前から気になっていたので、注文して取り寄せたのだ。  放送も含めて、日本の大手メディアの伝えるニュースは、みな横並びで同じような内容であることが前から気になっていた。  そして、沖縄の人たちがオスプレイの配備や本島北部に建設されようとしているヘリコプター訓練施設に命がけで反対している様子や反原発のデモや集会に今までに無いほど人が集まっていてもさっぱり報道されず、どうも胡散臭いと感じていた。  その傾向は、昨年の3月11日の大地震とそれに続く原発のまき散らした大公害事件以来、一層強まってきたように感じられた。  そのようなタイミングで出版されたこの本が以前からきにかかっていたというわけだ。  本は、ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんが書いたもので、「記者クラブ」という日本独特の、欧米では考えられない、あり得ない仕組みによって、新聞や放送のメディアがジャーナリズムではなく単なる発表媒体になっている実態を具体的な例を豊富に挙げて指摘している。  そして、驚くべきことにアメリカ人の彼は、日本のメディアがなぜそのようになってしまったかを明治にまで遡って分析している。  一通り読んでみて、非常に勉強になり、日本の大手メディアの現状がよく理解できた。  日本の侵略戦争のただ中で、大本営発表をそのまま垂れ流し、多くの国民を苦しめ、死に追いやった責任を自覚し、戦後のメディアは再出発を期したと聞いてきた。そう信じてきたのだが、やがて「いつか来た道」に戻りつつあるのだろうか。どうもそうらしい。  全国で同時多発的に気骨のあるジャーナリストが立ち上がる時は来ないのだろうか。  そんな時が待たれてならない。 

2012年7月19日木曜日

インドのニュースで考えた

オホーツク海に冷たい高気圧が張り出し、北寄りの冷風が強く吹いた。
 羅臼側は、それでも山越えの風になったのでフェーン現象によって、それほど冷え込まなかったけれど、ウトロ側はかなり寒い一日だったらしい。
 いつもの7月とは逆の現象が見られた日だ。

 昼過ぎ、ニュースをチェックしていると、インドのスズキ自動車の子会社の工場で労働者の暴動が起きて、インド人一人が死亡、日本人社員二人も負傷したという記事が気になった。
 先ほど、詳しい続報を読んでみた。

 以下、産経ニュースのweb版より一部引用:
 スズキのインド子会社、マルチ・スズキで18日に発生した従業員による暴動は、生産体制の急拡大を図る企業側と、低賃金で採用される短期契約社員たちとの摩擦が背景にあるようだ。
        (中略)
 現地の関係者の話を総合すると、スズキは約3000人の社員のうち半数以上が短期の契約社員という。契約社員の給与はハリヤナ州の最低賃金を上回るものの、福利厚生では正規社員には及ばない。契約社員には他州出身者のほか低カースト出身者が少なくない。

 インフレの進行で食料品や燃料費は高騰し、契約社員の生活は「働けど苦しくなる状態だ」(現地のエコノミスト)という。急成長する大企業で、収入が増える正規社員との格差を目の当たりにする契約社員には賃金面での不満が高まっていたようだ。
(中略)
 急成長するインドの自動車産業では、韓国の現代自動車や外資系タイヤメーカーなどでも、組合設立の要求をめぐる労使対立がたびたび問題化している。半面、これはインドに限った問題ではない。中国では賃上げや待遇改善を求めるストやデモが頻発し、バングラデシュでも同様の動きが相次いでいる。(引用終わり)

 契約社員=非正規労働者を雇い、人件費を低く抑える。行き着く所は、人間の尊厳を無視し労働者を物のように使い捨てにするのが当たり前という、人間性のカケラもない労務管理だ。
 非正規労働者にしかなれない者は、努力や根性が足りないからだという、新自由主義者お得意の論理がまかり通っている。
 そのような現状に、人々の怒りが爆発したのだろう。
 非人間的に扱われて憤る、その感性の方がまともであるような気がする。

 休みもろくに取れず、正社員と同じ仕事をしながら低賃金で抑えられ、福利厚生、各種保険も不備な状態で働かされながら、何もモノを言えなくされている、多数の非正規労働者たちの一人でも多くに、インドの怒りが伝わってほしいと思った。

