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2012年6月2日土曜日

特別な日のすてきなライブ

中学から高校にかけて、6月2日に僕の居た場所である。リゾート開発によって今は変わり果てた姿になっている場所も多い。  なぜ、これほどはっきり記録できるのか。  それは、標本のデータが残っているからだ。  この頃の僕は昆虫少年だった。標本を集めることは、もうしていない。  だが、虫を捕まえ、標本にし、細部を観察して種類を調べることで、昆虫の分類を肌で覚えることができたと思っている。  種名を知ることは、自然を読み解くためのボキャブラリーを増やすことだと今も思っている。  それはともかく、6月2日という日は、僕の中では一種の「特異日」だ。  考えてみれば、新しい葉が一斉に展開され、まだ厚みを持たない葉を通した光が林床を明るく照らしている。  その光の中でエンレイソウ、ニリンソウ、アズマイチゲなどのアネモネ属、サンカヨウ、シラネアオイなどの花が思い思いの場所に咲き、ツマキチョウが舞い、ベニヒラタムシやコメツキムシなどの鞘翅目昆虫までが不器用に飛び回っている季節。  それは、北海道の夏緑林地帯から亜寒帯針葉樹林帯にかけての初夏の心象風景となって結晶した。  1964年6月2日 横津岳 大川林道・・・中学2年  1965年6月2日 中の沢ダム・・・・・・中学3年  1966年6月2日 仁山高原・・・・・・・高校1年  1967年6月2日 横津岳 大川林道・・・高校2年  1968年6月2日 蝦夷松山・・・・・・・高校3年  そして2012年。  今年の6月2日を、僕は札幌で迎えるつもりだ。  敬愛するアイヌ民族の歌手でありムックリ、トンコリの演奏家KapiwとApappoの姉妹によるライブ「Kapie & Apappo 札幌ライブ~CIKISANI~」というコンサートを聴きに行く。  この日、このライブがあるということ、それに行こうという気持ちになったこと、様々なことに、漠然として意味を感じる。  そんな思いを秘めて、これから札幌へと向かう。(朝、6時30分 記す)

2012年5月9日水曜日

なにやら懐かしい「反科学」と時々出会うのだが

インターネットを見ていたら「森林は二酸化炭素を吸収しない」という記事が目に付いた。林野庁が出した「地球温暖化防止に向けて Q&A」への反論のようだ。  内容を要約してみる。  植物(主に樹木)は、光合成によって二酸化炭素を吸収し酸素を排出する。同時に呼吸も行うので、吸収される二酸化炭素の量は呼吸によって排出される二酸化炭素の量との差の分だけである。  同時に樹木が枯死するとそれは最終的には微生物によって分解される。その微生物も呼吸をおこなっているので二酸化炭素を生産する。  したがって総合的な収支は、二酸化炭素の吸収でも排出でもなく、森林は二酸化炭素を吸収も排出もしない。  以上のようなものだ。  この筆者がここで表明したかったことは、「樹木は光合成によって二酸化炭素を吸収するのだから地球温暖化防止に役立っている」という点だけを強調すると森林に対する見方が偏ってしまい、様々な生物が生息している複雑系として森林を見ることが出来なくなり、一部を「切り取った知識を詰め込むだけの教育は、現実の役に立たないどころか、誤った方向へと行きかねない危険性をも孕んでい」るという危惧だろう。 この考え方は正しいと思う。森林や海洋などの生態系はたらきを捉える時は、できるだけ遠い視点から全体の構造や動きを、個別の生物群集の関わり合いを観ることは必要だ。同時に、生態系を構成する種ひとつひとつの特徴、さらには一個体の体内や細胞内の生命活動に伴う化学反応まで把握しておく必要もあるだろう。  正しい認識のためには両方が必要で、決して一方を否定したり拒否したりすべきではない。物事を正しく認識するためには知識も必要で、今まで積み上げられてきた教育の体系を全否定するべきものではないだろう。  最近、国家的な隠蔽工作や放射線の影響に対して楽観的な見方を、恣意的に押しつけようとする動きがあったりして、「権威」に対する忌避感を抱く人が増えているように感じる。忌避の感情を強く持つあまり、過去に検証され定着してきた客観的な事実をも否定しようとする傾向も見受けられる。  一本の樹木生涯を追跡すると二酸化炭素は吸収も排出もされることはないが、森林全体としては、二酸化炭素をセルロースその他の物質の形で蓄積していることは事実だ。そして、樹木の寿命を考えるとその蓄積の時間は、数千年単位のものも普通にある。  だから、二酸化炭素の固定量にとって、地球上の森林面積がどれほど維持されているかは重要な要素だし、森林面積が年々減少していることは深刻な問題なのである。  森林の二酸化炭素吸収能力を過度に強調するのも問題があると思うが、それを過小に評価するのもやはり誤りではないだろうか。  いずれにしても、研究機関や教育機関が、言葉の正しい意味における権威をもって、われわれを導いてくれていれば、このような混乱は生じなかっただろうと、僕は思う。

