2012年5月9日水曜日

なにやら懐かしい「反科学」と時々出会うのだが

インターネットを見ていたら「森林は二酸化炭素を吸収しない」という記事が目に付いた。林野庁が出した「地球温暖化防止に向けて Q&A」への反論のようだ。  内容を要約してみる。  植物(主に樹木)は、光合成によって二酸化炭素を吸収し酸素を排出する。同時に呼吸も行うので、吸収される二酸化炭素の量は呼吸によって排出される二酸化炭素の量との差の分だけである。  同時に樹木が枯死するとそれは最終的には微生物によって分解される。その微生物も呼吸をおこなっているので二酸化炭素を生産する。  したがって総合的な収支は、二酸化炭素の吸収でも排出でもなく、森林は二酸化炭素を吸収も排出もしない。  以上のようなものだ。  この筆者がここで表明したかったことは、「樹木は光合成によって二酸化炭素を吸収するのだから地球温暖化防止に役立っている」という点だけを強調すると森林に対する見方が偏ってしまい、様々な生物が生息している複雑系として森林を見ることが出来なくなり、一部を「切り取った知識を詰め込むだけの教育は、現実の役に立たないどころか、誤った方向へと行きかねない危険性をも孕んでい」るという危惧だろう。 この考え方は正しいと思う。森林や海洋などの生態系はたらきを捉える時は、できるだけ遠い視点から全体の構造や動きを、個別の生物群集の関わり合いを観ることは必要だ。同時に、生態系を構成する種ひとつひとつの特徴、さらには一個体の体内や細胞内の生命活動に伴う化学反応まで把握しておく必要もあるだろう。  正しい認識のためには両方が必要で、決して一方を否定したり拒否したりすべきではない。物事を正しく認識するためには知識も必要で、今まで積み上げられてきた教育の体系を全否定するべきものではないだろう。  最近、国家的な隠蔽工作や放射線の影響に対して楽観的な見方を、恣意的に押しつけようとする動きがあったりして、「権威」に対する忌避感を抱く人が増えているように感じる。忌避の感情を強く持つあまり、過去に検証され定着してきた客観的な事実をも否定しようとする傾向も見受けられる。  一本の樹木生涯を追跡すると二酸化炭素は吸収も排出もされることはないが、森林全体としては、二酸化炭素をセルロースその他の物質の形で蓄積していることは事実だ。そして、樹木の寿命を考えるとその蓄積の時間は、数千年単位のものも普通にある。  だから、二酸化炭素の固定量にとって、地球上の森林面積がどれほど維持されているかは重要な要素だし、森林面積が年々減少していることは深刻な問題なのである。  森林の二酸化炭素吸収能力を過度に強調するのも問題があると思うが、それを過小に評価するのもやはり誤りではないだろうか。  いずれにしても、研究機関や教育機関が、言葉の正しい意味における権威をもって、われわれを導いてくれていれば、このような混乱は生じなかっただろうと、僕は思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