 いつから日本人は、自分の不利益に声を上げることが出来なくなったのだろう。
自分の不利益には声を上げ、要求はキチンと表明する社会にしていかなければならない。

 原子力発電をめぐる最近の動きは、その萌芽であるとは、思うのだが。

2012年4月27日金曜日

クリルの悲劇 日露に追われた北千島アイヌ

中標津町は、根釧原野の北に位置する町で、北側は知床半島から続く山の稜線で網走管内の清里町と接している。
漁業の盛んな海岸部に比べ、北海道内陸部は開拓が大幅に遅れていて、明治34年に、海岸部にある標津村が、現在の中標津を含む一帯を殖民区画にした。
 しかし、それから10年間、中標津町の区域内に入植する者は現れなかったという。
冷涼で稲作は不可能、泥炭地と火山灰地からなる土地だから、それは無理もないことだった。
 当時、内陸の交通状況は劣悪で開拓者の暮らしは苦しかった。大正末期に大凶作が続き、離農する者もいた。その頃、やっと殖民軌道が敷設され、昭和初期に標津線が敷かれると、標津線の分岐点となった中標津周辺の人口が増え、やっと市街地が形成されるようになった。
また、北海道農業試験場根室支場(現在の根釧農業試験場)の設置や海軍中標津飛行場の建設によっても人口が増加した。

 この中標津町の武佐地区にハリストス正教会が建っている。ロシア正教の教会だ。
北海道にはいくつかロシア正教の教会がある。僕の通っていた幼稚園の隣は、観光ポスターなどで有名な函館ハリストス正教会だ。子どもの頃から見慣れていた、横木が一本多いロシア正教の十字架を中標津町の武佐で見た時は、懐かしい思いを強くもったものだ。
 ところが、この武佐のロシア正教会にまつわって、悲しい民族の物語があることを後になって知ったのである。ことの発端は1884年7月11日に遡る。

【以下引用】
 この日、根室半島の北東沖に浮かぶ色丹島に一隻の船が到着し、100人ばかりの人間を下ろした。
 出迎えた人間は根室県の役人二人。島は、当時、無人に近い状態であった。
 上陸したのは、千島列島最北のシュムシュ島から連れてこられた北千島アイヌ97人のうち、択捉島で下船した4人を除く93人。このほか医者一人、通訳一人、県勧業課員一人の三人が下船した。
 島の人口はかつてはアイヌ民族数百人を数えたこともあったが、江戸時代も末期の1856年(安政3年)ごろにはわずか7~8人に激減。嶋はその後、人間の居住を拒んで明治新時代を迎えていた。
 (1992年北海道新聞社 道新選書 小坂洋右著 「流亡」・・日露に追われた北千島アイヌ まえがき より一部抜粋)

 狩猟や漁労で生計を立てていた人々は、色丹島で農耕や牧畜に従事するよう求められたが、慣れない仕事と環境の激変で病に冒される者が続出し、次々に斃れていった。
 やがて第二次世界大戦の終末、色丹島を含む国後、択捉島などに侵攻してきたソ連軍によってこの人々は、再びこの島から追われることになる。追われて北海道に渡ってきた人々は、ほとんどがロシア正教の信徒で、教会の近くで暮らすようになる。
 この上武佐地区でも、これら北千島から強制移住させられた人々が暮らしていた。

 さて、この強制移住はなぜ行われたのか。
 簡単に言えば、日露戦争が始まりそうな時、日本とロシアの国境に住み、両国を自由に往き来し、両国語を解する人々が住んでいることは、戦略上の弱点になるとというのが理由だった。
 そこで、当時の日本政府は、シュムシュ島に居住する北千島アイヌ(クリル族)に日本かロシアかの国籍の選択を迫り、日本国籍を選んだ人々を色丹島に移住させたのである。 この人々の悲劇は、ここから始まった。
 大国同士の対立が、一つの部族、一つの文化を破壊してしまった事実がここにある。

 国家の利益の前に、民族の生活や伝統、文化などは、紙屑のように扱われてきたのだ。

 現代では、過去の暴挙への反省から、先住民の権利や文化は尊重されるようになってきつつある。ニュージーランドなどのように、かなり進んでいる国もある。

 日本は、タテマエの上では、同じように振る舞っている。だが、実際にやっていることは、どうだろう?
 経済活動を第一に考えているために、国民の安全や安心よりも原子力発電所の再稼働を優先させようとしている。国民を守らずに大資本、大企業を守ろうとしている。

