2012年10月23日火曜日

ソーシャルメディアとモーゼ

あなたは自分のために刻んだ像を造ってはいけない。天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形あるものも造ってはいけない。それにひれ伏してはいけない。それに仕えてはいけない。(出エジプト記 20:4、「モーセの十戒」)  前線を伴った低気圧が通過し、夜半から激しい雨が降った。朝がたから昼頃までは低気圧に吹き込む南風のために気温があがり、生温かいほどだったが、低気圧が太平洋上に抜けた夜からは急速に冷え込みつつある。  ただ、之を書いている午後9時で外気温はまだ14℃ある。  季節の変わり目である。次々と低気圧が通り過ぎていく。  いま、知床の森の樹木は、日ごとに葉の色を変えていく。  気温の変化によって起きる現象だとはわかっていても、全体が一斉に変化していく有様は、そこに何らかの意志が介在しているかのように思わせるものだ。  昨日、久しぶりにTVをつけてNHKのニュースを見たが、それに続く番組で「ソーシャルメディア依存症」のことを取り上げていたので、そのまま見続け、最後まで見てしまった。  フェイスブックやツイッターなどインターネット上のソーシャルメディアにはまり込んで、目覚めてから寝るまでPCやスマートフォンを手放せず、家事や育児にも支障が出ている人のことを紹介していた。そこから切り離されると不安になってしまうのだそうだ。  それを研究している医師もいて、なぜ依存症に陥るのかを解説してくれていた。  FBやツイッターなどをしていて、1時間~2時間があっという間に過ぎてしまった覚えのある人は少なくないことだろう。さらに激しく、これらの世界にのめり込む人々もいることだろうから、このような依存症が生じることは理解できる。  そして、TV番組でそれを報じ、「ソーシャルメディア依存症」という名前まで付けてしまうと、この症状はもう立派な?病気として公認されることになる。 (精神科医は、このような依存症や発達障害の諸症状に名前を付けてメシのタネを増やし ているのではないか?などとひねくれた解釈をしたくなるが、それはさておき)     モーゼが神から示された十戒の一つに「偶像崇拝をしてはならない」というのがある。 ソーシャルメディアに限らず、さまざまな「依存症」は、その依存する対象を偶像として崇拝している状態にたとえることができると思った。  新しい技術には、必ず負の面も伴っている。それは一枚の画の表裏のようなもので、ソーシャルメディアの中に作られる仮想の社会に浸りきってしまう人々も生み出してしまうのだろう。「偶像を崇拝するな」という啓示は、それだけにとらわれないようにしなさい、という警告だと思うのだ。  逆に言うとモーゼの時代から、その種の人々は存在していたことになる。   あらゆるモノは、特により便利で有用なモノほど人の生活に役立てられるために考え出されたはずだし、実際に多くの人がその恩恵に浴している。  ソーシャルメディアも歴史の古いマスメディアに代わる新たなツールとして登場し、その力によって国家の古い体質を変えたり独裁政権を倒すほどの力を発揮している。 (NHKが「ソーシャルメディア依存症」を取り上げたのは、日本国内でこれ以上ソーシャルメディアを普及させないためのキャンペーンではないか、という解釈も成り立つ)  ソーシャルメディアに限らず、あらゆる「形あるもの」を崇拝し、それにひれ伏してはいけないのだ。  ものごとを注意深く考えることが大切であろう。

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