2012年10月4日木曜日

取り残されている気がする 日本

 台風19号が根室のはるか沖合を通過して行ったせいか、雲が怪しげに動き、時折激しい雨も降った。  激しい風が知床の山に当たって、局地的は雨を降らせている。  今日、羅臼町の中高生は一つの講演を聴いた。開発援助を行うNGOを作り、エチオピアで活動していた人が来てくれたのだ。  講演は、エチオピアの貧しい農村を真に豊かにするために、どんな援助の方法が良かったのか、という話が中心だった。つまり、モノやお金を手渡しても、それがなかなか援助になりにくい。そこに住む人々の生活を変え、意識を変え、意欲を引き出すことが真の援助につながっていく、という趣旨のものだった。そのためには、その地域の住民の精神的、経済的自立を促すような援助を行うべきで、政府の途上国向け援助は、その意味で十分な成果をあげているとは言えない。物質面での援助に加えて、集落が精神的に自立していくような工夫が、これからの時代には求められる。  そのために彼らのNGOがどれほど努力しているか、という話が中心だった。  村が経済的に豊かになることで、貧しさ故の森林伐採はおさまり、環境の保全にもつながることになる。  先進諸国は、環境のことを考えるならば、途上国への援助の仕方を考え直さなければならない。 講演そのものも非常に興味深い内容であったが、話を聞きながら少し驚いたことがあった。  それは、この40~50年間にエチオピアの辿った歴史である。  エチオピアはアフリカ最古の独立国で、1974年まで皇帝が統治していたが、軍部のクーデターによって廃位となりエチオピア連邦民主共和国となった。  こうして出来た政権は社会主義政策を推進したが、ソ連の崩壊に伴う世界的な政治変動や当時の国内の独立運動などによって1991年に政変が起き、2000年以降安定した政権が続いている。  この話を聴いて、ふと気づいたのだが、1990年代以降、世界の多くの国で政変や政権交代が頻発していたのだ。  この世界的に嵐が吹き荒れていた時代にも、日本は多くの矛盾や不条理を抱えながら政治的には全く変わり映えしていない。カタチだけの「政権交代」はあったもののその中身は、さして変わったとは言い難い。  「日本の悲しい現実」をここでも突き付けられた。

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