 北千島の悲劇は、まだ終わっていないのかも知れない。

2012年3月27日火曜日

ヒトラーの亡霊をよみがえらせてはならない

今日、まったく取り上げられなかったか非常に小さくしか扱われなかったが、このようなニュースがある。

 「大阪市交通局の非常勤嘱託職員が、昨秋の市長選に関して組合が作成したと見せかけるリストを捏造(ねつぞう)した問題で、この職員と、リストを大阪維新の会市議に告発した職員が同一人物であることが分かった。職員の氏名が一致しており、告発を受けたとした維新の杉村幸太郎市議(33)も、同一人物だと認めた。維新市議団はリストを基に組合問題を追及してきたが、告発者の「自作自演」を見抜けなかった・・・」
                      (毎日新聞の記事の冒頭部分だけ引用)

 これを読んで最初に思い出したのはナチスの国会議事堂放火事件だ。

 1933年1月30日、ヒトラー内閣が成立した。アドルフ・ヒトラーは政権基盤を固めるために議会を解散。3月5日に総選挙を行うことを決めた。

 2月27日の夜、ドイツの国会議事堂が火事になった。火の出る直前に議事堂のそばをとおりがかった学生がガラスの割れる音を聞き、彼は火のついたものを持った人影を見て、警官に知らせた。
 火事知らせを聞いたヒトラーは「コミュニスト(共産主義者)の仕業だ!」と叫んで現場に急行した。

 現場を捜索したところ、焼け残った建物の陰でちぢこまっていた半裸の人物マリヌス・ファン・デア・ルッベが発見された。ルッベはオランダ人でオランダ共産党員であった。ルッベは放火の動機は「資本主義に対する抗議」と主張しており、プロイセン内務省のディールス政治警察部長も「一人の狂人の単独犯行」と推定した。

 ディールスは国会議長公邸で開かれた閣僚、警視総監、ベルリン市長、イギリス大使、元皇太子ヴィルヘルム・アウグストなどが参加する対策会議で犯人逮捕を報告した。しかし、ヒトラーは「共産主義者による反乱計画の一端」と見なし、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」と叫び、単独犯行であるとするディールスの意見を一蹴した。

その後、証拠のねつ造や捜査資料の改ざんによって、単独犯行を組織的犯行に仕立て上げていく。
 日を置かずに警察は共産党議員や公務員の逮捕命令を出し、共産党系の新聞はすべて発行禁止となる。その後、共産党議員団長であるエルンスト・トルクラー(de)や後にコミンテルン書記長を務めるゲオルギ・ディミトロフら4名が共犯として逮捕された。ドイツ共産党は壊滅的な打撃をうけたことになる。 (ここまでウィキペディアを参照)

 事件の真犯人とその背後関係を巡って、諸説あるが、ヒトラーがこの事件を政治的に利用し、法制度をも変えて、国民の自由や公正な裁判を受ける権利を次々に奪っていったことは動かしがたい事実だと思う。

 大阪市交通局のこの事件を知って、真っ先に思い出したことだ。しかも、今のところ維新の会は交通局の労働組合に対して、謝罪するどころか、盗人猛々しい居直りを見せ、

「問題の指摘をするのが議員の仕事。市の職員が捏造したことは間違いないわけなので、議会の追及としては当然だ」(橋下徹市長、27日、記者団への言葉)と発言している。

 こういう人々の属する集団には、決して権力を与えてはならないと思った。

2012年2月11日土曜日

建国記念の日に君が代フェチの人々へ贈る言葉

踏み絵を強制されたら、どうするかって?きまっているじゃないか、二度踏んづける。踏み絵を踏んづけ、踏み絵そのものを踏んづけてやる。
                    (むの たけじ 「詞集 たいまつ」123)

 大阪府の教員採用試験合格者の一割が辞退したそうだ。(2012/02/10 11:50【共同通信】)
 
 教育現場への思想統制が激しさを増している中で、教師への道を諦める人が増えるのだろうか。それは自然な現象だ。策謀と偽装で幻想をふりまいて、票をかすめ取った為政者の元では教職に就けないということだろう。
 
反対に、その票と権力と利権にすり寄って一旗揚げようというヤカラが、そいつの作る政治塾に群がっている。
 その連中に贈りたい言葉を「たいまつ」の中からもう一つ。

 人肉を食う風習は消えても、人の心を食えば食人だ。その野蛮ぶりは一層ひどい。人間にとっておそらく人間を食う以上にうまいものはあるまい。この原初の誘惑を抹殺し両足で立って歩いても品種はカマキリだ。サルはサルを食わない。(「詞集たいまつ」646)

