2011年11月14日月曜日

いま気になること

ごく個人的な思いを書きたい。

 顔色を窺う生徒が増えていないだろうか?

 つまりこういうことだ。

 生徒を飽きさせないよう、配慮しながら授業を進めていくのは今や高校でも常識だ。
 一方的な「講義型」の授業では、通用しずらくなって久しい。

 そこで、授業中に様々な工夫を凝らした(それほどでもないが)発問(これは「業界用語」かな?ようするにこちらから生徒への質問です)をしながら授業を進める。
 できるだけ生徒に考えさせたいので、考えさせるように考えた発問をする。(クドイ!)

 ねらいとしては、教師からの質問への答えを考える作業をさせたいのである。

 僕が最近感じる不満は、生徒たちが答える時に、あまり考えずに答えることだ。
 質問に対して、とりあえず何か答えを言ってみる。そしてこちらの顔色を窺うのだ。
 「答えが違っていそうだ」と判断すれば、すぐに別の答えを言う。そしてまた、顔色を窺う。
 時によってはそれが正反対の答えだったりするワケね。

 「バカヤロオ!結局オマエの考えはどっちなんだ?」と詰め寄りたくなる。
 (詰め寄る時もある。)

 正解を出すことより考える過程を大切にしたいのに、いつから、こんな卑屈なニンゲンが増えたんだろう?
 
 こんなクソ面白くない精神を持った子どもたちを生み出した、現代の日本社会を僕は憎む。

2 件のコメント:

  1. 親も一因かもしれません。

    親にとって都合のいいように、こうしなさい、それはだめと叱り親が思う通りにやらせてきた結果、自分で考えない人間ができるのではないでしょうか。今まで親がいけないこともやることも決めてきたのですから、自分で考えるチャンスがなかったのかもしれません。また、叱られないためには親の顔色を伺うのがベストと防衛手段でもあったんでしょう。
    かわいそうに、話を聞いてくれる人がいなかったんですね。

    ふと思ったのですが、みんなでディスカッションする授業ってどうでしょう。ブレインストーミングみたいに一人3回は必ず発言するとか。そういう授業が日本には欠けているせいか、外国人との打ち合わせで黙りこむ日本人をよく見かけます。

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  2. berryowlさん:

    おっしゃる通りだと思いますね。
    真理や正義よりも「正解」を優先させる考え方は、とても危険なな匂いがします。

    建設的な批判を交換する話し合いで、真実を探っていく訓練をもっともっと増やしていく必要があると思います。

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