2012年8月17日金曜日

統一幻想と崩壊過程

 「北海道と沖縄には弥生時代の遺跡が無い」という事実をどれくらいの人々が知っているだろう。沖縄の様子はわからないが、北海道の小中学生、高校生でも、このことをきちんと認識している子は少数だろうと思う。これは経験的に思うのだ。
 どの教科書を見ても旧石器時代→縄文時代→弥生時代、となっている。
 無意識にか意識的にかは知らないが、本州の歴史イコール日本の歴史ということになっているからだろう。

 同じようなことは生態学にも当てはまる。
 植物群系の垂直分布を示す例として、照葉樹林にシイやカシ、落葉広葉樹林にブナやクリ、亜高山帯にはシラビソやコメツガ、等の種が列挙されている。北海道の生徒は見たこともない植物の名前を「テストに出題されるから」という理由で、ひたすら頭に詰め込まねばならない。

 日本という国の中枢には、どうやら多様性を毛嫌いする人々が何人か巣くっているのではないだろうか。横並びと制服の大好きな人たちが権力を握っているらしい。

 日本人の起源についての論議など、未だに公然と論じることが憚られる雰囲気があるようだ。日本列島は細長いので、お隣の陸地と接近している場所がいくつかある。また太平洋を大きく巡っている海流に直に顕れている海岸線もある。
 だから他国から日本に文化が入ってくる「窓」のような場所は何カ所かあり、その時代ごとにそれらの窓は開閉を繰り返してきたはずだ。
 したがって日本の文化の土台は、いくつかの異なる文化の重層構造であるはずだ。(そして、それは案外優れたものである)

 裏付はたくさん見つかっているのに、どうしても「単一民族国家」にこだわりたい人も多いのだろう。見果てぬ夢から醒めようしない。


 そして、最近の世相から思うのだが、もはやこの国を「国」としてまとめていくのは不可能かも知れないということだ。
 まとめていくためには、国民の間の違いを認め合うところからスタートしなければならない。それが出来ていないのだから、まとまるどころか反対にバラバラになっていくしかないだろう。

 一度バラバラになって、ゼロから再構築していけば、「日本再建」の道も見えてくるかも知れないが、このまま歴史の舞台からフェードアウトということもあるのかも知れない。 もう、手遅れかな?   

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