 蛇足としての注:カマキリの共食いにも一理あると思うが、ここでは、筆者 むのたけじ氏の比喩として理解したい。

2012年1月18日水曜日

トドの背に波 たわむれて 光揺れ 根室海峡に立春の気配




 朝、野付半島が空中に浮いていた。
 いや、浮いているように見えた。
 海面と空気中の温度差で、光が屈折するため、この季節には、海の向こう側にあるものが浮き上がって見えるようだ。




 さらに羅臼町に入る直前の峯浜で、海岸から500メートルのあたりで、海面に集まって休んでいるトドの群れがいた。




 久しぶりに寒気が緩み、波も収まった海面で、ひれ(前足)を海面に付きだして、ふざけあっているようなトドの群れを見て、微笑ましく感じ、気持ちが和んだ。
 どうして、ニンゲンはトドのように呑気に生きられないだろう。

 昨日、このブログに書いたことだが、日本は国家が人民を恐れていない国だから、「オカミの決めたことに国民は従うべきだ」と多くの政治家が考えているのだろう。
 そして、都合の良い時だけ、「オカミ」の概念の中に選挙でかき集めた票数を振りかざして「民意だ」などと言う。
 「民意」に隠れて、どれだけ悪事を重ねてきたことか。
 その最たるものが原発政策ではないか。

 このような質の悪い政治家や官僚をのさばらせているのも、結局は「民意」なのだという事実もあるだろう。

 そして、その根には、「人民が権力を恐れる」のと並行して「人々が隣人(の目)を恐れる」という社会構造もあるように思えてならない。
 これは歴史的に、そうとう根深い「相互監視システム」を持っていたからだろう。

 これらは、日本社会の恥部または、暗部である。できれば触れられたくない、日本社会の伝統と言っても良かろう。

 権力による外からの攻撃と闘う一方、われわれは、われわれの内なる敵とも対峙しなければならない。

2012年1月17日火曜日

「シッコ」を観て民主主義を考えた

昨日、マイケル・ムーア監督の「SiCKO」(シッコ)という映画を観た。
 内容は、事実上崩壊している米国の医療保険制度とカナダ、イギリス、フランス、それにキューバなどの保険制度を対比したものだ。
 5000万人にも及ぶと言われる米国内の医療保険未加入者の様々な悲劇的な事例を紹介する一方、医療費がほとんどかからない国における医療の実態と対比している。
 アメリカでは、保険会社が保険金の支払いを拒否したり、治療法に制限を設けたりして、とにかく保険会社からカネが出て行かないよう、あの手この手を使っているということがイヤと言うほど紹介されていた。保険会社から政治家への献金なども当然、その中に含まれている。

 なぜ、フランスではこれほど恵まれているのか、という問いに対する、フランス在住のアメリカ人の言葉が印象的だった。
 「フランスでは政府が国民を恐れているけれど、アメリカでは国民が政府を恐れている。この違いヨ」

 なるほど、と膝を打った。
 この言葉は日本でもそのまま当てはまる。
 日本の政府は、日本の国民を全然恐れていない。
 アメリカ政府を恐れているかも知れないが。

 やはり、ガツンと一発、国民の恐ろしさを政府に思い知らせてやらなければならない。

 今が、いいチャンスでは、ないだろうか。

2012年1月16日月曜日

格付け会社の本性

先日、格付け会社のアヤシさについて書いたのだが、今日、ツイッターを見ていたら金子勝慶応大学教授のこんなツイートが載っていた。

「S&PがEUの弱点を突き、欧州9カ国国債の一斉格下げに踏み切る。儲けの機会を狙う格付け会社は、米国の経済指標が少し落ち着くと欧州に仕掛け、それが米国に及ぶと止める。彼らが公正なレフェリー?メディアもサブプライム危機を招いた教訓を忘れてる。」

やっぱりなのだ。

 格付け会社っていうのは、色々なことを言って、結局は自分たちの儲けに繋げようとしている会社だったのだ。
 こんなことを指摘する報道はほとんど無く、まるで神の声であるかのように伝えるマスメディアって、いったい何なのだろう。

2012年1月13日金曜日

寒さはいつまで続くのか

千島列島上には948(hPa)という超弩級の低気圧があるのだが、択捉島、国後島などの南千島を含めた北海道にかかる等圧線は1~2本で、風の無い穏やかな日だった。
 上空に雲が少しあったが、知床半島も今日は、日の射す穏やかな一日となった。
 ただし、気温は全然上がらないが。

 そして、この低気圧は、徐々に近づいている。
 明日あたりからまた、荒れるのだろうか。
そして、この低気圧が大陸から吸い込む大陸からの寒気も相当なものかも知れない。

 だが、どんな寒さも季節が移ろえば、やがて緩む。
 大勢の人間を犠牲にして生き延びようとする会社や米国政府の機嫌ばかりを気にして住民を顧みようとしない政府によってもたらされる「冬の時代」は、まだ当分明けそうにない。
 なぜなら、その不条理に気づいていない有権者があまりにも多すぎるから。

2011年12月30日金曜日

どうする!どうする?

