2011年7月14日木曜日

誕生日と原子力と人類

 先日、誕生日を迎えた。
 多くの人に祝って頂いて嬉しいかぎりであり、感謝感謝だが、ふと生きてきた時間の長さを思った。
 まあ、それだけ歳を重ねたということだ。馬齢を重ねたと言った方がいいだろう。

 僕が生まれた頃、テレビ放送は無かった。
 原子力も爆弾にしか使い途は、無かった。
 プレートテクトニクス理論もまだ無く、ウェゲナーの「大陸移動説」は荒唐無稽と評されていた。
 遺伝子の本体がDNAだということもまだ、確定していなかった。

 思えば、この間の科学の発達は目を見張るべきものがある。
 しかし、科学技術の発建速度と人間のモラルや倫理観の発達速度は、必ずしも同期していない。いや、全く同期していない。
 
これは、おそらく近現代に限ったことではないだろう。
 槍・弓矢・ナイフなど狩猟用の道具が発明された、原始時代から続いている事かも知れない。
 
 そして、原子力という質量の割に桁外れの出力を得られるシステム、そしてそれは太古から生命にとって危険きわまりない放射線を伴うもので、これを安全に制御できないうちに商業用に建設し、そこから揚がる利益に一部の人間が群がってきた事実は、科学技術とモラルのアンバランスが、相変わらず解消されていないことの証拠ではないだろうか。

 そして、何より、科学技術の発達にモラルの発達が追いつかないこと問題になっていないところに、ことの深刻さがあるだと思う。

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