2011年10月31日月曜日

ミュージシャンと知床

天気が崩れるかと思ったが、きわどい所で持ち直し、今日は薄雲が広がった程度だった。
日本海に優勢な高気圧が控えているので、今後もしばらくは安定した天候になりそうだ。

そんな中を、木畑晴哉トリオの面々は帰って行った。
三人は、初めて訪れた知床の地から強い印象を受けた様子だった。


僕には偏見にも似た先入観があって、ジャズと言えば、アスファルトやコンクリートなどの人工物で固められた都会の音楽だろうと思い込んでいた。

だが、考えてみれば当たり前のことだが、音楽は、いや芸術は、すべからく環境との相互作用で生み出されるものである以上、優れた自然環境は、芸術家の感性に、有用で強い印象を与え、インスピレーションを励起するものなのだろう。

ドラマーで、フィラデルフィア出身のラリー・マーシャルさんは、羅臼ビジターセンターの映像を見終わった瞬間、
「わたしは、ここで家を探す。ここに住みたい。」と言っていた。

実現可能かどうかはともかく、心底からそんな気持ちになったのだと思う。


僕は、しばしば、
「自然環境の保護」とか「持続可能な利用」、「絶滅危惧種の保護計画は・・・」などと、シカツメらしく言うが、優れた自然環境は、もっと直接的に人の心に働きかけるものだとあらためて気づかされた。

自然環境の保護のために、科学的なモニタリングやデータの蓄積は重要だ。
同時に心に働きかける力をも等しく評価しなければならない。

自然環境を守ろうとするとき、最後の砦は、ヒトの心なのだと思う。
このことを「自然保護関係者」は、肝に銘じておかなければならない。

だから、多くの人々が情熱を傾けて守ってきたタンチョウを、亜熱帯の暑さの中でに放り出し、観光客誘致に利用しようなどと考えるヤカラに、そういう細やかな感性などあるわけがないのだ。

そして、細やかな感性を持たない者が、道民を代表する知事の座に居座ることなど許されないのだ。

2011年10月26日水曜日

「鹿よおれの兄弟よ」という文化の匂いについて考えた

 雨が上がると寒気が入ってくる。
 冷え込みの予感のする一日

 昨日、シカの解体途中、ゴム手袋が破れたことに気づかずにいた。
 気づいた時には、すでに手は血だらけ。

 脂肪が皮膚の隙間に入り込み、洗っても洗ってもニオイが落ちない。知らぬ間に髪にもニオイが着いたらしく、ベッドの中もシカ臭くなった。

 「ニオイに敏感な日本人」は、自分たちと異なる匂いの者を異端者として排除してきた歴史をもっている。
 匂いというのは、かなり原始的な感覚だから、この排他性は生理的だと思う。