沖縄での防衛局<防衛省<日本政府<米国政府の横暴と真っ向から対峙して一歩も引かない人々、震災や津波そして原発事故のために避難している人々、われわれのように例年とほぼ変わりのない年末を迎えている多数の人々。
 様々な怒りや悲しみ、あるいは笑い、時には泣き笑いを載せて今年も暮れようとしている。

 今年の年末が今までと違っていることを多くの人々が感じているのではないだろうか。

 そして、今ある「穏やかで平安」(に見えるだけだなのだが)な暮らしが、決して今後も変わりなく保証されているものではないことに、気づき始めているのではないか。

 巨大地震や津波は、いつ我々を襲うかわからないし、不完全な技術で欠陥を隠蔽して建設され運転されている原子力発電所の安全性など絵に描いた餅に過ぎず、フクシマで起きた悲劇が我々にも起きないという保証はない。
 そして、何より不幸なことは、この国の政府は、全力を挙げて国民の命と暮らしを守ってくれる政府ではなく、国民よりも米国政府の鼻息を窺うことにそのすべてのエネルギーを注いでいることが、ここ数日間の辺野古新基地を巡る沖縄防衛局と沖縄県との間で繰り広げられた出来事で明らかになったことだろう。
 まあ、本当は、ずっと前からわかっていたのだけれど。

 もう、あと二十数時間で年があらたまる。

 今後、こんな政府の元で人生を送る不幸について、より多くの人に考えてもらいたい。
 そして、この状況を本当にどうにかしなくてはならない。
次の選挙で政権を取り返す気満々の自民党自身が、基地問題にしても原子力発電にしても、今のこのどうしようもない状態を生み出した張本人ではないか!

 この国の国民であり続けるなら、今後どう行動すべきか、一人一人が真剣に考えなければならない時かも知れない。

 そんなことを考えた年の瀬であった。

2011年12月28日水曜日

吹雪に吹かれて、静かに燃やそう この怒り



 このところ羅臼は吹雪が続いている。
 降雪なのか地吹雪によって風に運ばれた雪なのか、よくわからないが、朝、目覚めると玄関が雪の山に埋もれている。
 玄関前の雪山は、風によって吹き寄せられたもので、よくもまあ、こんなにかき集めてくれるものだと感心する。

 そんな羅臼から今日は久しぶりに自宅に帰ってきた。
 根釧原野には、まだ雪は無く、寒々した枯れ草の草原が広がっている。

 ニュースなどは見ることも聞くこともせず、今日は静かに過ごしたい。
 海兵隊を辺野古に移転させるために強行された環境影響評価書の「提出」をめぐって、あまりにも拙く、聞けば聞くほど馬鹿馬鹿しい、国のやり方について、書き出したら自分を止められないような気がするから。

2011年11月28日月曜日

未熟な社会の未熟な人々

朝夕は、冷え込み、霜で道路が凍っている場所もチラホラと見かけるようになったが、例年に比べると冷え込み方が弱いように感じる。
 過ごしやすいので楽なのだが、その一方で物足りなく感じるのは、ニンゲンの我が儘というものだろうか。

 大阪の選挙で当選した人や、われわれの税金から1200万円も払いチャーター機で中国を訪問した外務大臣など国政の中心にいる「エリートっぽい」人々、100億円を超えるお金をギャンブルに注ぎ込んだ大会社の三代目など、どこか共通するニオイを感じる。
 どの人も何かしらの「勝者」であること、人生の辛酸を体験せずに育ってきていること、そのためだろうが競争によって何でも良くなるという「競争至上主義」を信奉している点、競争至上主義の帰結として新自由主義者であろうと思われる点などが共通しているのだろうか。
 誰をとっても同じような目つき・表情・態度で、どうにも胡散臭く鼻持ちならず、不快な存在だ。

