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2012年11月19日月曜日

一本の映画との出会い

 偶然の出会いというものがある。  札幌でつくづくそういう経験をした。  日曜日午後、ちょっとした行き違いで、4~6時間ほどの時間が空いた。  場所は札幌の中心街狸小路でのことだ。  時間の使い道に不自由はしない。そこで選択したのは映画を観ることだった。  6丁目にシアターキノという大手配給会社の系列に属さない映画館がある。  そこで邦題「あの日 あの時 愛の記憶」(英題「Remembrance」)というポーランドを舞台にしたドイツの映画に出会った。 タイトルから受ける印象は、なんだか照れくさいラブストーリーのように感じた。  ところが、この映画は1944年のポーランドと1976年のニューヨークおよびポーランドを舞台にした硬派な映画だった。  1944年、アウシュビッツ収容所で、囚人となっているポーランド人男性トマシュとドイツから連行されてきたユダヤ人女性ハンナとが愛し合うようになったところから物語が始まる。  トマシュはナチスに抵抗する収容所内の地下組織に属していて、ナチスの残虐行為を密かに撮影したフィルムを外に持ち出し、抵抗組織に届ける任務を引き受ける。  そして、その機会に乗じてハンナをも連れ出して兄の恋人が暮らしている家に匿い、自分はフィルムを届けるためワルシャワへと向かう。  二人はそこで別れ別れになるが、ナチスドイツの崩壊やソ連のドイツ侵攻に伴うポーランド占領などの混乱で、再会を果たせず、互いに死んだものと思い込んで戦後を生きていく。  やがてニューヨークで暮らすようになったハンナが、偶然にトマシュが生存していることを知り、ポーランドへと向かう。  そこに至るまで、現代(といっても1976年だが)と1944年を行きつ戻りつしながら映画が展開する。  最初から最後まで非常に緊張感のある映画で、息をつく暇もない展開だった。ただし、その緊張感は、登場人物が日常を普通に行動する中での心理的緊張であり、決して派手なアクションや破壊シーンを伴うようなものではない。映画自体はまるでドキュメンタリーのように、淡々と「日常」を描いているだけなのだが。  言語もポーランド語、ドイツ語、英語が次々に出てくる。ドイツ語やポーランド語は、ほとんど理解できないのだが、9月に旅をした場所でもあり、少しだけ耳に馴染んでいて親しみが感じられた。  この映画は実話を元にして作られたのだそうだが、たしかに僕らが訪ねたアウシュビッツには、収容者が命がけで撮影し、外に持ち出されたフィルムからプリントした写真が何枚か展示されていた。  映画館のポスターを見るまで、その存在すらしらない映画だったが、観ることが出来てほんとうに良かった、得をしたと思える映画だった。  一本の映画とこういう出会い方をする場合もあるのだ。  2011年 ドイツの映画 監督 アンナ・ジャスティス  原題 「DIE VERLORENE ZEIT」=「失われた時代」 英題「Remembrance」

2009年6月27日土曜日

映画「劔岳 点の記」

「劔岳(つるぎだけ) 点の記」を観てきた。
新田次郎昨の原作は読んでいた。
明治時代、日本全土の地形図完成させる過程で、最後の空白地域の一つだった立山地方の測量の最後の三角点を当時未踏だった劔岳山頂に設置する時の物語である。
劔岳は氷河に削り取られた氷食尖峰で、北から東に向かって、大窓・小窓・三ノ窓と呼ばれる懸垂氷食谷があり、登頂を阻むような岩壁が立ちはだかっている。さらに、日本海を渡ってくる季節風と太平洋から風が複雑な地形にぶつかる厳しい気象条件が人を拒み続けてきた。
 日本山岳会との初登頂争い、陸軍参謀本部と測量をする現場技術者との軋轢、山岳信仰や民俗文化との葛藤などなど「ドラマ」になる要素はタップリとあるのだが、何よりも「地図を作りたい」という測量官・柴崎芳太郎の堅い意志と地元の案内人である宇治長次郎(うじ ちょうじろう、1872~1945)の人間としての対等な信頼関係など感動的な所が随所にあった。
 また、「八甲田山」など数々の映画でカメラマンを務めた木村大作さんの初監督作品であり、ちょっとエラそうに言わせていただけば、カメラの使い方に感心した。全体に抑制の効いたカメラワークが多く、淡々と展開していくストーリーは、まるで映画全体が山登りの行程であるかのように感じられた。
 ジワリとした映画。もう一度観たい。

