2011年7月12日火曜日

とても簡単な事実

 人間には感情や気分があり、物事の判断にも、それらは深く関わっていることはわかる。

 原子力発電所の運転再開に関しては、感情や気分を排して、事実をありのままに見つめて、決定するべきではないのか。

 むかし、どこかの病院で放射線治療に使う放射線源(放射線を出す小さな針状の物体)が一本だけ行方不明になって大騒ぎになったことがあった。

放射線を無闇に怖れる必要はない、とよく言われる。
 たしかに相手(対象)のことをきちんと理解することなく、ただ恐れ、騒ぎ立てる態度は望ましいものではないと思う。
 同時に侮ることも許されないわけで、危険に対する正確な認識を持つことが求められる。だからこそ、針一本の放射線源でも慎重に管理しなければならないわけだ。

 だが、原子力発電所では、トン単位で放射性物質が取り扱われている。スケールが大きくなることで、次第に危険への抵抗感が薄らぐのもまた人間の性だ。

 そして、地震が起きたことによって原子炉は、壊れた。大量の放射能が飛び散った。これが「起こったこと」だ。(まさかこれを否定する人はいないだろう)

 現在、日本中にある原子力発電所のすべてが、いつ起きるかわからない地震の危険にさらされている。福島で起きたことが、次の瞬間、他の場所で起きるかも知れない。その可能性を誰ひとりとして否定することはできないだろう。
 これも事実ではないのか。

 そうなると、さしあたり、すべての原子炉の運転を止めるしか当面の安全策はない。その結果起きること、電気が足りないとかモノが作れないとか、カネが儲からないとか、貧しくなるなどの事象は、重大かも知れないが、運転によって生じるかも知れない被害の規模と深刻さを考えれば、それらは再開の理由にはなり得ない。断じてなり得ない。

 こんな簡単なことがどうしてわからないのだろう。
 一部の悪賢い者は、本当はわかっていて、原子炉にしがみついているに違いないが。

 結局、モノを考えるとき、意識的にあるいは無意識的に、自分の都合とか立場を優先させる「心の中の悪魔のささやき」に負けてしまうからであろう。

 感情や気分で物事を判断する。人間の弱い部分が顔を出すというのはこういう事なのだ。 そして人間は再び同じ過ちを繰り返す。
 結局、弱さと愚かさが日本にまた災いをもたらす。 

小さな事なら、それも人間の愛らしさかもしれない。
 だが、放射能に関しては、笑って済ますことはできない。
 これによって人間は、少なくとも日本は滅びることになるだろう。

 だから、それがイヤなら全ての原発をやめるしか道はない。
 こんな簡単なことがわからないヒトが、まだいるらしい。

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