 このような体系を下ざさえしているのが「一流有名大学卒業」というラベルである。やはり日本の入試制度は根本から作り直さなければならないのだろうが、「一流大学」が経歴にハクをつけるためにだけ使われている事実は嘆かわしい。
 同じ大学でも地道にコツコツと勉強している学生や教員も多いだろうに。

 先日亡くなった立川談志は、17歳で柳家小さんに弟子入りしたという。たぶん絢爛たる学歴とは縁のない人だったのだろう。
 だが、彼の知識は古典落語以外にも広く深いものだったことは、ここにあらためて書くもでもないだろう。

 人を肩書きや学歴だけで評価することから日本の社会はまだまだ脱することできないでいる。
 ひょっとしたら、永遠に脱出できないかも知れない。

2011年11月15日火曜日

「いま、気になること」の原因について

昨日の記事に、次のようなコメントを頂戴した。
再録させて頂く。

親も一因かもしれません。

親にとって都合のいいように、こうしなさい、それはだめと叱り親が思う通りにやらせてきた結果、自分で考えない人間ができるのではないでしょうか。今まで親がいけないこともやることも決めてきたのですから、自分で考えるチャンスがなかったのかもしれません。また、叱られないためには親の顔色を伺うのがベストと防衛手段でもあったんでしょう。
かわいそうに、話を聞いてくれる人がいなかったんですね。

ふと思ったのですが、みんなでディスカッションする授業ってどうでしょう。ブレインストーミングみたいに一人3回は必ず発言するとか。そういう授業が日本には欠けているせいか、外国人との打ち合わせで黙りこむ日本人をよく見かけます。


まったくその通りだと思う。
日本の社会では、いつの間にか真理や正義よりも、誰かの決めた「正解」が優先されるようになってしまった。

多くのおとなも、その子どもも、そこにある「正解」を手探りしながらものを考える習慣が染みついてしまったようだ。

これは、怖ろしいことなのである。
もし、その「正解」を決めるのが「将軍さま」だったら、あの国と同じではないか。

フクシマ第一原子力発電所の事故以来、その色彩が一段と濃くなっているように思う。
あれら4つの原子炉がまき散らした放射能は、その前に固められた「自立的判断力」「建設的批判力」を失った精神構造からなる社会の上に降り積もった。

放射能はもちろん怖ろしいが、その下にあるココロの地層には、もっと怖ろしいものが埋まっている。

そして、そんな精神を形成するのに、少なからず荷担しているのがゲーム会社かもしれない。

2011年10月10日月曜日

十勝の温泉でふと思ったこと

 十勝地方北部というのは大雪山地の南麓にあたる。
 然別湖、糠平温泉、ユニ石狩岳、トムラウシ山などがある。
 十勝川水系の源流部だ。

 鹿追町の帰り、トムラウシ温泉へ行く途中のオソウシ温泉という温泉に行ってみることにした。

 台風12号の大雨で、新得町側からオソウシ温泉へ達する道が決壊し、いまだに通行止めになっていた。
 十勝ダムに沿って大きく迂回して行かなければならなかったが、ここまで来て引き返す気にもならず、やや荒れ気味の林道を通って、温泉にたどり着くことができた。

 pH10を越える塩基性の強い湯は透明で、少し硫化水素臭があって、非常に心地よい入り心地だった。
 山奥の林道を分け入って、多くの人がこの温泉を訪ねて来る理由が理解できる。

 近くのトムラウシ温泉ほど有名ではないし、深い山奥の森に囲まれたそれほど規模の大きな温泉ではないことなどが理由で、一度休業に追い込まれて再開されたらしい。

 一方に「温泉ブーム」とか「秘湯ブーム」などがあり、一部の「秘湯」がもてはやされているが、地元で精一杯身体を使って農作業や造林作業を続けてきた人々の疲れを癒し、苦労をねぎらってきた小さな温泉の経営が、圧迫されている現実はおかしいのではないだろうか。

 「温泉好き」や「温泉通」による配慮を欠いた格付けや無責任な評論が、それに追い打ちをかけているのだとすれば、「温泉ブーム」も考え直さなければならないのではないだろうか。

2011年9月23日金曜日

夜間飛行から

 日本の上空を夜、飛行機で飛ぶと蛍光菌の培地を連想する。
 光の濃い部分があちこちに散らばる。菌のコロニーだ。
 コロニーとコロニーは光る糸のような道でつながっている。