2009年3月15日日曜日

僕とラ・マンチャの男

 「ラ・マンチャの男」と初めて出会ったのは高校3年の今頃、道南の大沼に家の自室でのことだった。受検した大学がすべて不合格となり、鬱々としていたある日曜日のことだったと思う。FM放送の番組で、ブロードウェイのミュージカルを紹介していた。社会経験の乏しい未熟な僕にとって、その意味の深さを完全に理解することはできなかった。だが、直感的に強く惹かれるものがどこかにあった。
 それ以来、ドン・キホーテあるいはセルバンテスは、常に気にかかる存在として僕の心に住みついた、と言うことができる。

 劇中のシーンの一つ。
 それまで地下牢でドン・キホーテを演じていたセルバンテスが、幕間に本人に戻った時のやりとり。セルバンテスに反感を抱く「公爵」と呼ばれる囚人との間で交わされる会話だ。

公爵    「詩人は無意味な言葉で現実を曇らせる。」
セルバンテス「その通り!現実とは人の心を押し込める石牢だ。
       詩人は想像力で夢を見つけ出すのだ。」
公爵    「キミの罪状は理想家でつまらぬ詩人で正直であること。」
セルバンテス「確かに罪状の通り。理想家だ。だが夢想家ではない。つまらぬ詩人。返す       言葉もない。」
公爵    「現実と夢とは違う ここの囚人と君の妄想の騎士とはな。」
セルバンテス「彼らの夢こそ現実的だ。」
公爵    「夢は夢だ。なぜ、詩人は異常者が好きだ?」
セルバンテス「似てるのだ。」
公爵    「人生に背を向けてる。」
セルバンテス「人生を選ぶのだ。」
公爵    「ありのままを受け入れろ。」
セルバンテス「人生をか。
       40年以上人生を見てきた。
       苦悩、悲惨、残酷さ、神の作った子たちの声は道ばたにあふれるうめき声       だ。
       兵士も奴隷も経験した。ある者は闘いで、ある者はムチ打たれて死んだ。
       彼らは人生をただ受け入れてきた。そして死んだ。栄誉も立派な遺言もな       く。ただ当惑して『なぜ』と問いながら死んだ。
       『なぜ死ぬのか』ではなく『なぜこんな人生を』と問いながら。
       人生の中で異常とはなんだ。
       現実的すぎること、夢を持たぬこと。ゴミの中の宝探し、正気を通すこと
       一番の異常は人生をそのまま受け入れることだ。」

2009年1月19日月曜日

「チェ」観てきた

 「チェ・29歳の革命」を観た。
  1958年からのゲリラ戦でバティスタ政権を倒すまでが縦糸になっているが、1964年の
国連での演説、1956年のカストロとの出会い、さらにはカストロにいよる最初の蜂起だった1953年7月26日(「M26」と呼ばれている)のエピソードも織り込まれて、時間を行き来しながら、ストーリーが展開されていた。
 全体的に緊張感に満ちていて、ゲバラの人となりがよく伝わってくるように感じられた。
 同時に、アメリカに代表される進んだ資本主義国が、貧しい第三世界の国々に犠牲を強いて「発展」を享受してきた、ということが再認識でした。
 グローバリズム経済、新自由主義とその系譜は、体裁と名称をすり替えながら、現代の世界にまで連綿と続いているのだ、ということをあらためて考えた。
 いま、世界はやはりゲバラを必要としているのだ。

2009年1月1日木曜日

新しい年、映画との出会い

 昨年暮れ、一つの映画に出会った。正確には二本の映画。
 「チェ・28歳の革命」と「チェ・39歳 別れの手紙」
 南米の革命家エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナを描いた映画である。

  今更説明の必要もないと思う…
 1928年アルゼンチン生まれ、カストロと共にキューバ革命を成功させ、
 1967年10月、ボリビアで殺害された。
 「チェ」とは、アルゼンチンのスペイン語で「ねぇ君」などと相手に呼びかけるときに使う言葉に由来するあだ名である。彼が「Che」とサインに使っていたのだそうだ。


 今この時代に、ゲバラや彼の著作や行動が注目されている、というこに僕は、大きな意味を感じる。時代がゲバラを求めているのではないだろうか。
  ニンゲンをコストとしかみなさいような世の中、「儲かる」ことが善で、そのためなら何をやって許されるような世の中、フリーターや派遣労働者になるのは本人の責任だ、という「強者の論理」が堂々とまかり通る世の中への不信感、閉塞感を打ち破る、ひとつの明確な方向をゲバラの生き方に見いだす人は多いのではないだろうか。

 予告編のコピーが泣かせてくれる。
「かつて世界を本気で変えようとした男がいた
アメリカがもっとも恐れた男、世界がもっとも愛した男」
 「愛と情熱、正義と信念」
「20世紀最大のカリスマはなぜ39歳で死に至ったのか」
「すべてが真実、すべてが劇的」

http://che.gyao.jp/

http://www.youtube.com/watch?v=1yNnUre8J_w