 稲作米食を中心とした生活を送ってきた和人たちにとって、自然環境を多様に利用し、狩猟採集生活を原則とする続縄文人や琉球人は、排除の対象であったろうし、それが琉球差別やアイヌ民族への差別の根を作ったことだろう。
 「蝦夷」という言葉もそのあたりから生まれたに違いない。

 さらに、時代が進み、武具や馬具を作る人々、死体や獣肉を扱う人々などを自国内に住む同胞でありながら差別してきた歴史も持つ。

 匂いは文化そのものから香り立っている。

 神沢利子作話 パヴリーシン作画の「鹿よおれの兄弟よ」という絵本がある。
 神沢さんはサハリンで幼少期を過ごした。
 パヴリーシン氏はシベリア出身で数々の賞を受けているロシアの国民的画家で、シベリアの森の様子が細部まで繊細に描かれている美しい絵本だ。
 我が身から立ち昇るシカの残り香をききながら、ひと時、自分もシカの兄弟になれたような気持ちが湧き、ウットリとなる。

 これで和人たちから排除されるなら、一向にかまわない。

2011年9月6日火曜日

ムックリの音色 心から心へ

 31日、前ユネスコ事務局長 松浦晃一郎さんを迎えた羅臼町の歓迎交流会で、阿寒湖のムックリ奏者、アパッポさんと彼女のお姉さんカピウさんよる演奏を聴いてもらった。

 松浦さんは、世界無形文化遺産の設立と推進に情熱を注いだ人であり、能や歌舞伎とともに琉球舞踊やアイヌ民族の舞踊も無形文化遺産に指定されている。
 そのような事情からか、久しぶりに訪れた北海道でアイヌ民族の文化に直に触れたいと強く希望されて、この演奏が実現した。

 僕にとっては、彼女たちの演奏を聴くのは、二回目だった。

 歌とトンコリの演奏、ムックリの演奏が行われた。どれ一つとっても民族の伝統をしっかりと受け継ぎながらも、美しいハーモニーや力強いリズムにあふれた若々しい新鮮さを感じられる素晴らしい演奏だった。

 演奏の半ばでムックリの演奏が始まった。
 僕は、聴きながら目を閉じていた。突然、涙があふれてきて、ちょっと慌てた。

 実は、以前にモンゴルへ行ったことがある。僕を招いてくれた家のお母さんが国立劇場で行われているモンゴルの歌と踊りのショーに連れて行ってくれた。
 それはモンゴルを去る前日のことだった。
 目をつぶってホーミーの演奏に聴き入っていると、突然草原の風景がまぶたに浮かんだ。 それはフラッシュバックのような現象だった。
 モンゴル式の鞭で馬を駆り立て、草原を疾走した時のことが甦ってきた。
 気がつくと、大量の涙が目からあふれていた。
 なぜ、涙が出たのか、自分でもわからない。いまだにわからない。
 しかし、ホーミーの倍音とリズムが、身体の奥の何かを呼び覚ましたのだろう。
 ホーミーはモンゴルの草原によく似合っている。

 ムックリの音色にも倍音が含まれているように思った。それは、もちろん演奏者の技術が優れているからだ。
 ムックリの音色もホーミーの音も、複雑な機器を通すことなく、人の身体を使って奏でられた音楽で、その場所の風土や環境と強く結びついているからだろうか。
 そのために、聴く人の心にも自然に入り込んでくるのだろう。

 ムックリの音色はアイヌモシリ(北海道)の森と湖を思い出させてくれる。
 一時期、屈折した思いを抱いて悶々と過ごす日々が続き、毎日のようにチミケップ湖に通ってカヌーを漕ぎ続けた時期がった。
 その時、湖上から見た風景が思い出されるのだ。
 正直なところ、モンゴルと同じことを羅臼で体験するとは予想していなかった。

 遠い道を、羅臼まで演奏に来てくれた姉妹に感謝したい。