昔から鉄道が好きだった。
「俺はテツじゃない」と言い続けてきたが鉄道が好きであることは間違いない。
昨今の流行に乗った浮ついたテツじゃない、とことさらに粋がっているだけだ。
だが、正直なところ電車は嫌いだ。特に直流通勤電車の軽薄で安っぽい作りには辟易している。(この辺りで電車好きの方々からお叱りを浴びそうだ)
などと言いながら、実際には、機会あるごとに嬉しそうに乗っているのだが。
電車より機関車が牽く列車が好きだ。
要するに客車列車はほぼ無くなり、貨物列車もタンク車とコンテナばかりになってしまった今日の鉄道で、単なるノスタルジアに浸っているアナクロ鉄道ファンに過ぎないのだ。
その証拠に、今も昔も路面電車は大好きだ。
現代の電車は、高速だし安全性も高い。その上、乗り心地も抜群だ。高度な技術が多用され、鉄道車両としては最先端をいく。非の打ち所がない。
だが、電車に関して僕がどうしても許せないのは(変な言い方だね)架線から電力を供給されていることだ。
電車は、架線がなければどこにも行けない。架線があっても送電を止められたら全く動けない。電気が来なければただの鉄(最近は鉄じゃないけど)の箱だ。
十分に電気が供給されて、はじめて鉄道車両としての役目を果たせる。
それに比べて、根釧原野を走るディーゼルカーのキハ54やキハ40は、レールさえ敷かれていれば、どこへでも行ける。東京の山手線や中央線にだって乗り入れられる。
電気機関車についても同じことが言える。
鉄道車両は、その自己完結性こそ魅力の原点だと僕は思う。
今日、TVを見ていたら、東京から仙台まで新幹線が復活したことを喜ぶ旅館の女将の言葉が紹介されていた。
曰わく「新幹線がつながらないと陸の孤島になったようだった」と。
観光客の来訪を待ち望む心境は理解できるし、観光地が復興することは喜ばしい。まったく同感なのだが、新幹線にそこまで頼らなければならない現実に違和感を覚えた。驚き、少しがっかりした。
旅のヨロコビは、一気に目的地に行き、さっさと帰ってくるというものではないだろう。目的に到達するまでの全過程が旅であり、その全てから新しい発見や出会いや学びが生まれるものではないだろうか。
今回の福島第一原子力発電所の事故は、何も考えずに電力を湯水のように使う生活スタイルを見直す契機だとする声が高い。電気に頼り過ぎる暮らしを見直す必要が突きつけられているのだと思う。
観光のあり方だって見直すべきじゃないかな。
新幹線が万能であるかのように考えるのは、それとは相容れない。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉は、本当だなと、未来に一抹の暗さを予感させるザワリとしたインタビューに思えた。
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