 ニンゲンは、この美しく小さな極東の島に、蛍光菌のようにへばりつきながらそのコロニーを広げ、増やし、コロニー同士をつなぐ道を太くして「繁栄」してきたのだろう。

 久しぶりに東京に来た。
 飛行機の窓から見える東北から関東にかけて、以前より光が少なくなり、暗さがジワリと増したように感じる。

 「気のせい」かも知れないが。

 そして、このくらいの暗さがちょうど良いのではないかと思う。

 地上から見える星空もちょっぴり見やすくなったのではないだろうか。

 夜は、暗い方が良い。

2011年6月22日水曜日

小指の痛み

 今日は夏至だ。
 ノルウェーではミッドサマーフェスティバルというお祭りがあり、一晩中飲んで踊って楽しむのだそうだ。

 一昨日、授業で山を歩いていた。
 ザリガニの生息状況を調べてみようと思い、川への斜面を下たら長靴の底がすり減っていて足が滑り転倒した。
 その時、右手をついたため指が不自然に曲がってしまった。

 骨折はしていないち思うのだが、手の平が腫れあがって、突き指としては最大級と言っていい状態だ。情けないことだ。

 昨日は、天気が良かったのでバイクで通勤したかったのだが右手の握力が極端に弱まっているので、大事をとってあきらめた。

 小指一本のせいで十分に力を入れることができないとあらためて悟った。
 お菓子の袋が開けられない。箸が持てない。自動車のハンドルも握りにくい。黒板に字を書きにくい。キーボードやマウスも操作しにくい。(操作しているけど)などなどなど。

 70年代の沖縄返還運動では「小指の痛みは全身の痛み」というスローガンを掲げていたことを思い出した。
僕らは、米軍基地を抱える沖縄の苦しみを自分の痛みとして感じているだろうか。
原子力発電所の事故で苦しむ人たちの苦しみの原因がエネルギーを浪費してきた自分たちの生活が原因だったと顧みることができるだろうか。

 TVで時々流れる「ひとつになろう日本」というコピーが空しく感じられるのだが、どうしてだろう。

2011年6月9日木曜日

ああ、キハ283系よ きみを泣く

 北海道上の気圧の谷に南から風が入り込み、妙に暑い一日だった。

 「スーパーおおぞら」に使われているディーゼルカー、キハ283系の事故は衝撃的だった。
 札幌に行くために、今までに何度も利用したから。
 乗っていても、線路のそばで見ていても、早さを感じる車両だ。営業最高速度は 130 km/h 、設計最高速度は 145 km/h だ。しかも曲線通過時にコンピュータ制御によって車体を最大で6度傾けることができる。
 これによって半径600mのカーブを、一般車両の通過速度より40km/hも速く走り抜けることができる。
 そのため、釧路と札幌の間を4時間足らずで結んでいる。

 キハ283系は、ある意味で日本の鉄道技術の頂点と言えるだろう。間違いなくモノ作り日本の華の一つだろう。
 根室本線の普通列車に乗って、この列車の通過待ちをしていると、隣の線路を文字通りカッ飛んでいくように走り去る姿を見ることができる。

 同時に疑問も湧く。
 はたして、こんなに急いでいいのだろうか、と。
 この特急のために、駅間(駅と駅との距離)の長い根室本線では、普通列車が10分とか20分の通過待ちを強いられる。
 JRは、民間会社になって「収益」を優先し「効率」だけを第一に考えたから、お年寄りや高校生たちなど、地元の人たちの利便性を、バッサリと切り捨てている。
 「金儲けのためなら何でもする」姿勢がここにも顔を出している。

 さらに、石勝線以遠の根室本線はほとんど単線区間で、「スーパーおおぞら」が「スーパーおおぞら」とすれ違うために5分10分と停車することもしばしばなのだ。輸送の速度を上げたいなら、路盤を整備し、単線区間を減らす努力をするのが王道ではないのか?
 ここにもJRの「コスト切り捨て・儲け優先」の姿勢が垣間見える。
 本来するべき努力を払わず、手っ取り早く良い結果だけを求める危うさを構造的に孕んでいるように思う。

 そして、その結果が、先日のトンネル内での火災に結びついたのではないだろうか。
 すくなくとも間接的な原因とか事故の背景に、このような構造があるのではないだろうか。

 キハ283系はなかなか優れたデザインの優秀な車両だと思う。その優れた性能をもっと大事に使ってほしい。

2011年6月7日火曜日

NDCと幸福

 NDCという言葉あるそうだ。
  New Declining Country = 「新興衰退国」と訳される。

 2000年には世界第3位だったGDPが2010年には17位に下がった。

 政治面でも平成に入ってからの23年間で首相が16人も変わった。他の先進国にこんな国は無い。
 原因は、国民からはるか遠いところで、政治家や政党が抗争に明け暮れていることを示している。
 一方、2010年の日本の自殺者数は13年連続で3万人を越えていて、交通事故死者数の6.5倍だという。

