2012年12月18日火曜日

日本人の精神構造について、宵の語らい

今日、ふと思うところがあって、ツイッターで以下の通りにつぶやいた。  「経済的に豊かになって終わるストーリーが多いのが日本のおとぎ話の特徴。」  自民党の経済政策が多くの有権者の期待を集めて、今回の「圧勝」の原因となったという論調があり、それを補強するような(意識的に世論を誘導するような)インタビューをNHKがいろいろな番組で放送していたので、なんとなくそれに反発する気分が強くなってつぶやいたのである。 すると、すぐに以前、同僚だった友人から次のようなコメントが来た。  貴種流離譚や、英雄不死(生存)伝説が多いのも特徴かと思います。 「貴種流離譚」とは、「貴種漂流譚」ともいい、身分の高い者の子ども、若い神や貴人が、漂泊しながら試練を克服して、尊い地位を得たり偉大な神となったりするもの。  大国主命や日本武尊の伝説などが、その例だと言われいてる。 そこで、次のような返事を書いた。 その通りだと思います。(北海道では)義経伝説などが身近ですよね。  ところで、物質的に豊かになるという幸福のタイプが日本人の精神の根底にあるような気がしてしかたがありません。  今回の自民党圧勝の原因の一つとされている経済政策などをみていて感じるのです。 自然保護運動をしていると、よく「自然も大事だがまず食うことが大事だからナ」という反論に出会います。もう飽き飽きするほど出会ってきました。  もちろん、これら(経済活動と自然保護)を対立させようとは思いませんが、なんでもかんでもお金で価値を表そうとする精神構造の原因を考えてみたわけです。  英雄不死伝説は別として、機種流離譚と経済成功譚(これは僕の造語)との共通の背景がなにか考えられそうですね。  間髪を入れず、彼から返事が来た。  それが集大成として現れたのが20世紀後半の一連の藤子不二雄などの漫画ではないかと思います。『ドラえもん』『キテレツ大百科』などがその象徴で、それが高度経済成長期後の科学技術の追究と相まって流行ったのでしょう。しかし、21世紀に入るとそれは一旦「こころ」の方に大きく針が振れて一見意味深な物語が流行しました。「格差社会」の到来は、またもう一度歴史を繰り返してしまうのではないかと危惧しています。物質的な豊かさで満たされる心は素晴らしいかもしれませんが、「Can't Buy Me Love」なのであります。  う~ん。深い。  僕よりもはるかに若い彼の、ぼくよりもはるかに深い洞察に脱毛いや、脱帽の宵のひとときであった。

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