2011年11月30日水曜日

チェルノブイリハート

昨日、「チェルノブイリハート」を観てきた。
 2003年に制作された短編のドキュメンタリー映画で、1984年のチェルノブイリ原子力発電所事故の影響(と思われる)ウクライナで出生した障害を持った子どもたちの記録である。特に「チェルノブイリハート」と呼ばれる心臓の奇形(心房や心室、またはその両方の中隔欠損)を持った子どもとその手術にボランティアで取り組む米国人医師チームの仕事をフィルムに収めている。
 
 観る人の感情に訴える側面ばかりが強すぎるいう批判もありようだが、そこが映画のねらいだったのだろうと思う。
 2004年に国連総会で上映されている。
 
 放射線の人体への影響に関して未知な部分が多すぎるから、専門知識の無いわれわれへの伝わりやすさを追求すると、あのような内容になるのかなとも思う。

 疫学的に、つまり状況証拠として、放射線が催奇形性を持っていて、「子どもの子ども」の世代に影響を与えることは確実なようだが、作用機序は必ずしも十分に明らかにされていない。
 この因果関係の曖昧さをめぐって、「反原発派」と「原発推進派」は対立する。
 「推進派」は、原発から発生する利益に群がっているいるし、権力も、お金も、暴力装置もそろっている。マスコミも味方につけている。
 それに対して「反対派」は、圧倒的に力を持たない。より多くの市民の支持に依拠して闘うしかない。そのため、反原発運動は、あくまでも理論的に進めなければならないだろう。
 だから、因果関係のわかりやすい説明が渇望されるわけである。
 この映画が撮られてから現在までの9年間に、分子生物学の分野などで放射線の影響についての研究も大きく前進していることだろう。今後、この方面からのわかりやすい情報提供が増えることを希望する。
そして、感情的なアプローチも大切なことではないかと思う。
 母親が、生まれてくる子どもが健やかで幸せであるよう願うのは、理屈を超えた感情だと思うし、僕たちが次の世代に、健全な環境を残してやりたいと考えるのも自然な感情だと思うから。

 映画の冒頭で、日本公開に際して寄せられたメッセージとしてナジム・ヒクメットの詩が紹介されていた。
 映画の制作者の思いは、ここに込められていると思う。
 僕も同感。

「生きることについて」
                ナジム・ヒクメット

生きることは笑いごとではない
あなたは大真面目に生きなくてはならない
たとえば
生きること以外に何も求めないリスのように
生きることを自分の職業にしなくてはいけない

生きることは笑いごとではない
あなたはそれを大真面目にとらえなくてはならない

大真面目とは
生きることがいちばんリアルで美しいと分かっているくせに
他人のために死ねるくらいの
顔を見たことのない人のためにさえ死ねるくらいの
深い真面目さのことだ

真面目に生きるということはこういうことだ

たとえば人は七十歳になってもオリーブの苗を植える
しかもそれは子供たちのためでもない

つまりは死を恐れようが信じまいが
生きることの方が重大だからだ

この地球はやがて冷たくなる
星のひとつでしかも最も小さい星 地球
青いビロードの上に光輝く一粒の塵
それがつまり
われらの偉大なる星 地球だ

この地球はいつの日か冷たくなる
氷塊のようにではなく
ましてや死んだ雲のようにでもなく
クルミの殻のようにコロコロと転がるだろう
漆黒の宇宙空間へ

そのことをいま 嘆かなくてはならない
その悲しみをいま 感じなくてはいけない
あなたが「自分は生きた」と言うつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはいけない

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