 ちょうどこんな時に大地震と津波が襲い、原子力発電所が大事故を起こしたのだ。
       (以上、石弘之著「地球クライシス」(洋泉社新書)を参考にしました)

 今日、突然、
 「もっと英語を勉強しなければ」という考えがひらめいた。
 日本という国は、僕たちの思惑とは別の所で、今後ますます衰退して行くように思う。

 いったん崩れ始めた「国」というシステムは、そう容易には復元しないと思う。
 崩れる勢いがついているから。

 これから、世界の動きに歩調を合わせていくためには、日本語にしがみついていられないように思ったのだ。

 繰り返して述べるが、感情とは別の次元のことだ。

 寂しいことだが、日本という国はこれからますます東の端っこにある、小さくて不思議な国になっていくだろう。
 「独自の文化があり、かつては多くの国の人が注目してたが、最近はあまり目立たなくなった」などと評されるのだろうか。


 考えてみると、そのくらいの評価が真っ当なものかも知れない。面積と生産力と経済力、資源などを含めた総合的な「力」は、身の丈に合ったものにしておくのが良いのかも知れない。
 そして、国民の多くが、その時の生活を幸福だと感じるなら、その方が良いのではないだろうか。幸福は金では買えない。

 そんな未来の姿も想像しながら、今、われわれはどう進むべきかを考えてみなければならない。 

2011年6月3日金曜日

増えすぎた「シカ」の害・・・東京でも

 別海でカッコウの初鳴きを聞いた。偶然だが二年前、2009年もカッコウの初鳴きは今日だった。

 さらに、羅臼と別海の両方でセイヨウオオマルハナバチを一頭ずつ捕獲した。
 初捕獲だ。

暖かい日だったのでバイクで出勤した。
 すると、羅臼は深い霧だった。典型的な夏型の天候である。

 バイクで霧の幕を裂くように突っ込む。

 霧は、視界を閉ざす。視界が閉ざされると人は、その向こう側にあるものを想像するようになる。つまりはココロの眼で世界を見るようになるのだ。

だから、霧の向こうに広がる、荒涼とした被災地の風景を見ることができる。
 荒涼とした被災地の風景の向こうには、荒れ果てた原子力発電所跡が古城のように建っているのだろう。
 そして、荒城のさらに向こうには、醜悪なシカの大きな群れが、互いに角を突き合って争っていた。醜い争い。「セイジカ」と呼ばれるシカたち。増えすぎて、環境を圧迫するシカたち。バクテリアのようにはびこっている。


 知り合いの大学教授が最近、こんなことを話してくれた。
 少し前のことだが、新しくできたばかりのある政党から代議士の候補者にならないか、という誘いを受けた。彼は、ちょっとだけその気になりかけて、いろいろと準備を始めたそうだ。
 間もなく、彼の奥さんが改まった態度で彼の前に座り、
「お話があります」と切り出したのだそうだ。
 その前には、一枚の紙が置かれており、よく見ると離婚届だったのだそうだ。
「立候補するなら、まずこれに署名捺印をしてからにして下さい」と奥さんは迫ったそうだ。
 もちろん彼は立候補を断念した。

 僕は、その奥さんはとても賢くて立派な人だと思った。
 つくづく、心の底から思った。

2011年4月9日土曜日

へそ曲がりのタワゴト

 「がんばろう日本」の後に「欲しがりません、勝つまでは」と続くような気がして、素直に言葉を受け止められない。

 被災者支援の募金もしているし、応援する気持ちは人一倍持っているのだが。

 「この非常時に・・・」という表現も同じ。
 
 そのうちに、たすきか腕章を付けた町内会が見回りに来て、

 「ここの家は節電に協力していない!」とかと言われそう。コワイ。
 「国難」と言う言葉もイヤだ。
 受難しているのは被災地の住民たちや原子力発電所周辺の住民たちである。

 「国」を前面に出す前に「国」とは何か、をハッキリさせなければならない。そこを曖昧にしたままで「国」を濫用すると個人の上に国を置いてしまうのではないかな?

 多様な人々から構成されている公の存在として「国」の概念を保たなければ、結果的に「国」を私物化したがっている勢力の思うツボになってしまうのではないだろうか。