2011年10月31日月曜日

ミュージシャンと知床

天気が崩れるかと思ったが、きわどい所で持ち直し、今日は薄雲が広がった程度だった。
日本海に優勢な高気圧が控えているので、今後もしばらくは安定した天候になりそうだ。

そんな中を、木畑晴哉トリオの面々は帰って行った。
三人は、初めて訪れた知床の地から強い印象を受けた様子だった。


僕には偏見にも似た先入観があって、ジャズと言えば、アスファルトやコンクリートなどの人工物で固められた都会の音楽だろうと思い込んでいた。

だが、考えてみれば当たり前のことだが、音楽は、いや芸術は、すべからく環境との相互作用で生み出されるものである以上、優れた自然環境は、芸術家の感性に、有用で強い印象を与え、インスピレーションを励起するものなのだろう。

ドラマーで、フィラデルフィア出身のラリー・マーシャルさんは、羅臼ビジターセンターの映像を見終わった瞬間、
「わたしは、ここで家を探す。ここに住みたい。」と言っていた。

実現可能かどうかはともかく、心底からそんな気持ちになったのだと思う。


僕は、しばしば、
「自然環境の保護」とか「持続可能な利用」、「絶滅危惧種の保護計画は・・・」などと、シカツメらしく言うが、優れた自然環境は、もっと直接的に人の心に働きかけるものだとあらためて気づかされた。

自然環境の保護のために、科学的なモニタリングやデータの蓄積は重要だ。
同時に心に働きかける力をも等しく評価しなければならない。

自然環境を守ろうとするとき、最後の砦は、ヒトの心なのだと思う。
このことを「自然保護関係者」は、肝に銘じておかなければならない。

だから、多くの人々が情熱を傾けて守ってきたタンチョウを、亜熱帯の暑さの中でに放り出し、観光客誘致に利用しようなどと考えるヤカラに、そういう細やかな感性などあるわけがないのだ。

そして、細やかな感性を持たない者が、道民を代表する知事の座に居座ることなど許されないのだ。

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