2011年7月24日日曜日

羅臼湖

「静謐」(せいひつ)という言葉は羅臼湖のためにあるように思う。

太宰治は「津軽」の中で、十三湖について、こう書いている。

「十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛ったような、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮かんでいない。ひっそりしていて、そうして、なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬというような感じだ。」

この名文について、作家の長部日出雄は、「津軽空想旅行」の中で
「太宰の文が十三湖を形容しているのか、十三湖の方が太宰の文に姿を似せているのか」という意味のことを書いていたように思う。

羅臼湖について、誰かこのような格調高い形容をしてくれる人はいないものだろうか。

小雨と霧の中を進んで行き着いた今日の羅臼湖は、
やっぱり静まりかえっていた。

いつまでも、こうあってほしい場所である。

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